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殺しのライセンス

暴力のこちら側


ロシア巨大隕石
ロシア巨大隕石


先月に小惑星とか隕石衝突に触れたら、ほんとうに巨大隕石が降ってきてびっくりしました。しかも小惑星のニアミスと隕石爆発というふたつが偶然にも重なってくるとは。まだ状況がよくわからないので、もう少ししたら「星の旅」のコンテンツで天体衝突のトピックを書こうかと思っています。

星が降るのはロマンティックでいいですが、人間による暴力の喩えに天体衝突を使っていた先月のように、今回の落下は被害も出て少々暴力的でした。同じく先月話題にした学校の体罰問題がやはり時期を同じくして昨年から柔道界で問題になっていたことも明らかになりました。オリンピックでの優勝が当たり前という重圧がその遠因だという解説もありましたが、それは本当でしょうか。

地上では相変わらず暴力が日常茶飯です。オリンピックつながりで言えば、陸上ランナーのオスカー・ピストリウス選手が恋人を射殺というニュースも出てきました。そして日本では暴力をふるった側の死刑囚3人に刑が執行されました。


柔道女子の訴え

昨年2012年9月に監督から暴力を振るわれた選手が全日本柔道連盟に訴えたのが発端です。しかし、監督は謝罪する一方でパワハラで選手に圧力をかけ、全柔連も監督続行を決定してしまいます。このため同じ不満を抱いていた選手たち15名が12月になって日本オリンピック委員会に訴え出たという経緯をたどりました。ニュースが出たのは体罰による生徒自殺問題が騒がれていた今年の1月末です。

柔道男子だとこういう問題は発覚しなかったでしょう。男子は「男だろ」でずっと我慢をするしかないですから。「いじめと五輪」のページで書いたように、女子が差別されているからこそ逆に明るみになったと言えます。そもそも柔道に限らず女子スポーツの監督が圧倒的に男であることからもスポーツ界の封建制がうかがえます。困ったことに、これもスポーツ界に限らないのですけれど。

先月は格闘技と暴力の垣根が低いことを書きましたが、その時に一番念頭にあったのは柔道です。だから、その後すぐにこの問題が出てきても驚きはしませんでしたが、トップ女子の世界でもこうなのかという驚きはありました。

柔道場へ入ると「精力善用」とか「自他共栄」とか墨書された額を見かけます。これは講道館柔道の創始者である嘉納治五郎が柔術から柔道を志したその基本理念です。こういうものは当初は大事にされても、柔道の地位が上がり権力をまとうようになってくると傲慢に陥っていくことは人の常です。「精力善用」と「自他共栄」を掲げながら、まるで逆さまの精神性しかない指導者を僕も何人も見てきました。内柴正人のような人が出てきたのにも驚かないというか、当然の帰結です。

およそ精神性を求めるようなスポーツほどその精神は腐っていくものです。なぜなら肉体と精神はそもそも乖離するものだからです。だから修行者は肉体と精神をともに追い込む修行によってそれを統合しようとします。生半可に口で標語を唱えるだけで保てるような精神などこの世にはありはしません。

何年も前から葬式仏教を批判していますが、宗教組織が堕落しやすいのと同じ事です。仏教哲学を究めず、葬礼ばかりにうるさい仏教界が堕落しないわけがありません。今日も高野山真言宗がお布施をハイリスクの金融取引に投じて損失を出しているという報道が出ていました。空海仕込みの祈祷も役に立たなかったのでしょうか。やはり、動機が不純ですから。

今までに問題になったスポーツを思い出せば、相撲と野球が代表格でしょうか。相撲は説明するまでもありませんが、野球も「野球道」という言葉があるように、グランドに礼をさせる人もいますよね。心は伝わらず、形ばかりが伝わるのです。楽しいだけでいいじゃんという同好会ではこういう問題が生じることはありません。

