プロフィール
年  譜
アッシジ
大聖堂
ジョット
聖キアラ
語の解説

プリオシン海岸  カムパネルラの切符


聖フランチェスコ

中世イタリアの貧者


ジョット「小鳥への説教」

ジョット「小鳥への説教」


Francesco 1181年か82年〜1226年

 イタリア、ウンブリア地方アッシジAssisiの富裕な織物商人の子として生まれ、清貧とキリストのまねびに献身した人物です。しかし青春時代は放蕩三昧をしており、そこから改心していったところが魅力ある人物にしているように思います。1206年に神の啓示を受け、それから清貧の生活に入りました。

 上の絵画にあるようにフランチェスコはすべてを愛する生活に入ったのです。旧約聖書から生まれた3大宗教は人間中心主義の強い宗教ですが、その一つであるキリスト教の中にあって、万物を兄弟として扱った点が特異であったと言えます。このあたりが日本でも人気がある聖人になっている理由なのでしょう。すでに十分堕落していた教会の中で無一物を主張したことも当時反感を買うに十分で、活動当初は異端として攻撃されました。正式に認められてからもその道は険しかったことでしょう。単に聖書に忠実であったにすぎないのですが。

 フランチェスコがよく口にした聖書の言葉「空の鳥を見よ。蒔きも刈りも、倉に収めもしないのに、あなたたちの天の父はそれを養って下さる。‥‥‥野の百合がどうして育つか見よ。苦労もせず、紡ぎもしない。‥‥‥今日は野にあり、明日はかまどに投げ入れられる草をさえ、神はこのように装わせて下さる‥‥‥だから何を食べ、何を飲み、何を着ようかと心配するな(マタイ伝 6・26-31)」は、彼の思想そのものです。

 キリストが異端として攻撃されたように、フランチェスコはキリストとかなりの共通点を持つ人物でもありました。まさしく「キリストのまねび」そのものだったのです。救いや癒しの奇跡を行ったことや、1224年に歴史上最初の聖痕を受けた人でもあります。キリストと同じく、声高に主張するのではなく、愛することで改革を行ったと言っていいでしょう。また、エジプトのイスラム教徒への宣教や聖キアラとの交友でも有名です。被造物賛美の書「太陽の歌」はイタリア最初の国民文学と言われています。10月4日が祝日になっています。もう少し人となりを知るには他のページもご覧ください。彼はルネサンスへ時代を導く役割を果たしたといえる側面もあり、そして現代でももっとも人気のある聖人と言えるでしょう。つまり、それは時代を超えた思想を持ちえたということであり、キリストが時代を超えているように「キリストのまねび」を証明したといえます。

 1226年10月3日の夕刻、出発点であったポルティウンクラで、フランチェスコは好きだった雲雀とともに旅立ちました。息をひきとった時、雲雀が鳴いたと言われているのです。そして、遺体は遺言にしたがって、キアラがいるサン・ダミアーノへと運ばれました。

フランチェスコの死

 フランチェスコの言動を見ていると、寛容さがあり、時に仏教徒のような気がしてくることがありますね。フランチェスコは「キリストのまねび」そのものであったと記しましたが、1点異なることがあります。それはキリストは磔刑で十字架上で死んだのに対して、フランチェスコは死期を悟って横たわって死んだというところです。この死に様は単なる経緯だけはなく、その思想をも反映しているように思えます。フレスコ画のフランチェスコの葬儀は、仏陀の涅槃図を想起させられもします。キリスト教と仏教の共通点はいろいろ言われているところですが、いつかこの点からも書いてみたいと思っています。

 当時日本でも仏教が民衆のものになっていきつつある時代でした。法然・親鸞・道元らが活躍する時代です。フランシスコ会の日本での布教は1593年になります。




アッシジ Assisi


イタリア地図

 中部イタリアのウンブリア州の町です。スバジオ山南麓に位置して、今でも中世都市の面影を保っています。古くは古代ウンブリア人の町で、アウグストゥス帝の時代に栄え、アシシウムAsisium と呼ばれました。フランチェスコはここで生まれ、彼とフランシスコ会ゆかりの聖所が町や近郊に多く残されているため、イタリアの主要な巡礼地となっています。巡礼者に全免償を与える「アッシジの大赦」が8月2日に行われ、多くの信者で賑わいます。家具、陶器、レースなどの産地としても知られています。詳細は「アッシジ」のページをご覧ください。



資  料


聖   痕


「聖フランチェスコ」
「聖フランチェスコ」部分
シモーネ・マルティーニ Simone Martini
1285ころ-1344
イタリアのシエナ派を代表する画家。シエナ生れ。

 聖フランチェスコ大聖堂内にあります。掌と脇腹に聖痕が描かれています。
 1224年、ラ・ヴェルナ山上での40日間の断食中の9月14日未明に聖痕を受けました。歴史上最初の聖痕です。フランチェスコは聖痕を隠しましたが、手足の傷に弟子たちが気付きました。脇腹の傷については死ぬときまでだれも知らなかったそうです。9月14日は聖痕の祝日になっています。
 聖痕については「語の解説」ページを参照してください。


