プロフィール年譜妻への手紙

プリオシン海岸  カムパネルラの切符


レフ・トルストイ

破門されたアナーキスト



Lev Nikolaevich Tolstoi 1828-1910



怒るなかれ
姦淫するなかれ
誓うなかれ
悪に抗するなかれ
戦うなかれ



 トルストイと言えば「戦争と平和」あるいは「アンナ・カレーニナ」という言葉が返ってくる世界的文豪である彼は、その文学だけでなく、思想あるいは行動においても未だ光を失っていません。冒頭の五戒はトルストイが自分に課した戒律ですが、これらの言葉から彼が非暴力主義者であったことが明確にわかります。四番目の戒律が特に目を引くところです。

 生の目的とは何か。トルストイは青年期から救いを求めて著作を中心に探求したものの、そこからは何も得られることがなかったと言います。彼に救いの道を示したのは農民でした。

 1828年9月9日、トルストイは伯爵家の四男としてして生まれましたが、両親とは幼時に死別、親戚によって育てられました。当時のロシアには農奴制があり、地主である彼の領地にも当然農民がいましたが、後に農奴制の否定、農民の救済と教育に尽くしたことはよく知られているところです。彼が救いを見いだしたのは農民が「人は神に仕えるべきであり、自分自身のために生きるのではない」と語ったことです。彼はここから新約聖書に啓示された教えにこそ、生きる目的の答えが含まれていると信ずるようになっていきます。西洋はキリスト教的世界観がどっしりと横たわっているのを感じさせられますね。

 1857年、トルストイはツルゲーネフとパリを訪れていました。すでに作家としての地位を不動のものにしていたものの、文壇に違和感を覚えていた頃です。当時ギロチンでの公開処刑は観光になるほど人気があり、トルストイも見物に出かけました。そして、その感想を友人への手紙に書いています。

 「今朝、処刑を見に行ったなんて、私は全く愚かで無神経でした。ここ2週間、こちらはずっと天気が悪く、私も気分が優れなかったうえ、ひどい神経過敏症になっていたというのに、あまりに凄惨な光景を見てしまったため、当分は立ち直れそうにありません。私は戦争やカフカズ地方で幾度も恐ろしいものを見てきました。でも、もし目の前で人間が切り刻まれるのを見たとしても、この巧妙でエレガントな機械ほどの不快感は覚えなかったでしょう。」

 信条はやがてキリスト教的アナーキズムとなり、聖書を書き改め、教会の権威も否定するようになっていくことになりますが、その結果が破門宣告でした。さらに、抑圧によって自己保全をはかるがゆえに体制的国家に反対し、所有者が力によって保全しようとするがゆえに私有財産制も否定しました。そして、人類の階級も国家もない世界への歩みは、経済的決定論と暴力的階級闘争を唱えるマルクス主義とは反対に、愛という至上の法則の遵守と、あらゆる暴力の拒絶による個人各自の道徳的完成によるという理想主義を抱きます。トルストイは身の回りの必要な物は手作りし、著作の原稿料も受け取り拒否をしています。ただし、「復活」の原稿料はだけは政府から迫害されていたドウホボル教徒への救済にあてていますが。ちなみに日露戦争勃発に際しては反戦論文を発表しますが発禁処分となり、日本ではこれを「平民新聞」が掲載します。与謝野晶子の「君死に給ふことなかれ」はこの論文の影響だと言われています。日本へはこれだけでなく、白樺派を主として大きな影響を与え、武者小路実篤が「新しき村」を造っています。

 アナーキストにもいろいろありますが、トルストイはいわば宗教的アナーキストと呼べばいいのでしょうか、深い信仰に基づいた彼の信条は真摯に社会性を求めてはいるものの、個人的な実践へと向かいます。肉欲の克服や菜食も含めてこのあたりは賢治と共通するところがあります。賢治はトルストイから深く影響を受けていますが、それは「注文の多い料理店」の広告文に「イヴン王国」という言葉が記されていることからも明らかです。

