プリオシン海岸  プリオシン通信

銀河鉄道の夜の植物案内

エピソードのモニュメント


タンポポの綿毛
タンポポの綿毛


章のリンク 1.  地上世界の植物 2.  銀河世界の植物
 3.  西洋の形象 4.  道行きの標 5.  葬送と澪標の幻燈
 6.  天上の影 7.  キリストの景色 8.  植物のモニュメント


昨年の11月、「ジョバンニの苹果」を書いた時に青苹果(りんご)が気になり、「『銀河鉄道の夜』はいつか」のページを植物観点から検証し直す必要を感じていました。それは今年の1月の「『銀河鉄道の夜』はいつか」の増補とつながりました。

「いつか」の結論に変更はありませんでしたが、調べる中でいくつか面白く感じたことがありました。そして、タンポポが綿毛をつける暖かい季節になってようやく『銀河鉄道の夜』の植物一覧を作ることができました。対象とするのは原稿の最終形、つまり第4次稿です。

初期形で登場する植物はその表現が消えた箇所はありますが、その存在自体は改稿でも消えることなく、すべて最終形に受け継がれています。最終形は街の様子が大幅に加筆されたので、その分だけ登場する植物も増えました。初期形の表現も参照しますが、考察する対象は第4次稿と理解してください。

地上世界で16種、銀河世界では17種、「もみ」と「苹果」と「苹果と推定されるもの」の重複を除き全体で30種を数えました。短編としては異常に多い数と言えます。それほどに植物が物語を下支えしている証と言えますし、賢治がこの世界を描くのに必要としたものなのでしょう。

「いつか」のページと内容が重なる部分もありますが、「いつか」のページとあまり関連がなくて書けなかったことをここに書くことで、『銀河鉄道の夜』の植物に親しむことにします。

なお、考察するに際してはグループ分けをしていますが、厳密なものではなく便宜的なものと考えてください。また、一覧の植物画像はそれぞれ考察にリンクしてあり、ジャンプすることができます。また、考察部分にもという一覧に戻るリンクを作りましたからご利用ください。

大変長いページになっているので頭から順に読むことは難しいと思いますが、僕としては順に書いていますから意味不明に思えるところがあるやもしれません。その時は少し戻ってお読みください。それでも意味不明なところは、やっぱり僕にもさっぱりわかりません。.......(^^ゞ


1.地上世界の植物

まずは地上世界と銀河世界に分けてそれぞれ登場する植物を一覧表にしてみます。掲載順は物語での登場順で、該当箇所の原文からの引用は1箇所、使われ方が異なる場合はもう1箇所から引用しています。また同一文の中で登場する植物は項目の背景色を揃えました。

1章は地上の植物を、2章で銀河の植物を掲載します。

地上世界の植物一覧
植物名
説明

北半球の温帯に広範に分布。バラ科。公共施設付近によく植栽されている。物語では学校の庭。国花ではないが、その花の姿は日本を象徴する。
原文 同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まってゐました。
烏瓜
中国南部、台湾、インドシナ半島、シベリア東北部、朝鮮に分布。日本では本州、四国、九州、琉球列島。夏に花をつけ、秋に実を結ぶ。
原文 青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。
いちい
北海道から九州にかけて山地に自生し、特に東北地方から北海道までの寒冷地帯に群生する。常緑針葉高木。花は春、赤い実は秋。
原文 銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの枝にあかりをつけたりいろいろ仕度をしてゐるのでした。
ひのき・檜
日本と台湾にのみ分布する。ゴッホの糸杉は西洋檜だが、ホソイトスギ(イタリアイトスギ) が地中海沿岸からイランにかけて分布。常緑針葉高木。花は4月。実(球果)は秋に熟す。
原文 同上
原文 のまっ黒にならんだ町の坂を下りて来たのでした。
ケール
地中海沿岸が原産で温暖な気候であれば一年中栽培可能。アブラナ科の2年草。物語では観賞用の葉牡丹と思われる。
原文 空箱に紫いろのケールアスパラガスが植えてあって
アスパラガス
原産は地中海東部。江戸時代にオランダから移入、食用とされたのは明治時代。日本では冷涼な地方が産地。ユリ科の多年草。物語では観賞用と思われる。
原文 そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。
トマト
南アメリカのアンデス山脈原産。16世紀にヨーロッパへ伝わる。植物ではなく、食べ物として登場。多年草だが、日本では一年草として春に種子をまき、夏から秋に収穫する。
原文 姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置いていったよ。
ひば
ヒノキ科の常緑針葉樹。園芸ではヒノキ、サワラを、林業ではヒノキアスナロ、アスナロをヒバと呼び、ややこしい。賢治の場合はヒノキと同一視していいのかもしれない。
原文 もうザネリは向ふのひばの植った家の中へはいってゐました。
もみ

北端は秋田県、南端は屋久島に達する。ヨーロッパモミはヨーロッパ中部から南部に分布。マツ科の常緑針葉高木。モミ類はクリスマス・ツリーに使われる。
原文 街燈はみなまっ青なもみや楢の枝で包まれ、

ナラ。落葉広葉高木。北海道以南・本州・四国・九州に分布。主な生産地は北海道。海外では樺太・朝鮮半島でも自生。ヨーロッパナラはヨーロッパから小アジア、カフカース、北アフリカの一部に原生する。秋に実(堅果)がなり、ドングリと呼ばれる。
原文 同上
プラタヌス
プラタナス(platanus)のこと。スズカケノキ属の落葉高木の総称。原産はヨーロッパ南東部〜アジア西部で、日本への導入は明治時代とされる。街路や公園でよく植栽される。実は秋。
原文 電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて
ポプラ
ヤナギ科ヤマナラシ属の通称。アメリカ・ヨーロッパ・アジアにかけての北回帰線以北の北半球に広く分布し、日本へは明治初年に移入される。街路樹や防風林としての利用が多い。
原文 町はづれのポプラの木が幾本も幾本も、高く星ぞらに浮んでゐるところに来てゐました。

北半球を中心に、広い範囲に分布している。常緑針葉高木で花は春に咲き、松傘(球果)が秋にできる。
原文 そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、俄かにがらんと空がひらけて
苹果
西洋リンゴのこと。亜寒帯から温帯地域に生育し、寒冷な地域によく適応する。ヨーロッパからアメリカへ伝わり、日本へは江戸末期から明治初期にかけてにアメリカから移入される。
原文 青い苹果だってもうできてゐるんだ。(第3次稿)
原文 小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果を剥いたり、わらったり、
つりがねさう
北半球の温帯から冷帯の広い範囲に分布。ホタルブクロ、ツリガネニンジンなど様々な種類がある。
原文 つりがねさうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたといふやうに咲き、
野ぎく
野生の植物で菊に見えるものの総称なので、植物学上の名ではない。東北地方ではヨメナは生えず、アワコガネギクは黄色でノコンギクは紫色系なので、ノコンギクの可能性が高い。花は8月〜11月に咲く。
原文 同上


2.銀河世界の植物

銀河世界の植物一覧
植物名説明
すすき
秋に群生するイネ科多年草。日本全土から東アジア一帯の山野にひろく分布。秋の七草のひとつで、オバナ(尾花)の異名がある多年草。銀河鉄道の沿線でずっと揺れている。
原文 青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすゝきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、
りんだう
本州、四国、九州の山野に分布するリンドウ科の多年草。秋に鐘形の青紫花をつける。汽車に乗車してまもなく線路のへりに咲き、秋を告げる。
原文 「あゝ、りんだうの花が咲いてゐる。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云ひました。
銀杏
イチョウ。中国原産の落葉高木。公園や街路樹、信仰の場などに広く植栽される。中生代に繁殖した「生きている化石」で、花は4月に咲き、実であるギンナンは秋に熟す。
原文 二人は、停車場の前の、水晶細工のやうに見える銀杏の木に囲まれた、小さな広場に出ました。
くるみ
落葉高木。日本で自生するのはオニグルミ。実は直径約3cm。化石は現存しないオオバタクルミで現在のクルミよりも大きくて深い皺があった。日本での最初の発見者は賢治。
原文 「くるみの実だよ。そら、沢山ある。流れて来たんぢゃない。岩の中に入ってるんだ。」
かはらははこ
キク科の多年草。河原の小石まじりの砂地で群生する。白い部分は総苞片と呼ばれるもので、花は黄色の部分。8月から10月にかけて咲く。日本固有種。
原文 鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかはらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見てゐたのです。
にはとこ
スイカズラ科の落葉低木。日本では山野や庭で見られる。春にクリーム色の花房をつけ、夏には深紅や黒紫色の実を結ぶ。これは話題に登場するだけで銀河の植物ではない。
原文 わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたってゐるだらう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにはとこのやぶをまはってあそんでゐるだらうか
苹果
西洋リンゴのこと。亜寒帯から温帯地域に生育し、寒冷な地域によく適応する。ヨーロッパからアメリカへ伝わり、日本へは江戸末期から明治初期にかけてにアメリカから移入される。
原文 「ほんたうに苹果の匂だよ。それから野茨の匂もする。」
原文 向ふの席の燈台看守がいつか黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないやうに両手で膝の上にかゝえて
野茨
ノイバラ。ノバラとも言う。雑草扱いされる落葉低木で、沖縄を除く日本のほか朝鮮半島、中国に分布。花は5〜6月。
原文 いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思ひました。
ばら
ノイバラも含むバラ科バラ属の総称。ここではノイバラと対照して西洋バラを指すらしい。北半球の温帯が原産。直後に苹果が登場することから「野茨の匂」と同じと考えられる。
原文 じつにそのすきとほった奇麗な風は、ばらの匂でいっぱいでした。

