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惑星ソラリス

Solaris


SOLARIS

72年・ソ連 上映時間 165分
監督・脚本 アンドレイ・タルコフスキー 原作 スタニスラフ・レム
撮影 ワジーム・ユーソフ 音楽 エドアルド・アルテミエフ
出演 ドナータス・バニオニス ナターリャ・ボンダルチュク アナトリー・ソロニツィン


 21世紀。惑星表面の海が有機的頭脳を持つと推測される惑星ソラリス軌道上のステーションに心理学者クリスが送り込まれます。ソラリスの海は人間の潜在意識を実体化する働きがあり、クリスの前には10年前に自殺した妻が現れます。しかし、完全な複製ではなく、脱げない服を着て現れるところがミソですね。良心に苛まれることから逃れるためクリスは妻をロケットで打ち上げますが、再び妻が現れるのです。そしてこの妻自身も自分の存在について悩み始めることになります。

 人間の深層心理が実体化して立ち現れるというモチーフはSF映画の中では一定の数を占めるほどによく見られます。古い所ではこの映画選でも取り上げている「禁断の惑星」(米56年)、最近では「スフィア」(米98年)がありましたね。スフィアは特に「ソラリス」に設定が似ています。これらの映画に共通するのは、人間を襲うことになるというところですが、ソラリスはニュアンスが異なります。罪悪感が実体化されて乗組員を悩ませるというだけでなく、実体化された者が「アイデンティティ」の悩みを抱くところまで描かれるからです。この映画を見れば「スフィア」がつまらない映画になるはずです。

 このモチーフでの「ソラリス」以外の映画が「SF映画の楽しみ」であったなら、この映画は哲学にまで踏み込んでいると言っていいでしょう。過去への郷愁と悔恨、愛の形、そして存在への問いが、私たちの心にさざ波を立てながら語られていくのです。

 妻の服の紐がほどけない(3段目左端画像)ように出来ているのは、ソラリスの単なるコピーミスと考えるべきものではなく、これはクリスの心理を反映したものと考えることもできますし、クリスの記憶から単に再生されたものではなく、別個の存在として生まれたものとも考えることができます。映画の中で象徴的なシーンだと思いますが、とにかくいろいろと考えてしまう映画なのです。

「惑星ソラリス」ズボンをはかないで歩くシーン

 映画はまだソ連が存在していた時代の製作です。ソ連当局はタルコフスキー Andorei Tarkovskii への映画に批判的でした。この映画も当局からは神の概念を排除せよとか、クリスがズボンをはかずに歩くシーンをカットせよ等、35ヶ所の修正を指示されました。こんなシーンにまで目くじらを立てていたんですね。

 「惑星ソラリス」は難解で知られるタルコフスキー映画の中ではまだわかりやすい作品だと思います。他に「ストーカー」(ソ連、79年)というSF作品もありますが、これの方が難解ですね。難しく考えないで見るのがコツかも。彼の映画には様式があります。例えば、水や火、そして風などが象徴的に使われるとか。他の映画からもシーンを拾ってみます。

水と火のシーン

「僕の村は戦場だった」62年  「アンドレイ・ルブリョフ」67年  「惑星ソラリス」72年
     「鏡」75年          「ストーカー」79年      「サクリファイス」86年

 「鏡」と「ストーカー」のシーンはわかりにくいですが、雨が降っているシーンです。「鏡」と「サクリファイス」では水と火が同時に登場しているシーンになります。

鏡のシーン

 ソラリスでもご覧の通り水と火が出てきます。また陰影もよく出てきます。水に映った姿とか。そのものズバリの鏡も使われます。「鏡」(左画像)という映画もあるくらいですから。右の画像は「惑星ソラリス」のものですが、テーマからいって当然出てくる素材ですよね。

 タルコフスキーは絵画にも関心が深く、絵画が登場しない映画は1本もありません。下の画像は書籍として絵画が登場するシーンです。「惑星ソラリス」では無重力になった宇宙基地で浮遊する本です。スーと画面を通り過ぎる本のページに、馬に乗った人の絵が出ています。彼の映画はシーンそのものが絵画のように撮られていることからも、絵画を強く意識した映画作りをしていたようです。そして境界越えも大きなモチーフです。象徴的なのが「ストーカー」(下右画像)ですが、「惑星ソラリス」でも宇宙基地に向こうからから訪問者がやってくるわけで、これも境界越えです。しかも、それは死者と思われるはずの訪問者なのですから、生と死の境界越えという見方もできます。鏡も一種の境界を示す媒体と言えないでしょうか。


絵画が出るシーン      境界越えのシーン

「僕の村は戦場だった」    「惑星ソラリス」          「ストーカー」

 カメラの視点で特徴的なのが俯瞰する位置です。これもいろいろな映画で使われています。「惑星ソラリス」では惑星状に島が現れるところ(最下段右画像)で使われ、神の視点であるかのような感じも受けます。彼はロシア正教会の信徒でした。教会ではキリストの壁画がいつも信徒を見下ろしているのです。2作目である「アンドレイ・ルブリョフ Andrei Reblyov」はロシアの修道僧でイコン画家です。タルコフスキーはこういう人の生涯を描いてもいます。

 「惑星ソラリス」は昔はビデオで出ていましたが、今はどうかわかりません。昔京都の市民会館で特別上映会があって、yu は大スクリーンで見る幸運に恵まれました。透明な小川の流れに水草が揺れる冒頭の美しいシーンがまぶたに張り付いたままです。映画は見れなくても、原作は読めます。「ソラリスの陽のもとに」というタイトルで文庫が出ています。ちなみに地球の未来都市シーンは東京の高速道路で撮影されました。トンネルを走るシーンです。また、タルコフスキーは「ノスタルジア」(83年)の撮影のため国外に出たまま、イタリアに亡命し、「サクリファイス」(仏・スウェーデン、86年)撮影後ガンが見つかり、54歳で急死しました。葬儀はパリのロシア正教会で行われました。


「僕の村は戦場だった」冒頭シーン   「サクリファイス」演出シーン   「サクリファイス」最終シーン

中央の画像は「サクリファイス」の演出風景だが、彼はカメラまで手出ししていた。

 国立映画高等学院の卒業制作「ローラーとバイオリン」(60年)は別にして、「ドクトル・ジバゴ」の作家パステルナーク Boris Leonidovich Pasternak の予言通り、タルコフスキーは7本の映画を撮りました。彼の最初の作品「僕の村は戦場だった」の冒頭は1本の若木と少年のシーンで始まります。そして最後の作品「サクリファイス」は1本の枯れ木と横たわる少年のシーンで幕を閉じます。タルコフスキーは黒澤の雨のシーンが好きでしたが、黒澤と同じく完全主義の人でした。オカルトにも関心があったと言われる彼は不思議な映画も撮りました。そしてタルコフスキーの映画人生の始まりと終わりの不思議な符号。彼のその運命までもが作品の完全主義に貢献したかのようです。不思議と完全が出会った時、そこに傑作が生まれます。それが「惑星ソラリス」なのです。



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