 この道、行き着くところは挫折と相場が決まっていますが、家出後のアスターポボ駅での寂しい死がそれを如実に示しているところです。家族には理解が得られなかったのです。ただ、理解が得られなかったというものの、家族は農民のためにトルストイ同様に働き、当時としては考えられない援助をしてはいたのです。




年  譜


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      資  料


アンナ・カレーニナ


小説


 "Anna Karenina" 長編小説。1875年―1878年作。
 美しい人妻アンナは、青年将校ウロンスキーの姦通ゆえに上流社会から罰せられる。アンナはその偽善的な上流社会に、愛に基づく誠実さで立ち向かおうとするが鉄道自殺に終わる悲劇。1870年代のロシア社会を活写している。この小説のエピグラムは「復讐はわがなすべきこと、われみずからこれを行わん」という聖書の言葉です。


映画


「LOVE」

「アンナ・カレニナ」(原題:LOVE)27年 WARNER BROS グレタ・ガルボ、ジョン・ギルバート。82分。サイレント。

  映画向きの題材のせいもあるのか幾度も映画されていますが、これがたぶん最初。ハリウッド向きにするため、むりやりハッピーエンドで終わります。これ以降に作られた映画の原題はすべて小説と同じタイトルですが、これはトルストイに遠慮してか、やはりハリウッド好みにするためか「LOVE]になっていますね。トルストイファンは見るべきでないが、ガルボファンは必見。今時ガルボファンがいるのかどうか知らないけれど。とにかくガルボ一人が輝いています。これを見てガルボの名声がよくわかりました。35年に同じくガルボ主演でトーキー版が製作されていますが、こちらは小説通り悲劇的結末を迎えます。きっと前作を反省したのでしょう。48年に英で、68年にはソ連で、85年には米のジャクリーン・ビセット主演で映画化されています。35年のガルボ作は評価が高いので見てみたい。しかし、いくら映画を見ても、原作を読むのとはまるで違います。



「ANNA KARENINA」

「アンナ・カレニナ」(原題:Anna Karenina)35年 MGM グレタ・ガルボ、フレドリック・マーチ、フレディ・バーソロミュー、モーリン・オサリバン。93分。トーキー。

  ほぼ1年後に35年版を見ることができました。さすがになかなかの出来になっています。トーキー時代になって職を失った俳優はたくさんいるようですが、ガルボは台詞もいいです。映画も大作の趣で、場面設定や構図などにも工夫が見られます。前作も同様ですがウロンスキー役の俳優がどうもなじめない。前作のガルボは若すぎ、本作のガルボの方が原作に近くなっている感じがします。その他、ソフィ・マルソーの『アンナ・カレーニナ』(1997年)も見ましたが、ご苦労様でしたというところです。キーラ・ナイトレイの『アンナ・カレーニナ』(2012年)はシネマ短評でコメントしています。



戦争と平和


小説


 "Viona i mir" 1868年―1869年に6巻構成の単行本として出版されました。
 1812年のナポレオン軍によるロシア侵攻を中心にすえ、その前後十数年のロシア社会を、戦争と平和の両面から壮大な規模で描きだした歴史大作。莫大な遺産を相続しながらも満たされず、精神的な探索を続ける貴族ピエール・ベズーホフ、戦場に倒れる高潔な貴族アンドレイ・ボルコンスキー、可憐で情熱的なヒロイン、ナターシャ・ロストワなどの運命が語られるのと並行して、戦争の模様が描写され、そこに、個人の意志を超えて動いていく歴史の流れをめぐるトルストイの哲学的な考察が織り込まれます。型破りの構成と巨大な規模で際立った、19世紀ロシア・リアリズムを代表する一編であるとともに、世界を代表する作品です。
 この作品が書かれた時点でのトルストイの歴史観とは、人間には歴史を選択する自由がないというものです。人間の活動には個人の意志に依存するものと、そうでないものの二つあり、歴史の過程には最小限の自由しかない。「偉人」と歴史家が呼ぶ指導者の活動も、他の無数の人民の活動によって成り立っており、すでに決定されている。つまり、自然の法則が人間生活を規定しているということになります。ちなみに、トルストイがこの作品を書くために読んだ本だけで図書館が建つと言われています。