世界三大穀物のひとつで、世界中で栽培されている。栽培稲は二種類で、日本や欧州で栽培されているのはアジアイネ。日本では耐冷性の高いジャポニカ種が栽培されている。
原文 だってパシフヰック辺のやうに殻もないし十倍も大きくて匂もいゝのです。
まっ赤に光る円い実
「大きな林」は「橄欖の森」と同一と考えられるが、オリーブの熟した実は黒っぽいので、「円い実」ということとエピソードのつながりから苹果と考えられる。
原文 川下の向ふ岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、
橄欖
カンラン科の常緑高木のことだが、オリーブとの混同から生じた誤訳が定着していたことからここではオリーブを指すと考えられる。オリーブはモクセイ科で、地中海地方が原産。
原文 青い橄欖の森が見えない天の川の向ふにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまひそこから
たうもろこし
イネ科の一年草で、アメリカ大陸原産。日本へはポルトガルから16世紀に伝わる。収穫は夏から秋。ここでは収穫前の立ち枯れ途中のトウモロコシ畑が広がっていると思われる。
原文 美しいそらの野原の地平線のはてまでその大きなたうもろこしの木がほとんどいちめんに植えられて
河原なでしこ
ナデシコ科の多年草で本州から四国、九州および朝鮮半島、中国に分布。別名はナデシコ。秋の七草のひとつで、日当たりの良い野山や河原に生える。夏から秋にかけて名前どおり撫でたくなるような可憐な花が咲く。
原文 うすあかい河原なでしこの花があちこち咲いてゐました

ヤナギ科ヤナギ属の落葉高木〜低木で、中国が原産。河川などの水辺や湿原に多く見られる。雌雄異株で春には花穂をつける。
原文 楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました
唐檜
トウヒ。マツ科の常緑針葉高木でクリスマスツリーのような樹形。モミと似るが、トウヒには球果ができる。本州の山奥に分布。岩手県早池峰山にはトウヒ属のアカエゾマツが生える。
原文 あゝそこにはクリスマストリイのやうにまっ青な唐檜かもみの木がたって
もみ
北端は秋田県、南端は屋久島に達する。ヨーロッパモミはヨーロッパ中部から南部に分布。マツ科の常緑針葉高木。モミ類はクリスマスツリーに使われる。
原文 同上


3.西洋の形象

さて、物語に登場する植物をざっと見てきました。ここからはそれぞれ植物がどういう背景を持って登場してきているのかを考察していきます。背景とは賢治がその植物で何を表現しようとしていたかという意味です。そして、それぞれを形式的なまとまりや意図の共通性からのまとまりでグループ分けして見ていきます。

1つ目は西洋らしさを表現する植物グループ。2つ目はジョバンニの道行きで登場してくる植物グループ。3つ目は「青いあかり」で総合される植物グループ。4つ目は天上を感じさせる植物、5つ目にキリスト教を暗喩する植物グループ。この5つのグループにそれぞれ1章を割り当てます。

グループ分けしにくい植物については2つ目の道行きグループで取り上げます。では、まずは西洋の植物を見ていきます。

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ケール
空箱に紫いろのケールやアスパラガスが植えてあって

ケールとして登場している植物は観賞用に改良された葉牡丹と思われます。賢治はこの植物をいろんな名称で呼んでいます。心象スケッチ『冗語』、『雑草』では「羽衣甘藍」、文語詩〔鐘うてば白木のひのき〕 では、「縮葉甘藍」。「ケール」とルビを付けたのもあります。散文『花壇工作』では「花甘藍」が出てきています。この作品は花巻共立病院の花壇とかかわりがあります。

『銀河鉄道の夜』は舞台が西洋であることから、「ケール」という呼称を選択したのでしょう。キャベツの原種はケールと同じなのでケールは野菜でもあるのですが、本来は寒くなると色づくことから冬の観賞用で、2年草でありながら園芸用としては1年草扱いが普通です。

ですから、暑い季節なのに家の前に見栄えしないままに放置されていることからジョバンニの家の窮状を表現しているようにも思えます。先に挙げた『花壇工作』ではこんな記述があります。

そのとき窓に院長が立ってゐた。云った。
     (どんな花を植えるのですか。)
     (来春はムスカリとチュウリップです。)
     (夏は)
     (さうですな。まんなかをカンナとコキア、観葉種です、
     それから花甘藍と、あとはキャンデタフトのライラックと
     白で模様をとったりいろいろします。)

賢治は夏がきたらケールの苗を植えると言っているのでしょう。

『春と修羅』第2集に『九月』という作品があります。部分引用します。

キャベジとケールの校圃(はたけ)を抜けて
アカシヤの青い火のとこを通り

これも日付があって「一九二五、九、七、」となっています。1925年と言えば、花巻農学校教諭の最終年度です。「はたけ」とルビがある「校圃」、つまり学校の畑にもケールが栽培されていたわけですね。賢治が植えたのでしょう。

余談ですが、かつてプリオシン通信で批判した秋原正俊監督の『銀河鉄道の夜』では、晩夏の撮影時期に「紫いろのケール」が手に入らなかったために紫キャベツが使われています。

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アスパラガス
空箱に紫いろのケールやアスパラガスが植えてあって
そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。

アスパラガスは時計屋でも「アスパラガスの葉」として登場してきます。これは当時まだ珍しかった西洋の品種で、賢治が「下ノ畑」で栽培していました。アスパラガスも他の作品に登場しています。心象スケッチ『朝餐』、散文『チュウリップの幻術』、『紫紺染について』。この品種を広く知らせたいという賢治の教育的な意図もあったように思います。

アスパラガスが野菜として一般に認知されるのは昭和に入ってからのことですから、空箱に植えられていたことからもケールもアスパラガスも観賞用と考えられます。アスパラガスは葉を茂らせていたことでしょう。心象スケッチ『朝餐』にはこう記されています。部分引用です。

白い小麦のこのパンケーキのおいしさよ
競馬の馬がほうれん草を食ふやうに
アメリカ人がアスパラガスを喰ふやうに
すきとほった風といっしょにむさぼりたべる

日本でのアスパラガスの受容状況が見て取れます。そして、賢治の思い入れが次の作品でもうかがえます。『紫紺染について』から部分引用です。

「アスパラガスやちしゃのようなものが山野に自生する様にならないと産業もほんとうではありませんな。」

賢治がジョバンニの住む場所をケールとアスパラガスの家にしたのは、彼独特の感覚という他ないです。日本の習慣ではないし、花と呼べるものでもないし、しかし、そこには美しいものを愛でる気持ちがあります。

美しいものを楽しむような余裕のない貧しい農村地帯にあって、呆れる農民の視線を浴びながらも賢治はなおも美しいものを畑に植えました。ケールとアスパラガスの家はその畑の延長としてあるように思えます。


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トマト
姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置いていったよ。

嫁ぎ先から世話をしに来ているのでしょうか、姉がトマト料理を準備してくれたようです。日本にトマトが伝わったのは江戸時代。当初は観賞用でしたが、明治以降食べられるようになりました。しかし、賢治の時代はまだ珍しいものでしたし、あまり美味しいとも思われなかったようです。

そのために当時は砂糖をまぶして食べることがあったそうですが、賢治はそれを嫌って塩を振りかけて食べていたそうです。

『黄いろのトマト』というタイトルの作品があるぐらいなので、賢治はもちろん栽培していました。『セロ弾きのゴーシュ』の畑でもトマトはありました。

家といってもそれは町はずれの川ばたにあるこはれた水車小屋で、ゴーシュはそこにたった一人ですんでゐて午前は小屋のまはりの小さな畑でトマトの枝をきったり甘藍の虫をひろったりしてひるすぎになるといつも出て行ってゐたのです。

歌稿A(大正五年)にはトマトの歌が4首並んでいます。

401 霜枯れしトマトの気根しみじみとうちならびつゝ冬きたるらし
402 青腐れしトマトたわわの枯れ枝とひでりあめとのなかなるいのり
403 霜腐れ青きトマトの実を裂けばさびしきにほひ空に行きたり
404 はだしにて雲落ちきたる十月のトマトばたけに立ちてありけり

東北の食糧事情改善のために賢治はトマトも重要な品種だと考えていたようです。『銀河鉄道の夜』でジョバンニの家でトマトが登場するのは必然だったと言っていいのでしょう。それは作品のためではなく、賢治の想いの表現です。イタリアでは「黄金のりんご」と呼ばれることもあるそうです。


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プラタヌス・ポプラ
電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて
町はづれのポプラの木が幾本も幾本も、高く星ぞらに浮んでゐるところに来てゐました。

どちらも明治時代に導入された品種です。したがってまだこの時代は日本の風景ではなかったわけで、西洋イメージを醸しているのでしょう。烏瓜がランタンをイメージさせているように、プラタナスの実からも賢治はランタンを連想しています。『高架線』から部分引用します。

プラタヌス グリーン ランターン
プラタヌス グリーン ランターン

ポプラ並木は賢治が好きだった小岩井農場にもありました。 『小岩井農場パート四』から部分引用です。

本部の気取つた建物が
桜やボプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない

『ポラーノの広場』に登場するモリーオ市にもポプラ並木は描かれます。イーハトーヴォにはなくてはならない風景だと言えるでしょう。

毎朝その乳をしぼってつめたいパンをひたしてたべ、それから黒い革のかばんへすこしの書類や雑誌を入れ、靴もきれいにみがき、並木のポプラの影法師を大股にわたって市の役所へ出て行くのでした。

ポラーノの広場とは北極星(ポラリス)の下にある広場だという説を根本順吉氏は唱えています。登場する「つめくさのあかり」に付けられた番号も星のNGC番号に相当するというものです。

また、花巻市のぎんどろ公園の由来となっている賢治が好きだったギンドロ(銀泥)はポプラの1種です。『賢治の宝石箱』(板谷栄城著)に岩田豊蔵氏(妹シゲの夫)の言葉が引用されています。

「賢さんは、木を植えるとき、ぐんぐん伸びる成長の早い物を植えました。ことに好きなのは、「ギンドロ」と「アカシア」で、町営住宅やそちこちへ植えました。賢さんはセッカチだったからではないかと、私などは考えたものです。」

スギ 「虔十」という名前が賢治の別名(Kenjü Miyazawa)であったらしい割には、賢治の現実は『虔十公園林』のようにはいかなかったということですね。『虔十公園林』で植林されたのは杉でした。ポプラの成長速度は杉の数倍になります。賢治の生活習慣や行動パターンを知ると、賢治が早世した原因には彼のせっかちな性格があったと僕なんかは思います。


『銀河鉄道の夜』が日本を舞台とせず、国籍不明の物語になった理由のひとつには、賢治が日本からはみ出していたということが言えそうです。後で触れる「桜」を賢治があまり好きではなかったわけともつながるのかもしれません。