クリスマス・クリッペ


 クリスマスに、キリスト降誕の場面を人形や模型を用いて飾る慣習がありますが、これを最初に始めたのがフランチェスコです。このお飾りをクリスマス・クリッペと呼びます。1223年のクリスマスの、模型ではなく実物の飼い葉桶とロバ、牛を岩穴に置き、飼い葉桶を祭壇として儀式を行ったということです。偶像崇拝は基本的に多くの宗教で好まれないものです。イスラム教に神像はなく、ユダヤでも金銀の像が禁じられたりして、ほとんど見られないですね。キリスト教も当初大問題として議論がなされましたが、教会が認めるところとなりました。しかしながら、教会は偶像崇拝は邪教のものという認識を捨ててはいないようです。フランチェスコはそれを一歩進めて、より民衆に親しめる演劇的な工夫を凝らしたわけですね。このあたりにも彼の異端ぶりというか、教会より民衆という姿勢が見えます。



『ブラザー・サン シスター・ムーン』

 聖フランチェスコの青春時代を描いた映画です。ゼフィレッリの映画ってあんまり好きではないけれど、これだけは別。イタリアの風景の美しさ、フォークナーの純朴、バウカーの瑞々しさ、テーマソングの素朴な清さ、どれをとっても素晴らしい。クライマックスの法王との謁見場面は仰々しいですが。テーマソングはコルトナ・ラウダ37番(フランシスコ讃歌)という聖歌が原曲になっています。

 地味な映画ですが、DVDが販売されています。映画はイタリア語版があるのかどうかは不明。TVでは少なくとも5年に1回は放映されるでしょう。そんな先まで覚えていられない!そうでしょうねえ。


『ブラザー・サン・シスター・ムーン』英語版

  「FRATELLO SOLE SORELLA LUNA」 72年イタリア 監督/フランコ・ゼフィレッリ 
  音楽/ドノバン 出演/グレアム・フォークナー、ジュディ・バウカー、アレック・ギネス


太陽の歌


 言葉遣いが古いこともあり、クリスチャンでなければあまり感心しない詞かもしれませんが、映画のテーマソングはこれを下敷きにして書かれています。歌は14世紀に書かれた伝記である「聖フランシスコの小さき花.....I Fioretti di san Francesco」(講談社)に載っていますが、フランチェスコの思想歌と言えるものです。フランチェスコはそれまでのラテン語に代えて俗語で頌歌を歌いました。フランチェスコの出現によりキリスト教は民衆のものとなっていったと言える面があります。同時に彼が異端とされることなく、教会に受け入れられた理由でもあります。教会はフランチェスコを取り込むことによって、民衆をも取り込むことができたのです。



こよなく高く 全能の善き主よ
賛美と栄光と誉れと
すべての祝福はおん身のもの
いと高きおん方よ これらはみな
おん身にのみ帰すべきもの
実に おん身のみ名を呼んでふさわしきもの
この世に ひとりもいない

おお たたえられよ わが主
すべての被造物によって
わけても 兄弟なる太陽によって
太陽は昼をつくり
かれによって われらを照らす
かれは何とうるわしく
なんと光輝を発していることか
いと高きおん方よ
かれこそはおん身のみ姿を宿す

おおたたえられよ わが主
姉妹なる月と無数の星によって
おん身はそれを天にちりぱめ
光もさやかに 気高くうるわしくつくられた

おおたたえられよ わが主
兄弟なる風によって
また 空気と雲と晴れた空と
あらゆる天候とによって
おん身は これらの兄弟で
つくられたすべてのものを支えてくださる

たたえられよ わが主
姉妹なる水によって
水は益多く謙遜でとうとく清らかなもの

おお たたえられよ わが主
兄弟なる火によって
おん身はこの兄弟で夜を照らされる
火はきわめてうるわしく
喜ぱしく 力強く たくましい

おお たたえられよ わが主
われらの姉妹 母なる大地によって
大地はわれらを はぐくみ 培い
八千草の実と
色とりどりの草花を生み出す

おお すべてつくられたもの
主をたたえ 祝し 感謝し
深くへりくだって 主に仕えよ

おお たたえられよ わが主
おん身への愛のために許し
弱さと苦しみを耐え忍ぷものによって
幸いなること 終わりまで耐え抜くもの
かれはおん身より
いと高きおん方よ おん身より
永遠の冠を受けるのだ

たたえられよ わが主
姉妹なる 肉体の死によって
この世に生を受けたもの
この姉妹より のがれることはできない
災いなこと 大罪のうちに死ぬもの
幸いなこと おん身の貴いみ旨を
果たしつつ逝くもの
もはや永遠の死も
彼を損ない得ないのだ


 TopPage 

ホームへもどります


プロフィール
年  譜
アッシジ
大聖堂
ジョット
聖キアラ
語の解説