プリオシン海岸  プリオシン通信

天の川はどっちに流れる

「銀河鉄道の夜」と左岸


銀河
夏の銀河


1.天の川の左の岸2.遡上するものたち
3.博士が眼を送る先 

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比べっこ銀河鉄道の夜草稿『銀河鉄道の夜』


1.天の川の左の岸


『銀河鉄道の夜』には初期形であれ最終形であれ、「左の岸」が一度だけ記されています。それは天の川と銀河鉄道の位置関係を示すためのものです。

カムパネルラは、円い板のやうになった地図を、しきりにぐるぐるまはして見てゐました。まったくその中に、白くあらはされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。

左の岸、つまり左岸を辞書に載っているとおりの意味で理解している人がいるのに最近気づきました。左岸と言えば確かに上流から下流に向かって左側の岸のことです。しかし、左岸は辞書の意味だけではなく、何か別のものを基準にして使うこともあります。自分の左が相手から見れば右になるのと同じ理屈です。

この場面ではカムパネルラの「円い板のやうになった地図」、つまり星座早見を基準にしていますから、そこに描かれた天の川の左側を指していることになります。しかし、これだけでは星空に関心がない人には想像するのが難しいです。

なにしろカムパネルラは「しきりにぐるぐるまはして見てゐ」たわけですし、天の川がどんな向きになっていたのか見当もつきません。

初期形では何の説明もありませんでした。当時は実物の天の川がどこでもよく見えて、みんなよく知っていたので説明するまでもないという気持ちが賢治にはあったのかもしれません。あるいは読者にとってそんなことはどうでもいいだろうということだったのかもしれません。

賢治は最終形では具体的な描写を試みています。それが時計屋の場面です。授業の場面でも同じ形の図が掛けられてあったのですが、こちらの方が星座早見だけあってわかりやすいです。

そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。
ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。
それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合せて盤をまはすと、そのとき出てゐるそらがそのまゝ[楕]円形のなかにめぐってあらはれるやうになって居りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったやうな帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげてゐるやうに見えるのでした。

この説明においても星空に疎い人にはなかなか「左の岸」のイメージは湧かないかもしれません。その「円い黒い星座早見」に浮き出た「星座の図」を天文ソフトで描いてみるとこうなります。花巻の8月20日20時です。夏の夜空に南を向くと琴座が天頂付近にやってきていて、天の川は南の地平線へと落ちている図になります。

花巻の8月20日20時の星空

「左の岸」とはこの天の川の左側になるというわけです。夏だとどうしてわかる?という疑問を持つ方は「銀河鉄道の夜はいつか」をご覧ください。

もし夏でないとすると困ったことになります。例えば冬になれば左岸が反対側に移ってしまうことになりますし、春や秋なら左を決めるのが難しくなります。

「銀河鉄道の夜の星空案内」で作った軌道図を見ても、基本的には確かにその側を汽車は走っています。オレンジの三角が駅を示していますが、そこから外れている琴座付近の「青い森の中の三角標」だけは別の観点が求められます。

銀河鉄道の軌道縮小図

「左岸」という誤解をあれこれ考えているうちに、もし「左の岸」が辞書どおりの意味ならば、どうなるのだろうとふと思いました。

左岸と言えるのは、どちらが上流か下流かわかっている時です。では、いったい天の川の上流とは北十字方向なのか南十字方向なのかと問われれば、多くの方が答えに窮するのではないでしょうか。南の地平線を描いた画像をもう一度見れば、自ずと答えは見つかるのですが。

しかし、たとえ百回読んでも関心のないことはわからないのが人間です。カムパネルラの家で飼われている犬の名前やしっぽの形がすぐに言える人はそうはいません。どうでもいいことだからです。

物語では確かに「天の川の水」が流れています。今回はどうでもいい疑問を解決するために銀河を旅します。しかし、前回の席位置同様にどうでもいいことでも収穫はあるものです。

例えば、犬の名前をちゃんと知って読んだとしたらどうでしょうか。

「ザウエルといふ犬がゐるよ。しっぽがまるで箒のやうだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」

そうか、ザウエルというのか。当時はまだ放し飼いが多かったから、ジョバンニが好きでついてくるんだなあ。そもそも人間が好きなんだろう。だから、烏瓜ながしにもついてくるんだろう。

カムパネルラが溺れた時の様子をジョバンニに伝えたマルソはザウエルのことを一言も話していません。しかし、「ザウエル」を知っている人ならカムパネルラの溺れた現場にザウエルがいたことを知ることができます。いっそう臨場感をともなって現場が見えてくることになります。このように自分で物語を紡ぎ出していくことが物語を読む楽しみではないでしょうか。