柔道とは単なるスポーツではない。「道」がついていて、他のスポーツよりも格上である。日本生まれで、オリンピックでいつも優勝を狙える位置にいる。そして、何よりも格闘技です。闘争心をむき出しにして強いか弱いかを決める世界です。また、伝統があるので人脈と組織力があります。これで傲慢になるな、というのもなかなか難しい注文かもしれません。

しかし、傲慢を生むような世界に、日本語の美しい「道」を使ってほしくはないのです。

(2013.03追記:3月に入り、朝日新聞に日本体育大学学長のインタビュー記事が載りました。毎年三百人もの体育教員を送り出している日本体育大学は2月に「反体罰・反暴力宣言」を出したそうです。また、1990年から2009年の間に体罰のアンケートを4回実施し、体罰経験者は90年では38.6%、09年では14.6%となり、減少中だそうです。しかし、90年時点で4割近い体罰が報告されたにもかかわらず、今さらの宣言で非常に罪深いと思います。日本中に体罰スピリットをばらまいてきたと言っていい。20年前に取り組んでいたら、どれだけの子どもたちが救われていたことか。そしてやはり、武道科[柔道、剣道、相撲、空手、少林寺拳法、合気道、弓道、なぎなた]での体罰比率が突出して高いそうです。)


制裁の源流

生徒の自殺事件が起きてから体罰か暴力かという認識の違いが混乱を引き起こしています。今までの一連の事件を眺めているともちろん暴言も含まれるわけですが、苦痛の核心部分においては肉体的な「制裁」という言葉がいちばん近いように思いますので、ここからは略して「制裁」という言葉を使います。要するに、下位者の言動が上位者の意に沿わなかったために制裁が行われているのです。

『逝きし世の面影』 渡辺京二著 江戸時代の外国人の記録を読めば、日本には温和な人々が住んでいたことを知ることが出来ます。この人々がなぜ制裁というものに取り憑かれるようになったのか不思議に思うのは自然です。その源流を求めれば、富国強兵という近代国家の誕生が深く係わっただろうことは素人でも気がつきます。

第二次世界大戦の敗北への道筋も、運に恵まれた日露戦争の辛勝を勘違いしたことに始まると思えます。司馬遼太郎の『坂の上の雲』は少々勘違いしてしまいそうな小説ですが、坂の下に転がっていたものも忘れてはいけないですね。

ともあれ、制裁を好む精神の源流についてあまり深く考えたことがありませんでした。ところが、先日の朝日新聞に政治学者の片山杜秀氏が「体罰 近代日本の遺物」という、随想風のやわらかい論考が掲載されました。こういうタイムリーな記事は大歓迎ですが、もっと実証的な論考を読みたかったです。サブタイトルは-「持たざる国」補う軍隊の精神論-となっていますから、もう結論はおわかりでしょう。

鈴木貫太郎の自伝では日清戦争前の兵学校に暴力はなかったそうです。転機となったのは日露戦争(1904-1905)。やっぱりそうか。軍備も兵隊の練度でもロシアに張り合えるだけのものがなかった日本は動物を鞭で叩くのと同じ方法論に行き着いたわけです。兵隊の精神を鍛える以外に手段がないと考えたのでしょう。

その精神とはどんなことを言うのだろうと疑問のままですが、これでロシアに勝ってしまったから始末が悪いです。ここでもやはり日本人は勘違いをしてしまったんですね。でも、勘違いじゃないだろう、やっぱり精神力で勝ったんじゃないかと考える人もいることでしょう。

しかし、戦力でも国力でも圧倒的に不利なのに、数値化することもできない精神力で勝てるという思考そのものはやはり勘違いというしかないでしょう。その証拠に、日本は太平洋戦争の初期にしか勝利を収めることができませんでした。竹槍1本見るだけでその勘違いぶりがわかるというものです。