映画


「戦争と平和」

「戦争と平和 VOINA I MIR」 66年・ソ連・433分 製作・監督・脚本:セルゲイ・ボンダルチュク、撮影:アナトリ・ペトリッキー、出演:リュドミラ・サベリーエワ、セルゲイ・ボンダルチュク、ビャチェスラフ・チーホノフ


 浮かび上がった1812 5年と110億円をかけて製作された本家ソ連の映画です。小説が大作なので映画も超大作です。443分という時間は書き間違いではありません。映画の冒頭は田園を背景にしてこう語られます。「大きな意味をもつ思想とは単純なものだ。私は思うのだが、要人が力を合わせ権勢を振るうならば、誠実な人々も手をつながねばならない」 この戦争が対ナポレオンであったとしても、よくもまあソ連が作ったものだと感心します。当時のソ連権力は、民衆に圧制を敷いているという自意識もなかったのでしょうか。国家規模で作られていますから、戦闘シーンのスペクタクルは圧巻です。今回キャプチャ作業をしていたら、彗星のシーンで真っ黒な夜空からなにやら文字が浮かんできました。いろいろといじって浮かび上がらせたのが右上の画像です。彗星が流れた年のようです。これは映画館でも見えなかっただろうと思うのですが。見えていたら、こんなスクリーンいっぱいの馬鹿でかい文字をわざわざ出す意味もわからない。映画館で見た人はいますか。年をさかのぼって、56年にはアメリカ・イタリア製作でオードリー・ヘプバーン&ヘンリー・フォンダ主演(208分)のものがありますね。たぶん多くの方がTV等で見られたことでしょう。



復   活


 "Voskresenie" 1899年作。
 かつて自分が堕落させた娘カチューシャ・マースロワを無実の罪から救おうとする青年貴族ネフリュードフの奔走、良心の悩みを描いています。陪審員として法廷に出席し、被告がかつて自分が犯した娘であることを知ることになりますが、流刑地であるシベリアまで彼女の後を追い、許しを得るものの結婚は拒絶されます。主人公が神を求める人間として復活していく姿を描くとともに、道徳的説教・法制・刑罰体系・教会の宗教儀式に対して容赦ない批判を展開し、当時のロシア社会の不正・虚偽を徹底的にあばき出したトルストイ71歳の時の傑作です。この作品はドウホボル教徒の海外移住資金を捻出するために書かれました。
 映画は34年アメリカと61年ソ連があります。



新しき村


 白樺派の文学者、武者小路実篤が人類愛・人道主義をモットーとして提唱した生活共同体の村の名前です。1918年宮崎県児湯郡木城村(現、木城町)に建設し、各人が一定の義務労働を分担して衣食住が無料で得られる社会をめざしました。ダム建設のため移転しましたが、現在も継続されているはずです。ロシア革命の影響のもと、トルストイの実践をモデルとしたものです。もっとも弟子たちが熱心で、トルストイ自身は彼の思想からすれば当然ながら組織というもの自体を信用できなかったようです。
 白樺派はトルストイの影響を強く受けていますが、有島武郎も自分の農場の相続を放棄して、農民に開放しています。トルストイは白樺派に限らずこの時代の日本の作家に強い影響を与えていました。日本ではロシアにもない「トルストイ研究」という専門研究誌も発行されていたくらいですから。しかし、トルストイ思想理解は芸術家としての範囲に留まっていたと考えられます。トルストイアンの代表者とも言える武者小路実篤はナチスのベルリン・オリンピックに興奮し、戦争中も「日本文学報国会」の劇文学部代表として活躍したのですから。実は先に記した「トルストイ研究」(大正6年1月の号)の中で、堺利彦は日本でのトルストイの流行について、改革を否定してただ精神の修養に帰着できるので平穏無事に済むところが気に入られていると批判しています。ガンジーもそうですが、トルストイは無抵抗でありながらも革命者、反戦主義者である点をトルストイアンは忘れていた、あるいは見ることを拒んでいたと思わざるを得ません。賢治も例外ではなかったと思います。
 ちなみに中華人民共和国の人民公社は毛沢東が創設したものですが、彼は「新しき村」からその発想を得たようです。魯迅の弟、周作人が中国に紹介したことによっています。魯迅自身も実篤の戯曲を翻訳しています。世の中、何がどうつながっていくのかわからないものです。中国にとって実篤は戦犯みたいなものだと思うのですが。



