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ブルカニロ博士のテレパシー

『銀河鉄道の夜』初期形を推理する


クマゼミ
クマゼミ雌伏六年? ショキケイ雌伏七年?


 1.ブルカニロ博士の実験 2.テレパシーとは 3.原稿五枚なし
 4.銀河鉄道の実在 5.三次空間の切符 6.受信体としての賢治
 7.黒衣の歴史家 8.カムパネルラ・ミステリ 9.銀河鉄道に「夜」がくる

テキストへのリンク → 比べっこ銀河鉄道の夜  草稿『銀河鉄道の夜』


記録的猛暑の夏になりました。蝉の鳴き始めが例年よりも十日ほど早いなあと思っていたら、この暑さです。こちらではもう田んぼの稲刈りもすっかり終わり、田園の風景だけは秋もようです。

このお盆明けに長年にわたってUFO墜落事件との関連が噂されていた空軍基地エリア51の存在が公式に確認されました。僕は宇宙人の地球訪問については懐疑的ですが、エリア51はあるだろうと思っていました。CIAはU2偵察機の実験場だったと説明しています。しかし、ひた隠しにされた理由としてはまだ不可解さが残ります。

『銀河鉄道の夜』もUFOとは関係ないと思いますが、初期形に登場するブルカニロ博士についていろんな不可解が残されたままになっているので、今回は初期形とはどういう物語なのかをブルカニロ博士の超能力を中心に据えて考えてみます。

サブタイトルを「読む」ではなく「推理する」としたのは、原稿の欠落だけではなく、物語のそもそもの書き込み不足のために一歩踏み込んで読み解くしかないと思うからです。

初期形を読み直すのは最終形を読み解くための試みでもあります。例えば、カムパネルラの父がみせた息子の死に対する達観は最終形だけで理解することは難しいですが、初期形を知ればそれを理解することができるようになります。誤解していなければですが.......(^^ゞ

なお、物語のテキストは上の「テキストへのリンク」から読むことができますので適宜参照してください。リンク先は別タブで開かれます。


1.ブルカニロ博士の実験


現在出版されている一般的な『銀河鉄道の夜』にはブルカニロ博士は出てきません。それは最終形(第4次稿)が掲載されているからです。初期形(第1〜3次稿)では物語全体を俯瞰しているとも言えるブルカニロ博士が登場します。

『銀河鉄道の夜』にそれなりの関心がある人を除けば今では初期形を読む機会はほとんどないでしょう。そこで今回は初期形へのいざないということで、ブルカニロ博士の「遠くから私の考を人に伝へる実験」という観点から初期形を読み直してみます。それは大ざっぱに言えばテレパシー実験ということになるでしょう。

テレパシーと言えば怪しい感じがあるせいか、評論でもあまり取り上げられないテーマです。そもそもテレパシーという言葉自体が忌避されている趣もあり、多くは「心理実験」と記すだけで片付けられています。しかし、賢治の科学観にはこういう怪しさも含まれていたのではないでしょうか。

原稿77 最終形は初期形の始めと終わりに大幅な加筆をしたというだけではなく、超能力者ブルカニロ博士という基本フレームが外されました。初期形(第1〜3次稿)は超能力者がいる物語であり、最終形(第4次稿)は超能力者がいない物語という見方をすれば、四段跳びの最後のジャンプがいかに飛距離を伴っていたかよくわかります。

最終形よりも初期形の方が好きだという方もいますが、僕は初期形に原稿の欠落がなかったとしても作品としてはあまりに未熟だと思います。賢治自身にとっても初期形を作品として受け取られたら不本意なことでしょう。魅力的な表現はいっぱいありますけれど、最終形があってこその初期形です。

賢治はブルカニロ博士の実験をこう説明しています。

(第1次稿)
ありがたう。私は大へんいゝ実験をした。私はこんなしづかな場所で遠くから私の考を伝へる実験をしたいとさっき考へてゐた。

(第2・3次稿)
ありがたう。私は大へんいゝ実験をした。私はこんなしづかな場所で遠くから私の考を人に伝へる実験をしたいとさっき考へてゐた。

違いは下線部の「人に」のあるなしだけです。このセリフが語られた場所を考慮すると、「こんなしづかな場所」とは天気輪の丘になります。「街」から逃げるようにして丘に登ってきたジョバンニを被験者として実験したというわけです。

「遠くから私の考を人に伝へる」とは、今日、僕たちはこういう種類のESP(Extrasensory Perception 超感覚的知覚)をテレパシーと呼んでいます。日本では1980年代後半からユリ・ゲラ-のブームがありました。テレパシーよりもスプーン曲げの方が有名になりましたけれど。では、賢治の時代に考えられていたテレパシーとはどういうものでしょうか。


2.テレパシーとは


『空飛ぶ円盤実見記 Flying Saucers have Landed』(1953年)に始まるUFO物で有名になったジョージ・アダムスキーの生まれは1891年。賢治より5年早い生まれです。つまりは同時代の人になります。

『Telepathy - Cosmic or Universal Language』 彼には昔も今もイカサマ師のイメージがつきまとっていますが、『Telepathy - Cosmic or Universal Language』(1958年)という本も出していて、ここにテレパシーの定義として1885年にSPR(心霊現象研究協会、1882年設立)がフレデリック・マイヤーズ(Frederick William Henry Myers 1843〜1901)の名で出した声明を引用しています。

心霊現象研究協会(The Society for Psychical Research)とは超常現象を科学的に究明しようとする超心理学の団体です。高名な学者や作家なども会員になっています。後でも触れる心理学者C.G.ユングも支部会員でした。フレデリック・マイヤーズはイギリス本部の人です。

フレデリック・マイヤーズ 先のアダムスキ-の翻訳本『精神感応 -無言の会話術-』(久保田八郎訳・1962年)では「PRS(物理学会)」と記されていますが、現在ではこの団体はSPRと略されています。協会の設立には降霊会や超常現象への関心の高まりが背景にありました。そして、マイヤーズ(左図)の作った造語が「テレパシー」です。その定義はこうなっています。

「既知の感覚器官によらないで遠隔地の事件を感知するような事例はすべて今後これをテレパシーと称する」

百数十年経てもテレパシーの科学的研究が進まなかったため、この定義も現役でいられるようです。しかし、マイヤーズの定義は僕たちの考える定義より広い感じを受けます。現在では久保田八郎氏の訳した副題「無言の会話術」のような印象が強いのではないでしょうか。SF映画の影響があるのかもしれません。

辞書でも「言語・表情・身振りなどによらずに、その人の心の内容が直接他の人に伝達されること」(大辞泉)、あるいは「遠く離れている人同士の気持ちや考えていることが、一種の心霊現象で分かること」(新明解)などと似たり寄ったりです。

賢治は「テレパシー」という用語を使いませんでしたが、1900年から1年半ほどロンドンへ留学した夏目漱石(1867〜1916)は小説『行人』(1913年)で「テレパシー」を使っています。賢治が17歳の頃です。

その話によると、兄はこの頃テレパシーか何かを真面目に研究しているらしかった。彼はお重を書斎の外に立たしておいて、自分で自分の腕を抓った後「お重、今兄さんはここを抓ったが、お前の腕もそこが痛かったろう」と尋ねたり、または室の中で茶碗の茶を自分一人で飲んでおきながら、「お重お前の咽喉は今何か飲む時のようにぐびぐび鳴りやしないか」と聞いたりしたそうである。

