プリオシン海岸  プリオシン通信

かほると呼ばれた子

『銀河鉄道の夜』の日本人名


大西洋
大西洋を渡ったかほるたち


章のリンク→現世界のかほるたち異邦人たちの汽車
茶いろの瞳航跡をたどるかほるとはだれか
新世界交響楽賢治の家族3つの家族


現世界のかほるたち

「銀河鉄道の夜の植物案内」で日本人名が登場する不可思議について触れました。それは不思議でも何でもないのかもしれませんが、たぶん多くの方が西洋人らしい主人公たちの物語に日本人名が登場することに違和感を覚えているのではないでしょうか。

この違和感はやはり「銀河鉄道の夜の植物案内」で「西洋と日本を行ったり来たりさせられる物語」と記したように、突然ジョバンニの学校に「桜の木」が出現するのと同様のものです。

桜の木 もちろん、実際には西洋にジョバンニの町など存在しえません。しかし、「校庭の隅の桜の木」が生える小学校は日本に実在する風景です。

『銀河鉄道の夜』は地上は現実世界で、銀河軌道は幻想世界というように対比して読むこともできますが、何度も読んでいるうちに実は地上にも多くの幻想があり、銀河にも多くの現実が入り込んでいることに気づかされます。

そもそも賢治作品には現実とは異なった世界が闖入(ちんにゅう)してきたり、そういう世界に紛れ込んだりする物語がたくさんあります。『風の又三郎』であれば子どもたちの日常にガラスのマントという異質な世界が紛れ込んでくるし、『セロ弾きのゴーシュ』であれば動物世界が小屋に闖入してきます。

『茨海小学校』や『注文の多い料理店』や『ひかりの素足』でも、現実世界から異質な世界に迷い込んでしまいます。まさに夢現(ゆめうつつ)の世界です。

そのような特質を踏まえれば、実は日本人名の登場は、「ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。」と『注文の多い料理店』序で記されたように、賢治にとって違和感のないことだったのかもしれません。

『銀河鉄道の夜」において、先生とか鳥捕りとかいう肩書きではなく、人名という固有名詞を持たされたのは子どもたちだけです。ザウエルという犬もいますが、人の名ではありません。初期形ではブルカニロ博士という固有名詞やカムパネルラの「級長」という肩書きの例外もありましたが、最終形では消えました。

固有名詞同類を他から区別するためにそのものだけにつける名前

その中でも日本人らしい名をつけられた「かほる」たちは特別な存在です。もっとも「かほる」という名が記されるのは第3次稿になります。第2次稿までは「タアちゃん」という、和洋どちらか判然としない微妙な名前だけしか記されませんでした。

しかし、第3次稿での加筆はそれが日本名であったことを明かすことになります。それだけに、「かほる」たちは社会的な背景を持った人物として描かれているような気がします。

なぜなら、彼らは鳥捕りや燈台守のように正体不明な異世界のキャラクターではなく、ジョバンニやカムパネルラ以上に現(うつつ)世界のキャラクターだからです。それこそが日本名を持った理由になりそうです。

そして、彼らは現世界の住人でありながら、闖入者でもある特異な存在として現れ、去って行きます。

ちなみに「かほる」の読みはいま「カオル」と「カホル」の二つがあって、ご本人に尋ねないと正しい読みがわかりません。しかし、賢治の使い方は一般的な「カオル」だったと思います。それは「かほる」という人名の由来が「薫る」にあると思うからです。

バラ科の「匂」がかほるたちを先導しているかのように描かれているのもそういうわけなのかもしれません。

また、「かほる子」という別名は「銀河鉄道の夜の植物案内」で説明したとおり、当時の愛称のようなものです。

異邦人たちの汽車

『銀河鉄道の夜』は西洋の物語でしょうか。賢治が『注文の多い料理店』の装丁を依頼し、また友人でもあった菊池武雄氏によると、賢治は「場所は南欧あたりにしてナス。だから子供の名などもカンパネルラという風にしあんした」と語ったようです。しかし、それをまともに受け取らない方がいいと思います。

『注文の多い料理店』 このエピソードは『注文の多い料理店』の出版記念らしき飲み会で、賢治が初めて友人たちに『銀河鉄道の夜』を紹介した時のものです。事細かに説明をするような機会ではなく、大ざっぱな設定を遠慮がちに伝えるしかない場面でした。しかも、同席した菊池武雄氏と藤原嘉藤治氏はすでにほろ酔い気分だったのですから......(^_^)

僕たちは『グスコーブドリの伝記』のように、賢治がどこにも実在していない世界を描いている作家であることを知っています。同時に、それはどこにでも存在しうる世界であると考える人もいます。『銀河鉄道の夜』もそれらと同じで例外ではありません。

「銀河鉄道の夜はどこか」「銀河鉄道の夜の植物案内」で明らかにしてきたように、物語に登場する風景や植物が南欧では説明できないし、植物の生態と季節が一致しないということもその傍証になることでしょう。

しかも、南欧と言えばキリスト教一色と言っていい宗教世界にあって、キリスト教を信仰しない人々が住む街が舞台になることはありえません。つまりは、賢治は南欧を舞台にした物語にするつもりはなかったと考えるのが自然でしょう。