下手をすればただの西洋かぶれになるところですが、南方熊楠のように日本の土着的なものとも深く結び合い、上手にバランスを取っていたように思えます。


4.道行きの(しるべ)

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同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まってゐました。

物語で最初に登場するのは桜です。ジョバンニだのカムパネルラだの、当時の日本人なら舌を噛みそうな名前が出てきて、きっと西洋の物語だと思って読み出したら、とつぜん学校の庭に桜の木が現れます。読者には身近ではない世界であったはずが一気に日本という見慣れた世界に引き寄せられることになります。

杉井ギサブローのアニメで描かれた学校の風景にはポプラらしき木が登場していましたが、似合わないと思われたのか桜の木は描かれませんでした。それぐらい賢治は意図して桜の木を置いたように思います。

この物語は西洋と日本を行ったり来たりさせられる物語であることをこの桜は象徴しています。同じことが登場人物にも当てはまります。家庭教師一行のきょうだい達の名前だけは日本名になっていて、不思議な感覚の中に放り出されます。

先に引用した『小岩井農場 パート四』にも桜が登場していましたが、『或る農学生の日誌』ではあまのじゃくぶりを発揮しています。

まだ朝の風は冷たいけれども学校へ上り口の公園の桜は咲いた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好きでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だか蛙の卵のような気がする。それにすぐ古くさい歌やなんか思い出すしまた歌など詠むのろのろしたような昔の人を考えるからどうもいやだ。そんなことがなかったら僕はもっと好きだったかも知れない。誰も桜が立派だなんて云わなかったら僕はきっと大声でそのきれいさを叫んだかも知れない。僕は却ってたんぽぽの毛の方を好きだ。夕陽になんか照らされたらいくら立派だか知れない。

手垢のついた言葉が好きではなかったように、賢治はやはりそんなイメージの桜が好きではなかったようです。桜は嫌になるぐらい日本を象徴する植物だということです。

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ひば
もうザネリは向ふのひばの植った家の中へはいってゐました。

針葉樹がたくさん登場しています。これもその1種。物語の舞台がどちらかと言えば寒冷な地域であることを示しているように思われます。はっきり言ってしまえば、「銀河鉄道の夜」はいつか「銀河鉄道の夜」はどこかで指摘してきたように、岩手県を舞台にしているということでしょう。

次項の「檜」も含めて、これらの木の名称はややこしいことになっています。ヒノキ、アスナロ、サワラ、ヒノキアスナロと呼ばれることがあります。一覧表の説明でも触れましたが、別名と方言が混在してその品種の同定を難しくしているからです。

賢治も同じ木をヒノキとしたり、ヒバとしたりする例があります。ここでは「ひば」という言葉のままで考察します。

賢治の他作品から、檜葉には暗いイメージが浮かびます。〔二時がこんなに暗いのは〕から部分引用します。

二時がこんなに暗いのは
時計も雨でいっぱいなのか
本街道をはなれてからは
みちは烈しく倒れた稲や
陰気なひばの木立の影を
めぐってめぐってこゝまで来たが
里程にしてはまだそんなにもあるいてゐない

『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』にもこんな表現があります。

向うの木立が、あんまり暗くて、それに何の木かわからないのです。ひばよりも暗く、榧よりももっと陰気で、なかには、どんなものがかくれているか知れませんでした。

〔洪積世が了って〕では岩手の植物相という観点から檜葉が取り上げられています。

洪積世が了って
北上川がいまの場所に固定しだしたころには
こゝらはひばや
はんやくるみの森林で

檜葉はイーハトーヴォとはあまり縁のない樹木なのかもしれません。そこにはポプラやプラタナスこそがふさわしいようです。

『銀河鉄道の夜』ではザネリがジョバンニに意地悪な言葉を投げつけてから入っていった家に「ひば」が植えられていました。これは陰気なイメージと合致すると言えましょうか。

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檜(ひのき)
のまっ黒にならんだ町の坂を下りて来たのでした。

『春と修羅』では「ZYPRESSEN」(ツィプレッセン)とドイツ語で記されています。ゴッホが好きだった賢治は西洋檜である糸杉にも愛着を感じていたのではないでしょうか。「歌稿A」には「ゴオホサイプレスの歌」と題された2首があります。

サイプレスいかりはもえてあまぐものうづまをさへやかんとすなり。

雲の渦のわめきの中に湧きいでゝいらだちもゆるサイプレスかも

  檜の並んだ道 原文では「ジョバンニは、口笛を吹いてゐるやうなさびしい口付きで、檜のまっ黒にならんだ町の坂を下りて来たのでした」とあります。檜は陰樹ですから昼間でもあまり光が射さないような道のようです。ジョバンニが住むところは裏町ですからイメージ通りです。

檜は賢治作品にはよく登場しています。歌稿Aに「ひのきの歌」という短歌の連作があります。「第一日昼」に記された歌。

なにげなく窓を見やれば一もとのひのきみだれていとゞ恐ろし

檜葉と同じく暗いイメージがあります。その一方でこんな歌もあります。「第二日夜」に記された歌。

わるひのきまひるみだれしわるひのき雪をかぶればぼさつ姿なり

檜がしだいに菩薩に変容してきています。そして、第七日夜。

ひのきひのきまことになれはいきものかわれとはふかきえにしあるらし

恐ろしい姿に見えていた檜が雪をまとうことによって菩薩の化身であったことに気づき、賢治は自分と深い縁があるのだと思うようになっていきます。

また、この連作以前にもこんな短歌があります。

風は樹をゆすりて云ひぬ「波羅羯諦」あかきはみだれしけしの一むら

この歌イメージを引き継いでいる作品が『ひのきとひなげし』です。初期形には般若心経に記された呪文である「はらぎゃあてい。」を叫ぶ「ひのき」が登場します。最終形ではその部分が消えて、「セントジョバンニ様のお庭」が登場しています。この最終形から末尾を引用します。

ひのきは、まただまって、夕がたのそらを仰ぎました。 西のそらは今はかがやきを納め、東の雲の峯はだんだん崩れて、そこからもう銀いろの一つ星もまたたき出しました。

ひのきの悲しげな場面はジョバンニが坂を下る夕刻場面と重なります。坂を下りたところには、一番最初に現れる「青白」い光がジョバンニを待ち受けます。

坂の下に大きな一つの街燈が、青白く立派に光って立ってゐました。

檜が「まっ黒」と形容されていることについては次項で考察します。


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楢・松
そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、俄かにがらんと空がひらけて

楢の代表種はミズナラです。コナラも全国に分布しますが、どちらも寒冷地を好むため、岩手県でも多くの楢の林がありました。楢は百姓になることを決意した『春』にも記されました。

ナラ林

陽が照って鳥が啼き
あちこちの楢の林も、
けむるとき
ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を、
おれはこれからもつことになる

『風野又三郎』にも出ています。

ナラ

「ドッドドドドウドドドウドドドウ、
 楢の木の葉も引っちぎれ
 とちもくるみもふきおとせ
 ドッドドドドウドドドウドドドウ。」

楢の林の風景も遠い南欧の風景ではなく、岩手の風景だと思います。ドングリは渋抜きをすれば食用にもなる実です。『グスコーブドリの伝記』から引用します。

ブドリのお父さんもお母さんも、すつかり仕事をやめてゐました。そしてたびたび心配さうに相談しては、かはるがはる町へ出て行つて、やつとすこしばかりの黍の粒など持つて帰ることもあれば、なんにも持たず顔いろを悪くして帰つてくることもありました。そしてみんなは、こならの実や、葛やわらびの根や、木の柔らかな皮やいろんなものをたべて、その冬をすごしました。

楢については「7.キリストの景色」の項でも取り上げます。

東北地方ではかつてドングリは食糧として重宝されていました。一方、「松」と言えばやはり一番に想起するのは「とし」との別れでしょうか。まずは『永訣の朝』から。

雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう

そして、『松の針』から。

おお おまへはまるでとびつくやうに
そのみどりの葉にあつい頬をあてる
そんな植物性の青い針のなかに
はげしく頬を刺させることは
むさぼるやうにさへすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまへは林へ行きたかったのだ

ここでは松葉そのものが林のイメージへと拡大されています。

松の林 楢も松も陽樹です。天気輪の丘への道は日当たりの良い林になっているようです。岩手には門松に楢の添え木をする地方がありました。楢も松も、どちらも親しい樹木です。

ところで、「松や楢の林」には「まっ黒な」という形容が付いています。街への下り道でも「檜のまっ黒にならんだ」とありましたが、ジョバンニの心理を表現しているようにも思えます。あるいは、白と黒の対比表現が多い物語なので、何かしら意味がありげにも思えますがどうなのでしょうか。

『狼森と笊森、盗森』はこんな文章から始まります。

小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあります。いちばん南が狼森で、その次が笊森、次は黒坂森、北のはずれは盗森です。

これに限らず、賢治の作品には森や林が黒かったり、まっ黒であったりする表現は頻出します。他の例も散文作品からのみ引用してみます。

黒いひのきの森『おきなぐさ』
黒い林『鹿踊りのはじまり』
黒い森『グスコーブドリの伝記』
まっ黒な森『十力の金剛石』
まっ黒な榧の木の森『どんぐりと山猫』
まっ黒な木の梢『学者アラムハラドの見た着物』
樺の木の生えたまっ黒な小山『黄いろのトマト』
まっ黒なひのき『グスコンブドリの伝記』
黒いいろの森『グスコンブドリの伝記』
まっ黒なかやの木や唐檜『よく利く薬とえらい薬』
唐檜やとど松がまっ黒に立って『氷河鼠の毛皮』
ひのきやいちいがまっ黒にしげり『イギリス海岸』
公園林の杉の黒い立派な緑『虔十公園林』

このような賢治の使用例から判断すれば、深い意味はないのかもしれません。最後の2例、『イギリス海岸』と『虔十公園林』での表現はヒントを与えてくれています。「深い緑に茂った」というような意味なのでしょう。

金子民雄氏は「花と美の巡礼者」(宮沢賢治第6号所収)で「どちらかというと東北の山野は、四季を通じて物憂く暗い。秋の紅葉の季節を除けば明るい色彩に欠け、とくに夏などは山野の濃緑が黒色に映る。」と記しています。イーハトブの世界では木立の緑は黒く映っているようです。