カムパネルラが見えなくなった岸辺にたたずんで、クーンと鼻を鳴らすザウエルの姿も浮かんできます。しかし、「ザウエル」を知らない人にとっては遭難現場にザウエルの姿はありません。犬の悲しみなどに関心はないという人にはこのページは無用ですけれど。

さて、話を元に戻せば、辞書どおりの「左岸」ならば、天の川は南十字から北十字に流れていることになります。自分の左側に鷲座がくるように向けば、その先には白鳥座の北十字があるからです。

川の流れを知らない人にとってジョバンニたちが汽車から見る川の風景はただの水面でしかありません。しかし、川の流れを知れば、そこに雄大な流れや淀みが見えてくるばかりではなく、流れのドラマが映るようになってきます。


2.遡上するものたち


では本文から天の川がどちらへ流れているのか調べます。前回の席位置調べはややこしかったですけれど、今回は「川下」や「下流」に注目すれば簡単にわかります。

「川下」は「ジョバンニの切符」の章で現れ、第2次稿で3回、第3次稿で4回、第4次稿で5回使用されています。「川上」は稿によって1、2回使われていますがあまり参考になりません。しかし、別の意味があるのであとで触れます。

「下流」は第3次稿までは2回使われています。第4次稿では4回です。これは「川上」が第4次稿で1回増えたのと同様でカムパネルラが溺れた現場が加筆されたからです。「上流」は一度も使われていません。

語の使用回数
場面第2次稿第3次稿第4次稿
銀河 川上
上流000
川下
下流
川上000
上流000
川下00
下流00

「川下」だけの情報で十分なので、「川下」の箇所だけで考察します。

(1)
川下の向ふ岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまぢって何とも云えずきれいな音いろが、とけるやうに浸みるやうに風につれて流れて来るのでした。
(中略)
向ふの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました

(2)
見えない天の川のずうっと川下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで一本の木といふ風に川の中から立ってかゞやきその上には青じろい雲がまるい環になって后光のやうにかかってゐるのでした。
(中略)
そしてだんだん十字架は窓の正面になりあの苹果の肉のやうな青じろい環の雲もゆるやかにゆるやかに繞ってゐるのが見えました。

(3)
けれどもそのときはもう硝子の呼子は鳴らされ汽車はうごき出しと思ふうちに銀いろの霧が川下の方からすうっと流れて来てもうそっちは何も見えなくなりました。

(2)だけは第3次稿以降の表現です。第2次稿以前では「天の川のまん中に」となっています。他の文はどの稿でも同じ文章です。もう1箇所「川下」が書かれている箇所がありますが、これはあとで考察します。

これらの文章からわかることは汽車の進行方向が川下だということです。銀河鉄道の進行方向は南十字方面でしたから、天の川は北十字から南十字に向けて流れていることがわかります。

北十字から南十字への銀河

ということはやはり「左の岸」は辞書の「左岸」ではなかったということになるわけで、第1章の説明が正しいことになります。

汽車の風景は進行方向から展開してくるわけですから、「川下」がよく使われて「上流」が一度も使われず、「川上」も限定的な使われ方をしていることは理に叶っています。

ここで、その「川上」の問題に触れておきます。ひとつはプリオシン海岸の場面で使われています。

川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えてゐる崖の下に、白い岩が、まるで運動場のやうに平らに川に沿って出てゐるのでした。そこに小さな五六人の人かげが、何か堀り出すか埋めるかしてゐるらしく、立ったり屈んだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。

進行方向が川下なので、白鳥の停車場で下車してからジョバンニたちは川上へ少し戻っていることがわかります。これはカムパネルラが溺れた場所が橋よりも川下であったことにかかわっています。

「銀河鉄道の夜はどこか」で説明したように、場所のモデルは花巻の朝日橋下流です。その上流にはイギリス海岸があります。言うまでもなく、プリオシン海岸のモデルがイギリス海岸なので、賢治のイメージでは白鳥の停車場と朝日橋が重なって川上になったのだと思います。

「川上」がもうひとつ使われているのは第2次稿以前です。海豚(いるか)が登場しています。

そのうちもうあっちでもこっちでもその黒いつるつるした変なものが水から飛び出して円く飛んでまた頭から水へくぐるのがたくさん見えて来ました。みんな魚のやうに川上へのぼるらしいのでした。