モデルとしてよく言及されるイタリアを中心にして、南欧にこだわらず周辺国の宗教を外務省のデータに基づいて一覧してみます。

ヨーロッパ諸国の宗教
国名主な宗教
イタリア共和国カトリック約80%、プロテスタント、ユダヤ教、イスラム教、仏教
スイス連邦カトリック約41%、プロテスタント約35%
オーストリア共和国カトリック約74%、プロテスタント約5%、イスラム約5%
ハンガリーカトリック約52%、カルヴァン派約16%
クロアチア共和国カトリック、セルビア正教等
フランス共和国カトリック、イスラム教、プロテスタント、ユダヤ教
ギリシャ共和国ギリシャ正教
スペインカトリック約75%
アルバニア共和国イスラム7割、正教2割、カトリック1割
ルーマニアルーマニア正教87%、カトリック5%
ポルトガル共和国カトリック
ブルガリア共和国ブルガリア正教
モナコ公国カトリック
英国英国国教
ドイツ連邦共和国カトリック30%、プロテスタント30%

正教とか国教というのもキリスト教の一派です。多くの人が抱くヨーロッパの宗教イメージと合致するであろう圧倒的なキリスト教世界です。しかし、ジョバンニの町には讃美歌は聞こえて来ませんし、十字架も描かれません。キリスト教の影響が見受けられるだけです。

ジョバンニもカムパネルラもキリスト教とは別の信仰を持っているように描かれています。

ここはキリスト教のデコレーション(飾り)を楽しみ、仏教的な儀式を行う町らしいのです。それはまさに身近にある日本という国の姿を反映しています。賢治もキリスト教会に通い、妹トシもキリスト教精神の影響があった日本女子大に通いました。トシの帰郷時には讃美歌をきょうだいで歌ったというエピソードも聞いています。

こうしたことから、賢治の個人的な生活が反映した町であるとも言えます。地理的には南欧であっても、どこにも存在し得ない町です。では、もっとも現実を反映しているものとは何かと言えば、意外に思われるかもしれませんが、それは銀河鉄道です。

この車窓から見える三角標は星空の配置をかなり忠実にたどっていて、この物語世界においてはもっとも現実的なデータと言えます。これについては「銀河鉄道の夜はいつか」「銀河鉄道の夜の星空案内」を参照してください。

つまり、地上から見える星は地上から観測されるものとして存在しているだけではなく、その照り返しとしてジョバンニの町の場所を指し示す存在でもあるということです。そして、それは北緯40度付近のどこかの町です。

そんなわけで、ジョバンニにとって鉄道の乗客はカムパネルラを除けばみんな異邦人ということになります。そして、この異邦人たちの宗教も明らかにされることはありません。明らかにキリスト教と思われても、賢治ははぐらかしています。それはジョバンニと青年の神さま論争に起因すると考える人もいます。

主人公が特定の宗教を否定するのは確かに不穏当です。しかし、神さま論争が追加されたのは第3次稿であって、キリスト教をぼかそうとする表現は第1次稿から一貫しています。「ハレルヤ」は「ハルレヤ」となり、「カトリック風」にとか、「クリスマストリイのやうに」というような比喩表現になっています。改稿による変化もあり、讃美歌の具体的な番号が伏せられていくことにもなります。

これはジョバンニがその宗教を知らないからではなく、特定の宗教ではない一神教を想定したと考える方が自然です。ジョバンニもカムパネルラも周りの人々の勢いに思わず讃美歌を歌ってしまう場面があります。これは第3次稿で登場した「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」が話した「けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう」という、他宗教をも尊重する態度の表れです。

やはり異邦人がたくさん登場する『ビヂテリアン大祭』(大正12年?)という作品があります。こちらは「クリスト教」だけでなく、トルコ人や仏教徒も登場して『銀河鉄道の夜』と比べると「現(うつつ)」レベルが高いです。カナダの「ニュウファウンドランド島」という実在の場所が舞台で、「シカゴ」や「ニュウヨーク」の人々も登場して論争を繰り広げる物語です。

しかし、『銀河鉄道の夜』のようなファンタジーでは素性を明らかにすることはできません。そのために一神教を描くのに賢治にとって身近であったキリスト教をどう扱うかは非常に難しい問題であったと思います。そのために、『銀河鉄道の夜』の世界は西洋の色合いを深め、それが日本人名の登場という違和感に結びついているのだと思います。

それは単にカタカナ世界にひらがな世界が現れたという事件ではなく、異世界に現世界が現れたという問題でもあります。


ますむら・ひろし『銀河鉄道の夜』      杉井ギサブロー監督アニメ『銀河鉄道の夜』


ますむら・ひろし氏のマンガ『銀河鉄道の夜』においては人間の登場人物はすべて猫キャラに置き換えられました。しかし、これを原案にした杉井ギサブロー監督のアニメ『銀河鉄道の夜』では、かほるたちだけは猫キャラとして描かれず人間キャラとして登場していました。