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すすき
青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすゝきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立ててゐるのでした。

地上世界はまだ晩夏なのですすきは登場していません。銀河世界は秋になっていることから、線路沿いにすすきは幾度も登場してきています。異世界の時季のズレについては「『銀河鉄道の夜』はいつか」を参照してください。

すすき この車窓からの風景はやはり西洋ではなく、日本の見慣れた風景です。しかも、ススキとは日本人にとっては茅葺き、動物飼料、燃料などと、生活する上での貴重な資源でした。夏の緑から冬に向けて色を変化させていくように、物語でも汽車に乗車後まもなくその姿を見せて、夏から秋への季節移行を促しているようにみえます。

ススキの野原が舞台になっている『鹿踊りのはじまり』から鹿の歌をひと節。

「お日さんは
 はんの木の向さ、降りでても
 すすぎ、ぎんがぎが
 まぶしまんぶし。」
ほんたうにすすきはみんな、まつ白な火のやうに燃えたのです。

ススキはやはり白く輝いています。また、中秋の名月(陰暦8月15日)に供えられたのもイネ科であるこの植物です。月の天上世界を連想させるススキを配置することは銀河鉄道の車窓を飾るのにふさわしいと言えます。


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銀杏
二人は、停車場の前の、水晶細工のやうに見える銀杏の木に囲まれた、小さな広場に出ました。

葉にたくさんの水分を含むことや中国で聖木とされてきたこともあり、防火林として公共の場や寺社によく植林されてきた植物です。「水晶細工」という表現にも瑞々しさを感じます。『高架線』から部分引用します。

街路樹は何がよきやと訊ねしに
わが日本には
いてふなどこそ
ふさはしかりと技師答へたり

ジョバンニとカムパネルラはこの後にプリオシン海岸で化石の発掘を見学することになりますが、イチョウは中生代に繁殖した「生きている化石」でもあります。化石発掘場面の前触れのように見ることもできます。

さて、賢治のイチョウ作品と言えば、やはり『いてふの実』です。母のイチョウの木から子どもである実、正確に言えば種子の銀杏(ギンナン)が旅立っていく別れを描いた物語です。イチョウは雌雄異株ですから、イチョウの母というキャラ設定は似合います。

「僕はね、水筒の外に薄荷水を用意したよ。少しやらうか。旅へ出てあんまり心持ちの悪い時は一寸飲むといゝっておっかさんが云ったぜ。」
「なぜおっかさんは僕へは呉れないんだらう。」
「だから、僕あげるよ。お母さんを悪く思っちゃすまないよ。」
 さうです。この銀杏の木はお母さんでした。
 今年は千人の黄金色の子供が生れたのです。
 そして今日こそ子供らがみんな一緒に旅に発つのです。お母さんはそれをあんまり悲しんで扇形の黄金の髪の毛を昨日までにみんな落してしまひました。

僕はこの作品が好きです。大島弓子氏が漫画化していますが、テーマは少し異なっています。ジョバンニとカムパネルラは二人とも母親思いの少年たちです。不安な思いを抱いた少年たちを見送る広場のイチョウの木はやはりお母さんの木だったと思えます。

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くるみ
くるみの実だよ。そら、沢山ある。流れて来たんぢゃない。岩の中に入ってるんだ。」

くるみはそもそも童話とは親和性があるものです。賢治作品にもよく登場しています。ここでは化石としての登場ですから、やはり『イギリス海岸』から引用します。

私たちのイギリス海岸では、川の水からよほどはなれた処に、半分石炭に変った大きな木の根株が、その根を泥岩の中に張り、そのみきと枝を軽石の火山礫層に圧し潰されて、ぞろっとならんでいました。尤もそれは間もなく日光にあたってぼろぼろに裂け、度々の出水に次から次と削られては行きましたが、新らしいものも又出て来ました。そしてその根株のまわりから、ある時私たちは四十近くの半分炭化したくるみの実を拾いました。それは長さが二寸位、幅が一寸ぐらい、非常に細長く尖った形でしたので、はじめは私どもは上の重い地層に押し潰されたのだろうとも思いましたが、縦に埋まっているのもありましたし、やっぱりはじめからそんな形だとしか思われませんでした。

この文章に表現されているように現在のオニグルミとは形が異なっていて、実が大きくて皺の溝が深く、あまりまるっこい感じもありません。この化石種はオオバタグルミと呼ばれていています。

『煙』からの引用です。

青じろい頁岩の盤で
尖って長いくるみの化石をさがしたり
古いけものの足痕を
うすら濁ってつぶやく水のなかからとったり
二夏のあひだ
実習のすんだ毎日の午后を
生徒らとたのしくあそんで過ごしたのに

硬い殻に覆われたくるみはまさにタイムカプセルです。最終稿で消えてしまった「地歴の本」と照応する場面となっていて、人類の歴史よりももっと長い時間を提示することで、宇宙を感じさせる役割を果たしています。

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かはらははこぐさ
鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかはらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見てゐたのです。

河原に咲く母子草ということで、河原が別れの場面として登場し、母子という伏在したテーマがあるこの作品にはよく似合う名称の草花です。しかし、なぜこの場面でハワラハハコが使われているのかはわかりません。

カワラハハコ 地味な植物なので賢治の他の作品では見当たらないようです。ただし、『鳥をとるやなぎ』という作品には「ひめははこぐさ」が出てきます。この名称の植物は詳細がわかりませんでした。これも河原に生えていることになっています。

ですから川原は割合に広く、まっ白な砂利でできてゐて、処々にはひめははこぐさやすぎなやねむなどが生えてゐたのでしたが、少し上流の方には、川に添って大きな楊の木が、何本も何本もならんで立ってゐたのです。

この童話作品は二人の少年が鳥を吸い込んでしまうという不思議な楊(やなぎ)の木を野原に探す物語です。夕方の帰途に街路樹や電線にムクドリの大群がぶら下がっていることがあります。あういう風景がモチーフになったのかと思われますが、賢治らしい逆転の発想で描かれています。

そして面白いことには、ここでも鳥を捕るというイメージがあるわけで、鳥捕りとカワラハハコグサとの間には何かがつながる気配を感じます。


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にはとこ
わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたってゐるだらう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにはとこのやぶをまはってあそんでゐるだらうか

青年がタダシの亡くなった母親の気持ちを推し量って話す場面です。実際に登場しているわけではありません。「にはとこ」と「やぶ(藪)」は賢治作品ではセットになっていて、その藪はまわるものです。漢字では庭常、あるいは接骨木と記され、日本各地の山野に生え、庭にも植えられる2〜5mの落葉低木です。

日脚がぼうとひろがれば
つめたい西の風も吹き
黒くいでたつむすめが二人
接骨木藪をまはってくる

ふたりおんなじさういふ奇体な扮装で
はげしいかげらふの紐をほぐし
しづかにならんで接骨木藪をまはってくれば

どちらも1行目が仮題になっている作品からです。「接骨木」とされるのは骨折治療の湿布として用いられたからのようです。ニワトコには毒があって、動物は近づかないそうです。しかし、毒があるということは逆に薬草としての使い道が出ることになります。

ニワトコはヨーロッパにもアメリカにもあって、古くから薬草として、また料理にも使われました。防虫剤としても使われたそうです。こうしたことから魔除けとしての用途もありました。

母親が子どもを案じて思い浮かべる風景にも植物を織り込むという、賢治の植物へのこだわりは何でしょうか。きょうだいの日本名も影響して、ここは日本の庭で子どもが遊ぶ風景を思い出してしまいます。賢治のイメージではアメリカの庭になっているのだと思いますけれど、華やかさのない地味な植物である一方で、生活の身近にある植物として描くには格好の植物といえるかもしれません。


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たうもろこし
美しいそらの野原の地平線のはてまでその大きなたうもろこしの木がほとんどいちめんに植えられてさやさや風にゆらぎ

言うまでもなく、アメリカ大陸の風景を反映して現れているトウモロコシの野原です。賢治が「木」という茎を見ればわかりますが、イネ科の植物です。紀元前5千年頃にはすでに広く栽培されていました。

ヨーロッパにトウモロコシを伝えたのはコロンブスです。日本での本格的な栽培は明治時代に入ってからですから、賢治の時代にはまだ目新しい植物でした。賢治はトウモロコシを細密に描写した『畑のへり』という作品を書いています。

たうもろこしには、もう頂上にひらひらした穂が立ち、大きな縮れた葉のつけねには尖った青いさやができてゐました。

蛙がトウモロコシの鞘を髪の毛が生えた歯の幽霊と間違えて大騒ぎします。「二ひきの蛙」の会話が落語風になっています。

「何かい、兵隊が幽霊をつれて来たのかい、そんなにこわい幽霊かい。」
「どうしてどうしてまあ見るがいい。どの幽霊も青白い髪の毛がばしゃばしゃで歯が七十枚おまけに足から頭の方へ青いマントを六枚も着ている」

こういう物語を書いたのは、蛙だけでなく、日本人もまだ見慣れていない植物という時代背景があったからでしょう。


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河原なでしこ
うすあかい河原なでしこの花があちこち咲いてゐました。

「河原」と付いているのは河原によく見られるからです。ナデシコ、ヤマトナデシコとも呼ばれます。

河原なでしこは「傾斜」が終わる辺りに咲いていた花です。夏から秋にかけて咲く花で、秋の七草のひとつになっています。花弁が5枚で先が細裂しているところは烏瓜の花に似ていて、可憐な姿をしています。

「傾斜」という急坂を転がるように走る汽車の中で、みんなは座席にしがみついていましたが、ようやく「傾斜」が終わって緩やかになってきたところで、このピンクの花が迎えてくれたわけです。この傾斜場面は並行して天の川の流れも描写していて、川岸を走っていることをあらためて印象づけています。

『銀河鉄道の夜』の星空案内で記したように、この「傾斜」とは北天から南天への境界にもとづいたもので、銀河世界にもそれが反映されて「奥」銀河への境界になったものだと思えます。

銀河鉄道に乗車してまもなくリンドウの花が迎えてくれたように、ここでは同じ系統色であるカワラナデシコが「死界」により近づいたことで、リンドウよりずっと薄く、はかない色の花で迎えてくれているようです。それは次章で取り上げる「葬送と澪標」のひとつと数えることもできそうです。

