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2001年 宇宙の旅

2001: A Space Odyssey


2001: A SPACE ODYSSEY

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68年・米 上映時間 139分
監督 スタンリー・キューブリック
脚本 スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク
原作 アーサー・C・クラーク
撮影 ジョフリー・アンスワース、ジョン・オルコット
特殊撮影 ダグラス・トランブル
出演 ケア・ダレー、ゲーリー・ロックウッド、ウイリアム・シルベスター


 今月はこの映画と決めていたら、キューブリックさんが死去されました。70歳でした。今月は追悼の意味も込めて、サウンドトラック付きにしました。合掌。

 上映のブザーが鳴っても映像がなく、ただ音楽を聴かされるという体験はこの映画が初めてでした。放送やビデオではきっとカットされていることと思います。流れる音楽はシュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」です。かなり大きなスクリーンの映画館で見るチャンスに恵まれたのですが、今振り返ってみてもラッキーだったなあと思います。もちろんロードショーで見たんじゃないですからね。

 石板と人類進化の関わりを暗示しながら、猿人の時代シーンから2001年の新人類誕生シーンまでを描いています。人となった猿人が投げる骨が宇宙に浮かぶ宇宙船となり、月に石板が発見されたという話につながっていきます。この石板は木星に向かって強い電磁波を放っていることがわかり、ボーマン船長らが木星へと調査に向かうことになります。ここまでに宇宙での旅行の有様をSFXで見せてくれもします。さて、木星に到着するまでにHAL9000型コンピュータが反乱を起こしてボーマン以外の乗組員が死亡するというエピソードも挿入されます。ボーマンが危機を乗り越えて木星に達したとき、そこには石板が待っており、異次元の世界へといざなわれるのです。そこで見たものは‥‥‥。

ビデオパッケージ

 まもなく2001年。アーサー・C・クラークも時代をかなり見誤ったかなという感じは否めませんが、映画の方は今見てもそれほど古めかしさを感じません。デザインがとてもいい。SF映画が見せ物から芸術になったと言われたようです(見せ物もいいよね)。映画は学問の成果と徹底した調査に基づいて描かれました。人類が月に降り立つ前年の公開です。今は実現されているものがいくつもある中では、やはり違和感を感じるものもあります。また、学問の進展により変に思うところも出てきています。猿人の姿や行動は学問分野ではすでに過去のものと言っていいでしょう。また、今はコンピュータが身近になったので、HALのエピソードに違和感を覚えるところもあります。HALのたったひとつのミスにそんなに目くじらを立てなくてもと。

 HALとは Heuristically programmed ALgorithmic computer の略で、自己学習しながら神経回路を自ら組織していくことのできるコンピュータです。簡単に言えば、生物そのものです。SF映画で主要な役柄として登場するコンピュータやロボットはすべてこの型だと言っていいでしょう。今やコンピュータは現実的にもタンパク質と仲良くなりつつあり、DNAコンピュータも現実味を帯びる時代になってきました。映画では形態的にも生物っぽいものが現れ、「イグジステンズ iXistenZ」(99年米)で生体を使ったゲーム機が登場しています。やはりあまり気持ちのいいものではありませんね。

 映画は人類の進化をモチーフとしたものですが、これさえも今の時代は「進化」の意味をとらえ直さなくてはならない時代に入っています。猿人が道具を手に入れ、殺戮を覚えることにより現在の人類の進化が始まったという説にも、yu はやはり懐疑的です。というより、間違っていると思っています。それでもなお、この映画が面白いのはクラシック音楽と美しい映像、例えば「美しき青きドナウ」が流れる中、宇宙ステーションがすべっていくかのように回転しているところは快感を感じます。オデッセイと銘打たれているだけのことはある。そして、時代がますますモノリス的思考を必要としているという点において、この映画は決して古びないことでしょう。

 エイリアンのモノリスをどうとらえるかについてはいろんな考え方ができます。「惑星ソラリス」と相通ずる側面もあれば、「エイリアン」のような潜伏型の侵略という見方もできますし、「コンタクト」のような宇宙の英知に基づくものと解釈することもできるでしょう。そんないろんな解釈を許す形で映画は作られています。そんな理由からあまりこの映画について解説することは意味がないと思えます。多くの人がわけがわからない映画というように考えながらも惹かれるのは、解釈の多様性、あるいは解釈の可能性を拡大した映画という見方ができるのかもしれません。しかし、どうしてももっと限定して理解したいという方は原作をお勧めします。こちらはかなりはっきりと書かれています。でも、映画とは別作品という考えで読んだ方がいいかも。

 この映画の原作は映画の製作と平行して書かれました。クラークの原作はやはり映画向きではなく、キューブリックの意向が強く働いた結果がこの作品です。ですから、二人で相談しあいながら原作と映画が作られたにもかかわらず、両者はかなり異なっている部分があります。映画の成功はキューブリックの力だと思います。原作では木星でなく、土星に向かう設定になっています。クラークは後に「2010」も書きましたが、ピーター・ハイアムズが映画化しています。今ひとつです。「2300年未来への旅」という映画もありますが、これとは何の関係もありません。クラークはまだこのシリーズを書き続け、「2061年」「3001年」とあります。これらもいつか映画化されるのでしょうか。

 キューブリック作品では「時計仕掛けのオレンジ」(71年英)と「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(64年英米)もお勧めします。ピーター・セラーズが三役しています。また「2001」ではSFXをダグラス・トランブルが担当しています。彼の初監督作品である「サイレント・ランニング」が好きなので、いつか紹介する予定です。



「博士の異常な愛情」



 追記。2001年には世界各地で記念上映され、この映画の意味を再確認する評論がたくさん出ました。評論では平凡社新書の「『2001年宇宙の旅』講義」が一番お勧めです。しかし、SF小説をかなり読み込んでいる人でないと読みづらいです。yu も小説はほとんど読んでいないので、半分ぐらいしか理解できませんでした。SF小説を好きな人の方が楽しんで読める本です。 yu はこの映画選を映画の歴史を踏まえて書いているところはありますが、小説にほとんど触れていないのは上の理由からです。SF小説マニアの人はきっとかなりマニアックな映画評論をネット上にたくさん載せていることでしょうから、むしろそれとは違う観点から書いた方が意味があると思っていますしね。



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