アニメの公開当時にこの変更については一部に不評があった記憶がありますが、違和感の表現としてはうまい扱い方だったと思います。

しかし、この違和感は作者の賢治も共有しているとは限りません。

茶いろの瞳

かほるたちの登場は第1次稿からあり、第3次稿で人数が減らされたものの、その描写にほぼ変更はありません。客船の沈没によって銀河鉄道に乗車してきた一行(いっこう)の顔ぶれと呼称を年齢順に確認しておきます。第1次稿では該当する場面の原稿もかなり失われているので確認できる範囲になります。

呼称一覧
人物第1次稿第2次稿第3・4次稿
家庭教師青年

青年
先生
青年
先生
長女 


一ばんの姉
一番大きな姉

一ばんの姉
登場せず
(きくよ)
二女女の子
二番目の女の子

女の子
二番目の女の子

女の子
かほる
かほる子
長男男の子
タアちゃん
男の子
タアちゃん
男の子
タダシ
三女 

小さな妹
いちばんちいさな女の子
小さな妹
登場せず

三女が一番幼いと考える根拠は長女が自分の隣に座らせて面倒をみているからです。そんなはずはない!と思われた方は新潮文庫や角川文庫の旧版を読んだからです。

この問題は「銀河鉄道の桟橋」ページで確認しました。改稿によって小さな妹が消えてしまったのに、原稿にはまだその文が削除されずに残っていたため、その矛盾を解消するために編集者によって弟がはめ込まれてしまいました。「姉が小さな妹を自分の胸によりかゝらせて」とあった部分が「姉は弟を自分の胸によりかからせて」となってしまったのです。

「小さな妹」は言葉数もきょうだいの中で一番少なく、「あら、お姉さん、苹果持ってゐるわ。」のたった一度きりです。

こうしてみると基本的には子どもたちの構成に大きな変化はありません。焦点を絞るために第3・4次稿で長女と三女は登場しなくなりましたが、長女は「きくよ」という名前を付けられて、名前だけの登場になっています。

三女は消去されたかに見えますが、賢治の中ではやはり存在しつづけたと思います。それは賢治の家族が反映されていると考えるからです。これについては後で述べます。

改稿によって付加されたものは年齢と正式な名前です。人数が整理されたことにより、焦点化しやすくなったわけですね。タダシは「六つばかり」、かほるは「十二ばかり」と、名前とともに具体化されました。

さて、日本名について云々する前に、日本人が属するモンゴロイドの特質を賢治が書き込んでいることを確認しておきましょう。

人種的描写
人物第1次稿第2次稿第3・4次稿
長女黒い瞳髪の黒い・黒い瞳登場しない
二女眼のまっ黒な眼の茶いろな
三女登場しない
長男黒い髪の黒い髪の黒い髪の

この物語はそもそも白と黒の表現が多いのですが、「眼の茶いろな」という描写への変化にも注目すれば、やはり賢治はこの人物たちに日本人の特質を描き込もうとしているのがわかります。では、彼らは日本人なのかと問われれば、それは違います。

航跡をたどる

青年たちが乗った船がタイタニック号でないことはあらためて言うまでもないことですが、タイタニック号の乗客という断定から推測までいろいろな意見が散見されます。

タイタニック号記事 賢治が客船遭難のモデルにしたのは確かにタイタニック号です。物語に記された遭難時の具体的な描写はタイタニック号のそれに倣っています。では、原文に沿って見ていきまましょう。

第2次稿までは航路が明らかにされていませんでしたが、第3次稿では地名が二つ示されることになりました。

「ああ、こゝはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召されてゐるのです。」黒服の青年はよろこびにかゞやいてその女の子に云ひました。

「ランカシャイヤ」とはランカシャー州 (Lancashire)のことでしょう。 イギリスの州で海に面しています。

これに間違いないと思いますが、念のためよく似た音のランカスター(Lancaster)も検討してみます。これはランカシャー州の都市でやはり海に面しています。アメリカにはイギリスの地名に因んだものがたくさんあり、やはりアメリカにもペンシルベニア州にランカスター市があります。しかし、海はありません。そこを踏まえるとやはりランカシャー州を指していることになるでしょう。

ランカシャー州は綿産業により興隆し、ここにはイギリス最大の保養地であるブラックプール (Blackpool)があります。賢治はこのあたりを想定したのではないでしょうか。

Blackpool     Blackpool

一方、「コンネクテカット州」とはコネティカット州(Connecticut)に間違いないでしょう。こちらはアメリカということになります。

青年は銀河鉄道に乗車した瞬間、イギリスかアメリカかわからない錯綜した感覚に陥っています。これには様々な推定が成り立ちますが、一番の可能性はまだ出発地にいたのか?、あるいは目的地に着いたのか?という錯誤ではないでしょうか。

1912年4月10日に出港したタイタニック号の実際はどうだったのでしょうか。イギリスのハンプシャー州サウサンプトン港から出帆し、目的地はニューヨーク港でした。ランカシャー州はイギリス北西部で、サウサンプトン港はイギリスの南岸です。コネティカット州はニューヨークに近い位置です。

タイタニック号と青年の船の比較(×はタイタニックの沈没地点)
目的地出発地
ニューヨーク タイタニック号サウサンプトン
コネティカット? 青年たちの船ランカシャー
タイタニック号の航路

ニューヨーク港へ向かうのにはコネティカット州沿岸を通過することになるでしょうから、目的地の違いは明らかになりません。しかし、出発地は明らかに異なることになります。

