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出来ない自由

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眠り猫
家がない自由


北風の寒さが身にしみます。年の暮れの寂寥感はこの寒さに似つかわしく、もし人生に年輪が刻まれているとしたら、きっとこの時期にスーと刻まれるのではないかと空想します。

年輪を重ねた人生で何が大事かって聞かれたら、みんなそれぞれにいろいろあることでしょう。僕がいちばん先に思いつくのは自由かな。じっくりと考えればそうでない気もする。もっと大事なことを忘れているじゃないかと心の中でこだまもする。

それでもやはり自由が先に浮かんでくる心のありようは否めません。人は生まれ落ちた時から社会のいろんな束縛の下で生きることを求められます。当たり前のことですな。ひとりでは生きられないのですから。

人はひとりでは生きられないのに、自分ひとりの人生しか生きることができないので、その不自由さに苦しまなければなりません。きっと聖人と呼ばれる人はそこを乗り越えた人たちなんでしょう。

特定秘密保護法反対デモ 安倍政権が成立してから息苦しい時代がやってくることは覚悟していたので、特定秘密保護法が成立したのにも驚きはありません。今の時代にありえないと思えても、与党が多数ならどんな法案でも通過してしまうということをあらためて思い出した人もいるのではないでしょうか。

その一方で特定秘密保護法に反対する人たちが「私たちが選んだ政権」だから自分たちにも責任があるとあちらこちらで言っています。その「私たち」はどこまで広がっているのでしょうか。僕は選らんだつもりはまったくないですよ。

特定秘密保護法については自公を支持した人たちだけが責められるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。しかし、選挙前にこの法案については何も国民に告知されていなかったのですから、自公の支持者たちも責められる筋合いはありません。

権力者には自由を、国民には不自由を!選挙でちゃんとそう言わなきゃ。しかし、世界と渡り合うだけの言葉を持たないから、竹光ではなく問答無用の真剣がほしいという安倍首相の気持ちは見え見えでしたし、集団的自衛権の容認、武器輸出三原則の緩和、軍備増強への方向性が強まったのは当然の帰結です。

外交力がないのをごまかすために靖国神社に参拝して外交が成立しないのはそれにめくじらを立てる近隣諸国のせいと責任転嫁し、国民には英霊を敬う信念の人と思わせる。ほんとにわかりやすいお人です。しかし、北朝鮮による拉致問題を必ず解決すると言っていたのに、その方策がまったく見えません。ほんとにわかりにくいお人です。

そもそも英霊という言葉自体が国側によるごまかし。第2次世界大戦に限定して言えば、靖国神社に祀られているのは情報操作によって国民を騙した国家権力と、それによって騙されて死んだ国民。さぞやどちらも居心地が悪いことでしょう。

かつて南京事件の有無で物議を醸した川村たかし名古屋市長は「祖国のために命を落とすのは最高の美徳のひとつ」と昨日語りました。僕に言わせれば、祖国のために国民に命を落とさせるのは最高の悪徳のひとつです。

「私たちが選んだ政権」という人たちは、そういう危険を感じて自公に投票をしなかった者も国民のひとりとして連帯責任を負うべきだと考えるのでしょうか。民主主義はそこまで一人ひとりを拘束するものなのですか。それならまるで国家権力と変わらないです。

年始めに漫画家の伊藤理彩さんが新聞コラムに「不自由な自由が楽しくて」というエッセイを書いていました。引用します。

家電が壊れる時、わたしはいつもなぜかちょっとだけうれしいのです。困る。んだけど、なんか少し自由になる気がするのは錯覚だろうか。

だから伊藤さんは「オットの人」に報告する時に「テレビ、壊れました〜!」と声が弾んでしまうのです。

これに共感するわけではありません。テレビが壊れると困るんですよ。テレビなしの生活をする気がないし、修理するお金もないから。

伊藤さんは別の例もいくつか挙げていて、「台風の時、外に出かけられない楽しさ」というのも書いています。共感できるのはこちらの方です。

『ゼロ・グラビティ』(2013) 今月は『ゼロ・グラビティ』(2013)という無重力空間での事故を描いた映画を見ました。この映画評で沢木耕太郎さんが無重力世界のことを「絶対的な不自由さ」と記していましたが、その通りです。しかし、そこに楽しさが見つけられないわけでもない。

生に執着がないなら、光る地球を眺めながら漂流するのは幸福感の絶頂かもしれない。

先月でしたか、赤ちゃん取り違えが60年ぶりにわかったというニュースがありました。一方は経済的に豊かな家、一方は貧乏家庭というドラマのような枠組み。どちらの子も親からの愛情は同じように受けていたようで、それがほっとするようなお話。

お金持ちの生活なんてじっさいに見たことがないのでよくわかりませんが、小説やドラマでは、お金持ちはたいていそれなりの社会的な地位もあるみたいです。そうすると、交際もその地位に見合ったものになるし、住むところも、着るものも、食べる物も、みんなそれなりのものなるしかなくて、なんかとても不自由に思えてしまいます。

見方を変えれば貧乏人のひがみでしかありませんが、金持ち以外なら誰とでも付き合えて、安いものなら何でも食べれて、見栄を気にしなくても良いというのはやはり自由の幸福だと思えます。宮澤賢治は子どもの時に父親から遊ぶ相手を制限されていました。ぼんぼんの辛さは幼少の時から始まっていました。

お金の奴隷になってしまった現代社会にあって、お金がないということは自分の欲望からも自由でいられます。食い道楽、おしゃれ、買い物、海外旅行、今の季節なら薄着でも過ごせる暖かい部屋、みんなできませんから。

できないということは、それについて考えることから解放されることになるわけで、これは悟りにも通ずる修行になるやもしれません。.........ぜったい、ないな。

自由などと高尚なことばを掲げてはいますが、簡単に言えば「できない」ことを増やすだけのことなんだな.......(^^ゞ 

以前、『ひとりでできるもん!』という子ども向けの料理番組がありましたけど、子どもの時や若い頃はできることを増やすことによって自由になろうとしました。そして、今はそれを虚しく思うようになりました。年を取れば出来ないことが増えていくのは当たり前のことで、その当たり前をなぞるようにして生きていくのがいいのかもしれません。

覚えられない。見えない。操作できない。我慢できない。テレビが壊れるのは自分の外の物が壊れることだけど、年を取り始めると内部崩壊が始まります。伊藤さんはそんな時が来ても「自分、壊れました〜!」と言えるでしょうか......(^_^)

今年もなんとかみなさん生きて年末を迎えることができ、おめでとうございます。来年も「日本、壊れました〜!」ということがなければいいですね。国が壊れる時とは国民が騙された時だと思います。デマゴーグは「できる」と言って騙します。出来なくてもいいものは世の中にいっぱいあります。ちょっと辛抱して、あらゆる扇動から自由でありたい。

ところで、プリオシン通信は2009年から始まって、この5年の間ほぼ毎月更新してきました。今は「出来ない自由」が気に入ったので、これからはたまに更新となります。そのうち遠心力が弱まって地球の重力につかまり、プリオシン通信衛星墜落ということもあるかもしれません。 まあ、その時は便りのないのはよい便りということで.......(^^ゞ

良いお年を。


2013.12

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