おまけに日清戦争と日露戦争を通じて、戦争で金儲けができることを学んでしまった人々も出てきました。ナショナリストの人々は日本人が変わってしまったのを「終戦」後と焦点を定めますが、日本人が自分と国家を一体化した時期こそが日本の歴史の中では特異な時代であったはずで、その影響を認めず、江戸時代から敗戦するまで社会は同じだったみたいな議論は通用するのでしょうか。

敗戦によって日本人は江戸時代みたいに国家という束縛から解放されたと考えるのは間違いでしょうか。しかし、江戸時代に戻れなかったのは戦争で残虐を経験したことと、アメリカに手を繋いでもらって歩くしかなかったからです。そして、半世紀にわたるマインドコントロールの呪縛からなかなか解放されないからでもあります。百年経ってもまだ縛られたままの人たちがいるぐらいですから。

『日本人はどれだけ鍛へられるか』(葉山英二著・1943年) 話を戻せば、この事ある毎に制裁を加える鍛錬法は軍隊内だけではおさまりません。なぜなら、1925(大正14)年からは学校で軍事教練が必修になり、学校教育に取り込まれていくことになるからです。これは学校教練と呼ばれました。

片山氏によると、太平洋戦争末期の児童書に『日本人はどれだけ鍛へられるか』(葉山英二著・1943年)というのがあるそうで、日本人はしごかれると英米人よりもはるかに高い能力に達するという、根拠もわからないことが書いてあるそうです。結局、当時の精神論はいまだに一部の人々に信奉されているわけですね。

(2013.03追記:前章の追記の続きになるのですが、日本体育大学学長によれば、学校の体罰是認の始まりを内閣制度が発足した時代に想定しています。1886[明治19]年に森有礼初代文相の学校令により、高等小学校の体育に「隊列運動」が導入され、指導は軍人が担ったそうです。また、中等学校の寄宿舎にも軍の規律が導入されました。日清戦争は1894[明治27]年〜1895[明治28]年ですから、すでに日露戦争前に「しごき」が導入される下地が整っていたと考えることもできます。かつて運動会での行進にナチスのスタイルが導入されたことがあったように、いまだ軍隊の亡霊に苦しめられていることがわかります。)

(2013.03追記:3月に戦争中の捕虜の扱いについての外交文書の公開がありました。日本軍の捕虜虐待については12年9月の「子ども議院の創設」で触れましたが、今回公開された文書によると、連合国軍は捕虜の処遇について調査するよう日本に命じていました。その報告書の中に「私的制裁は我が国軍の伝統的悪習なるのみならず実に国民的欠陥なり」という一文があります。制裁は軍隊だけに留まらず、国民にまで根付いていたことがわかります。そして、この反省は活かされなかったということになります。)

社会と暴力

昨年末、インドのニューデリーで女子医学生がバス内で集団レイプされ、それがきっかけで女性たちの大規模デモが起こりました。集団レイプ事件は日本でもあることです。しかし、この事件はバスの運転手も含めて6人の計画的な犯罪で、女性は婚約者と共に乗車して二人共に暴行を受けました。

その後、女性は亡くなりました。被害者は医学生ということでカーストの順位も低くはないはずですから、低位カーストなら明るみにならなかった可能性が高いです。

そして、先日舞い込んだニュースはインドのマハラシュトラ州から。6歳、9歳、11歳という三姉妹が性的暴行を受けた後に殺されて、遺体は井戸に捨てられました。遺族でもなくても気がふれそうになる悲しみです。過去においてもインドではこういう残虐な事件は日常と言えるぐらいたくさんあります。女性の意識が高まりにつれ、ようやく出てきたニュースと言えるかもしれません。

三姉妹が行方不明になったのは14日昼過ぎ。遺体が見つかったのは16日夕方。遺体が見つかるまで警察は動きませんでした。27日現在犯人はまだ見つかりません。

インドには「消える女児」問題があって、6歳までの男児1000人に対して女児は914人。事件があったマハラシュトラ州では女児883人です。830人しかいない州もあるそうです。ちなみに、日本は約950人。