貧しい農民の密造酒失敗譚である『葡萄水』(初期形は1921年か22年)という作品の語り手は「コンネテクカット大学校を、最優等で卒業」と自称しています。発音が一部異なってはいますが、どうも賢治はコネティカットにこだわりがあるように感じられ、これが目的地であった可能性は高いとも思えます。アメリカではちょうど1920年に禁酒法が施行されています。33年まで続きました。

また、タイタニック号が沈没したのは4月14日です。カムパネルラは溺れてから間もなく汽車に乗車しています。かほるたちも間を置かずに乗車したはずですから、物語の季節は春になってしまいます。僕の考えでは物語の時季は晩夏です。そうでなくても春先ではありえないでしょう。

こうした比較から言ってもタイタニック号がモデルになってはいてもやはりタイタニック号ではありません。改稿によって記述が具体的になっていった経緯には新聞や雑誌の報道で情報が増えていったことと関連しているようにも思えます。

また、タイタニック号は6日間の航路になっていて、事故に遭ったのは5日目です。物語の説明はこうなっています。

いえ、氷山にぶっつかって船が沈みましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発ったのです。私は大学へはいってゐて、家庭教師にやとはれてゐたのです。ところがちゃうど十二日目、今日か昨日のあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾きもう沈みかけました。                         (第3・4次稿)

第2次稿では父親より先に帰国するという逆順になっていますが、他は同じです。どこを起点にして「十二日目」なのか記されてはいませんが、文脈からは乗船してから「十二日目」と考えるのが妥当でしょう。所々で寄港しながらのゆったりした船旅だったと考えられます。タイタニック号ではないのです。

こうして第3次稿で具体的な地名が決まったことでこの一行の名前も日本名として具体化されることになり、第3次稿で「かほる」や「タダシ」や「きくよ」という名前が現れたのだと思います。

ところで、航路についてはまだ未解決の問題が残っています。それはジョバンニが「あゝ、その大きな海はパシフィックといふのではなかったらうか。」と思う場面があるからです。大西洋(Atlantic)ではなく、太平洋(Pacific)と指摘しています。これはジョバンニの混同によるものなのか、それとも太平洋が一部航路に含まれるコースが想定されていた可能性も排除しきれません。

第2次稿では「あゝ、あの大きなパシフィックの海をよこぎらうとして、この人たちは波に沈んだのだ。」と断定口調になっていました。そして、その後に父の漁の話題が出てきますから、父親がいる「パシフィック」に引き寄せられて混同をしているのでしょうか。

「銀河鉄道の夜はどこか」のページで記したように、賢治の意識は花巻周辺を離れていないと僕は考えていますから、実はジョバンニの混同ではなくて賢治の混乱なのかもしれません。

ラッコが棲息するのは北太平洋沿岸です。父親はその周辺で漁をしていることになります。地理的に理屈が合うのは南欧よりも日本です。だから「「パシフィック」が出てきたのではないかと思うのです。

かほるとはだれか

かほるたちの生活本拠地は明らかになっています。

(第2次稿)
わたしたちはこちらのお父さんより、一足さきに本国へ帰るとこだったのです。
(第3・4次稿)
わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発ったのです。

本国はイギリスとアメリカというふたつの国が考えられます。前章ではタイタニック号との比較のためにアメリカと想定しましたが、かほるたちの乗車後にジョバンニが言う「コロラドの高原」が現れることから、やはりアメリカが本国と考えることができます。かほるたちの思念は父が待つアメリカへ向かっていたはずですから。

コロラド高原

本国がアメリカであることについては次章でも別の観点から取り上げます。ともあれ、当時の歴史を考慮すれば、かほるたちは日系移民ということになりますね。日本からアメリカへの移民は19世紀末から始まり、1900年には年間1万人に達したそうです。

写真花嫁 左の写真は1919年の撮影で「写真花嫁 picture brides」と呼ばれた人々です。渡航の手間を省き費用を節約するために、太平洋を隔てて写真だけでお見合いをして海を渡っていった女性たちです。「コロラドの高原」では広大な「たうもろこし」畑が描かれていますが、現実のコロラド州では1910年に日系人が二千数百名いたそうです。

アメリカでの日系移民排斥が激しさを増す中で、1924(大正13年)には日系移民の全面禁止が決まります。賢治が『銀河鉄道の夜』に着手したのはちょうどこの頃です。かほるたちの登場はこうした社会的な背景があったとみて良さそうです。

第2次稿には注目しておきたい言葉が残されています。

(第2次稿)
青年はそっと同朋たちにまた云ひました。
(第3次稿)
青年は教へるやうにそっと姉弟にまた云ひました。

「同朋」は強い結びつきがある仲間に使う言葉です。まだ汽車に現れたばかりで様子がわからない人たちに使う言葉ではありません。「同朋」は日系人であればなじみのある言葉です。

その一方で、青年とかほるの信仰のありさまは同様ではありません。青年はまさに敬虔な一神教徒というべき人物に描かれますが、かほるにはやはり日本の残像が映し出されています。それは下車する直前の神さま論争やさそりのエピソードに表現されます。