映画作品 『終着駅-トルストイ最後の旅』 2009年


『終着駅-トルストイ最後の旅』 2009年

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原題:The Last Station  112分  ドイツ・ロシア・イギリス制作  監督:マイケル・ホフマン
原作:ジェイ・パリーニ『終着駅-トルストイ最後の旅-』
出演:ヘレン・ミレン、クリストファー・プラマー、ジェームズ・マカヴォイ、ポール・ジアマッティ

 秘書としてトルストイの元へ派遣されてきた若者の視点から、トルストイ夫婦の愛の形を見つめる作品で、単なる伝記とは異なります。トルストイよりも妻ソフィアに焦点を当てています。妻ソフィアと言えば当然財産の問題が出てくることになるわけですが、物語も財産をめぐる騒動を縦軸にしながら、理想と現実の狭間で揺れる愛の行方を追う作品です。最後は家出して、駅で亡くなるというシーンになります。この時に妻に出した手紙も「妻ソフィアへの最後の手紙」のページに掲載しています。この映画の評価については「シネマ短評」をごらんください。



      の解説


のうどせい ヨーロッパ封建社会で領主に対して強度の隷属関係にある保有農民制度。農奴とは荘園農民の標準的身分で、その特色は、世襲的な人身的隷属のほか、保有地処分権や聖職者資格の欠如、土地への緊縛、賦役労働・フォルマリアージュ(結婚税)・人頭税・マンモルト(死亡税)の負担など。ただし財産所持や婚姻などの権利能力をもつ点は奴隷と異なる。農奴解放は、フランスでは解放状の交付により、英国やドイツ西部地方では慣習法により行われましたが、農民層全体の地位向上によるところが大きかったようです。ロシアでは17世紀以降農奴制が法的にも強化され、その近代化を支えました。1861年ロシア皇帝アレクサンドル2世の発した宣言により身分的規制は解消されるのですが、土地取得は有償であったため、農民の大半は債務を負って地主に対する隷属が強められ、また離村して都市労働者となるものもたくさんいました。トルストイは土地付きの解放でなければ無意味だと抗議しています。
つるげーねふ Ivan Sergeevich Turgenev 1818-1883
ロシアの作家。オリョール県の貴族の生れ。ペテルブルグ大学卒後ドイツに留学、1843年フランス人歌手ビアルドー夫人を追ってパリに赴き、以後、生涯の大半を国外で過ごしました。初め詩人として出発、ロシアの自然と人情の美しい描写に農奴制への抗議をこめた「猟人日記」(1852年)で文名を高めました。
あなーきずむ 国家、社会、宗教など一切の権威、権力を否定し、完全な自由社会の樹立を理想とする思想。語源はギリシア語のanarchos(無支配)で、ストア派のゼノンや中世キリスト教異端派の中にもみられる思想です。近代的なものとしては1840年代にプルードンによって定式化されましたが、W.ゴドウィン、M.シュティルナーはその先駆とみられ、いずれも個人主義的性格が強いものです。その後社会主義の影響を受け、バクーニンやクロポトキンによって革命運動に結合されましたが、もっぱら直接行動を強調する点でマルクス主義と対立しました。日本でも大杉栄らを通じて大正期の社会主義運動に影響を与え、アナ・ボル論争をひき起こしています。
まるくすしゅぎ マルクスとエンゲルスがねりあげた理論体系。弁証法的唯物論、史的唯物論、および「資本論」にまとめられた経済学(マルクス経済学)などが中心となっており、資本主義社会の矛盾と、社会主義社会の生ずる必然性を明らかにしました。19世紀末に修正主義が発生して社会改良による社会主義の実現という立場が生まれましたが、他方では20世紀に入って資本主義の新たな発展段階を帝国主義と規定してその特質を解明し、ロシア革命を実現したレーニンの理論が提起されました。これはスターリンらによってマルクス=レーニン主義として定式化されます。