『女盗賊プーラン』(プーラン・デヴィ著)女盗賊プーラン(1994年)
実録 『女盗賊プーラン』
(プーラン・デヴィ著)
映画 『女盗賊プーラン』
(1994年)
  
『女盗賊プーラン』を読めば、プーラン・デヴィ(1963年〜2001年)が受けたすさまじい差別と暴力とレイプの事例を豊富に知ることができます。日本ならレイプは性的な欲望から起こるものと考えますが、インドでは制裁の手段としても使われます。

彼女は11歳で結婚させられて以来、残酷な少女時代を生き延び、誘拐されて盗賊(ダコイット)となります。しかし、カーストはヒンドゥー教由来の身分制度ですから盗賊内にも差別はあり、さらにまた集団レイプを受けます。その後は盗賊内で頭角を現し、義賊的な盗賊として活躍する一方で復讐も敢行、ベヘマイー村虐殺事件を起こします。

最後は司法取引で投降して獄に下り、出獄後に国会議員になりました。しかし、2001年には暗殺されました。結局、また復讐されたと言えるでしょう。

『女盗賊プーラン』は文盲だったプーラン・デヴィが獄中で口述したものなので当然自己弁護が入り、どこまでが真実なのかはわかりません。ベヘマイー村ではプーランのレイプに関係のなかった人まで被害にあったようです。しかし、インドでは今でも下位カーストの人々は殺人も含まれるひどい扱いを受け、そして女性も同じく苦しんでいます。

ヒンズー教から生まれた婚儀習慣にダヘーズというのがあります。これは結納とは異なって、女性が男性にお金や物を支払うものです。これが少なかったために焼き殺され、しかも起訴されないという事件も珍しくありません。

2009年1月の通信「マリア様」では「名誉の殺人」に触れました。婚家から逃げ帰って家族や村人に殺される事件もままあるわけですが、これが「事件」にはならないわけですね。殺人が許される社会だからこそ残虐な事件が頻発すると言えます。

インド人はかように残虐な国民なのかと問われれば、そうではなく、社会に残虐が残るために横暴がまかり通ります。先の残虐なニュースは突発的な、あるいは特異なケースではなく、それらが起こる宗教や社会背景があきらかにインドにあるからです。それはカースト制度であり、女性差別であり、この差別構造がインド人を苦しめています。

インドの人口は世界第2位で、12億人を超えています。


死刑と残虐

これも先日のことですが、3人の死刑囚の刑が執行されました。インドではなく日本のことです。去年は7人の死刑が執行されました。執行する度にNGOアムネスティ・インターナショナルから抗議されています。死刑制度について谷垣法務大臣は「見直す必要はないと思っている」と語りました。

近年では死刑を執行している国は世界で約20ヶ国です。谷垣氏のように国際世論なんか気に掛けないという姿勢は北朝鮮と変わりありません。

2011年にパチンコ店放火殺人事件の裁判員裁判がありました。この裁判では死刑制度ではなく、絞首刑について合憲かどうかという争点もあり、判決は合憲としました。死刑については残虐ではないという1948年の最高裁判所判例があります。憲法36条では残虐な刑罰を禁じています。

公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

刑法で取り締まることができるものですが、公務員には法の網がかからず敗戦までは野放図だったことから憲法に記されたのでしょう。それが「公務員」という限定に表現されているのだと思います。しかし、裁判官と裁判員ともに、絞首刑も死刑も残虐ではないという判断でした。

絞首刑が残虐でないならば絞殺することも残虐ではありませんから、ロープで首をしめて殺人を犯した人は軽犯罪でしょうか。人を殺す死刑が残虐でないなら、がきデカみたいに「死刑!」と言って殺人を犯すことも残虐ではないことになります。

こんな僕の意見に賛同する人はだれもいないでしょう。いたら、その人はアホウです。とにかく、処刑の手段も死刑の是非も自家撞着に陥っているのは明らかです。それは判決文にも表れています。