神さま論争は第3次稿で追加されました。第2次稿まではかほるは自分の信仰について語りません。ジョバンニと一緒に行けない理由は「だっていけないわよ。お母さんも行ってゐらっしゃるんだし。」でした。第3次稿では次のようになります。

「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰っしゃるんだわ。」「そんな神さまうその神さまだい。」「あなたの神さまうその神さまよ。」「さうじゃないよ。」「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑ひながら云ひました。

かほるの困惑は青年に引き取られてしまいます。そしてこの場面の前にタダシとの会話でさそりのエピソードが語られる場面があります。これはキリスト教の教えというより、まさに仏教的説話であるところにまだかほるの一神教(キリスト教)信仰が接ぎ木であることを示していると言えるのではないでしょうか。

識者の中にはイエスの十字架上の死、つまりは贖罪(贖罪)との関連を指摘する方もいますが、絶対神との関係の中にあり、「イエスの復活」とペアになっている「贖罪」とは本質的に異なるものだと思います。

『玉虫厨子』部分 さそりの火は『よだかの星』と同じモチーフの話です。インド古来思想の輪廻転生と結びついた釈迦の前世物語に『ジャータカ』があります。さそりの話はサッタ王子が飢えた虎を救うために自らの命を差し出したという「捨身飼虎(しゃしんしこ)」のエピソードが元になっていると考えられます。つまりは「菩薩道」の表現です。

上の画像は玉虫厨子(たまむしのずし)に描かれた『捨身飼虎図』の一部です。

僕がこの説話を聞いたのは小学生の時です。お菓子が目当てでお寺の日曜学校に行き、その時に聞かされたのが「捨身飼虎」です。僕の動機と聞いた話の乖離(かいり)が大きすぎる.......(^^ゞ

日曜学校には何回も行った記憶がありますが、これ以外はまったく覚えていないので強い印象をうけたに違いありません。賢治も幼少の時に聞き、強く印象に残ったのでしょう。

昔、まだ仏教がそれなりに生活に根付いていた時代、この説話は学校に行っていなくても知っている国民的な教養でした。かつて月に兎が見えたのもこうした自己犠牲をモチーフにした仏教説話によるものです。「蝎の火」の話をかほるに話して聞かせたのは父親でした。そういう文化的伝統をかほるはまだ受け継いでいると読むこともできます。

かほるたちはアメリカ生まれで国籍も自動的に付与された日系二世ということになるでしょうか。この家族はアメリカン・ドリームを地で行く成功を得て、夏休暇をイギリスの保養地ブラックプールで過ごしていたのでしょう。

青年は大学生なので、本国にいる家庭教師とは別に休暇中を雇われている臨時家庭教師ですね。夏休暇が終わる頃ということで、「銀河鉄道の夜はいつか」ページで推定した時期とも一致します。こうしたことも客船が4月航路だったタイタニック号ではない証になります。

そして帰国する途中で事故に遭うことになります。かほるたちの父はすでに妻を失っており、成功の代償であるかのようにまた子どもを二人失うことになります。

ここにはカムパネルラの父と重なる悲哀が隠されていると思います。「カムパネルラはだれか」のページに記したように、僕はカムパネルラの父が妻と息子を失うことになったと考えていますから、その境遇が重なって見えます。

ステッドラーの色鉛筆 初期形に記された「カムパネルラなら、ステッドラーの色鉛筆でも何でも買へる。」ぐらいのお金持ちという幸福が実は虚構であることを語っているように思えます。

そして、この境遇の重なりは草稿メモにある「カムパネルラの恋」や別紙のメモにある「カムパネルラ 少女とひわやいんこをかたる。」とあるように、カムパネルラとかほるの二人を近づけることになるのです。

第3次稿ではかほるの描写に「可愛らしい」が挿入されました。

「あら、こゝどこでせう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子が黒い外套を着て青年の腕にすがって不思議さうに窓の外を見てゐるのでした。

これはカムパネルラの恋への助走となる部分なのかもしれません。第5次稿、第6次稿が書かれたなら、それを読むことができたのではないでしょうか。

新世界交響楽

賢治作品で『少女とひわやいんこをかたる』場面があるのは、『銀河鉄道の夜』着手以前の『種山ヶ原』です。一部が『風の又三郎』にも取り込まれている作品です。主人公達二は逃げた牛を追って深い霧の中に迷い込み、草の中に倒れてしまいます。そして、いくつも夢を見ます。その中のひとつに少女が登場します。

 そして達二は又うとうとしました。そこで霧が生温い湯のやうになったのです。可愛らしい女の子が達二を呼びました。
「おいでなさい。いゝものをあげませう。そら。干した苹果ですよ。」
「ありがど、あなたはどなた。」
「わたしは誰でもないわ。一諸に向ふへ行って遊びませう。あなた驢馬を有ってゐて。」
「驢馬は持ってません。只の仔馬ならあります。」
「只の仔馬は大きくて駄目だわ。」
「そんなら、あなたは小鳥は嫌ひですか。」
「小鳥。わたし大好きよ。」
「あげませう。私はひはを有ってゐます。ひはを一疋あげませうか。」
「えゝ、欲しいわ。」
「あげませう。私今持って来ます。」
「えゝ、早くよ。」
 達二は、一生懸命、うちへ走りました。美しい緑色の野原や、小さな流れを、一心に走りました。野原は何だかもくもくして、ゴムのやうでした。
 達二のうちは、いつか野原のまん中に建ってゐます。急いで籠を開けて、小鳥を、そっとつかみました。そして引っ返さうとしましたら、
「達二、どこさ行く。」と達二のおっかさんが云ひました。
「すぐ来るがら。」と云ひながら達二は鳥を見ましたら、鳥はいつか、萌黄色の生菓子に変ってゐました。やっぱり夢でした。

