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ケツァール・コレクション



日本時間9時


 鳥類の中でいちばん華麗な鳥と言われ、手塚治の「火の鳥」のモデルになったという。なるほど、そっくりです。ケツァールとはキヌバネドリ目キヌバネドリ科の鳥で、ケツァール属 Pharomachrus の鳥の総称です。その中で Pharomachrus Mocinno と学名で呼ばれるのがケツァール quetzal で、全長約37cm。ただし、雄の飾羽を含む全長は1mに達します。この飾羽は尾羽ではなく、上尾筒の羽毛がのびたもので、4本のうち2本がとくに長く、尾羽はその下に隠れています。雨覆羽も飾羽となって翼の上に垂れ下がる格好になっています。

 ケツァールはメキシコ南部からパナマ西部にかけて分布し、標高1500m 以上の深い森林に単独、あるいはつがいで棲んでいます。絶滅が危惧されている種でもあります。食物は昆虫類と果実で、獲物を見つけるとさっと飛び出してついばみ、もとの枝に帰って食べます。雛時代にはトカゲや昆虫を食べますが、一人立ちすると木の実しか食べなくなります。嘴が弱いせいか、巣はキツツキが空けた樹洞を利用し、1腹2個の卵を産み、抱卵期間は約18日、雌雄で抱卵します。

紙幣のテクン・ウマン肖像  古代マヤおよびアステカ・インディアンはケツァールを「大気の神」として崇拝し、その飾羽は高貴な人しか身につけることができませんでした。現在ではグアテマラの国鳥であり、また自由を奪われると死ぬという伝説のために自由の象徴ともなっています。また、スペイン人と闘って破れ、1524年2月20日に火あぶりにされた勇士テクン・ウマンの伝説ともつながっています。闘いに倒れたテクン・ウマンの胸が血に染まった時、ケツァールがその胸をかすめて飛び去り、それ以来ケツァールの胸は赤くなったという言い伝えです。彼はグァテマラの国民的英雄であり、2月20日は「テクン・ウマン」の日となています。メソアメリカのひとつの神ケツァルコアトルもこの鳥がモチーフになっていることは間違いないでしょう。グアテマラでは国旗、切手、コインに使われ、貨幣の単位もケツァールです。


Pharomachrus Mocinno


 羽根は金属色なので、光線の具合で色が変化しています。画像中央から左側が雄、右側が雌になります。嘴にくわえているのはケツァールと共生関係にあるアグアカティーヨの実です。



ケツァール コレクション


グァテマラ国旗紙幣硬貨
グァテマラ国旗紙幣。左上隅にケツァール。グァテマラの貨幣単位はケツァール。硬貨
ケツァルコアトル神殿の斜面ケツァルコアトル神殿のケツァルコルケツァルコアトル神殿地下のヤッシュ・クック・モの王墓
テオティワカン遺跡のケツァルコアトル神殿の斜面。ケツァルコアトルの隣は雨の神トラロックケツァルコアトル神殿のケツァルコルケツァルコアトル神殿地下のヤッシュ・クック・モの王墓。この王はコパンの初代の王。口の中に王の頭部が見え、ケツァールに保護されている形になっている。
ケツァールの羽根でできた王冠グァテマラ国家宮殿ホールの女神像3羽のケツァールの棺桶
ケツァールの羽根でできた王冠グァテマラ国家宮殿ホールの女神像(ステンドグラス)3羽のケツァールの蓋付き小型棺桶。9-10世紀。3羽のケツァールが生命の蘇りの願いを表す。口には実をくわえている。


