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ブレードランナー

Blade Runner


BLADE RUNNER

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1982年・米 上映時間 118分
監督:リドリー・スコット 製作:マイケル・デイーリー
原作:フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
脚本:ハンプトン・ファンチャー、デビッド・ピープルズ
撮影監督:ジョーダン・クローネンウエス 編集監督:テリー・ローリングス
音楽:ヴァンゲリス 美術:シド・ミード
特殊撮影効果:ダグラス・トランブル、リチャード・ユーリッチ、デビッド・ドライヤー
出演:ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング、ダリル・ハンナ
    エドワード・ジェームス・オルモス、M・エメット・ウォルシュ、ウィリアム・サンダーソン
    ブライアン・ジェームス、ジョー・タイケル、ジョアンナ・キャシディ


 今月はSFの傑作としてカルト化している映画を取り上げます。詳しく知りたい方は、専門サイトもあるようですからそちらをどうぞ。マニアには垂涎ものの情報があると思います。デレクターズカット版など全部で7つぐらいのコピーがあるようでが、今回のは初めてビデオ化されたものを使用しています。カビの生えたβテープから起こした画像なので、かなり画像は汚いです。餅にカビが生えてもなんとかなるけれど、ビデオテープはどうもならんですね。ノイズ取りも限界までやりましたが。新しいデレクターズカット版もあったんだけど、例のごとく見失っています。

 2019年11月、都市は数百階の高層ビルが建ち並び、酸性雨が絶えず降る、うっとうしい薄闇に包まれています。人類は惑星戦争に備えてレプリカントを作り、奴隷同様に使役していますが、レプリカントは製造後しばらくすると感情が芽生えてくるため、地球上では安全対策上使用が禁止されています。しかし、宇宙船を乗っ取って地球に4匹のレプリカントが逃亡し、ブレードランナーに抹殺指令が降りることになります。

 この映画もカルト化しただけあって公開時あまり当たりませんでした。リドリー・スコット Ridley Scott 監督はフランスのフィルム・ノワール調にしたかったようです。このあたりアメリカ人には受けなかったところかも。それでも、この映画を機にルトガー・ハウアー Rutger Hauer やダリル・ハンナ Daryl Hannah はスターになりました。また、ショーン・ヤング Sean Young がとても綺麗に撮ってもらっています。ルトガー・ハウアーはこの作品でいい役をしましたが、これ以外は鳴かず飛ばずです。いい役に巡り会えないままで、残念。さて、映画はかなりの紆余曲折をたどって完成しているためいろんなコピーが出ることになりました。

 リドリー・スコットは「エイリアン」の監督でもありますが、「ブレードランナー」も同じような色調です。最後のシーンを除いて明るい色はありません。公開時のコピーは主人公デカードのモノローグがぶちこわしで、最後のハッピーエンドを明らかにするシーン(最後の2枚)も目をつむりたくなるものです。どちらも無理矢理つけさせられたようです。ですからデレクターズカット版はこれらがカットされています。やはりこの映画はかなりの出来だと思います。いろいろと話の筋に無理があったにしても、さほど気になりません。

 手元に絵コンテがあったので下を見てください。どのシーンも実際撮影されたものですが、右端の列のシーンは編集でカットされています。このためスシ・マスターとの会話で「2つで十分ですよ」と4つ注文したデッカードが言い返されるシーンが理解不能になっているんですね。まあ、どうでもいいところなんですが。その他にもユニコーンが登場するシーンがあったそうですが、これは主題に関わる重要なシーンなのです。リドリー・スコットとハリソン・フォード Harrison Ford 間でもめたようです。もう一人のブレードランナーである「ガフ」が作る折り紙も暗示的なのですが、だれがレプリカントなのかという問題と直結していくシーンです。デッカードは実はレプリカントではなかったのかということです。監督はそうしたかったようですが、そうするといろんな場面で矛盾したり納得できないところが出てきます。確かに面白い設定ではあるけれど、始めから作り直してもらわないとなあ。スコット監督はこの後「レジェンド・光と闇の伝説」(85年・英・ページ末を参照)でユニコーンを撮っていますが、欲求不満を解消したかったんでしょうか。



