概要と黄昏 ポンペイを歩く No.1 ポンペイを歩く No.2 資  料 ヘルクラネウム 語の解説


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ポンペイ・イタリア共和国

79年8月24日


日本時間1時



詳細地図を表示しています ポンペイ Pompeii

 イタリア共和国 Repubblica Italiana は、半島部が中海式気候、北部はやや大陸性の気候で、日本より気温がわずかに低めという感じの国です。バチカン市国を抱え込むだけあって、99.6%がカトリック教徒です。国民投票により王政を廃して共和国になったのは言うまでもなく第2次世界大戦後です。日本も戦後共和国になるべきであったと常々思っていますが、そんな話はここでは関係ありませんね。

 さて、ポンペイはポンペイ島という場所もありますが、ここはイタリアのポンペイ遺跡です。イタリア南部、カンパニア州 Campania 北西部のヴェスヴィオ火山南麓にあって、ナポリ湾に臨む古代都市遺跡です。おおよそ、北緯40°45′東経14°31′になります。カーソルを地図に合わせると、詳細地図を表示できます。なお、文中の黄色文字でカーソルが乗ると水色に変わる語はそれぞれ「資料」や「語の解説」の該当語にリンクしていますが、重いので後からまとめて読まれることをお勧めします。


ヴェスヴィオ山火口
ポンペイ市街とヴェスヴィオ山
当時のヴェスヴィオ山のフレスコ画(部分)
ヴェスヴィオ山火口
直径は約500m
ポンペイ市街とヴェスヴィオ山
画像の下半分がポンペイ
当時のヴェスヴィオ山のフレスコ
噴火前は尖った山だった


 前6世紀、交通の要衝、肥沃な後背地などの条件によりオスキ人の集落として興り、前5世紀にはサムニウム人の進出でその支配下に入りますが、一時的に独立していた時期もありました。しかし、ポエニ戦争同盟市戦争を経てローマの支配を受けることになり、以後都市制度を整え、ラテン語を受容し、劇場、ウェヌス神殿、イシス神殿、公衆浴場、バシリカ basilica などを建てて大都市に発展していきます。また、ローマ人の保養地として別荘もでき、華麗な壁画・彫刻・モザイクで飾られ、水道、舗装路、商店も整えられました。

犠牲者の石膏像

 元首政期の人口は2万人近くに達しましたが、その約半数が奴隷と計算されています。豊かな生活は奴隷が支えていたわけです。63年に大地震による災害をうけたのち、79年8月24日午前のヴェスヴィオ山 Vesuvio の大爆発により埋もれることになりました。死者は約2000人と計算されています。危険を感じて早朝から逃げ出した者もいたのですが、ガスによる窒息死により多くの死者が出たようです。その後も降り続く火山灰などにより、死んだままの姿でタイムカプセルとしてこのポンペイの空間は残ることになりました。現在、穴の開いたところに石膏を流し込むことにより、人の姿を見ることが出来ます。文字通り、あな、恐ろし......(^^ゞ

 この時の噴火は、対岸のミセヌム岬にいた政治家・著作家であった小プリニウス(Gaius Plinius Caecilius Secundus 61頃-113頃)により詳細に記録されており、手紙として残っています。彼は「博物誌」の著者大プリニウス(23頃-79)の甥です。大プリニウスはガレイ船を出して救援に駆けつけますが、この時に命を落とすことになりました。そして、この甥が大プリニウスの死後に「博物誌」を世に出しているのです。ローマ皇帝ティトゥス(在位79-81)も知らせを受けて、救援措置を講じますが、手の出しようもなくポンペイは放棄されることになります。そして忘れ去られたのです。