賢治はその印象を強めるように「うすあかい」とそのやわらかな色も付け加えています。大変な傾斜をやり過ごして美しいカワラナデシコの出迎えを受けたことで、みんなが一息ついたことでしょう。


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楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。

たいへん印象的な蝎の火のシーンです。その箇所をもうすこし広く引用してみましょう。

川の向ふ岸が俄かに赤くなりました。楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。まったく向ふ岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたさうな天をも焦がしさうでした。ルビーよりも赤くすきとほりリチウムよりもうつくしく酔ったやうになってその火は燃えてゐるのでした。

楊の木が青々と見えるのではなくシルエットとして見えているところから、日本人にとってヤナギらしいイメージの「しだれやなぎ」とすればいかにも東洋的な風景です。ところが辞書によれば、楊はカワヤナギ、柳がシダレヤナギとしています。美女の形容として言われる「柳腰」が柳である理由がわかります。

賢治作品にはヤナギを見つけることは容易です。柳、楊、やなぎと表記もさまざまです。「バビロン柳」というのもあります。これはシダレヤナギの学名(Salix babylonica)が由来のようです。ヤナギの花も出ています。花芽の方言「ベムベロ」もよく使います。

ベムベロについては賢治が『おきなぐさ』の中で説明をしてくれています。

それはたとへば私どもの方でねこやなぎの花芽をべむべろと云ひますがそのべむべろが何のことかわかったやうなわからないやうな気がするのと全くおなじです。とにかくべむべろといふ語のひゞきの中にあの柳の花芽の銀びらうどのこゝろもち、なめらかな春のはじめの光の工合が実にはっきり出てゐるやうに、

カワヤナギはネコヤナギとは異なり、葉も花序も細い別種のものがあるそうですが、ほとんどはネコヤナギのことです。まさにその花芽を見れば触りたくなるようなビロード状です。

ネコヤナギが蝎の火とどういうかかわりがあるのかわかりません。「世界大百科事典」によれば、ヨーロッパ文明においてヤナギは死と嘆きを連想させるものだそうです。この場面と限らず、『銀河鉄道の夜』は葬送の物語ですから、似つかわしい植物なのかもしれません。しかし、「wear the willow」は恋人の死を悼むという意味なので、身にまとうならやはりシダレヤナギとなりそうです。

賢治が描くヤナギの中でなんと言っても特徴的なものは『鳥をとるやなぎ』でしょうか。これは中学時代に死んだ親友、藤原健次郎がモデルと思われる藤原慶次郎に誘われて煙山の「エレッキのやなぎの木」を見に行く話です。発端になる噂の元は馬を引いた人で、「煙山の野原に鳥を吸ひ込む楊の木があるって。エレキらしいって云っ たよ。」ということです。この楊の木はもちろん川に沿って立っています。

鳥はいないようだと残念そうに二人が川の中に足を踏み入れたとたん、百疋ばかりの「もず」が一斉に飛び立ってまた別の楊に飛び込んでいきます。しかし、エレキに吸い込まれたようには思えず、さびしい気持ちを抱えたまま帰途につきます。

モズが騒ぐと言えば心象スケッチの「鳥」につながります。この作品は幾度も書き直されて「寄鳥想亡妹」や〔この森を通りぬければ〕では「つぐみ」になりますが、その先行形の草稿「鳥」では「もず」です。

この林をくぐれば
みちは来た方へもどる
鳥がぎらきら鳴いてゐる
たしか渡りのもずの群だ
夜どほし銀河の南のはじが爆発するものだから
鳥は落ちついてねむられず
あんなにひどくさわぐのだ

(中略)

みちはほのじろく向ふへながれ
木立のけはしい窪みから
赤く濁つた火星がのぼる
鳥は二羽だけいつかこつそりやつて来て
ごく透明に軋つて行った
あゝ 風が吹いてあたたかさや銀のモリキル
あらゆる四面体の感触を送り
蛍がこんなにみだれて飛べば
鳥は雨よりしげく啼き
わたくしは死んだ妹の声を
林のはてのはてからきく

作品中にある「モルキル」とは分子のことです。「寄鳥想亡妹」ではルビ付きで「分子(モリキル)」と漢字で書かれます。

モズは動物食で小さな殺し屋とも呼ばれ、蝎の身の上と共通するところもあり、しかもこのスケッチでは銀河が背景になっています。「赤く濁った火星」も「大きなまっ赤な火」と記されたアンタレスと相似です。アンタレスというギリシャ語の意味自体が「火星に対抗するもの」です。このように連想すれば、賢治が抱くイメージが場面に反映されていると言えなくもありません。

健次郎の死→楊・モズ→川=銀河 アンタレス 銀河・火星←林・モズ←妹トシの死

ただし、この心象スケッチではヒノキの林となっています。もうひとつ付け加えれば、賢治が言うモズはムクドリの可能性が高いです。『宮沢賢治 鳥の世界』によれば、モズは群れないと指摘され、東北地方の方言も調べた上でムクドリと結論されています。「群れない」ということであれば、明らかにモズではありえません。もっともムクドリはスズメと同様に、植物食だけではなく虫も食べるので蝎の苦しみが理解できないわけではありません。

しかしながら、僕の言っていることにあまり説得力はなく、連想ゲームの類いです。

ヤナギは水辺に生えるということからも境界を示す標識木となります。実際、ヤナギは地域や場所の境界を示すものとして使われましたし、ヤナギと幽霊はペアでしたし、神の木ともされました。賢治が蝎座に楊を置いたのには単に岸辺ということだけでなく、なにかしらの象徴であることは間違いなさそうです。

***

風景があるところに植物は必ず描かれます。ザネリが入っていった家にも、タダシが遊ぶ思い出の中にも植物は描かれます。ジョバンニの道行きをたどれば、場面ごとにラベルを付けるかのように植物が描かれています。しかし、それは単なるラベルではなくて、その場面を思い出せば自然と植物も浮かび上がってくるようなモニュメントです。


5.葬送と澪標(みおつくし)の幻燈

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烏瓜
青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。

カラスウリは春に発芽し、夏には花を咲かせ、秋には実を付けます。日本らしい季節感を表現している植物です。お気づきのように、晩夏でも「烏瓜を取りに行く」ことは不可能で、実が熟すのは十月以降です。物語と事実には時期のズレがあります。

星祭が秋の季節行事ならば、収穫祭になってくることにもなります。花巻の季節行事で実際に使われることもなく、季節もずれてしまうカラスウリをあえて持ち出したのには何か別のわけがありそうです。

カラスウリと言えば一般的に赤い実が思い浮かぶと思いますが、賢治が作品に記している植物を調べるのに大変お世話になったブログ「イーハトーブ・ガーデン」では、「賢治はカラスウリと書いているが、花巻周辺にはキカラスウリが多く、赤い実は見かけないと、土地の人から聞いたことがある」と記載されています。

キカラスウリは日本特産で、名の通りに熟すと黄色の実になります。汗疹(あせも)予防の天花粉はキカラスウリの根から採れるデンプンを原料としています。

カラスウリ カラスウリは別名で「きつねのまくら」とも呼ばれます。花が開くのは夜なので、別名の由来とかかわりがあるのかもしれません。日没後から花弁を広げ始めるので、『銀河鉄道の夜』では「実」ではなく、むしろ白い「花」が描かれてもいいわけです。

カラスウリの実は長さで6センチ前後しかありませんから、花巻の盆行事のように実をくり抜いて蝋燭(ろうそく)を立てるのは困難です。

しかし、賢治にとっては抽象的なものではなく、具体的なものであったことも確かそうです。賢治にとって烏瓜と「あかり」は親和性が高いようで、『風野又三郎』でも「烏瓜の燈籠」として登場しています。

「(略)そして今朝少し明るくなるとその崖がまるで火が燃えているようにまっ赤なんだろう。そうそう、まだ明るくならないうちにね、谷の上の方をまっ赤な火がちらちらちらちら通って行くんだ。楢の木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜の燈籠のように見えたぜ。」
「そうだ。おら去年烏瓜の燈火拵えた。そして縁側へ吊して置いたら風吹いて落ちた。」と耕一が言いました。
 すると又三郎は噴き出してしまいました。
「僕お前の烏瓜の燈籠を見たよ。あいつは奇麗だったねい、だから僕がいきなり衝き当って落してやったんだ。」

また、心象スケッチ『滝沢野』では「烏瓜ランタン」です。

光波測定の誤差から
から松のしんは徒長し
柏の木の烏瓜ランタン

この作品では赤い烏瓜をランタンに見立てる表現のようです。烏瓜と「あかり」の連想経路がうかがえます。しかし、『銀河鉄道の夜』に書かれたのは蝋燭や灯油の火のような温かい色ではなく、「青いあかり」でした。『春と修羅』序を読んだことがある人ならきっと思い出す連があります。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

オレンジの色の送り火ではなく、この「青いあかり」とは「葬送のあかり」のように感じられます。昔、祭の夜店ではアセチレンランプが使われていたそうですが、これはカーバイト鉱石に滴を垂らしてアセチレンガスを発生させて燃やすランプです。物語の終わりにはカムパネルラ捜索のために登場してきます。

賢治は烏瓜をどういう仕組みに組み込んだのかわかりませんが、何かしらの化学反応で「青いあかり」を生み出したのでしょう。

カラスウリの花

ただし、「青いあかり」が本当に青かったかどうかはわかりません。賢治は『祭の晩』で「アセチレンの火は青くて」と記し、『黄いろのトマト』では「青いアセチレン」と書き、『ポラーノの広場』でも「電燈のかはりのアセチレンで、あたりがすっかり青く変わりました」としています。しかし、アセチレンランプのあかりはオレンジ色に近いです。この例から賢治にとってはそんな色でも「青」になった可能性が残るからです。

岩手県では「青い」という言葉を「さだかでない光や色の形容に使うことがあるそう」(『賢治の宝石箱』)と板谷栄城氏が指摘しています。

賢治がキカラスウリではなく、カラスウリを採用したのはたぶん語感が冗長になるのを避けたためと、黄色よりも赤色を選んだからでしょう。そして、何よりもキカラスウリは儚(はかな)さに欠けます。なぜなら、キカラスウリは夜が明けてもすぐには花が萎まずにいますし、烏瓜よりも一回りも二回りも大きな実になるからです。