『サイ科学の全貌』 僕たちはこの現象をテレパシーとは言わないように思います。しかし、これはマイヤーズの定義に当てはまるものです。

1981年に発行された『サイ科学の全貌』(関英男著)でも「他人の心のはたらきを超感覚で知覚すること」と定義されています。ESPは当初、テレパシー、透視、予知の3分類でしたけれど、分類の細分化につれてテレパシーの語義も範囲が狭くなっていったと考えられます。


3.原稿五枚なし


初期形でブルカニロ博士が登場するのは物語の末尾です。第1章で見せた原稿画像がその箇所です。第1次稿から引用します。第2・3次稿は足音に「しづかに」という修飾が付加されただけです。

あのセロのやうな声がしたと思ふとジョバンニはあの天の川がもうまるで遠く遠くなって風が吹き自分はまっすぐに草の丘に立ってゐるのを見また遠くからあのブルカニロ博士の足おとの近づいて来るのをききました。

ちょうど汽車の中でセロのような声を聞いているうちに天の川の風景はどんどん遠くなっていき、我に返るとブルカニロ博士がやってくる足音を聞くことになります。そして大事なことはジョバンニは眠っていたわけではないということです。

ブルカニロ博士は「お前は夢の中で決心したとほりまっすぐに進んで行くがいゝ」とあるように「夢の中」と言っていますが眠りの夢ではありません。ジョバンニが我に返った時に見たのは「自分はまっすぐに草の丘に立ってゐる」姿だったからです。

原稿 つまり、ジョバンニは催眠状態にあったことがわかります。それがわかりにくくなっていますが、これは原稿が失われたために生じている事態です。もともとは汽車に乗車する前にジョバンニがブルカニロ博士に出会う場面がありました。

その痕跡は残されています。第1・2次稿ではその部分は失われていますから、第3次稿で見ていきます。「天気輪の柱」の章の末尾です。

あの青い琴の星さへ蕈のやうに脚が長くなって、三つにも四つにもわかれ、ちらちら忙しく瞬いたのでした。
「あゝあの白いそらの帯が牛乳の川だ

            原稿五枚なし            

ら、やっぱりその青い星を見つゞけてゐました。
 ところがいくら見てゐても、そこは博士の云ったやうな、がらんとした冷いとこだとは思はれませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のやうに考へられて仕方なかったのです。そしてジョバンニはその琴の星が、また二つにも三つにも なって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、たうたう蕈のやうに長く延びるのを見ました。

最後の文末「見ました」という表現は先ほどの引用文の「自分はまっすぐに草の丘に立ってゐるのを」と対応している部分です。

「蕈のやうに長く延びるのを見」は催眠に入った状態を表し、物語の終わり近くの「草の丘に立ってゐるのを見」は催眠から覚めた状態を表現しています。それを示すために、どちらの表現も「長く延びました」とか「立ってゐました」といような客観表現ではなく、ジョバンニから見た主観的な表現がなされています。

実はこの文章の前からすでに汽車の音だの星々の瞬きなど催眠誘導されているかのような状況が描かれています。それはともかく、ブルカニロ博士は「博士の云ったやうな」という語句から顔をのぞかせています。これはいつだったかどこかで聞いたことがあるという記憶の話ではなく、ついさっきまでそばにいた博士の話です。

しかし、捨てられた原稿5枚の中に博士の実験方法についてはほとんど記されていなかったと思います。代わりに『グスコーブドリの伝記』のクーボー大博士のようなユニークな人物像が描かれていたのではないでしょうか。なにしろ、『銀河鉄道の夜』ではブルカニロ博士以外の登場人物はみんな普通の名前や肩書きですから。

廃棄された5枚を想像すればこうなります。

孤独にうちひしがれていたジョバンニは博士から声をかけられて銀河の壮大な話を聞かされます。そして、銀河を旅してみないかと誘いを受けますが、ジョバンニは博士の言うことがあまり理解できないままにうなずきます。それではここであの青い星を見つめていてごらんと言ってブルカニロ博士は遠ざかっていきます。そして離れた場所からテレパシーで催眠誘導を施し、ジョバンニは銀河鉄道に乗車することになります。

かなり踏み込んだ推測ですが、状況証拠は先の引用文の中に書かれています。

青い琴の星 ブルカニロ博士に出会う前からジョバンニは「青い琴の星」(琴座のベガ)を見つめています。もうこの時には催眠誘導が始まっていたらしく、「青い琴の星」は変化を見せ始めます。そばにやってきた博士はジョバンニに一冊の本を見せて銀河の話をしました。それが「博士の云ったやうな、がらんとした冷いとこ」に当たります。この話は多くの方が指摘しているように、最終形において教室で先生が話をする場面に流用されることになったと思います。

ブルカニロ博士は「青い星を見つゞけ」るようにジョバンニに促して去って行きましたが、ジョバンニは銀河系のことがよくわかっていないので博士の暗示に反して「小さな林や牧場やらある野原」のことを考えてしまったりもします。しかし、再び催眠状態に落ちていき、「また二つにも三つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、たうたう蕈のやうに長く延びるのを見」ることになります。

催眠誘導に使われる振り子やライトのような光源と同じ役割を果たしているのが、光が点滅するかのようにちらちら瞬く「青い琴の星」です。「脚が何べんも出たり引っ込んだりして、たうたう蕈のやうに長く延びるのを見ました」という表現はいかにも催眠にかかった感じが出ています。

ブルカニロ博士の説明がよくわからなかったジョバンニはブルカニロ博士の声を博士とは認識できずに「セロのやうな声」として聞きます。やはり第3次稿の「銀河ステーション」の章からのみ3箇所引用します。

 するとちゃうど、それに返事をするやうに、どこか遠くの遠くのもやの中から、セロのやうなごうごうした声がきこえて来ました。
(ひかりといふものは、ひとつのエネルギーだよ。お菓子や三角標も、みんないろいろに組みあげられたエネルギーが、またいろいろに組みあげられてできてゐる。だから規則さへさうならば、ひかりがお菓子になることもあるのだ。たゞおまへは、いままでそんな規則のとこに居なかっただけだ。ここらはまるで約束がちがふからな。)

(中略)

(あの光る砂利の上には、水が流れてゐるやうだ。)
 ジョバンニは、ちょっとさう思ひました。するとすぐ、あのセロのやうな声が答へたのです。
(水が流れてゐる?水かね、ほんたうに。)
 ジョバンニは一生けん命延び上がって、その天の川の水を、見きはめようとしましたが、どうしてもそれが、はっきりしませんでした。
(どうもぼくには水だかなんだかよくわからない。けれどもたしかにながれてゐる。そしてまるで風と区別されないやうにも見える。あんまりすきとほって、それに軽さうだから。)ジョバンニはひとりで呟きました。
 すると、どこかずうっと遠くで、なにかが大へんよろこんで、手を拍ったといふやうな気がしました。

(中略)

「この汽車石炭たいてゐないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云ひました。
「石炭たいてゐない?電気だらう。」
 そのとき、あのなつかしいセロのしづかな声がしました。
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいてゐない。ただうごくやうにきまってゐるからうごいてゐるのだ。」
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」

こうした描写は実際は「ずうっと遠く」ではなくて、すべて近くでブルカニロ博士が誘導していることを示しています。物語終盤の「遠くからあのブルカニロ博士の足おとの(しづかに)近づいて来るのをききました」との対応を考慮すると、丘の離れたところからジョバンニを誘導していたと考えていいでしょう。

テレパシー実験だけでなく、催眠まで導入された理由は何でしょうか。それはテレパシーと催眠は物語の意図から考え出されたものというよりも、事実が先行していたのかもしれません。

テレパシー実験でよく用いられる「ガンツフェルト法」は被験者にアイマスク、イヤホンを着用させて外部からの情報が遮断されるようにします。これは単に遮断というだけでなく、集中力を高めることになるわけです。