ヴェスヴィオの噴火で埋もれた都市配置

ナポリを除いて記載された都市はすべて噴火により埋没しました。
小プリニウスが噴火の様子を見ていたミセヌム岬はナポリの西になります。

 この時ヴェスヴィオ山の麓にあったヘルクラネウム Herculaneum 、スタビアエ他のいくつかの都市も火山泥流により埋没しました。ヘルクラネウムは前6世紀にギリシアの植民市として設けられ、前89年ローマ領となった都市です。1927年以来組織的な発掘が開始され、ヒッポダモス風の都市プランが明らかになり、公共建築や住宅の跡が発見されています。

 ポンペイ遺跡は1709年に発見され、1748年からナポリ王国により発掘が始められましたが、ほとんど宝探しであって、1860年ころから組織的な発掘が行われることになります。石で舗装した道路、神殿、大小二つの円形劇場や、民家、商店、職人の仕事場などが掘り出され、壁画やモザイク、家具、陶器など、古代の美術工芸や生活様式を知る貴重な資料を提供することになります。約5メートルの火山灰や土砂を除去して、現在8割ほどが発掘されています。1873年に岩倉具視の使節団はここを訪れています。





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黄  昏


 ヴェスヴィオ山はポンペイから見ると北に当たります。当時の人々が見た方向は当然北になるので、北向きに星空を見ます。しかし、噴火と噴煙で星空など何も見えなかったことでしょう。こんな星空がヴェスヴィオ山の向こうに広がっていたのだと想像して見ていただきたいと思います。ここから下の黄色文字はリンクしていません。

 まずはお馴染みの大熊座です。ふつう大熊を見るより北斗七星を見てしまう星座ですね。ヨーロッパでは大さじとか、車の形に見たてられています。大熊から言えば、ひしゃくの升は熊の胴体、柄は長いしっぽになります。ギリシア神話では大神ゼウスの愛をうけたニンフのカリストで、ヘラまたはアルテミスによって熊にされたといいます。α星はズーベと呼ばれる1.9等の赤色巨星で4.8等の伴星をともなっています。ζ星ミザールとアルコルは2重星は肉眼の分解能よりも離れているので、暗い空とよく見える目があれば分解してみることができます。こういうのを肉眼2重星と呼んでいます。ミザールとはアラビア語で「腰布」の意です。また2等星ミザールのすぐそばにはアルコルと同じくらいの明るさの伴星があり、これは小望遠鏡で分解できる連星となっています。4等星のアルコルは中国では輔星(宰相の星)として注目されました。北斗七星の大半は日本では日周運動によって地平線下に沈むことがない周極星です。この星座には銀河が多く、渦巻き銀河M81、M101、不規則銀河M82という銀河が有名です。また、ふくろう星雲M97(NGC3587)と呼ばれる惑星状星雲もあります。M81は双眼鏡で見えますが、そのほかはどれも写真に撮らないとほとんど見えません。でも、写しやすい被写体ではあります。ふくろう星雲は写っていてもシミと間違えてしまうくらい淡いです。

 次に牛飼い座を見ましょう。α星のアークトゥルスはギリシア語のアルクトゥロスに由来し、「熊の番人」という意味です。日本では麦を刈り入れる6月頃に宵の空の頭上にくることから麦星と呼ばれました。赤い色をしており、直径は太陽の24倍の赤色巨星です。ホメロスは「オデュッセイア」の中でこの星座を「沈むにおそきボオテス」と歌っています。うしかい座には、小さな望遠鏡でも見える重星が多くありますが、星団や星雲には乏しい星座です。双眼鏡でι星やδ星が、肉眼ではν星が重星として分離できます。

 冠座は7個の星で王冠を作っている半円形の形です。ギリシア神話ではナクソス島に捨てられた王女アリアドネをなぐさめるために、酒神ディオニュソスがその頭上に載せた黄金の冠とされています。α星はゲンマ(真珠)とも呼ばれ、日本では初夏天頂に昇りますが、「太鼓星」「へっつい星」「長者のかまど」「鬼のかま」などの和名があります。ε星の南東には、回帰新星かんむり座T星、冠の中央部には不規則変光星のかんむり座R星があります。