資  料


ケツァルコアトル


ケツァルコアトル

 Quetzalcatl 古代メキシコの神(左絵)。「羽毛ある蛇」あるいは「高貴なる双子」とも訳されます。同じ名前の人間もいます。トルテカ王国(トルテカ文化)第2代の王の名がそれでした。神としての起源は古く、前数世紀にまでさかのぼると言われます。ケツァルコアトルの原型は水や農耕と関連する蛇神でしたが、テオティワカン文化期(紀元前後‐650)からは、「羽毛ある蛇」という竜のような架空の動物の姿で表現されていきます。ショチカルコ期(650‐1000)では、農業神のほかに、金星としての属性も付加され、さらにアステカ時代になると、原初の二神トナカテクトリとトナカシワトルが生んだ四神の一人として、兄弟のウイツィロポチトリと共に、宇宙の生成にたずさわった神として知られるようになります。遠い昔に天からくだって、人間に農耕を教え、すべての文化、知識を与え、人身犠牲をやめるように説いた神なのです。人間の代わりに蝶を捧げないさいと。トウモロコシもこの神によりもたらされたとされています。しかし、闇の神テスカトリポカ(右下絵)に追われることになります。テスカトリポカ神は軍神であり、犠牲を要求する神でもありました。だから、毎日人間の心臓を捧げたのです。太陽に食べさせるために。そうしないと太陽が昇らないのでした。このための捕虜を確保するために戦争を行う必要が生じもしたのです。ケツァルコアトル神は再び帰ることを予言して去ることになります。また風の神エエカトルは彼の分身と見なされました。この神と神の戦いは、それを信奉する神官たちの闘いでした。こういう話は「風の谷のナウシカ」に出てくる伝説にも影響を与えているかもしれませんね。

テスカトリポカ

 さて、人の方ですが、トルテカ王国第2代の王はミシュコアトルの子とされています。ミシュコアトルを族長とするトルテカ族が、900年ころ、メキシコ北部から中央高原へ移動して来て、クルワカンに定着します。その後、ミシュコアトルはショチカルコに近い地で、チマルマという土地の女性に子を生ませ、この子がのちにケツァルコアトルの名で知られるようになります。彼の父は部下の裏切りにあって死亡し、母も出産がもとで死んだために、母方の祖父母に育てられますが、このことがショチカルコの神を信仰するきっかけとなったと思われます。神の名を持つのはその神官という意味です。彼は父のかたきを討ち、さらに都をトゥーラへ移して繁栄しますが、戦いの神を信仰する部族の者たちとの間に反目が生じ、彼は都落ちして東方の海岸で姿を消しました。このできごとが、ケツァルコアトルの神と混同された形で、アステカ帝国に伝わっていたようです。皇帝モクテスマ2世が、1519年に東方の海岸に姿を現したスペインのエルナン・コルテス一行をケツァルコアトルの再来とまちがえた話は有名ですが、これはこの神が肌白く黒ひげ豊かであったとされていたからでもあります。見た目も伝説と生き写しだったのです。先に神と神の戦いの話をしましたが、詳しく言うと、神官は神の名前を名乗っており、ケツァルコアトル・トピルツィンという神官が追われて東の海に去ります。一の葦の年に帰ってくると言い残して。これがちょうどコルテスが現れた年にあたるのです。偶然とは国家が滅ぶほど恐ろしいものなんです。



アグアカティーヨ


アグアカティーヨの実


 アグアカティーヨの実はケツァールが食べて吐き出した種からしか発芽しません。自然に落ちた実からは発芽できないのです。ケツァールは外側の薄い果肉だけしか消化せず、アグアカティーヨはこれによって種が裸になることにより発芽できるようになると思われます。発芽のスイッチが入るのでしょうか。そんなわけで、ケツァールの絶滅はアグアカティーヨにとっても危機となる関係にあります。



テオティワカン文化


  Teotihuacan 紀元前2世紀から6世紀ころまで、メソアメリカに栄えた文化です。メキシコ市の北方50キロにあるテオティワカンを中心に各地に大きな影響を与えました。テオティワカンの建設は前2世紀にはじまり、太陽と月のピラミッドと「死者の大通り」を中心にしたメソアメリカ史上最大の計画都市は、最盛期には20キロ四方。2世紀頃にはグアテマラにまで進出し、メソアメリカ全体に支配権を拡大、テオティワカンで崇拝されていた雨の神トラロックはその象徴として各地に伝えられました。テオティワカンの宗教は、トラロック Tlaloc 神を代表に、火の神ウエウエテオトル Huehueteotl、春の神シペ・トテック XipeTotec など、のちのメソアメリカの宗教にみる基本的な神々が存在していました。とくにトラロックは単に雨をつかさどるばかりでなく、一神教的性格をもち、テオティワカンの象徴として各地に伝えられたのです。この後のテオティワカン没落により、トルテカのケツァルコアトル神へと引き継がれていきます。



