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フラットライナーズ

Flatliners


FLATLINERS

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1990年・米 上映時間 114分
監督:ジョエル・シュマッカー 製作:マイケル・ダグラス、リック・ビーバー
製作総指揮:スコット・ルーディン、マイケル・ラックミル、ピーター・フィラルディー
脚本:ピーター・フィラルディー 撮影:ヤン・デ・ボン
音楽:ジェームス・ニュートン・ハワード
出演:キーファー・サザーランド、ジュリア・ロバーツ、ケビン・ベーコン
    ウィリアム・ボールドウィン、オリバー・プラット、キンバリー・スコット


 死後の世界をテーマにした映画はSF映画の一ジャンルを形成していますが、この映画は死後もののように見えて、実はそうではない映画です。最近では「奇跡の輝き」(98年・米)がCGをふんだんに使って色鮮やかな世界を映し出し、同時に心の闇を映し出す地獄をも描いていましたが、「フラットライナーズ」はこの心の闇を描いたものです。ただし、闇のレベルが違うのと、CGを使ったような映像はありません。現実感の強い映像です。

罪と罰

「フラットライナーズ」DVD版

 多くの近似死体験例から光のトンネルや安らぎ感がかなり一般的に流布されている現状の中で、この映画はむしろ死ぬのが怖くなる映画です。この手の映画では珍しく、人気の若手俳優を揃えて、それぞれの個性そのままのキャラクターで演じさせています。また、撮影は「スピード」(94年米)のヤン・デ・ボン Jan de Bont が担当しています。

 医学生ネルソン(Kiefer Sutherland)は4人の医学生を誘って、死後の世界を体験する実験を行います。その実験とは電気ショックによる心臓停止とその数分後の蘇生術により生き返るというものです。近似死を人為的に起こすわけです。ネルソンの実験成功を機に、他の医学生たちもそれに続くことになります。医学生の中の紅一点、レイチェル(Julia Roberts)は父の自死に罪悪感を抱いており、父が旅だった先の世界に強い関心を持っていました。しかし、その体験の興奮が冷めた後に彼らに等しくやってきたのは過去の亡霊たちだったのです。

 医学生5人の立場は4つに分かれます。ネルソンとラブラッチオ(Kevin Bacon)の二人は「いじめ」という罪悪感、レイチェルは悪い子だったという幼児期の罪悪感、ジョー(William Baldwin)は女性を玩具にしたという罪悪感、そして体験をしなかったステッキー(Oliver Platt)です。もうお分かりでしょう。人間の良心を描いた映画なのです。

 いじめに関わっているのが二人いるのは解決策を二つ提示して比較するためです。思慮深いラブラッチオはこの幻覚の意味を理解し、自分が少年時代にいじめたヒックス(Kimberly Scott)を探しだし、謝罪します。しかし、ネルソンがいじめたビリー(Joshua Rudoy)はいじめによる事故で死んでいました。謝罪することができないのです。そんな彼はひとつの賭に出ます。それは映画で見てください。

 一方、レイチェルは自分が父を死なせたと思い込み、ずっと苦しみ続けていました。これは親から虐待を受けた子どもが自分が悪い子だったからだと苦しむのと同じようなトラウマですが、レイチェルは幻覚の中で真実と父の苦しみを知り、父からの謝罪を受けることによりその苦しみから開放されます。

 それぞれの解決策は少々安易です。それがこの映画の欠点でしょう。近似死体験により過去をフラッシュバックで見せられたという報告をヒントにこの映画は作られたのだと思いますが、人為的に死を体験するという神の領域に踏み込んだ罰という側面もシンクロさせて、マイケル・ダグラス Michael Douglas が製作に乗り出した気持ちも理解できる面白みがあります。

良心と希望

 人に良心がなければ、人は多くの苦しみから解放されます。過去に責められない人なんていない。良心なんかなかったら、とっても楽。なのになぜ良心が人に芽生えたのか。遺伝子にとって良心はどんな意味があるのでしょうか。この世の中や自分の心の中を覗いたら、性善説なんて信用できないけれど、良心の存在は明るい光を投げかけます。それは絶望という真っ暗闇の中に立った時に一条の光を射し込ませるために存在しているのでしょうか。

 ところで、ラストシーンは実験に使われた美術館らしい建物の壁画を映し出して終わります。そもそもこの古い大学は美術品がごろごろしています。映画は美術館全体の修復途中から始まっていますが、ラストではこの壁画の覆いが取り外されてようやく絵の正体が明らかになります。この絵がいったい何の絵なのか yu はわかりませんでしたが、2007年末に訪問者のmateba2277さんからプロメテウスではないかとの指摘を受けてDVDで確認しました。