「絞首刑は,多くの場合,意識喪失までに最低でも5ないし8秒,首の締まり方によっては,それが2分あるいはそれ以上かかるものとなり,その間,受刑者が苦痛を感じ続ける可能性がある。しかも,場合によっては,頭部離断,特に頸部内部組織の離断を伴うことがある。絞首刑には,受刑者が死亡するまでの経過を完全には予測できないといった問題点がある。」

「受刑者に精神的・肉体的苦痛を与え,ある程度のむごたらしさを伴うことは避けがたい。」

と言う一方、

「死刑の執行方法が残虐と評価されるのは,それが非人間的・非人道的で,通常の人間的感情を有する者に衝撃を与える場合に限られるものというべきである。」

とも言うのです。

死刑は凶悪犯罪への抑止効果があると言いながら、なぜ刑場の現場が公開されないかと言えば、「通常の人間的感情を有する者に衝撃を与える」からです。なぜ刑務官が3人も揃ってボタンを押すかといえば、「通常の人間的感情を有する者」だからです。自分が押したのはダミーボタンだと思い込める余地を残しています。公開をやれば国民は一夜にして死刑反対を言い出します。それが怖いからやらないのです。

そういえば、トルストイもヨーロッパ旅行中に殺人犯の処刑をパリの広場で見て衝撃を受けました。後に死刑廃止を訴える文章も書いています。こちらはもちろんギロチンですけれど。1857年、29歳の時のことです。

刑務官の方が家族揃っての夕食で「お父さんなあ、今日死刑執行のボタンを押してきたよ」と話題にすることは決してないでしょう。判決文には本音もきちんと書かれています。

「死刑は,そもそも受刑者の意に反して,その生命を奪うことによって罪を償わせる制度である。」

これは復讐のための制度だという意味に僕は理解しました。殺し方に残虐の軽重はやはりあるでしょう。しかし、ピストルで額を撃ち抜くという「綺麗な殺し」でも殺人が許されないように、その罪は「被害者のの意に反して,その生命を奪うこと」こそにあります。同じことをされてバランスを取りなさいということですね。

しかし、これが交通事故による殺人であれば、なんとお金で解決されてしまうのです。ここにも死刑制度の大きな矛盾があります。

ほとんどの遺族が死刑を求めるのは復讐したいからです。遺族でなくとも犯人が安楽であることなど許せません。それは残虐でなくては意味をなしません。みんなが復讐心を隠したいがために残虐ではないと屁理屈をこねています。

死んでしまったら弁償ができないどころか何の償いもできなくなります。しかも、本来償うべき相手の被害者はすでに死んでいてこの世にいません。もう償いようがありません。だから、死刑制度の理由は関係者の復讐心に応えるために残虐な目に合わせます、ということぐらいしか僕は思い浮かべることができません。これは僕がアホウだからでしょうか。

暴力のこちら側

『モンテ・クリスト伯』、僕が子どもの頃は『巌窟王(がんくつおう)』と呼ばれたアレクサンドル・デュマの大小説は復讐がモチーフになっています。僕はこの作品に限らず復讐物が大好きで、自分の中の修羅がワクワクするのを感じます。

だれもが人生で誰かからひどい目にあわされたことは一度や二度ではないでしょう。しかし、ほとんど全部と言っていいほどに原状回復されることはありません。だから復讐心は多くの共感を呼びます。しかし、実際に復讐に及ぶと犯罪として非難されます。

復讐殺人を犯して死刑になれば、復讐した人は罪に問われ、死刑という復讐を与えた者は罪に問われません。そこにどんな違いがあるのか十秒以内に説明できますか......(^_^)

 先日、アメリカ映画『ゼロ・ダーク・サーティ』(2012年)がアメリカで政治問題にまで発展しているとのニュースがありました。徹底した取材に基づいてビンラディン暗殺計画を描いた映画ですが、捕虜の拷問が問題化しています。CIAが拷問の有効性を認めているように受け取れたからです。