そもそもテレパシー実験は催眠術師たちが始めたらしく、当初からテレパシーと催眠は親和性があったようです。心霊現象研究協会でも当初は催眠も研究対象に入っていました。現在でも逆行催眠によって前世を探る研究などは科学的な研究とは認められない範疇になります。また、催眠は今でも科学的な解明が進んでいない分野です。

テレパシー実験では、テレパシーを使って催眠をかけるというテレパシー催眠実験が行われたり、催眠を併用することによって受信能力が高まるということでテレパシー実験に催眠が併用されてきた事実があります。

これは同時に視覚からの外部情報の遮断や被験者の偽装の排除などにも役立ったのではないかと推測します。

平凡社『世界大百科事典』に成功例として記載されているテレパシー実験があります。それはソ連のレニングラード大学教授ワシリエフが行った実験で、これにも催眠が使われています。事典にその時期は記載されていませんが、1960年代のことのようです。

当初から催眠とともにあったテレパシー実験がブルカニロ博士を連れてきたと言えるのかもしれません。


4.銀河鉄道の実在


先述したように初期形ではテレパシーについてごく簡単に説明されているものの、催眠についての説明は何もありません。捨てられた原稿5枚の中にもおそらく何の説明もなかったものと推測されます。なぜなら、ジョバンニはその自覚が皆無だからです。

眠っている時、僕たちは意識を失っています。夢の中で「いま夢を見ている」と意識できた時は夢を操縦できますが、無理がたたってたいていはすぐに目が覚めてしまいます。これは明晰夢(Lucid dreaming)と呼ばれます。

しかし、催眠は意識を失うことなく、催眠中のことも記憶することができます。しかも、催眠は施術者からの指示で一定の範囲内で操縦することが可能です。

そういう大きな違いがあるものの、夢も外部の音に影響されてそれが夢に反映することがあるので、催眠と共通する部分もありそうです。ジョバンニは目覚めた後で夢というふうに理解したと思われます。

『銀河鉄道の夜』、とりわけ初期形がわけのわからない物語として受け取られる大きな要因はブルカニロ博士の実験がどこまで影響を及ぼしているのか判然としないことにあります。それは作品の魅力にもなってはいますが。

吉本隆明氏がその著『宮沢賢治』で「銀河鉄道に乗りあわせたジョバンニたち真摯な旅人のかわす会話は、超人ブルカニロ博士の心理実験にのった架空のまぼろしだったというタネ明かしの味気なさ」と記すように、いったいこれは誰の物語だったのか、ひょっとすると誰の物語でもなかったのかという、読者にとっては危機ともでも言うべき問題を孕むことになります。

しかし、銀河鉄道の設計が人物や風景なども含めてすべてブルカニロ博士の暗示によるものであったとしたら、それはそれで破綻をきたすことも明らかです。ブルカニロ博士がテレパシーによって、状況の説明からすべての登場人物のセリフまで明石家さんまのようにしゃべり続けているなんてことはありえません。

しかも、催眠は被験者自身の意識も反映されるわけで、術者か被験者かのどちらの物語なのかわからないという主体不明の文章を抱えることにもなります。

賢治は「遠くから私の考を人に伝へる実験」とブルカニロ博士に説明させましたが、まだ考えがまとまらなかったためにかなり大ざっぱな説明になってしまっています。賢治としては「架空のまぼろし」という危機を招くつもりはなかったはずで、それがジョバンニとカムパネルラの会話からうかがい知れます。それは先に引用した箇所です。

「この汽車石炭たいてゐないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云ひました。
「石炭たいてゐない?電気だらう。」
 そのとき、あのなつかしいセロのしづかな声がしました。
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいてゐない。ただうごくやうにきまってゐるからうごいてゐるのだ。」
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」

ブルカニロ博士の脚本であったなら、わざわざセロのような声を挿入したり、セロの声について二人が話し合う必要はありません。ジョバンニの反応以外はみんなブルカニロ博士の暗示と考えるのは常識的に考えても無理があります。

このように考えると、ブルカニロ博士の活動はある程度限られており、「心理実験にのった架空のまぼろし」とまでは言い切れないように思えます。なぜテレパシーらしきものだけが説明されて催眠が説明されなかったのか、そのわけがここにあります。催眠は非常に限定された使われ方だったからです。

ではブルカニロ博士が行った超能力は何かと言えば、テレパシーや催眠だけにはとどまらないものということになります。なぜならば死者が登場してくるのですから。

エマーヌエル・スヴェーデンボリ 降霊術や霊界通信はあの世の霊とこの世の人(霊媒)との間での通信です。基本的には場所の移動を伴いません。一方、『私は霊界を見てきた』の著者エマーヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg, 1688〜1772)のような人は霊体となって直接あの世を訪問します。この二つの方法を複合させたものがブルカニロ博士のもうひとつの力と言えます。

ジョバンニの霊体だけを取り出して別の世への道中である中有世界へと送り込み、そこでジョバンニが体験したことをテレパシーで受け取るという実験です。こう考えることでこの物語が理解できるようになります。

マイヤーズは肉体から分離されるものを霊体とは考えずに意識の究極の状態と理解していたようですが、こちらの方が似合いそうです。そして、意識の究極の状態のテレポテーションもテレパシーとして捉えるなら、テレパシーという大きな分類に入れることも可能なのかもしれません。

テレパシー実験は想念の送信と受信という二つが主目的ですが、物語では「受信」することが大きな位置を占めています。それは霊界通信の目的と通ずるものです。

天気輪の丘での実験においてブルカニロ博士はジョバンニからすこし離れてテレパシーを送りました。そんな実験に意味などありません。ただのカムフラージュです。世界的に霊界との通信に関心が高まっていた時代ではありましたが、ブルカニロ博士の奇想天外な実験はそのままでは物語にできなかったことは間違いありません。

初期形のブルカニロ・フレームが捨てられた理由はいろいろありますが、最終形では表面上ジョバンニの夢として描かれる形になったため、それに比べると初期形の方が銀河鉄道の存在を強く示唆していると言えるのではないでしょうか。

そもそもあの世からの通信を切望していた賢治が「架空のまぼろし」を書く意図などあるはずもありません。書きかけであってまとまっていないだけのことです。僕らまで暗示にかかってはいけません。そういう当たり前のことを踏まえれば、ブルカニロ博士の暗示部分も見えてきます。

本文中には( )記号によって囲まれた文があります。ここはジョバンニの独り言であったり、心の声であったりします。そしてブルカニロ博士の暗示でも( )が使用されています。また、ジョバンニ以外にも聞こえる暗示の場合は「 」という普通の会話記号で囲まれています。ブルカニロ博士の発言ははセロのような声として音色が統一されています。

ジョバンニを除外して、ブルカニロ博士の部分だけを抽出してみます。声の部分だけでなく、その存在が感じられる部分も引用します。

どこか遠くの遠くのもやの中から、セロのやうなごうごうした声がきこえて来ました。
ひかりといふものは、ひとつのエネルギーだよ。お菓子や三角標も、みんないろいろに組みあげられたエネルギーが、またいろいろに組みあげられてできてゐる。だから規則さへさうならば、ひかりがお菓子になることもあるのだ。たゞおまへは、いままでそんな規則のとこに居なかっただけだ。ここらはまるで約束がちがふからな。
(中略)
するとすぐ、あのセロのやうな声が答へたのです。
水が流れてゐる?水かね、ほんたうに。
(中略)
すると、どこかずうっと遠くで、なにかが大へんよろこんで、手を拍ったといふやうな気がしました。
(中略)
 そのとき、あのなつかしいセロのしづかな声がしました。
ここの汽車は、スティームや電気でうごいてゐない。ただうごくやうにきまってゐるからうごいてゐるのだ。
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」