トルテカ文化


 Tolteka メソアメリカの古典後期(600年―1000年)を代表する文化です。テオティワカン文化の没落とともにメキシコ中央高原に形成され、メソアメリカ全域に広まりました。トルテカは「すぐれた人」を意味し、単一の部族ではなく、テオティワカンを没落させた各地の指導者階級であり、彼らによって地方文化が隆盛しましたが、強力な統一勢力は生まれませんでした。ケツァルコアトル信仰を一つの特徴とし、この神に関係するシンボル、たとえば羽毛を持つ蛇、金星、天下る神、蛇の口から出現する神、時のシンボル、四つの足などのモティーフが石彫や壁画などにみられます。すぐれた石造建築や美術・工芸品を各地に残しますが、10世紀末ころからメキシコ北部からのチチメカ族の侵入と破壊によって大きく変容していくことになります。



コパン


 Copn ホンジュラス西部にあるマヤの都市遺跡で、モタグア川流域にマヤ芸術様式のひとつコパン様式を生み出し、4世紀から9世紀に最も栄えたとみられています。中心部はピラミッドと神殿を含む「アクロポリス」と五つの広場からなり、周囲の関連遺構からマヤ文明随一のすぐれた人像彫刻や、多数の象形文字、正確な暦日の刻まれた石碑群などが発見されました。天文暦数の記録の正確さは、アメリカ大陸の先史文化の中では他に類を見ないものです。



アステカ文化


テノチティトラン

 Azteca 14世紀から1521年のスペイン人による征服まで、現在のメキシコ市を中心に栄えた国家をいいます。アステカとは彼らの伝説上の起源の地、「アストラン Aztlan」の人を意味します。アステカは首都テノチティトランに住んだその中心的民族で、メシカ Mexica とも言いました。国名メキシコはここから来ています。北方のチチメカ族の一派であり、13世紀にはメキシコ盆地に入り、14世紀半ばに当時湖上の島であったテノチティトラン(図を参照)に王国の首都として定住、15世紀にはメキシコ盆地最大の勢力となって征服活動を始めます。16世紀初頭にはメキシコ湾岸から太平洋岸にまで覇権を確立し、マヤの文明やトルテカ文化を継承しつつ、征服地の宗教を組織化した複雑な文化をつくり出しました。現在のメキシコ市はテノチティトランの上に建設され、メキシコ国旗はその伝説を図柄にしています。

 アステカ本来の守護神はウィツィロポチトリでしたが、その王権はトルテカのケツァルコアトルに由来すると称されました。ケツァルコアトルの再来を信じたアステカ王モクテスマ2世は1519年に上陸してきたコルテスらをこの神の一行と誤認し、アステカ国家の滅亡を早める結果となります。1521年の征服後、アステカ文化はスペイン人によって否定的にとらえられましたが、メキシコの独立の動きとともに国家統合のシンボルとして称賛されるようになりました。



メソアメリカ


 なにやらいろんな文化が出てきたのでややこしくなってきました。ここで、「メソアメリカ Mesoamerica」という言葉でまとめます。

 中米における先スペイン時代の古代文明圏を指してメソアメリカと言います。メキシコ南半部、グアテマラ、ベリーズ、エルサルバドルの全域、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカの西側部分ぐらいの範囲になります。前2000年ころから定住村落が形成されて土器製作も始まり、前1000年ころからピラミッド・神殿、球技、絵文字、365日の太陽暦、四大植物(トウモロコシ、豆、トウガラシ、カボチャ)を含む多種の植物栽培など共通の文化要素群が出現しました。石器時代の都市文明をつくったことは世界史のなかでは異例で、周辺地域、とりわけ南米アンデス地方(アンデス文明)との交流も確認されています。形成期または先古典期(前1200年―前100年)は、定住村落から公共建築をもつ都市への発展時代で、オルメカ文化が代表的でしょう。続く古典期(前100年―後1000年)は大都市が出現し最も繁栄した時代で、テオティワカン文化、トルテカ文化、マヤ文化が代表的になります。続く後古典期(1000年―1521年)はメキシコ北部からのチチメカ族の侵入による混乱と、その一族のアステカ族によるメシカ文化が代表になります。16世紀前半、この地域はスペインによって征服され、メソアメリカの歴史・文化は大きく変容することになるわけですが、メソアメリカの文化は消滅したわけではなく、その伝統は今日にまで及んでいると言えます。



コンキスタドール


 conquistador 本来はスペイン語で征服者の意ですが、特に16世紀初め南北アメリカ大陸を征服したスペイン人冒険者たちをさします。アステカを滅ぼしたH・コルテス、インカを滅ぼしたF・ピサロがその代表的人物でしょう。新しい領土を獲得し、黄金・財宝に貪欲である一方、キリスト教を未知の世界の人びとに伝えるという使命感も持っていました。現地の人にとってはいらん世話です。



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