それにしても季節外れである烏瓜を持ち出したのはなぜでしょうか。すでに銀河の世界では秋風が吹いているわけですが、葬送のあかりを灯す実として秋に実る烏瓜こそが銀河軌道へと繋がるシンボルとしてふさわしいと考えられたからではないでしょうか。

そして、「青いあかり」は丘の上の「青い琴の星」の瞬きへとつながっていきます。


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つりがねさう・野ぎく
つりがねさうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたといふやうに咲き、

ペア表現でぼかされています。「つりがねさう」か「野ぎく」か、丘の上に何が咲いていたのか断定はされていません。「断定されていない」ことも表現のひとつです。

ツリガネニンジン ツリガネソウにはいろんな種類があります。ブログ「イーハトーブ・ガーデン」では、『銀河鉄道の夜」ではホタルブクロが似合うとされています。ホタルブクロの花期は6〜7月です。右画像のツリガネニンジンであれば花期は8月から10月頃まであり、物語とも合致する季節です。右図のように茎から枝が輪状に出て花を付けます。賢治作品では心象スケッチ「早池峰山嶺」に「釣鐘人参(ブリユーベル)」と出ており、日付は「一九二四、八、一七」となっています。このスケッチの下書稿では「blue-bell」と英語表記がなされており、ツリガネソウの総称となっています。

しかし、烏瓜との関連を考えると、ホタルブクロ(火垂る袋)の方が名称も形もふさわしいと思えます。この青い提灯ははまさに烏瓜の青いあかりと照応するものです。その証拠に青びかりを出す虫も登場させて、烏瓜のあかりに導いています。なお、ホタルブクロには「蛍袋」由来説もあります。

草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もゐて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのやうだとも思ひました。

ホタルブクロ ホタルブクロの花期は物語の時期と合致しませんが、ヤマホタルブクロという高山性の植物の場合なら9月頃まで咲いてはいます。賢治が断定せずにぼかしているのは花期に気を遣ったせいかもしれません。その一方で「青いあかり」であるツリガネソウだけでなく、仏花の代表である菊も印象に残るように併記する巧妙な描き方であるとも言えます。

暗い丘での場面ですから花の色はおぼろげであったかもしれませんが、野ぎくの色も同じ青系の色であったと考えるのが自然でしょう。賢治が抱いたイメージとしてはたぶん紫色のノコンギクだったのではないかと思います。読者としては「つりがねさう」か「野ぎく」かどちらかの風景をイメージするよりはどちらもイメージしてしまう表現になっていますね。植生の乏しい丘ではなく、豊かなイメージです。

ここでツリガネソウを持ち出したもうひとつの理由はカムパネルラのせいです。ホタルブクロ属はラテン語でカンパニュラ(Campanula)と呼ばれ、やはり釣り鐘の意です。

初期形では銀河鉄道にジョバンニを誘ったのはブルカニロ博士でしたが、最終形ではこの人物は消えてしまいました。そして冒頭にカムパネルラの人となりが描かれ、末尾には初期形では触れられていなかった彼の死が具体的に記されるようになりました。

このような推移はブルカニロ博士がお膳立てしたものの、実はジョバンニを誘ったのはカムパネルラであったことを浮かび上がらせているように思えます。

最終形において、カムパネルラは当時の社会情勢であれば当然期待される父親的なリーダーシップがとれる級長ではなく、むしろ黙って温かく見守る母親的な人物像だったことが明らかになりました。ジョバンニの境遇を思い遣って黙って一緒に起立することを選んだり、ジョバンニへ心ない言葉を投げつけるザネリに直接注意をしなかったりする姿勢にそれが表れています。

ジョバンニといっしょに立ちすくむことを親友だからと受け取る方もいるようですが、この二つのエピソードは表裏一体であって誰に対しても思いやりの心を持つカムパネルラが表現されているのだと思います。教師としての賢治はこういう人だったのではないかと勝手に想像したりします。

つまり、最終形ではジョバンニを銀河鉄道に誘ったのはカムパネルラのやさしさだと考えられます。それは父親が行方不明で、母が病床にある孤独な少年への心遣いです。そのためには季節は少々ずれても青いひかりのカンパニュラであってほしかったのでしょう。そして、このキキョウ科の花の色は銀河鉄道では秋の「りんだうの花」へとつながり、「桔梗いろの空」へと広がっていくのです。

リンドウも仏花としてよく用いられる花です。桔梗色はカムパネルラを弔う色であり、死者の鉄道の背景を彩っています。

そんなわけで、烏瓜の季節がずれていたように、「つりがねさう」の時期も少しずれており、ここは現実の自然が反映していない描写になっています。それはつまり、すでに夢幻の世界に足を踏み入れていたということができます。


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りんだう
「あゝ、りんだうの花が咲いてゐる。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云ひました。

この花は烏瓜とは逆で、日が当たっている時だけ開きます。夜だけでなく、雨でも花を閉じているぐらいです。

前項の「つりがねそう」で記したように、地上から銀河へ旅だったことで時間が回り、一気に秋になったことを象徴するものがリンドウです。上の引用文の後には次の文が続きます。

 線路のへりになったみぢかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたやうな、すばらしい紫のりんだうの花が咲いてゐました。

宝石として使われる鉱物ムーンストーンで比喩しているように、青いあかりを放っているかのように咲いているリンドウです。『十力の金剛石』でもリンドウは鉱物として登場しています。

ひかりしづかな天河石(アマゾンストン)のりんだうも、もうとても躍り出さずに居られないといふやうにサァン、ツァン、サァン、ツァン、からだをうごかして調子をとりながら云ひました。

アマゾンストン(アマゾナイト)はアマゾン河が名の由来だそうですが、アマゾン河周辺では産出しません。微斜長石の中で青緑色のものがそう呼ばれます。その色は鉛を含むためです。和名である天河石は名の通り、天の川が由来になっているのでしょう。そんな宝石でできているリンドウが硬質の音を鳴らして踊っているようです。

銀河での「青いあかり」として登場したリンドウは、二人の少年を出迎えただけでなく、時空の歪みから銀河はすでに秋になっていることを伝えています。やわらかな植物ではなく、星のような鉱物として描かれているところが、いかにも銀河の旅の始まりらしいです。

地上で「青いあかり」を放っていた植物は現実の季節とは合致せず、賢治の心象風景になっています。天の川を映す地上の川に流される「烏瓜」は「青いあかり」を放って死者を送るとともに、カンパネルラをも導くことになりました。

天気輪の丘で青いひかりに浮かび上がっていた「つりがねさう」は、時空のトンネルをくぐった後に天の川の岸辺へと連なり、「りんだう」となって「青いあかり」を放って咲くことになります。それらは死者を送る(葬送)あかりであるとともに死者を導く(澪標)あかりでもありました。


6.天上の影


物語では銀河世界に天上の影が差していると思える場面があります。ここではそんな植物を取り上げます。

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野茨・ばら
「ほんたうに苹果の匂だよ。それから野茨の匂もする。」
じつにそのすきとほった奇麗な風は、ばらの匂でいっぱいでした。

野ばらと言った方が一般的でしょうか。沖縄を除く日本、朝鮮半島、中国で自生する植物です。ジョバンニたちが西洋人であれば知らない匂いです。日本はそもそもバラが自生する地域でしたが、現在「バラ」と呼ぶ西洋バラの移入は江戸時代です。賢治が好きだった品種はハンガリーで生み出された「グルス・アン・テブリッツ Gruss an Teplitz」だったと言われています。

一番目の引用文の後には「いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思ひました」とあるように、野茨の花は5月〜6月です。野茨、あるいは茨と言えば藪(やぶ)と結びつくことが多く、賢治作品でも藪として表現されることが多いようです。『春と修羅」もその例です。

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様

この場面は修羅世界を描いているらしいので、「のばらのやぶ」が登場するのもよくわかります。

花巻から釜石の海までは道で行けば百キロ近くあるせいか、賢治の物語作品には海がほとんど描かれません。しかし、「海」がついたタイトルの物語もあります。ただし、「茨やすゝき」の野原ですけどね。『茨海(ばらうみ)小学校』です。

本文中にも「海から三十里もある山脈を隔てた野原」とあるので、やはり花巻近郊を想定しているようです。農学校の教師が火山弾の標本と浜茄を求めて「茨海」の野原へ出かけ、狐の小学校へ迷い込む話です。『イギリス海岸』に描かれたように、北上山地が昔は海だったことを踏まえた作品のようです。

私は向ふに、七尺ばかりの高さのきれいな野ばらの垣根を見ました。垣根の長さは十二間はたしかにあったでせう。そのまん中に入り口があって、中は一段高くなってゐました。私は全くそれを垣根だと思ってゐたのです。ところが先生が 「さあ、どうかお入り下さい。」と叮寧に云ふものですから、その通り一足中へはいりましたら、全く愕いてしまひました。そこは玄関だったのです。中はきれいに刈り込んだみぢかい芝生になってゐてのばらでいろいろしきりがこさえてありました。
(中略)
すぐ上り口に校長室と白い字で書いた黒札のさがったばらで仕切られた室がありそれから廊下もあります。教員室や教室やみんなばらの木できれいにしきられてゐました。

この作品では、「茨」、「野ばら」、「ばら」とかき分けられていますが、みんなノイバラのことだと思います。こういう幻想的な物語にもノイバラが使われています。その花の香しさと枝が混み合った藪の形は、妖しさを伴っているのでしょう。

野茨とばらを天上グループに入れるのは少し躊躇するのですが、基本としては苹果が登場する先触れとしてバラ系の匂いが漂うという場面になっているのでしょう。リンゴはバラ科の植物です。

       
リンゴと野茨の花

最初の引用文では青年一行が出現する先触れと考えら、すでに苹果は一行とともにあったと考えることができます。二つの目の引用文の直後には実際に苹果が登場しており、苹果に近いほどバラの匂いが濃くなっています。

しかし、野茨やバラの匂いは苹果そのものから匂っているように描かれることはなく車外の空気に反映しており、苹果が単に地上から持ち込まれたものではないことをほのめかしています。