これだけです。博士は基本的に場面操作することなく、ジョバンニに確認を求めたり、ジョバンニの疑問に答えたりすることにとどめています。ただし、第2次稿にはもう2箇所あります。

「もう帰りたくなったって。そんなにせかなくてもいゝ。まだ二分もたってゐない。まあ安心しておいで。いつでもその切符で帰れるから。」またあのセロのやうな声がどこかでしました。

「いるかは海に居るときまってゐない。」あの不思議な低い声がまたどこからかしました。

やはりどちらの台詞も何か操作しているわけではありません。また、ブルカニロ博士にはリモート・ビューイング(遠隔透視・千里眼)の能力はないようです。

(水が流れてゐる?水かね、ほんたうに。)という確認のための質問はジョバンニに間違いを指摘しているわけではなく、博士には見えていないから確認させようとしているセリフです。

「すると、どこかずうっと遠くで、なにかが大へんよろこんで、手を拍ったといふやうな気がしました」というブルカニロ博士の反応は、ジョバンニが「どうもぼくには水だかなんだかよくわからない。けれどもたしかにながれてゐる。そしてまるで風と区別されないやうにも見える。あんまりすきとほって、それに軽さうだから。」という、もっと詳しい情報を得ることができたからです。

この箇所からもブルカニロ博士の脚本ではないことがわかります。

ブルカニロ博士はジョバンニを乗車させた後しばらくはまだ想念を送っていたわけですが、汽車内の物語が展開し始めるとブルカニロ博士の気配は消されていきます。賢治は「私の考を人に伝へる実験」と書きましたが、物語の展開では早くから「受信」のみになるのです。


5.三次空間の切符


切符の場面はブルカニロ博士が介入しているのではないのかと思う方もいることでしょう。あれは確かにブルカニロ博士の操作です。しかし、汽車内で突然現れたのではなく、切符が必要なことを知っていた博士があらかじめ持参させたものです。車掌はこう尋ねています。

「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」

それは死者が属する異次元で発行された切符ではなく、「三次空間」で発行された切符でした。汽車に乗車した人々は乗車時に自然と切符が発行されるようです。

しかし、ジョバンニだけは生者ですからブルカニロ博士の手元にあった切符のイメージがジョバンニとともに送られました。想念で何でも送れるのですから、「超テレパシー」を使えば何でもありません。

霊界通信の記録の多くで描かれるように、あの次元では想念が実体化されます。「そこは小さな林や牧場やらある野原のやうに考へられて仕方なかったのです」というジョバンニの心象風景も銀河鉄道の風景に反映しています。ジョバンニ以外の霊も含めて銀河鉄道ではみんなが個々の想念によって実体化し、実体化させています。

つまり、誰かが苹果(りんご)をほしいと考えて苹果を出現させ、それが他の人々にも共感されるならば、だれにも苹果が見えて食べられるのです。

あっあすこにゐるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。
ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむってゐるばかりどうしてもカムパネルラが云ったやうに思はれませんでした。

反対に、カムパネルラとジョバンニの見えるものが異なるのも道理なのです。ジョバンニにはカムパネルラへの共感がなかったのですから。「不完全な幻想第四次」の世界はさまざまな人々の想念が複雑に入り組んで組み上がったものになっていて、まるで橋のやぐらのようです。それを象徴するかのように第4次稿ではこう記されました。

カムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかゝった大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立ってゐました。

ブルカニロ博士は単なる科学者ではなく、真理に通ずる何かを得ている人です。特別な通行権を発行することによって人を悟りに導く手助けをする人だと言ってもいいかもしれません。僕が連想するのは「菩薩」ということになります。菩薩ではありませんが、菩薩的と言えます。

菩薩とは、大乗仏教においては自分の悟りをひとまずおいて衆生のそばにあってともに歩み、導こうとする修行者のことです。信仰の対象ともなっており、あえていえば智慧を司る文殊菩薩となるでしょうか。三人よれば「文殊の智慧」ですね。別の言い方をすれば、宗教と科学の統合、あるいは統一を象徴する人物となっています。

すこし離れた所からテレパシーを送る実験はカムフラージュだと記しましたが、ブルカニロ博士を科学者として描いていること自体もカムフラージュかもしれません。最初から科学者ではなく菩薩として描いていれば、超能力などは必要とされません。仏の力のよって何事も可能になるのですから。しかし、賢治は仏教物語となるような選択を回避しました。そこに一宗教を超えようとする意志を感じます。

鳥捕りはこう語ります。

おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。

日蓮の十界曼荼羅 この特別切符は死者では行けない世界まで経験できるのです。その特別性は、日蓮の十界曼荼羅との類似が指摘される「いちめん黒い唐草のやうな模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもの」というような、その切符自体の価値ではなく、「三次空間」である現世で発行されたことに裏打ちされています。これは第3次稿だけに記されたジョバンニの言葉と結びつきます。

「天上へなんか行かなくたっていゝぢゃないか。ぼくたちこゝで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」

ブルカニロ博士はジョバンニと別れる時に金貨2枚を切符で包みます。ここにも切符自体のありがたみは感じられません。「三次空間で行うこと」にこそ意義があります。

一般的にはブルカニロ博士と黒い帽子をかぶった大人をは同一人物とされています。しかし、僕は基本的には別人と考えており、それは7章の「黒衣の歴史家」で述べます。黒い帽子をかぶった大人がブルカニロ博士とは別人と考えれば、地上に帰還するまでブルカニロ博士はジョバンニの言葉やそこから得た情報を手帳に記すだけでした。それによって衆生を救うための手立てを得ようとしているのでしょう。それこそが実験の本当の狙いということです。

ブルカニロ博士の別の人格である黒い帽子をかぶった大人はジョバンニの問いに答えて語りかけます。

「あゝ、ぼくはきっとさうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいゝでせう。」「あゝわたくしもそれをもとめてゐる。おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。

ここではもう「おまへの切符」の意味は変質してしまい、ブルカニロ博士の切符ではなく、ジョバンニ自身が発行する切符となっています。金貨が包まれた切符はもう捨てられていいものとなり、それゆえに最終形でこの切符は地上で現れなくなります。


6.受信体としての賢治


初期形に着手した1924(大正13)年に賢治は『春と修羅』序も書いています。その革新的な序の冒頭はこう始まりました。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

まるで銀河鉄道に揺られながら心象スケッチしているかのようです。

エマニュエル・スウェデンボルグ著『私は霊界を見てきた』 ブルカニロ博士という途方もない人物を採用した賢治の背景には何があったのでしょうか。この章では原稿を離れて、雑誌をも含む洋書を取り寄せて広く世界を見ていた賢治とその時代を眺めます。

亡くなった妹トシからの通信を待ち望んだ賢治ですから、先に触れたエマーヌエル・スヴェーデンボリの著作なども読んだのではないでしょうか。霊媒を使うような霊界通信ではなく、霊界を訪問した記録である『私は霊界を見てきた』の序文から引用します。

私は過去二十数年間にわたり、肉体をこの世に置いたまま、霊となって人間死後の世界、霊の世界に出入りしてきた。そして、そこで多くの霊たちの間に立交り、数々のことを見聞きし、体験してきた。