少女が登場する夢はこれで全部です。苹果が渡されたり、つかんだ鳥が生菓子に変化していたり、「可愛らしい女の子」という表現があったり、『銀河鉄道の夜』と通ずるものがあります。

新世界交響楽 種山ヶ原は岩手県に実在する、賢治が好きだった高原です。前章で触れたように、『銀河鉄道の夜』でも「コロラドの高原」が登場します。やはり、この高原はかほるたちに引っ張られたかのように現れてきます。そして、テーマソングはドヴォジャークの「新世界交響楽」(交響曲第9番「新世界から」)です。

この第2楽章に賢治が歌詞をつけたものが文語の『種山ヶ原』ということになります。いろんな歌手が歌っているいい詞ですね。農学校教諭時代時代にも生徒たちと度々演奏していました。

こうした流れを見ていけば、少女と高原と新世界交響楽がセットになっていることがわかります。同時にそれは自然とアメリカ大陸(新世界)へ結びついていくことにもなります。

「銀河鉄道の夜の植物案内」を読んでいただけたなら、この高原の風景が他とは異なることに気づかれたかもしれません。それは農業の基本というか、食糧の根本というべき穀物になる農作物風景が描かれていることです。

苹果の場面では理想の米が語られましたが登場していません。汽車から見たコロラドの高原の穀物風景を賢治はこう描いています。

そのとき汽車はだんだん川からはなれて崖の上を通るやうになりました。向ふ岸もまた黒いいろの崖が川の岸を下流に下るにしたがってだんだん高くなって行くのでした。そしてちらっと大きなたうもろこしの木を見ました。その葉はぐるぐるに縮れ葉の下にはもう美しい緑いろの大きな苞が赤い毛を吐いて真珠のやうな実もちらっと見えたのでした。それはだんだん数を増して来てもういまは列のやうに崖と線路との間にならび思はずジョバンニが窓から顔を引っ込めて向ふ側の窓を見ましたときは美しいそらの野原の地平線のはてまでその大きなたうもろこしの木がほとんどいちめんに植えられてさやさや風にゆらぎその立派なちゞれた葉のさきからはまるでひるの間にいっぱい日光を吸った金剛石のやうに露がいっぱいについて赤や緑やきらきら燃えて光ってゐるのでした。

トウモロコシ畑 この描写は登場人物たちの視点を離れて、賢治がその美しさにため息をつきながら幻想しているかのようです。アメリカの大規模な近代的農業に憧れを持っていたのが感じられます。

当時のコロラド州は灌漑農業が盛んな地域で、もちろんトウモロコシも主要な農産物でした。賢治が好きだった「苹果(西洋リンゴ)」もアメリカから伝わりました。第3次稿になると燈台看守が苹果を配ることになりましたが、第2次稿までは長女が苹果を持ち出しています。

この記事を書くのと並行して、賢治のアメリカ移民に対する視線がわかるものはないかと探していましたら、賢治の教え子だった川村俊雄氏の思い出を見つけました。関登久也氏の『新装版 宮沢賢治物語』に掲載されているものです。

「俺はアメリカへ行きたいんだが、君は行きませんか」
私は即座に答えました。
「先生がお出になるなら、何処へだって一緒に行きます」
すると、先生は、
「しかし俺は、アメリカへ行って、百姓をするんだよ」
と申されました。その時の先生は、真面目にアメリカ渡航のことを、考えておられました。

そのあと机の上にアメリカの地図を広げて、百姓をするにはどこがいいかという説明もしたそうです。

これは驚きました。どれだけ本気で言ったのか怪しいものですが、この突飛さはいかにも賢治らしいです。しかし、彼の英語はタッピング牧師もほめていたようですし、西洋の作法にも通じていて、おまけに農業技術者だったわけですから移民としての適性は相当高いものだったと言えます。

『葡萄水』が書かれた時期を思い出してください。1921(大正10)年か22(大正11)年です。ちょうど教員時代に当たります。コネティカットは賢治が移住先とする候補地のひとつだったのかもしれません。

やはり教え子の松田奎介氏が記憶から再現した台本『異稿 植物医師』は1920年代のアメリカの小さな町が舞台になっていました。渡米した植物医師が登場します。当初は英語劇だったそうです。

書かれたのは川村氏の思い出の時期と同じ頃です。しかし、具体的な時期が明らかにされていないので、教員時代の年表を作って当てはめてみます。

アメリカ移民をめぐる年表
年月日大正年齢出来事
1920年1月16日924アメリカの禁酒法施行
1921年12月3日1025稗貫農学校教諭となる   『葡萄水』執筆?
1922年11アメリカ移民の話       『葡萄水』執筆?
1922年11月27日トシ死去
1923年2月以前1226アメリカ版の『植物医師』の稽古始まる
1923年5月25日花巻農学校創立記念で『植物医師』上演
1924年7月1日1327アメリカ移民全面禁止
1924年8月10〜11日盛岡版になった『植物医師』上演
1924年9月28学校劇禁止令
1924年秋『銀河鉄道の夜』の執筆始まる
1925年春14来春百姓になる決意を伝える手紙
1925年秋以降29第3次稿に着手
1926年3月31日15花巻農学校退職