 小熊座は北斗七星を含むためいろんな神話や伝説に登場する星座です。ギリシア神話では大神ゼウスとカリストとの間に生まれた猟師アルカスの変身譚に由来し、母(大熊座)とともに熊になった姿を表しています。北極星、つまりこの星座のα星は光度+2.0等の超巨星で、周期29.6年の分光連星です。なお、口径6cmクラスの望遠鏡でも分離可能な引力的に結合している二重星でもあり、伴星は8.2等です。

 北極星はポラリス Polaris と呼ばれています。これはラテン名ステラ・ポラリスの略です。中世ヨーロッパではステラ・マリス(海の星)とも呼ばれていました。航海で重要な星だったからでしょう。現在天球の日周運動の極から51分しか離れていないので、つねに北の方角に見えていることになります。しかし歳差現象により天の北極はしだいにこの星から離れていっています。天体観測をしている人は極軸望遠鏡で体感していることと思います。北極星で望遠鏡の極軸を合わせても、ズレがあるために修正を施さなくてはならないのです。3000〜2000年ほど前の北極星はコカブ(こぐま座β星)に当たり、1万2000年後にはベガになります。現在の北極星は、天の北極から満月二つ分(角度で約1度)ほど離れています。北極星の高度はその土地の緯度に等しいことは教科書でもお馴染み。日本では北極星を子の星、北辰などと呼びますが、この星を妙見菩醍に見たてて星祭をする妙見信仰があります。北辰は中国の北辰信仰から来ていますが、日本では密教や神道と結びついた信仰となりました。北斗、北辰とか妙見という名前のついたお堂や社は、この信仰が由来です。

 竜座は北天の大星座で、北極をとりまいて細長く半周しています。ギリシア神話では、ヘスペリデスが守る金のリンゴの番人である巨竜ラドンで、英雄ヘラクレスの12の難行の一つが、このヘスペリデスの園のリンゴをとることでした。ヘラクレスは彼女たちの父アトラスの肩代りとして天球を支え、代りにリンゴをとってもらったといいます。α星トゥバン(竜)は光度3.65等の巨星で、竜の胴の中央部に当たる星ですが、前3000年頃には天の北極にもっとも近い輝星であり、古代エジプトではこれが北極星の役を果たしていました。γ星エルタニン(あたま)は光度2.23等の巨星で、グリニジ天文台の天頂星であり、J. B.ブラッドリーはこの星を観測して1728年に光行差を発見しました。ν星・ψ星は双眼鏡で分離して見える2重星です。星雲としては惑星状星雲NGC6543があります。これは望遠鏡で見ることになります。また10月に現れるジャコビニ流星雨の放射点もこの星の近くにあります。

 最後に小さな星座をふたつ紹介します。三角座はアンドロメダ座の南に位置する小星座で、3個の3等星が細長い直角三角形を描いています。ギリシアのヒッパルコスの時代からある星座で、ナイル川の三角州の象徴であるともいいます。渦巻銀河M33が有名で、見かけの明るさは6.3等、明るい双眼鏡でその中心部を眺めることができます。とても条件が良ければ、肉眼でも見えるそうです。85mm程度以下の望遠レンズならアンドロメダ座のM31と同じ視野内で撮影できます。矢座は天の川沿いの小星座で、4等、5等の星が横長に Y 字を形作っています。プトレマイオスの定めた星座で、ワシに苦しめられる岩上のプロメテウスを救うためにヘラクレスが放った矢とされています。ここには球状星団M71がありますが、暗いです。

 79年のこの日、星々は地上の災害をいつもと変わらず静かに見つめていました。



画像の見方


画像下欄左に時刻(日本時間)が表示されます。右に経緯度が表示されます。アニメGIFは読み込みと平行して表示していきますが、すべて読み込み終わった段階、つまり2巡目の表示になってはじめて正しい時間間隔で表示されることになります。1枚目には下欄に「START]が、最後には「END」が表示されるので目印にしてください。
時差 -8時 イタリア時間 20日19時00分から








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