「ブレードランナー」絵コンテ


 恒例のSF映画のお遊びですが、一番の遊び道具は日本です。日本に関係するものは枚挙にいとまがないぐらい出てきます。映画では言語は英語ですが、俗語は日本語、スペイン語、ドイツ語などの混ざったものだと説明されています。ピジンというわけでもないし、かと言ってクレオールになっているわけでもない。実際街で聞こえてくる日本語は日本語のままだし(看板や落書きは間違ったりしていますが)。パトカーとして使用されている車「スピナー」 "SPINNER" から泥棒する子どもたちも日本語そのままです。言語の具体性についてはいいかげんです。注意深く見たり、耳を澄ましているとたくさんの日本語や日本の物に気が付きます。盆栽もお見のがしなく。「スピナー」はどこから名がついたのか知りませんが、上昇したり下降するときはくるくる回って(スピンして)いきます。「スピナー」はパトカーだけでなく、特別身分の人物が使用するようで、市民は乗れません。ですから、空の交通はほとんどありません。もうひとつ、写真については未来もちっとも変わらんなあと思わせておいて、これをデッキにかけると、3次元情報が記録されているということがわかります。フォノグラムのようなものなんですね。記録媒体としてはとても便利だなあ。

 映画は原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」 "Do Androids Dream of Electric Sheep?" を単純化した形で製作されています。原作はテーマがもっと入り組んでおり、映画とは別物と考えた方がいいです。登場人物やプロットを借りたという感じですかね。もちろん人物設定やプロットも同じではありません。また、原作ではマーサー教との融合体験というのが人間の特質として重要な役割を果たしています。レプリカントはこの宗教との融合体験が得られないのです。「ブレードランナー」という名称も他の作家の小説からタイトルだけを買い付けており、原作では「バウンディ・ハンター」になっています。 "bound" って境界だよね。原作はハヤカワ文庫SFから出ていますが、書名は映画とタイアップしたのか「ブレードランナー」に改題されています。ああ、ややこしい。直訳が良かったのに。名高い「ヴァリス」 "VALIS" はサンリオSF文庫から出ています。

 フィリップ・K・ディック Philip K. Dick の作品は「トータル・リコール」(原作:「追憶売ります」 "We Can Remember It For You, Wholesale"  でもそうですが、アイデンティティーがひとつの大きなテーマになっていますね。人格とは記憶が作り出すものなのか、その記憶はどこから来ているものなのか。映画では「写真」がその象徴として出てきています。

 「SF映画選」ではコンピュータやロボットを幾度も取り上げてきていますが、彼らには悲しみがつきものです。彼らの悲しみとは、言うまでもなく人間の悲しみです。コンピュータやロボットに託した悲しみは、人間の孤独や死への畏れ、あるいは人間の業のようなものへの悲しみに他なりません。

 さて、あなたの記憶はほんとうにあなたが体験してきたものですか? その証拠は? え? フォトアルバムだけ? それは悪い冗談でしょう。

※2005年補筆 フィリップ・K・ディックが死去したのは82年です。映画公開の年ですが、完成前に死んだようです。2005年夏に彼のある書簡が公開されました。そこには完成前の『プレード・ランナー』を見た感想が次のように綴られていたそうです。「この映画はSFが何であるか、何でありうるかについて革命的な役割を果たすだろう」「私の人生と創作は『ブレードランナー』によって正当化され、完成された」




「レジェンド・光と闇の伝説」(85年・英・94分)

LEGEND

 かなりの巨費をつぎ込んだ作品らしいですが、ありきたりの映画になってしまいました。魔王にさらわれた王女(ミア・サラ)を救うべく、妖精たちの力を借りて闘う若者(トム・クルーズ)を描く冒険ファンタジーです。画像が小さいので角がよくわかりませんね。白馬に角をつけただけです......(^^) 

 地球が舞台ではないのですが、王女・魔王・妖精なんて常道のキャラクターでは成功するはずがありません。新味はユニコーンの神秘的な力が鍵になるということだけです。やはり「ブレードランナー」での欲求不満を解消したかったんです。動機が不純だと成功しないという例になりました。ただ、ミア・サラがとても美しい。スコットは女優をきれいに撮る人です。



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