スウェーデンボリは自分が死ぬ日を予告する手紙を友人に送り、その通りに死んでいった不思議な人物で、科学者、哲学者、神秘学者でした。

先述のSPRのフレデリック・マイヤーズ(1843〜1901)は自分が死んだ後に通信を送る試みをしていました。死後一ヶ月、マイヤーズは霊媒の上に現れて本人と確認されたものの、なぜか死後のことを語りたがりませんでした。先述した通り、生前のマイヤーズは心霊を霊魂という形態ではなく、意識そのものの究極的な状態と考えました。テレパシーとの整合性が高まる見解と言えますでしょうか。

日本でも有名なトーマス・エジソン(1847〜1931)も心霊に関心を持っていました。賢治が亡くなったのは1933年で時代が重なっています。当然賢治もエジソンを知っていて、シグナルの柱や電信柱が登場する物語の『シグナルとシグナレス』では「メリケン国のエヂソンさまもこのあさましい世界をお見棄てなされたか。」と出てきます。エジソンと霊がつながれば誰でも霊界通信を連想するところですが、実際彼は霊界との通信について研究していました。

1920年、科学雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』にエジソンのインタビュー記事が掲載され、アメリカ中を驚かせました。一部を引用します。

したがって、死後の人格が生前この世に残していった人々と交信したがっていると考えてもいいはずです。
私は死後の人格は物質に変化を与えると考えたい。もしこの考えが正しいなら、あの世にいる人々が変化させたり動かしたり操作したりできるような精巧な装置さえ作れば、それはきっと「何か」を記録するにちがいありません。

エジソンは従来の霊媒による霊界通信を批判し、科学的な手段を求めて通信機の研究にまで手を染めていました。

日本では1970年代に子どもたちの間でコックリさんが流行し、催眠状態が解けない子が続出して社会問題化したことがあります。もちろんこれは現在では心理学でも説明できることです。コックリ(狐狗狸)さんは狐の霊とされていますが、賢治もコックリさんが好きで子ども時代にずいぶんやっていたそうです。

コックリさんにいろいろと質問して賢治がわかったことは、尋ねる人の境涯以上のことは教えてくれないということで、すでに科学的な思考が見えます。

賢治は科学者を自認する一方で、近代科学の信奉者ではありませんでした。第3次稿で登場することになる黒い帽子をかぶった大人を構想していた頃、たぶん『農民芸術概論綱要』(1926年)の草稿も頭の中にありました。花巻農学校に別れを告げて羅須地人協会へと駆け出していく頃のことです。

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した

「宗教は疲れて近代科学に置換され」たから、賢治は国柱会という新しい宗教を求めました。しかし、徐々に心は離れ、もっと新しい宗教を求めていたように思います。「科学は冷く暗い」から、やはり新しい科学を求めていました。賢治はそれらを田園で自ら実践し、自分の作品の中で展開していくようになります。

ウイリアム・ジェームズ 賢治が影響を受けた心理学者・哲学者のアメリカ人ウイリアム・ジェームズ(1842〜1910))は学会から批判を受けながらも心霊研究をしており、降霊会にも参加していました。父は神学者で、弟は『ねじの回転』の小説家ヘンリー・ジェイムズ(1843〜1916)です。『ねじの回転』は怪談がモチーフになっています。

ウイリアム・ジェームズと親交があったリチャード・ホジソン(1885〜1905)は心霊現象研究協会アメリカ支部の人で、マイヤーズと同じく死後の通信を試みていますが、結果もマイヤーズと同様で死後を語りたがりませんでした。こうした霊媒を使った調査では真相を明かせないと考えられるようになった結果、逆行催眠への挑戦が始まることになります。

日本でも東京で井上円了が1886年に不思議研究会を設立しました。1910年には東京帝国大学教授の福来友吉(1869〜1952)が千里眼の御船千鶴子や念写の高橋貞子らの検証実験を行ったりしています。これは心霊ではなく超能力実験ですが、福来は結果的には信用をなくし、この分野での研究は日本では低調になります。しかし、心霊学は新興宗教の勃興とともに民衆の関心は高まっていました。

そして、賢治は数字や音に色が見えたりする共感覚者であった可能性も指摘されています。レコードをかけてでたらめな即興舞踊もよくやりました。また、幻視や幻聴体験など霊的な超常現象を幾度も経験しています。こういう体質はそもそも暗示にかかりやすいタイプだとも、霊媒体質だとも言えます。

賢治は『注文の多い料理店』序でこういう告白をしています。

ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。

このような心象はジョバンニと重なるものです。

(第3次稿)
そこは博士の云ったやうな、がらんとした冷いとこだとは思はれませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のやうに考へられて仕方なかったのです。

羅須地人協会時代に賢治が大入道を見たという話が『新装版 宮澤賢治物語』に掲載されています。教え子である沢里武治氏の話です。ある夕方、花巻農学校の裏手にある5本の古い杉の木の下で賢治は見たと話したようです。

協会に若い人たちが大勢集まった時に、賢治はこの目撃談をみんなにしました。その後、以前の生徒が「そら来た」と言ってテーブルをたたくと、賢治は顔色を変えて飛び上がったそうです。これを契機に病床につくことになったという噂も出たほどでした。

逆に病気から回復したエピソードもあります。18歳の時に賢治は肥厚性鼻炎の手術を受けた後に高熱が続きました。『年譜 宮澤賢治伝』によれば、この時に賢治は夢を見て「まっ白なひげをはやし、白いきものをきた岩手サン(岩手山の山神)がお出になったす。手にもった剣でおれは腹をうんと刺されたもす」と母に話したそうです。そして熱が下がりました。

教員時代のエピソードもあります。当時の賢治は時々夜の遠足をしています。その時は寄宿舎の生徒を六、七人連れて志戸平温泉へ向かいました。その途中、「今ね、そこのところを、頭の大きい足のない坊主が通って行ったよ」と話したそうです。そして、生徒たちのいろんな質問に答えて、「人間が禁欲したり人の為になることをすれば、神の言葉も見ることの出来ないものも見聞きすることができる」とも話しました。

この賢治の見解からはあきらかに霊との通信について深い興味をもって学んでいたことが伝わってきます。賢治が禁欲に努めた理由のひとつがここにあるのかもしれません。

賢治はその信仰心の強さだけでなく、自分には受信能力があるという思いがあったからこそトシからの霊界通信を待ち望んでいたのでしょう。じっさい何度か受信したようですが、東北地方の風土を考えればこれは賢治特有とは限らず、岩手の『遠野物語』や青森の恐山など、周辺の人々にも広く共有される自然な信仰だったとも言えます。

次は『風林』からの引用です。

とし子とし子
野原へ来れば
また風の中に立てば
きつとおまへをおもひだす
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
鋼青壮麗のそらのむかふ
  (ああけれどもそのどこかも知れない空間で
   光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
   …………此処あ日あ永あがくて
       一日のうちの何時だがもわがらないで……
   ただひときれのおまへからの通信が
   いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ

ジェームス・ブレイド こうした霊にかかわる歴史は長いものがありますが、催眠も古代から主に宗教儀礼や呪術の場で使われてきました。催眠と暗示の関係について最初に気づいて、催眠誘導法を初めて公開したのはイギリスの外科医ジェームス・ブレイドJames Braid(1795‐1860)です。その著作『神経催眠学』は1843年の出版です。

しかし、宗教は現在でも催眠と切り離すことはできません。「マインドコントロール」と言葉はカタカナになりましたが、これは新興宗教の危険な宗派だけにとどまらず、既成宗教でもやはり同様に効果を発揮しています。

人類のほとんどは宗教を選択して信仰しているわけではありません。生まれた時、そこにあった宗教を信仰しているのが通例です。愛国心と代わり映えしません。この問題の片鱗は『ビヂテリアン大祭』(1923=大正12年?)にも認められます。つまり、誤解を怖れずに言えば、雛が親鳥を追いかけるような「刷り込み」が起こるからです。