どうほぼる 18世紀初めにロシアに起こったキリスト教の一派。教会や聖像、祭壇など一切の儀礼的な物を廃し、財産の共有、宣誓・肉食・兵役・税金の拒否を信仰の証としました。
にちろせんそう 朝鮮(大韓帝国)・満州の支配をめぐる日本とロシアとの戦争。ロシアは、1900年の義和団事件を機に満州に15万の兵を送り、事件後も撤兵せず満州の独占支配と朝鮮進出の具体化に着手し、日本の利害と衝突するに至ります。1904年2月8日日本側の仁川沖、旅順港奇襲で戦争開始、10日宣戦を布告。戦闘は8月遼陽会戦、10月沙河会戦と苦戦ながら日本が勝利。他方、旅順攻略は乃木希典を司令官とする第3軍の3次にわたる総攻撃で死傷者5万9000余の損害を出し、ようやく1905年1月に占領。3月には両国とも30万前後の大軍を奉天に結集、会戦の結果日本軍が勝利しました(奉天会戦)。以後戦闘は膠着状態となりますが、海軍は5月に日本海海戦で勝利し、これを機に、米国大統領T.ローズベルトの講和勧告を受諾。8月にポーツマスで講和会議が開かれ、9月に日露講和条約(ポーツマス条約)に調印しました。
へいみんしんぶん 1903年日露国交が緊迫化すると万朝報による理想団の黒岩涙香、幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三は非戦論を展開。その後黒岩が主戦論に転ずると3人は退社。幸徳、堺は平民社を創立して1903年11月「平民新聞」創刊。自由・平等・博愛を人間生存の三大要素と宣言、社会主義と日露開戦反対を唱えました。内村は「聖書之研究」により非戦を訴えています。
イヴンおうこく 「イワンの馬鹿」に由来しています。民話形式の小説。"Ivan-durak"。1885年発表。農民の馬鹿正直な末っ子イワンには悪魔のどんな誘惑も歯がたたず、欲ばりな兄たちは破滅してイワンは最後の勝者となる。晩年のトルストイの無抵抗の精神主義、反戦主義を反映していています。ロシアの昔話に登場する代表的キャラクターを、教訓的に扱った作品で、賢治にかなりの影響を与えた作品でもあります。「虔十公園林」や「気のいい火山弾」など、イワンの性格を反映しており、「デクノボウ」にも通じている作品です。「注文の多い料理店」の広告文にはイーハトブの場所として「.......テパーンタール砂漠の遙かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる」と記しています。
ぐれた・がるぼ Greta Garbo
米国の映画女優。スウェーデン、ストックホルム生れ。1922年映画界に入りました。1925年監督モーリツ・スティルレルとともに渡米、MGMのスターとして、神秘的な美しさで銀幕の女王とうたわれ、また「神聖ガルボ帝国」とも称されました。「アンナ・クリスティー」(1930年)、「グランド・ホテル」(1932年)、「椿姫」(1937年)などに出演しましたが、36歳で引退した伝説的な女優です。
しらかばは 1910年4月、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎らが創刊した同人雑誌「白樺」によった人びと。木下利玄、郡虎彦、里見□、柳宗悦、有島生馬、長与善郎、岸田劉生、千家元麿、高村光太郎、倉田百三ら。自然主義に対抗して人道主義、個性主義、理想主義を標榜、倫理を重視。耽美的な「スバル」「三田文学」、理知主義的な「新思潮」と並び、反自然主義の拠点となりました。また美術雑誌をも兼ね、ロダン、ゴッホ、セザンヌら西洋美術を紹介、光太郎訳の「ロダンの言葉」などもあります。

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