魚や海豚は川下からやってきます。まるで遡上のようです。では、渡り鳥はどうかと言いますと、やはり川下から飛んでくるようです。

すると空中にざあっと雨のやうな音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸のやうに川の向ふの方へ飛んで行くのでした。
(中略)
するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんといふ潰れたやうな音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。

こちら側の岸の川下から向こう岸の川上へと川を渡っていくようです。

汽車は船のように川下へと流れていきますが、ジョバンニたちも魚も海豚も渡り鳥もみんなが川上へと移動しています。死者を運ぶ船とは反対方向に運動していることがわかります。

賢治はふだんの生活の中でも生き物はみんな兄弟姉妹だと言っていましたので、南へ向かった死者たちが今度は転生するために魚や海豚や鳥の姿になって北を目ざしているのかもしれません。

サケ科 遡上とは産卵するためのものです。先の引用場面では魚の種類は記されていませんでしたが、空の工兵大隊の発破場面では「鮭や鱒」と書かれました。どちらもサケ科の遡上する魚です。

では、なぜ賢治は南十字方面を川下にしたのかを考察します。考えるまでもないのですけれど.......


3.博士が眼を送る先


第1章で示した星座早見の画像を見てすでに天の川がどちらに流れるか気がついた方もいることでしょう。そのとおりです。僕たちは天の川にも重力を適用して、天頂から地平線の向こうへと注ぎ込んでいるように見なします。

花巻の8月20日20時の星空

最終形では地上の川が描かれるようになり、カムパネルラが溺れた現場も登場します。さて、この川はどちらへと流れていたでしょうか。

さう云ひながら博士はまた川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を送りました。

川面に銀河が映っているので、明らかに南へと流れていることがわかります。要するに花巻の朝日橋から北上川下流を見た風景です。


北上川
大正初期地図


北上川から南を望む 左の画像はもっと上流のイギリス海岸北から見た模式図です。斎藤文一さんの説に因ります。(『スカイウォッチャー』1991年9月号から)

何を言うか!これは南欧の話ではないかとお叱りを受けるかもしれません。その通り、ではありません。南欧の話ならそもそも銀河に川など流れたりはしません。英語で Milky Way と呼ばれるようにギリシャ神話時代から脈々と乳の環として伝えられてきたのですから。

そんな屁理屈はともかく、教室の場面で天の川を説明する先生は「乳の流れ」よりも先に「川」を比喩として出してきています。それは物語の基底が東アジアであることを示しています。詳しくは「銀河鉄道の夜はどこか」を参照してください。

カムパネルラの父やジョバンニが見た星空を再現すれば下図のようになります。南を広く見た風景で視野角180度になります。


花巻8月20日21時南の星空
花巻8月20日21時南の星空(視野180度)


下は天頂まで見上げた風景になります。

花巻8月20日21時南の星空
花巻8月20日21時南の星空(天頂までの視野)


夏の銀河は地上から直立しているかのように見えることから、その銀河の流れは天頂から地平線へ落下すると考えるのはとても自然なことです。しかも、賢治生家近くの北上川はちょうど南に川が流れているので、地上の風景にも合致していました。

このような理由から天の川は北から南へと、つまり北十字から南十時へと流れることになりました。

博士が見つめた方角とは単に川の流れていく下流ではありませんでした。川の水と天の川は溶け合ってひとつになり、流れも同じく南へと遠ざかっていくのでした。それを見たジョバンニはなんとか「カムパネルラの行った方」を伝えようとしましたが、喉が詰まってなにも言えませんでした。

「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日大へん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課后みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」
さう云ひながら博士はまた川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を送りました。

博士は川の水平線の向こう側まで、南十字が輝いているはずの空の向こうまで眼を送っていました。しかし、その背後にはやはり水の上を滑ってやってくる者があるのでした。

カムパネルラの父という岸辺から去っていったカムパネルラ。そのカムパネルラの父の前にはジョバンニというもうひとつに岸辺があり、そこにはまもなくジョバンニの父の船が着くのです。

銀河は北十字から南十字へと流れ、「傾斜があるもんですから汽車は決して向ふからこっちへは来ないんです」と説明されます。しかし、天の川は乳の環でもあるように循環します。向こうへ行ってしまった者たちも姿を変えて、あるいは別の方角からまたやってくるのです。

ですから博士が眼を送っていたのは実は南の方角なのではなくて、ほんとうは葬送の川と銀河の循環がひとつに溶け合った流れそのものだと思うのです。


銀河鉄道の夜の舞台
銀河鉄道の夜の舞台


(参考文献)
『校本宮澤賢治全集』
『スカイウォッチャー』1991年9月号

2013.10

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