賢治も同様です。彼は信仰深い家系に育ちました。しかし、彼はその刷り込みを一部修正して浄土経を捨て、法華経を新たに選択することになりました。同時にそれは自己催眠にかかる契機にもなります。

賢治が国柱会へと出奔したのは、もんもんと悩んでいた賢治の頭に棚からぽとんと日蓮上人遺文集が落ちてきたからでした。若い頃の僕はユングが言うところの一種のシンクロニシティが起きたのだと理解しましたが、これは催眠術で使われる合図のようなもので、「手を叩いたらあなたは鳥になります」という暗示と同じだと思えます。

それを合図に賢治は鳥となって東京へと羽ばたいていってしまったのです。あの時の異常さはそう考えると理解できますし、賢治も晩年にはそれに気づいていたと思います。

神さま論争で、ジョバンニはこんなことを言っています。

(第3次稿)
「天上へなんか行かなくたっていゝぢゃないか。ぼくたちこゝで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰っしゃるんだわ。」「そんな神さまうその神さまだい。」「あなたの神さまうその神さまよ。」「さうじゃないよ。」「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑ひながら云ひました。「ぼくほんたうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんたうのたった一人の神さまです。」

ジョバンニの年齢を考慮すれば当然のことですが、自分の考えではなくだれか他の人の考えでしかありません。論争できるほどの確信はありません。しかし、それが一般の人々の信仰であり、信仰には論争よりも従順が求められます。

新聞記事 賢治は国柱会に違和感を抱き始めた時から徐々に自己催眠が解けだして、晩年には再修正して寛容になり、賢治の葬儀は宮澤家の菩提寺であった浄土真宗大谷派の安浄寺で行われました。歳月を経て1952(昭和27)年、宮沢家は日蓮宗に改宗し、賢治の墓も日蓮宗の身照寺に改葬されることになります。

信仰をめぐって激しく論争した親子でしたが、このエピソードは『銀河鉄道の夜』の神さま論争で答えが出せなかった賢治が、物語ではなく、実人生の中で差し出した見事な答えであったと思えます。父の政次郎さんにとっては賢治の答えは問いでもあったとみえて、約二十年後に答えたと見えます。しかし、その心中はわからないままです。

第3次稿には「けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう」という言葉が現れるものの、まだほんとうの宗教があるのだという矛盾の中にありました。しかし、晩年は信仰も科学と同じで実験によってほんとうの宗教がわかるようになるという考えに疑問を持ち、異教もひろく受け入れる汎宗教の道へと踏み出していたように感じられます。

霊界との通信にテレパシーを用いるというアイデアは見方によってはジョバンニという霊媒を介在させて霊界通信を行ったというふうに理解することも可能かと思います。しかし、もっと科学的な方法を用いることを賢治は選択したかったはずで、これがぼんやりとした「遠くから私の考を人に伝へる実験」になったのではないでしょうか。

テレパシーの大きな特徴はユングが考えたように時空間を超えたものとされていることです。それは現在のテレパシー観にも受け継がれています。

死後の世界を別の時空間、あるいは「四次元延長」のひとつと考えた賢治にとっては、テレパシーは当時唯一科学的かもしれない通信手段だったと思えます。「一個のサイエンチスト」として霊界通信では都合が悪かったことでしょう。

送信は霊界から来るものです。この世に生きている賢治は必然的に受信体となります。それは送信体だったブルカニロ博士がしだいに受信体となって沈黙していく姿と重なります。


7.黒衣の歴史家


「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」はブルカニロ博士と同一人物と多くの人が考えているようなので、この人物も取り上げます

「原稿五枚なし」となっている捨てられた部分は先に述べたように、銀河の説明が教室の場面に活かされて拾われました。そして、僕はもう1箇所拾われているところがあると思っています。それは博士が天気輪の丘でうちひしがれたジョバンニに声を掛ける場面です。

ブルカニロ博士がジョバンニに声をかける場面なんてどこにも残っていないぞ!と思われるかもしれませんが、それは確かにそのとおり。

第3次稿が書かれている途中で「原稿五枚なし」の部分はすでに溶解が始まっていて、天気輪の丘でブルカニロ博士と出会って始まり別れて終わる物語という型枠が崩れ始めていたのではないかと思うのです。

「別紙メモ」として知られる原稿用紙が1枚残されています。そこに記されたメモ内容を全部写します。

カムパネルラ 少女とひわやいんこをかたる。
黒衣の歴史家があやしい歴史の著述を示す。
青年白衣のひととポウロについてかたる。
青年まづ影を没する。同船者おのおのの経路をゆく。
ジョバンニ車中に一人残る。
開拓功成らない義人に新しい世界現はれる。

これらの項目の中で草稿へと結実したのは「黒衣の歴史家があやしい歴史の著述を示す。」だけのようです。これが第3次稿に記されたことから、このメモは第3次稿成立以前と考えられます。

黒衣の歴史家とは「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」に相当するのでしょう。「黒衣」から「黒い大きな帽子」へとイメージ変更されたものの、話される内容はそんな「あやしい」ものではありませんから、智恵や権威を示すこともできる帽子が似合います。良い変更でした。

第3次稿で追加された場面は「双子のお星さまのお宮」、青年とジョバンニの神さま論争、そして今話題にしている「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」という新たな登場人物の場面です。

この不思議な人物はジョバンニにこう語りかけて登場しています。

 「おまへはいったい何を泣いてゐるの。ちょっとこっちをごらん。」いままでたびたび聞こえたあのやさしいセロのやうな声がジョバンニのうしろから聞こえました。
 ジョバンニははっと思って涙をはらってそっちをふり向きました。さっきまでカムパネルラの座ってゐた席に黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人がやさしくわらって大きな一冊の本を持ってゐました。

この場面は元々は「天気輪の柱」の章にあったと考えられます。こういうことです。

天気輪の丘でひとり泣いていたジョバンニにブルカニロ博士が「おまへはいったい何を泣いてゐるの」と声を掛け、ジョバンニが「はっと思って涙をはらってそっちをふり向」くと、(ブルカニロ博士)が「やさしくわらって大きな一冊の本を持ってゐ」たのです。

天気輪の丘での出会い方は僕の推測に過ぎませんが、どちらも出会いの状況が酷似していると思えます。もちろんこの時はまだ初対面なので、「ブルカニロ博士」という名前ではなく、「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」と同じように博士の容貌か容姿で代替されていたことでしょう。

第2次稿まではカムパネルラとの突然の別れにジョバンニは泣いていませんでした。第3次稿で黒い帽子をかぶった大人の場面が登場することになると、ジョバンニは別れに涙するように変更されます。これも天気輪の丘の場面が黒衣の歴史家の場面へ移ることになったための変更でしょう。

ただし、この引用文の後に続く黒い帽子をかぶった大人の長い講釈は銀河の旅を総括するものとなっていますから、銀河の旅以前にあたる「原稿5枚なし」にあったはずのブルカニロ博士の講釈からかなり増補されたわけで、どの部分がもともとあった部分かを見極めるのは難しいです。

とにかく、ブルカニロ博士との出会いの場面を取り壊しつつ、「黒衣の歴史家」を登場させることになったと考えます。この時点では、ブルカニロ博士の出会いの場面は消えつつあるものの、別れの場面はまだ手付かずのまま放置される形になっていたのではないでしょうか。

黒い帽子をかぶった大人の正体はブルカニロ博士でもありブルカニロ博士でもなし、と僕は思います。ブルカニロ博士が徐々に「黒衣の歴史家」に変容している現場こそが第3次稿ではないかと考えます。