銃弾が飛び交う西部劇のような社会という一面を見せるアメリカですが、残虐について敏感に反応できる側面も持っています。

『スーラジ ザ・ライジングスター』 昨年末からインドでは『巨人の星』が原作のアニメ『スーラジ ザ・ライジングスター』が放映されています。しかし、原作のままではありません。厳しい倫理規定があり、食べ物を粗末にするようなちゃぶ台返しはカット。飲酒や体罰場面もカットだそうです。養成ギブスも拘束具に見えるということで、自転車のタイヤチューブに変更されたそうです。

現実社会の残虐さに疎く、放送倫理に厳しいというのは茶番とも言えますが、それでも社会から悪事をなくそうという意志は感じられます。しかし、日本と同じくインドは今も死刑制度を維持しています。

今回死刑が執行されたうちの一人、小林死刑囚の犯罪は奈良市女児誘拐殺人事件です。執行当日の21日に被害者の親御さんは報道機関に談話を出しました。部分引用では失礼になるので全文を引用します。

小林死刑囚の死刑が執行されました。これで楓が戻ってくるわけではありませんが、少しは無念を晴らしてあげられたかもしれません。小林死刑囚が自ら犯した罪を真摯に受け止め、刑に向き合ってくれたと信じたいです。小林死刑囚の命も一つの命であり、今後私達は楓の命、加害者の命の重さを背負っていかなければなりません。二度と尊い命が失われることがない社会になることを心から願います。

この談話には矛盾があるかもしれません。しかし、ご家族が苦しみ抜いた果てにようやくたどり着いた厳かさと祈りがあり、僕は尊敬の念を持ちました。

最近は残虐な事件が増えたという声は相変わらず耳にしますが、インドと同じことで、昔は報道されなかったからそう思うだけです。犯罪自体も残虐な犯罪も減少してきたことは犯罪統計が明らかにしています。それはやはり暴力や暴力的な考え方をすこしずつ世の中から排除してきたからに他なりません。

暴力の究極は戦争です。そして、戦争こそは殺しのライセンスです。日本は戦後こんなライセンスは要らないと返上しました。僕たちは復讐心を乗り越えて、死刑という殺しのライセンスも返上するができるはずです。

『モンテ・クリスト伯』は1844年から新聞に連載されましたが、この小説が復讐だけに終わる物語であったなら、19世紀中に消えて、日本での翻訳もなかったことでしょう。この小説はきっと今世紀も読み継がれることと思います。

それは復讐の被害が復讐相手だけにとどまらず、まわりの多くの人々を不幸に巻き込んでしまったり、自分自身の尊厳も失ってしまったりという後悔があるからこそです。それがなければ、ただのおぞましい小説として時代とともに捨てられたことでしょう。

復讐は人を貶(おとし)め、社会を荒野にしてしまうという暗黙の了解がすでに民衆の中にあります。

昔は子どもや女への平手打ちなどは日常でした。多くの人がそれを支持したり、黙認したのです。その頃には「人権」なんて言葉は通用しませんでした。しかし、少数者の声はしだいに大きくなり、今の時代へと繋がっています。

まだ体罰などの暴力の有効性にしがみつきたい人もある程度います。一定の割合の人が理解できないのは仕方ないことです。しかし、もう体罰が公に容認されることはなくなりました。

日本では死刑廃止を唱える人々はまだ少数派です。しかし、この少数の声に耳を傾けてほしいと思います。特に谷垣法務大臣。死刑廃止は暴力がない社会を築く上でどうしても避けて通れないひとつの関門です。


映画『ウォッチメン』から
映画 『ウォッチメン』 (2009年)から


社会から暴力がなくならないのは暴力の信奉者のせいばかりではありません。暴力を良しとしない者の側にも暴力の土壌が広がっています。そして、その土壌を耕して非暴力という花を育てることができるのは、やはり暴力のこちら側の人々です。

2013.02

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