つまり、この苹果、そしてその匂いは青年一行を迎える天上のことほぎであったと思えます。ただし、この説明は第2次稿までのことです。第3次稿ではリンゴは青年一行から燈台看守の持ち物に移動しましたから、一番目の引用文は齟齬(そご)をきたしています。賢治としてはこのまま放置するか修正するか迷っていた箇所ではないでしょうか。

バラと女性を結びつけて「かほる」の登場に関連づける読みをする方もいますが、第2次稿までは姉妹3人が登場していたことを考えると、一人の少女だけに関連づけるのはどうなんでしょうか。

物語のこの場面では実体ではなく匂いだけですから、野茨もばらも同じことでしょう。苹果の匂いと同じく、ばらの匂いも天上の匂いというのは大勢の人が共感できる表現ではないでしょうか。

「綺麗な花には棘がある」といいますが、その棘から修羅世界が描かれ、匂いから天上が描かれるというのはなかなか面白いですね。菊地信一氏に宛てた葉書に「ばらの苗が来て居ります。」という文が見えるようにバラも賢治の守備範囲です。下根子桜にバラが咲いていました。


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だってパシフヰック辺のやうに殻もないし十倍も大きくて匂もいゝのです。

2012年11月の「ジョバンニの苹果」ページの第7章「オリザと苹果」で米について考察しています。そちらもご参照ください。

物語では現実の米について記すことはなく、ここでは賢治が夢見る米について知ることができます。『花の図譜』(松田司郎・笹川弘三著)によると、書簡や手帳も含めて賢治が記した植物では圧倒的にイネ関係の語句が多いそうです。それは賢治の現実を反映したものとして納得できるものがあります。

しかし、「オリザと苹果」で記したように、苹果のように晴れやかなものではなく、重くのしかかかるものであったと思います。ですから、『銀河鉄道の夜」で記された夢の米は、現実の米はにおいがぱっとしないし、殻もめんどうだし、あまりに小粒だという賢治の不満の表れと考えることができます。

僕は農家の生まれなので稲作作業については一通り経験をしています。稲を育てるのもなかなか大変ですが、収穫したあとの作業も昔はやはり大仕事でした。米には殻があり、これを取り除くには臼摺り(うすすり)、あるいは籾摺り(もみすり)をしなくてはなりません。

現在の硬質ゴムロールが使われた機械が開発されたのは昭和初期です。賢治が生きた時代はまだ普及していませんでした。当時使われていたのは土臼(どうす)です。二人がかりで回す臼が使用されていました。もちろん使ったことはありませんが、きっと気が遠くなるような作業だと思います。

エンジンやモーターで回すゴムロールの機械でも米の水分が多いとすぐに詰まってしまいますし、乾燥しすぎると米が割れてしまうなど、なかなか面倒なものでした。そして僕が一番嫌いな作業は籾殻の後始末でした。土埃だけでなく、籾殻のホコリが汗と絡まって肌を刺すので、呼吸の息苦しさと相まって、ちくちくと痛がゆい、本当に嫌な作業でした。こちらの方言では「はしかい」と言います。上の画像を見るだけでむず痒くなります......(^_^)

ですから、賢治が「殻もないし」と書いた気持ちが肌に痛がゆいほどわかります。十倍も大きい米粒はどうなんだろう?と思いますけどね。豆粒ぐらいになるわけで、米が炊き上がるのに何倍もかかりますよ。おにぎりは諦めた方が良さそうです。

しかし、天上世界の植物について米にも言及せずにはいられなかったのはやはり賢治らしいです。米食の日本がここにも映し出されています。


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苹果
小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果を剥いたり、わらったり、
向ふの席の燈台看守がいつか黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないやうに両手で膝の上にかゝえてゐました
折角剥いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのやうな形になって床へ落ちるまでの間にはすうっと灰いろに光って蒸発してしまふのでした。

「米」の項で記した通り、苹果については「ジョバンニの苹果」ページで賢治作品に現れる苹果を観察し、主にまとめの第8章「ジョバンニの苹果」で考察しましたので、苹果の説明はそちらに譲ります。

ところで、米地文夫氏の『銀河鉄道の「燈台守」ヘラクレス仮説からみた宮沢賢治の重層的世界』という論文では、汽車内で登場する「黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」がゴールデンデリシャスであり、これはりんご博士の島善隣氏へと繋がると記されています。

また、この苹果を持ち出した燈台看守は「ヘスペリデスの黄金のりんご」のエピソードがあるヘラクレスのことであり、ヘラクレス座との関連も指摘しています。そして、燈台看守とは島善隣氏の化身だといいます。この「ヘスペリデスの黄金のりんご」との関連は増田利幸氏の先行論文もあるそうです。

これはギリシャ神話です。ヘーラーの果樹園は世界の西の果てにあるヘスペリデスの園にあって、百の頭を持つ竜ラードーンに黄金の林檎の番をさせていました。ヘラクレスは11番目の冒険としてラードーンを倒してここから黄金のりんごを盗み出します。星座である竜座の由来はこのエピソードからだという説もあります。

汽車に現れた苹果はほんとうにゴールデンデリシャスだったのでしょうか。ゴールデンデリシャスは黄色の皮です。ですから「黄金のりんご」と合致します。しかし、賢治は「黄金と紅でうつくしくいろどられた」と書いています。

これに対して米地氏は、ゴールデンデリシャスは袋をかけないと日に当たった面に赤みがさすそうで、日本でも普及当初は黄色に紅色のさした無袋のものが売られていたと説明します。もしそうであるならば、今度は「黄金のりんご」と合致しなくなります。「ゴールデン」と「黄金」という名称の合致だけでは弱すぎます。これは自己撞着ではないでしょうか。

「黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」とは当時でも柳玉や祝などいろいろあります。紅玉は真っ赤なリンゴになりますが、紅魁でも赤だけでなく黄色も混じります。そもそもリンゴとはそういうものです。

米地氏も記しているように、ゴールデンデリシャスは当時まだ新しい品種で1923(大正12)年にニューヨークから導入され、1928(昭和3)年頃から市場に出たので執筆時期と合致しないと思われます。大正13年がこの物語の着手時期だと推定されるからです。

「黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」は初期形の第2次稿から登場しているので、もしそれがゴールデンデリシャスならば市場に出回る前から書かれていることになります。りんごに関心があり、栽培もしていた賢治のことですから、導入されてから間もなく品種としての知識そのものはあったと思います。

しかい、世界各地にある「黄金のりんご」伝説を持ち込んでいないからこそ賢治は「黄金と紅でうつくしくいろどられた」と書いています。リンゴの美しさをふた色の配色で讃えているわけですから「黄金のりんご」ではないでしょう。

また、苹果はそもそも燈台看守が持っていたのではなく船で遭難した青年一行の大きな姉が持っていたもので、やはり「「黄金と紅でうつくしくいろどられた」苹果でした。第3次稿で大きな姉が消えて、苹果は燈台看守の持参となりました。つまり、この苹果の場面の発案時には苹果と燈台看守は結びついていませんでした。この問題を乗り越えることが難しいのではないでしょうか。

論文の終わりには、賢治の幻想的な場面に深い意味を読み取ろうとする試みには確かに意義があるが、賢治が生まれ育った風土や時代の中から拾い出すこともまた重要だと述べられています。僕も賛成です。しかし、この説には物語の中に事実を追い求めすぎている嫌いがあります。

なぜ燈台看守が苹果を配る役になったかについては別の視点から説明することが可能です。ページの趣旨から外れるのでこれはまた別の機会にします。
(追記:これについては「銀河鉄道の席パズル」を参照してください。)

苹果の持ち主の移動とその影響については「ジョバンニの苹果」に記しましたので、ご参照ください。賢治が「黄金のりんご」について記しているのは『真空溶媒』です。

はるかに湛える花紺青の地面から
その金いろの苹果の樹が
もくりもくりと延びだしてゐる
 (金皮のまゝたべたのです)
 (そいつはおきのどくでした
  はやく王水をのませたらよかったでせう)

これもヘラクレスの黄金のりんごとは関係がないと思います。

賢治の父政次郎は先駆的な苹果栽培者だった松岡機蔵と親交があったことを原子朗氏が指摘しています。

天上の植物として登場したものはバラ科のものでした。通俗な表現を嫌った賢治ですが、時代はまだバラが天上と結びつくほどではなかったのかもしれません。「ジョバンニの苹果」で記したように、苹果は単なる食べ物ではなくて、人々を喜ばせたり、慰めたりするものとして描かれています。

そして、現実世界で賢治が農業技師として格闘したイネは、やはり人々の幸せと深く結びつくものとして夢の米となって描かれたのでした。


7.キリストの景色

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いちい・ひのき
銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの枝にあかりをつけたりいろいろ仕度をしてゐるのでした。

いちいは『イギリス海岸』の中で、その地層を作った長い歴史の中の一コマに登場しています。描写が面白いので長文で引用します。

その頃世界には人はまだ居なかったのです。殊に日本はごくごくこの間、三四千年前までは、全く人が居なかったと云いますから、もちろん誰もそれを見てはいなかったでしょう。その誰も見ていない昔の空がやっぱり繰り返し繰り返し曇ったり 又晴れたり、海の一とこがだんだん浅くなってとうとう水の上に顔を出し、そこに草や木が茂り、ことにも胡桃の木が葉を ひらひらさせ、ひのきやいちいがまっ黒にしげり、しげったかと思うと忽ち西の方の火山が赤黒い舌を吐き、軽石の火山礫は空もまっくろになるほど降って来て、木は圧し潰され、埋められ、まもなく又水が被さって粘土がその上につもり、全くまっくらな処に埋められたのでしょう。

          

別名はアララギです。種子や葉はタキシンを含み有毒なので、魔除けとしての役割を果たせそうです。種を包む肉(仮種皮)は赤く、飾りとして映えますが、物語の時期としてはまだ少し早そうです。ヨーロッパのイチイは聖木とされ、教会に多く植えられています。日本東部では庭木として利用があります。

「いちいの葉の玉」とは何でしょうか。新酒ができたことを知らせる杉玉のようなものでしょうか。それともクリスマスリースのような環になっているものでしょうか。ここでは「玉」となっているのでやはり球状と考えた方が良さそうですが、イチイはモミと同じように針葉樹ですから、クリスマスではなく銀河の祭ですけれど、クリスマス飾りのひとつのようなものとして考えられます。