松田氏は新設の花巻農学校に引っ越す前から劇の稽古をしていたということで、それは1923年2月以前となります。これは日本語の劇でしたから、英語版はすでに1922年に書き上がっていた可能性が高いです。一方、川村氏はアメリカ移民は『異稿 植物医師』の前のこととしていますから1922(大正11)年ということになりそうです。『葡萄水』もアメリカ移民の話が出た時期と重なります。

農学校教師になってまだ1年と言っていいでしょう。しかし、アメリカでは1924年にジョンソン=リード法により日系移民は全面禁止となり、そのような動きに合わせたのか盛岡版が上演されているのも興味深いです。賢治にとってはひとつの衝撃であったのかもしれません。そして、追い打ちをかけるように、国は学校劇を禁止して、賢治は劇そのものが上演できなくなります。

『銀河鉄道の夜』に日系アメリカ人が登場することになった背景には賢治のアメリカ近代農業に対する視線も含まれているのだと思います。

1919(大正8)年の保阪嘉内氏宛の手紙にもアメリカの話が出てきます。定職につかず生活が定まらない有様を父からこっぴどく叱られた様子が描かれていて、「アメリカ行へ行かうのと考へるとは不見識の骨頂。きさまはとうとう人生の第一義を忘れて邪道にふみ入ったな」という言葉が見えます。その頃はまだ農業にあまり関心がない時代です。しかし留学か移民か、何か考えるところがあったのでしょう。東京と同じようにアメリカにも憧れがあったのでしょうか。

賢治の家族

「カムパネルラはだれか」のページで青年一行の構成が賢治の兄弟姉妹と合致することを指摘しました。ただし、青年も含めることになります。この物語を読んだ賢治の家族はきっと気づいていたに違いないと思うのですが、そのようなことを語った人はいなかったようです。

物語の兄弟姉妹構成は4人です。当時の日本人としては平均的か少ないぐらいの子ども数です。この現実を反映して、当初は物語に4人が登場することになりましたが、さすがに物語を進める上では散漫になって、かほるやタダシに焦点を当てるのに都合が良くありません。こうして削られることになったわけでしょうが、なぜ当初からそれができなかったか、考えてみる価値はありそうです。

賢治のきょうだいを物語の人物に当てはめて一覧にしてみました。

対応一覧
続柄第2次稿第3・4次稿宮澤家の子
(家庭教師)青年青年賢治
長女一番大きな姉登場せず(きくよ)トシ
二女二番目の女の子かほるシゲ
長男タアちゃんタダシ清六
三女いちばんちいさな女の子登場せずクニ

これは賢治にとってかなりリアルな人物構成と言えます。ちなみに賢治のきょうだいの誕生年月も示しておきます。

西暦明治名前賢治年齢
1896年29年8月長男 賢治0歳
1898年31年11月長女 トシ2歳
1901年34年6月二女 シゲ4歳
1904年37年4月二男 清六7歳
1907年40年3月三女 クニ10歳

かほるとタダシの年齢差は6歳ですから、タダシを清六に当てはめるとトシが一番近いことになりますね。僕は二人がモデルになっているとは考えませんが、なんらかの影響はあったろうと思います。

第1・2次稿では4人が揃っていましたが、第3次稿では長女と三女は登場しなくなりました。それにもかかわらず、男の子の台詞を変更してまでなお長女の存在を描こうとするこだわりを見せています。

(第2次稿)
「お父さんのとこへ行くんだやう。」
(第3次稿)
「ぼくおほねえさんのとこへ行くんだよう。」

長女は父親と共に本国に帰って仕事をしていることになりました。長女の年齢設定は少し上がったことになります。

これと連動してたぶん二女かほるの年齢設定も上がることになったはずです。つまり、当初の年齢は12歳ではなかったのです。ほぼ賢治きょうだいの年齢構成が適用されていた可能性が高いです。

日系アメリカ人のきょうだいが自分のきょうだい構成と同じになったことは単なる偶然でしょうか。もちろんその可能性はあります。しかし、『いてふの実』のように数えられないほど大勢が登場する作品はあるものの、4人以上きょうだいが登場する作品はほとんどないはずです。

第3次稿の挿入原稿の余白には「連 青年 妹、 弟」というメモ書きがあります。これは「青年とその妹、その弟」というふうにも受け取れます。これはそもそも「きょうだい」であるという意識の表れだったのかもしれません。

僕は賢治にとってリアルな感触が得られるこの構成をそのまま使ったのではないかと思います。それは次章で述べる「家族」の問題ともかかわりがあると思うからです。

宮澤政次郎 「かほるとはだれか」の章で、カムパネルラの父とかほるの父の悲哀について触れましたが、ここでもう一度触れておきましょう。二人ともに経済的に豊かな家でありながら、愛する子どもを失うという不幸に巡り会うことになります。それは宮澤政次郎の悲哀と通ずるのです。