この大人から黒い大きな帽子を剥ぎ取ってもブルカニロ博士は現れません。天気輪の丘ですでに出会っているジョバンニがブルカニロ博士と認識できないのですから別人でしょう。また、すでに物語に登場しているブルカニロ博士とは別に、「黒衣の歴史家」とメモされている事実も別人を指し示していると思えます。

あえて言えば、ブルカニロ博士は理系の人であり、黒衣の歴史家は文系の人です。物語の中でユングが言う「老賢人」役を果たしているこの二人は確かに共通項が多く、同一人物と考えても不思議でありませんが、その関係性は表裏です。第2次稿から言えば、第3次稿はブルカニロ博士がシャドウ化して黒衣の歴史家に変容していく過程を見せているのではないでしょうか。

二人の同一人物説は二人とも「セロの声」を持っていることが根拠のひとつです。これは受話器を通して聞こえる声が生の声とは異なるように、テレパシーを通じて聞こえる声として脚色された音色なのでしょう。

しかし、これは僕が述べてきたブルカニロ博士が「黒衣の歴史家」に変容しているという考えを覆すものではなく、単に博士の固有な特色が横滑りして黒い帽子をかぶった大人に受け継がれただけと考えることもできます。

こうした書き換え事例は他にも見られます。例えばブルカニロ博士から学校の先生への変換です。

(第3次稿)
 ところがいくら見てゐても、そこは博士の云ったやうな、がらんとした冷いとこだとは思はれませんでした。
(第4次稿)
 ところがいくら見てゐても、そのそらはひる先生の云ったやうな、がらんとした冷いとこだとは思はれませんでした。

次の例は存在が入れ替わるわけではありませんが、主語が変換される例です。

(第2次稿)
カムパネルラももぢもぢして
(第3次稿)
ジョバンニは困って、もぢもぢして

(第2次稿)
カムパネルラはさうは云ってゐましたがそれでも胸いっぱい新らしい力が湧くやうにふうと息をしました。
(第3次稿)
ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くやうにふうと息をしながら云ひました。

清書中断 ブルカニロ博士と「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」は物語の中で同時に存在する人物ではなかったのでしょう。第3次稿における清書は検札の場面途中で中断されました。その場面以降たくさんの変更がなされます。変更は完了しないままになり、最終形の試みへと託されたのです。

第3次稿までは原稿の推敲というレベルで改変が進んできましたが、第4次稿は蝉の幼虫が何年も地下で生活してから成虫へと「脱皮」するぐらいの改稿になりました。それはやはりブルカニロ博士からの脱皮であるわけだし、物語全体が銀河鉄道の「夜」へと翳っていく契機にもなったように思えます。

つまり、ブルカニロ博士の実験は「黒衣の歴史家」によって解体され、その歴史家である黒い帽子をかぶった大人もまたシャドウとなって最終形では消えてしまうものの、やはり「青じろい尖ったあご」をして「黒い服」を着た博士(カムパネルラの父)となって再出現し、また他の場面へもその思想はちらばって最終形を下支えしています。

ですから、捨てられた原稿五枚の中に書かれたブルカニロ博士の容貌はやはり痩せて青白い人として描かれたに違いありません。ひょっとすると、黒い大きな帽子をかぶっていたのかもしれません。

天気輪の丘でブルカニロ博士が持っていた「大きな一冊の本」はたぶん銀河を解説した天文事典だったことでしょう。その科学書は「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」の「地理と歴史の辞典」に変貌し、最終形では「お父さんの書斎から巨きな本をもってきて」とあるように、カムパネルラの父である博士の百科事典となりました。科学も地理も歴史も統合された本となったのです。

初期形を愛好する人々は、最終形はブルカニロ博士も黒い大きな帽子の大人も消えてメッセージ性が薄くなったと残念に思っているようです。確かにその通りでしょう。しかし、「みんながカムパネルラだ」が消えてしまったわけではありません。直截的なメッセージではなく、文学としては当たり前に物語化されただけです。

この3人はみんな「大きな一冊の本」を携えて「老賢人」を演じており、それゆえにカムパネルラの父は息子の死を達観できたのです。多くの人が納得できない場面ですが、賢治はだれもがこの箇所でつまずくようにわざと書いています。

第3次稿に記されたように「みんながカムパネルラ」であるからこそ、最終形で博士は「ジョバンニさん。あした放課后みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」と他人の子を迎えるのです。そして、それはジョバンニがザネリも誘ってきて、ザネリもジョバンニも共にカムパネルラになるという祈りとなります。

黒い大きな帽子の大人が言う「みんながカムパネルラだ」というのは気持ちの良い言葉です。しかし、賢治はその気持ち良さを捨て、それはきびしい覚悟がいる生き方でもあることをカムパネルラの父を通じて伝えようとしたのではないでしょうか。

「あなたのお父さんはもう帰ってゐますか。」博士は堅く時計を握ったまゝまたきゝました。


8.カムパネルラ・ミステリー


次はカムパネルラに注目してブルカニロ博士の行動を追います。

「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」

ジョバンニは乗車してからも聞いていますから、「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」というのがカムパネルラのセリフで、「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。」がジョバンニだとわかります。

まるでミステリーです。林や川とは銀河での風景ではありません。カムパネルラはジョバンニより一足先に乗車したものの、ほぼ同時刻なのですから。しかも、銀河で川と言えば天の川で、その時はちょうど川岸を走っているのです。

つまり、ブルカニロ博士は天気輪の丘でジョバンニと話をする前にカムパネルラにテレパシーで接触していたということになります。

そして、この謎は第2次稿でカムパネルラが切符を持っていなかった謎とリンクするものです。第3次稿ではカムパネルラは切符を所持することになりますが、賢治は第2次稿時点まではカムパネルラに何らかの仕掛けを試みていたことがわかります。

その点を踏まえると、すでに自分の切符を持ったカムパネルラの「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。」というセリフは修正漏れの可能性があるのではないでしょうか。

カムパネルラへのアプローチを考慮すると、ジョバンニは偶然にブルカニロ博士に出会って選ばれたというわけではなさそうです。であるなら、ジョバンニには選ばれた理由があることになります。

その理由は第3次稿になって現れた黒い帽子をかぶった大人が語っているようにも見えます。その場面は改行が整理されておらず、とにかく書き付けておこうという感じを受けるところです。

「あゝ、さうだ。みんながさう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまへがあふどんなひとでもみんな何べんもおまへといっしょに苹果をたべたり汽車に乗ったりしたのだ。だからやっぱりおまへはさっき考へたやうにあらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなと一しょに早くそこへ行くがいゝ。そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」「あゝ、ぼくはきっとさうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいゝでせう。」「あゝわたくしもそれをもとめてゐる。おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。

すでに「黒衣の歴史家」の章で説明したように、第3次稿ではブルカニロ博士が黒い帽子をかぶった大人に変化(へんげ)してきている過程にあるので、「あゝわたくしもそれをもとめてゐる」と言うセリフはもともとは博士の思いです。幸福のあるところにみんなといっしょに行くという願いの実現を強く求めていた博士は、ジョバンニの願いを理解したうえで被験者に選ぶことになったと思われます。

しかし、ジョバンニの願いとは何かと言えば、「カムパネルラといっしょ」ということです。それはブルカニロ博士の菩薩的な願いとは異なって、まったく個人的な願いです。

そんなジョバンニを知ろうとする過程でカムパネルラを理解する必要が生じたのか、カムパネルラの協力を必要としたのか、ブルカニロ博士はカムパネルラに接触をしていたと考えられます。そして、無惨なことですけれど、博士には予知能力もあってすでにカムパネルラの運命を知っていたはずです。