クリスマス・リースはドアに飾られることからわかるように魔除けの意味があります。道行きグループでも取り上げたヒノキについてはやはり針葉樹であり、香りも強いことから、「ひのきの枝」も同じような扱いがされているものと思われます。時期的には枝に1センチほどの球果(実)がつき、見栄えもします。

ペアものが好きな賢治なので、ここでもひとつの飾りでは済まず、ふたつ並べたとも言えそうです。その分、賑やかさが出ています。


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もみ・楢・唐檜
街燈はみなまっ青なもみや楢の枝で包まれ、
あゝそこにはクリスマストリイのやうにまっ青な唐檜かもみの木がたってその中にはたくさんのたくさんの豆電燈がまるで千の蛍でも集ったやうについてゐました。

どちらもペアで登場しています。1つ目の引用文は地上であり、二つ目の引用文は銀河世界なので、二つの世界が照応している場面になっています。

楢については道行きグループですでに取り上げました。楢は針葉樹ではなく広葉樹ですが、その葉の形はヒイラギほどではないにしても、ギザギザ形態で飾りになりそうです。晩夏になればドングリがつき始める頃でしょうから、飾りにも見栄えがすることでしょう。

モミについては言及するまでもなく、作中に記されたように「クリスマストリイ」のように扱われています。トウヒはモミとよく似ていて、ドイツトウヒもクリスマスツリーとして利用されます。常緑針葉樹を主体とする景観の盛岡高等農林学校内にもドイツトウヒがありました。ここではふたつ並べてぼかしています。『チュウリップの幻術』からトウヒの姿を引用します。

「まあ、そうですね、それでいいでしょう。ところが、おやおや、あんなでもやっぱりいいんですか。向うの唐檜が何だかゆれて踊り出すらしいのですよ。」
「唐檜ですか。あいつはみんなで、一小隊はありましょう。みんな若いし擲弾兵です。」

トウヒの並木を描いているようです。修学旅行の復命書にも「植物園博物館、門前より既に旧北海道の黒く逞しき楡の木立を見、園内に入れば美しく刈られたる苹果青の芝生に黒緑正円錐の独乙唐檜並列せり。」と札幌での様子を記していて、やはり関心が深そうです。

ドイツトウヒは日本では降雪地帯の防雪林や防風林としてよく植林されました。

クリスマスを飾るいろんな樹木が登場していますが、赤い実と枝葉がクリスマスの飾りにつかわれるセイヨウヒイラギが登場していません。東北にはヒイラギが分布しないためなのかもしれません。あるいは、ヒイラギまで登場させると、あまりにクリスマスに近づきすぎてしまうからかもしれません。ヒイラギは日本でも魔除けとして使われました。

それにしても冬の行事であるクリスマスを晩夏の祭に取り込むなんて西洋人にはできないマネです。

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橄欖
青い橄欖の森が見えない天の川の向ふにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまひそこから

一覧の説明で記したように、橄欖とはオリーブです。賢治自身が他の作品でフリガナを付けている例もあります。『下背に日の出をもつ山に関する童話風の構想』からの部分引用です。

つめたいゼラチンの霧もあるし
桃いろに燃える電気菓子もある
またはひまつの緑茶をつけたカステーラや
なめらかでやにっこい緑や橄欖(オリーブ)の蛇紋岩

賢治の使用例は「オリーブいろ」という色彩名称として使っていることがほとんどです。次の『どんぐりと山猫』からの引用では、木を木で説明するみたいなおかしなことになっていますが、賢治にとってオリーブは色の名として定着していたと思われます。

そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろのかやの木のもりでかこまれてありました。

オリーブは地中海地方の常緑樹です。オリーブの果実は様々なものに加工されて食用とされています。左図は熟したオリーブで、未熟なものは緑色です。

「青い橄欖の森」の様子は先の引用文だけでは場面がわかりにくいので、直前の部分を下に引用します。

向ふの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌のふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱してゐるらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きさうにしましたが思ひかへしてまた座りました。かほる子はハンケチを顔にあててしまひました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰ともなくその歌は歌ひ出されだんだんはっきり強くなりました。思はずジョバンニもカムパネルラも一諸にうたひ出したのです。

引用場面はキリスト教の信者が集っている場所のようです。

旧約聖書のノアの方舟の物語では洪水後に鳩がオリーブの小枝を持ち帰ったり、天使ミカエルやガブリエルがオリーブの小枝を持っていたり、教会儀式での香油やオリーブ山のゲッセマネの園など、オリーブはキリスト教にはなじみの深い植物です。 そこで賢治は信者が集う森にオリーブを植えたのだと考えられます。右上の図はアンドレア・マンテーニャの『ゲツセマネの祈り』です。

ちなみに、上の引用文では「かほる子」となっていますが、「かほる」と「かほる子」という別名があるのは当時の習慣によるものです。「とし」と「とし子」という両方の呼称を頻繁に見かけますがこれも同様で、あえて言えば前者が戸籍名、後者が私名ということになります。昔は戸籍名とは別名を使うことはよくあることです。

もともとは貴族の女性につけられた「子」(シ)が由来のようですが、それが廃れた時代が長くあって、江戸時代には仮名二文字が一般的になりました。ところが明治に入ると華族や貴族の女性に漢字名や「子」が復活し始めて、庶民も仮名二文字が古くさく感じられ、私用では「子」(コ)をつけるのが流行ったようです。

庶民は戸籍名にまで高貴な「子」を使うのには遠慮があったのでしょう。賢治の母の「イチ」さんも「イチ子」を使っています。

戦後は反転して「子」がしだいに古くさく感じられるようになり、現在はほぼ淘汰されているのと同じようなものですね。逆に最近は「子」が新鮮に聞こえる気もします。女性にとって名前は髪のように愛すべきものということでしょう。

舞台の基本としては南欧を想定していたようですが、ジョバンニもカムパネルラも、そしてジョバンニの町もキリスト教に染まっているようには描かれていません。銀河世界には十字架が出現するものの、地上世界に十字架はありません。

地上ではヨーロッパらしさを表現するためにキリスト教文化を模倣して植物選びをしたように思われますが、銀河世界ではもうすこし自由にキリスト教世界を描き出しています。そのためにかえってジョバンニやカムパネルラがキリスト教に親しんではいても、信者ではないことが伝わってきます。

賢治がふと漏らした言葉をもとに、『銀河鉄道の夜』は南欧が舞台になっているという解説はよく耳にするところです。しかし、決してそのようなことはありません。ならば国籍不明の物語かと聞かれれば、地上のどこの国でもない物語です。


8.植物のモニュメント

『銀河鉄道の夜』に登場する植物は現実の世界に合致したものではありませんでした。生育地域も異なるし、花の時季も合いません。この物語の植物群は賢治の心象世界で枝葉を伸ばし、花咲かせています。

道行きの章で、登場植物はその場面のモニュメントとして存在していると記しましたが、この視点は『銀河鉄道の夜』に登場する植物全般にも当てはまります。

賢治は他作品でもたくさん植物を描いていますが、『銀河鉄道の夜』では植物は何かのキャラクターではないし、場面における単なる背景でもありません。その植物を思えば、その場面が想起されるぐらいに深く刻印されています。

『銀河鉄道の夜』はジョバンニの移動をずっと追っていく物語で、映画で言えばロードムービー、歌舞伎で言えば道行物と言えます。ロードムービーによく登場する道標のごとく、植物は場面ごとにモニュメントとして打ち立てられているかのようです。また歌舞伎の道行物には心中を扱ったものがありますが、ジョバンニは辛うじて心中を免れました。

どのような植物も花を咲かせ、実を結びます。「咲」という漢字の語源が「口を開けて笑う」であるように、花は人を和ませます。そしてその結果として、人に実を与えてくれます。その存在は銀河世界にとどまらず、地上にあっても天上の影が差しているかのようです。『銀河鉄道の夜』に多くの植物が描かれた理由のひとつがそこにあるように思われます。

農業技師であった賢治はたくさんの顔を持ち、そのひとつは物語技師として生きました。そして、『銀河鉄道の夜』という花を咲かせようと晩年までの十年にわたり育生しましたが、未完ととなって花咲くことはありませんでした。

しかし、未完作は消えませんでした。賢治がこの世を去ってから今年で80年経過したにもかかわらず、『銀河鉄道の夜』に関連するものはあふれています。

賢治ひとりでは花を咲かせることはできませんでしたが、ふたりの少年が銀河を汽車で旅する物語は多くの読者に受け入れられて花となり、今はあまたの種として実を結んでいます。我がサイトもその種のひとつだと言えます。ちょうどそれは冒頭に載せたタンポポの綿毛のようです。

タンポポの花は咲き終わった後、いったん萎んでからまた綿毛として膨らんできます。小さな銀河を思わせる綿毛は風に吹かれて散っていき、また次の生命へとつながっていきます。

『銀河鉄道の夜』はメーテルリンクの『青い鳥』のように幸せを見つける物語ではありません。生きることが他の生きるものとどうつながっているのかを考える契機を与える物語、つまりは綿毛の旅の道行きを眺めるようなものです。

その道行き照らすものとして銀河は三角標でマッピングされました。その最初の三角標となった丘の天気輪はまさに丘のモニュメントとして屹立していました。そして、三角標と交歓するかのようにマッピングされたものがもうひとつありました。

それこそが地上にも銀河にも点描のように淡く描かれた植物群です。『銀河鉄道の夜』は時空間のしるべとしての三角標と、人々が織りなすエピソードのモニュメントとしての植物群によって網のように構築された物語です。


(参考文献)
板谷栄城著『賢治の宝石箱』
松田司郎・笹川弘三著『花の図譜』
金子民雄著「花と美の巡礼者」(『宮沢賢治』第6号所収)
国松俊秀著・藪内正幸画『宮沢賢治 鳥の世界』
米地文夫著『銀河鉄道の「燈台守」ヘラクレス仮説からみた宮沢賢治の重層的世界』 (岩手県立大学『総合政策』第11巻第2号所収)

(参考サイト)
「イーハトーブ・ガーデン」


2013.04

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