政次郎さんは豊かな経済力に恵まれたものの、娘トシを失いました。賢治が7歳だった1903(明治36)年には実弟、治三郎さんが27歳で亡くなりました。そして、『銀河鉄道の夜』を執筆中の息子を失うであろう人です。これこそが賢治にとって「リアルな感触」であったのではないでしょうか。

3つの家族

『銀河鉄道の夜』の初期形(第1〜3次稿)はジョバンニと級友カムパネルラの二人を軸とした旅でした。しかし、最終形(第4次稿)になるとそれと並行して描かれるものがひとつ増えたように感じます。それは家族です。

最終形で追加されたのはジョバンニの家族であり、カムパネルラの家族です。もちろん間接的には描かれていましたが、父親や母親が登場してより明確になりました。ジョバンニの姉の存在や家庭状況、そしてカムパネルラ家との関係まで加筆されました。

初期形ではカムパネルラの母の生死は何も手がかりが与えられていませんでしたが、カムパネルラの家には生活感が欠けていることが明らかにされました。一人っ子で飼い犬がいることまでわかるようになったのです。

そして、もうひとつ具体的になったのが、かほるの家族です。例えば、父親からは「蝎の火」の話を聞かされたことがすでに第1次稿から記されていましたが、第3次稿では母親が加筆されて、「双子のお星さまのお宮」を話してくれたことが明かされました。

この物語には3つの家族が描かれており、最終形ではどの家族にもより多くの光が当てられています。初期形ではジョバンニが自分の家族の境遇を嘆く側面が強く表れていましたが、最終形ではその面が薄れ、カムパネルラの家族も、かほるの家族も不幸に見舞われるにもかかわらず、ジョバンニの家だけは光が射し始めています。

もちろん、ジョバンニの母は病気で伏せてはいます。しかし、母に飲ませる牛乳を手に入れることができ、まもなく父も帰還してくるのです。つまりは、カムパネルラの父もかほるの父も家族を失う物語なのに、ジョバンニの家族は父を取り戻す物語になっています。

各家族の状況
家族子1子2
 カムパネルラ家健在生→死 溺死(カムパネルラ)
 かほる家健在死去 溺死(かほる) 溺死(タダシ)
 ジョバンニ家帰還病床 健在(ジョバンニ) 健在(姉)
 宮澤家健在健在 病死(トシ) 病死の予感(賢治)


個人の幸不幸が大きく家族の影響の下にあるのは、程度の差はあれ、昔も今も変わらないことでしょう。賢治の時代は日本での苦しい生活から逃れ、新世界を夢見て海を渡った人々が出始めた時です。

宮澤家を投射するかほるの家族に、賢治は身内のような親(ちか)しさを感じていたのではないでしょうか。だからこそ、賢治は彼の大きな文学的主題のひとつとも言うべき「蠍の火」の話をかほるにさせているのでしょう。しかも、それは父親から受け継がれたものです。

ジョバンニとカムパネルラの家族は最終形になるまでは全体的な姿を現しませんでしたが、かほるの家族だけはすでに初期形の段階でおおよその姿を見せており、第3次稿でほぼ決定しています。最終形である第4次稿では加筆修正された部分はほとんどありません。

改稿を重ねることでジョバンニとカムパネルラの家族が姿を現すようになったのは、かほるの家族が促したものだと思えます。それはブルカニロ博士への依存を断ち切り、夢から現(うつつ)へと比重をシフトしていく中でジョバンニを独り立ちさせようとする力にもなりました。

自分の不幸を嘆くばかりの少年が菩薩道とか求道とか、抽象的な精神性を求めようとする初期形は物語の展開として相当な軋(きし)みがありました。まだその軋む音を立てながらも、牛乳を病弱な母にあげられるとか、行方不明の父が帰ってくるとかいうような、自分の身近な幸せをも見つめるようになった最終形は、ジョバンニの切符の行方と深いかかわりを持つようになります。

第4次稿は教員時代の賢治では書けなかった物語です。この件を書き出すとまだまだページが延びていきそうなので、また別の機会にします。

『銀河鉄道の夜』に闖入してきたかに見えるかほるたちは、実は「現(うつつ)」という基盤を持ち、ジョバンニやカムパネルラの家族を照らす役割を果たしています。

長々と書いてきましたが、かほるたちが日本人名を持ったのは当時の社会情勢と、賢治の農業観や自身の家族の反映ではないでしょうか。そのリアルな感触は改稿を経るにつれて、『農民芸術概論綱要』に記された「世界がぜんたい」ではなく、家族視点での人の幸せも見つめる契機となっていったように思います。

「カムパネルラはだれか」ページの最後に「いっしょ」という言葉を書きましたが、家族がみんないることは人の幸福感の根幹をなすものです。その意味で、かほるとは「家居る」という祈りなのです.......(^^ゞ


参考文献: ますむら・ひろし著  『銀河鉄道の夜』
        関登久也著      『新装版 宮沢賢治物語』
参考映像: 杉井ギサブロー監督 『銀河鉄道の夜』


2013.06

このページのトップへ

プリオシン海岸トップへ