 見た当時はテープ。まもなくDVDが古くなる時代がやってきていますが、年の瀬と言うこともあって、時の流れのはやさを感じます。ここからの壁画に関する文章はこの指摘を受けて、アップした当時(2000年10月)の文に追記していきます。さて、壁画にはこんな絵が描かれていました。(※画像は実際の映像より見やすいように調整しています)

『フラットライナーズ』の壁画

 なるほど。ラストでアップになる中央の絵は確かにゼウス(Zeus)の命に反して火を奪っているプロメテウス(Prometheus)らしい。この壁画はギリシャ神話のエピソードが描かれているもののようです。壁画の対面には帽子に翼がついた頭部像があり、これは明らかにヘルメス(Hermes)です。建物も含めて、この美術館はギリシャ・アートで埋められており、問題の絵はプロメテウスであることは間違いないでしょう。

ヘルメスの頭部像

 さて、プロメテウスと言えば今の人間の祖先である「鉄の種族」を創造した神であり、人の傲慢さを罰して火を取り上げたゼウスから再び人間に火を取り戻してくれた神でもあります。ゼウスとプロメテウスのエピソードは神と人間の葛藤を描いたもののように思えますが、最後にはよく知られた「パンドラの箱」のエピソードへと収斂していきます。

 人類は「金の種族」から始まり、銀の種族、青銅の種族と引き継がれますが、堕落と滅びを繰り返しながらそれとともに寿命も短くなっていきます。その末裔が yu たちですね。ここで「パンドラの箱」をおさらいしておきましょう。

 プロメテウスがオリンポス山の火を盗んだことを知ったゼウスは怒り、パンドラという女と贈り物の箱を人間界に送り込みます。しかし、パンドラはゼウスから決して開けてはならぬと言い渡された箱の中身が気になり、箱を開けてしまうことになります。そこから飛び出してきたのは病気や恨み、妬み、悲しみ、恐怖というような、人の不幸の種になるものばかり。あわてて閉めた時に箱の中に残ったのは希望だけでした。希望も箱の外へ出してやらねば人は希望を持てないのではないかと yu は昔から不思議に思っていますが、手元に残しておけばいつでも取り出せるということなのでしょうか。

 一方、プロメテウスはカウカサス山で岩に縛り付けられ、毎日ハゲワシに肝臓を貪られることになりますが、その身は不死ゆえ永劫の苦しみに苛まれるわけです。プロメテウスの受難はイエス・キリストの受難を連想させるものがありますね。

 映画の壁画には火を奪い返してくれたプロメテウスが描かれてはいるけれど、映画はその背後で「パンドラの箱」を浮かび上がらせようとしていたのだと思います。最後に残った希望こそ、良心ということになるのでしょう。映画の主題とも合致します。どうも絵がはっきりとしませんが、壁画の左側にある絵には女体が描かれており、これがパンドラではないのかと思ったりもしています。パンドラはアフロディーテ神から男を誘惑する力を与えられていましたから。

 ちなみに、対面にヘルメスが置かれたのにも理由があります。彼は死者の魂を冥府へ導き、睡眠と夢をあやつるとされているからです。

生と死

Nicolas Poussin 「アルカディアの牧人」

「アルカディアの牧人」1638-39

 「メメント・モリ Memento Mori」という言葉があります。ラテン語で「死を覚えよ」という意味です。もともとはキリスト教の始まりよりも古い言葉らしいですが、14世紀のペスト流行の結果、托鉢修道会あたりから出てきた思想でしょうか。そもそもは「命短し、恋せよ乙女」というわけでもないけど、どちらかと言えば、充実した生を送りなさいというようなプラス思考の言葉だったのですが、キリスト教とのかかわりを深めるなかで「命あるものはみんな死ぬ」という刹那的な意味へと転化していったようです。

美術作品を見ていると、鏡を見ている人に骸骨が映ったり、骸骨のダンスなんかがよく出てきます。左のニコラス・プーサン(フランスの風景画家 1594-1665)の絵には骸骨は出てこず、暗喩的に「メメント・モリ」を描いているものです。アルカディア(ここでは実際の地名としてではなく、象徴としての理想郷アルカディア)の牧人たちが墓碑銘を読んでいるところで、「我アルカディアにもあり」と書かれているのです。理想郷にも死はあるというわけです。こういうのは仏教の影響もあるのかも。実はこの絵の解釈はこれだけではなくて、他にもあります。この絵はいわくつきの絵で、なかなか面白い。またの機会にお話できるかも。

 そんなわけで、この映画、良心ということよりも、「メメント・モリ」の映画版として見ました。だれもがフラットライナーにいつかなる。でも、生きている間は一条の光を見続ける、もうひとつのフラットライナ−でいたい。



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