二人がそろって銀河鉄道に乗車したのは偶然ばかりではありません。しかし、すべてブルカニロ博士の企てということでもありません。ブルカニロ博士としては好都合な状況が整ったために行えた実験でした。

つまり、それはジョバンニが慕う級友カムパネルラが死んで銀河鉄道という次元が開かれつつある瞬間にジョバンニを確保することができたわけです。おそらくジョバンニを天気輪の丘へと導くための仕掛けがなされたのでしょう。

ジョバンニは旅を続けるなかで出会った人々の幸福についても考えるようになります。そして、両親のことを思ったり、黒い帽子をかぶった大人からはお前が慕うカムパネルラは実は彼だけではない、出会うみんながカムパネルラなんだという教えを受けたりして、個人的な願いをもっと巨きな願いへと成長させていきます。

これは単なるテレパシー実験ではなく、あまねく衆生を救おうとする菩薩の研究実験とも言える側面があることになります。

このようなジョバンニの精神的な成長は多くの愛すべき人たちを失った賢治の実人生における葛藤と合致するものです。身内、級友、友人、同僚などと賢治は多くの人々を深い悲しみとともに見送りました。心象スケッチ「小岩井農場」パート九から一節を引用します。書かれたのは『銀河鉄道の夜』に着手する2年前の1922(大正11)年5月です。

  ちいさな自分を劃(くぎ)ることのできない
 この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といっしょに
至上福しにいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたったもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいっしょに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得やうとする
この傾向を性慾といふ
すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従って
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
この命題は可逆的にもまた正しく
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといっても
それがほんたうならしかたない
さあはっきり眼をあいてたれにも見え
明確に物理學の法則にしたがふ
これら実在の現象のなかから
あたらしくまっすぐに起て

個に囚われる想いをこの一節では「恋愛」と記されてはいますが、家族愛であれ友情であれ、やはり「変態」の一種です。

しかし、この考えは後に微修正されたと思われます。1928(昭和3)年に書かれた『三原三部』に記されたらしい伊藤ちえ氏との結婚を考えたこともあるようで、三原を訪ねたあとで藤原嘉藤治氏に「あぶなかった。全く神父セルゲイの思いをした。指は切らなかったがね。おれは結婚するとすれば、あの女性だな」と話したといいます。

その後の東北砕石工場技師時代の1931年に教え子の菊池信一氏に「結婚は私のように身体の弱くない限りは当然でまたその他に道はありません」と語ったそうです。

また、同年に森荘已池氏には「禁欲はけっきょく何にもなりませんでしたよ。その大きな反動がきて病気になったのです」とか「何か大きないいことがあるという、功利的な考えからやったのですが、まるっきりむだでした」とか話したそうです。

第3次稿後のこうした意識の変化は、家族を描く場面が増えたことなど最終形(1931〜2年頃から)に反映していると思います。


9.銀河鉄道に「夜」がくる


最終稿 『銀河鉄道の夜』というタイトルは第4次稿になって初めて現れました。それ以前の、少年小説として題名が列挙された賢治のメモには「銀河ステーション」とか「銀河鉄道」と記されています。どちらのタイトルも心象スケッチで表現されていた語句で、そのままその言葉が横滑りしてきたタイトルと言えそうです。

初期形はそのタイトルで良かったわけですが、最終形は「夜」が描かれることになったので「銀河鉄道の夜」ということになったのでしょう。

きちんと物語を読んでいない人は汽車は星が浮かぶ暗い宇宙を旅するのだからその夜なのだろうと思うことでしょう。その意味ではうちの「銀河鉄道ツアー」も誤解を助長することになっているかもしれません.....m<_ _>m

賢治は「夜の軽便鉄道」と記してはいますが、銀河鉄道の旅の実際は星は見えず、薄闇の中に光が点描する風景であったり、野原の地平線まで見渡せるような明るい場面も出てきたりする、夜とも昼とも言えないようなぼんやりした世界です。

最終形に書き加えられたのは地上の夜です。最終形は銀河鉄道を浮かび上がらせ、地上の夜を招き寄せて街の生活に重点を移してきたと言えます。それがタイトルにも表れて「夜」が書き加えられました。したがって初期形は「銀河鉄道の夜」ではありません。

初期形がブルカニロ博士が発行したジョバンニの切符をめぐる物語だとすれば、最終形はジョバンニが見た夜の物語ということになります。物語全体の中で「ジョバンニの切符」の章の分量は半分ほどもありますが、その切符自体の比重はかなり減じることになりました。ですから最終形では検札の場面で一度現れるだけで、後は忘れ去られます。

正確にはもう一箇所「僕たちどこまでだって行ける切符持ってるんだ。」という文が出てきますが、これはカムパネルラが切符を持っていなかった第2次稿の設定のままですから削除漏れだと思います。

ブルカニロ博士のややこしさを減じつつ、まだブルカニロ博士の薫りは残したい。それが初期形の最後の形である第3次稿です。しかし、第3次稿は博士と黒い帽子をかぶった大人という二人が同時に存在してはいないはずなのにそのまま放置されました。

「さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほうたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」ジョバンニは唇を噛んでそのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。

初期形の大団円ともいうべき場面で、こういう薄っぺらな少年の姿しか描けなかったことこそが、賢治に初期形を断念させたようにも思えます。

筆が止まっていた間もジョバンニは成長を続け、最終形が形成されていくことになります。ジョバンニの成長はブルカニロ博士も黒い帽子をかぶった大人も消滅させてしまいました。そして、銀河鉄道にジョバンニを乗せるためのややこしい手続きは簡略化され、天気輪の丘の夢へと収斂されていきます。

では、ジョバンニの夢になってしまった最終形では銀河鉄道はやはり「架空のまぼろし」なのかと問われれば、それは賢治がジョバンニに投げた選択のようなものです。ジョバンニが決めたときに決まるものです。そして、賢治にとってジョバンニとは誰かと問われれば、「みんながジョバンニ」であって、読者各々も賢治から投げられた選択を選ぶことになります。

初期形の強い嘆きと脳天気さはすっかり影を潜め、最終形は閑かな闇を深めました。銀河鉄道に「夜」がやってきて、この物語はようやく基本となる色調を手にしましたが、銀河鉄道と同じく、終着駅にたどり着くことがないまま終わりを告げることになりました。

ブルカニロ博士はその肩書きとは異なって学者というよりは超能力者でしたが、基本的には記録者と呼ぶべき人でした。博士が天気輪の丘でジョバンニに声をかけた時はまだその名前が出ていなかったからきっと容姿が描かれていたと先述しました。

その容姿を描写すれば、シャープペンシルを首から下げた、五尺三寸の背で中肉の人であったように僕には見えます。その速書きでまわりの人々を驚かせた人は心象スケッチを手帳に書き付けていた賢治その人です。


たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

                『春と修羅』序より


参考文献: 吉本隆明著:『宮沢賢治』
        関登久也著:『新装版 宮沢賢治物語』
        堀尾青史著:『年譜 宮沢賢治伝』
        別冊太陽No.50『宮澤賢治 銀河鉄道の夜』
        『校本宮澤賢治全集』
        平凡社『世界大百科事典』
        荒俣宏編:『世界神秘学事典』
        夏目漱石著:『行人』
        関英男著:『サイ科学の全貌』
        ムー別冊『世界超科学百科』
        ジョージ・アダムスキー著:『精神感応 -無言の会話術-』
        エマニュエル・スウェデンボルグ著:『私は霊界を見てきた』 


2013.08

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