プリオシン海岸  プリオシン通信

ジョバンニの苹果

月のあかりは苹果の匂い


賢治と苹果の合成



章のリンク 1.  リンゴの浮沈子 2.  苹果の明滅
 3.  りんごと苹果の頒布 4.  リンゴの効能書き 5.  オノマトペの苹果
 6.  銀河鉄道の夜の苹果 7.  オリザと苹果 8.  ジョバンニの苹果


人生の不条理に抗うため美しいものを求めることに救いを見いだす。そういう人は大勢いると思います。今年も文化の日が近づき、文化勲章と文化功労者発表がありました。合計21名の受章者のうち女性はたった一人。実は昨年度も女性は一人。男ばかりが受賞するような制度のどこに美しさが、いや正当性があるのでしょうか。

メディアは茶茶も入れずに喜ばしいニュースとして伝えます。現在この受章による終身年金が支払われている男女比率はたぶん10対1よりも大きな比率になっていることでしょう。これでも性差別にはならないわけで、メディアの報道ぶりからも社会の鏡としての役割は果たしていると言えそうです。

秋の褒章である紫綬褒章も著名人章のようなもの。すでに市民から十分評価されているのに国が出てこなくても他にやることがあるのではないでしょうか。章を授ける側の人々もいつかまた何かの章を受ける側になるのでしょう。でも、ほんとうに文化を支えているのは大衆そのものです。

橋下大阪市長が文楽などへの補助金に噛みついて多くの批判が起こりましたが、その噛みつき方に問題はあっても、彼の素人疑問には頷けるものがあります。大事な文化だからとあぐらをかいた時点でそれは文化から権威へと堕してしまい、美しいものはこぼれ落ちていきます。国がやっていることはそういうことのように思えて仕方ありません。

1.リンゴの浮沈子

宮澤賢治の父、政次郎さんは22年にわたる様々な調停委員としての功労から藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受けています。これは公共の利益のために大きな功績があった人の章です。調停件数が857件という彼の地道な貢献を考えれば妥当な受章だと思います。そして、どら息子の賢治はどんな章や賞とも無縁でした。

それでも賢治が文化に貢献したことは誰も否定しないでしょう。彼を経済的精神的に支えたのは宮澤家です。その一方で、政次郎さんは息子が驕慢(きょうまん)に陥らないようにその作品を認めませんでした。

1932年6月21日、賢治は詩人である母木光(儀府成一)氏あてに一通の手紙を出しています。母木氏から自作童話の批評を求められての返事です。母木氏の「病める修羅」と題した病床訪問記がちょうど岩手日報に掲載された後の時期に当たります。一部を引用します。

財ばつに属してさっぱり財でないくらゐたまらないことは今日ありません。どうかもう私の名前などは土をかけて、きれいに風を吹かせて、せいせいした場処で、お互ひ考へたり書いたりしやうではありませんか。こんな世の中に心象スケッチなんといふものを、大衆めあてで決して書いてゐる次第でありません。全くさびしくてたまらず、美しいものがほしくてたまらず、ただ幾人かの完全な同感者から「あれはさうですね。」といふやうなことを、ぽつんと云はれる位がまづのぞみといふところです。

若き日にこの手紙を読んで、「全くさびしくてたまらず、美しいものがほしくてたまらず」という言葉に強い共感を覚えたものです。それは同じくどら息子として何十年経っても変わらない感慨です。念のために書き添えれば、ここで「さびしく」と言っているのは「人さびしい」ではなくて「心さびしい」という意味だろうと思います。

十月の小春日、賢治はやはりさびしかったのか、教え子の照井謹二朗氏宅を訪れ、北上川へと案内させてそこに係留してあった小舟でこぎ出したことがありました。照井さんに小舟を漕がせるとポケットからリンゴを取り出して、川面にリンゴを繰り返し落としました。賢治は「はあ、きれいだ」と何遍も言いながら、リンゴが水中で沈んだり浮かんだりするさまを浮沈子のように楽しみました。

秋はリンゴの季節。賢治にとってそれは美しいもののひとつとして存在していたようです。今月はリンゴをかじりながら、賢治のリンゴを浮かせたり沈めたりして、そのきらめきを楽しみます。

そして、そのオマケとして『銀河鉄道の夜』の汽車になぜ苹果(りんご)が登場し、どのようにしてジョバンニとカムパネルラにリンゴが渡ったのか、そしてなぜ食べずにポケットにしまわれたのか、そのわけを探ります。

第1次稿から第4次稿までの原稿の校異はできるかぎり引用していきますが、原文を参照したい時は 比べっこ『銀河鉄道の夜』 や 草稿『銀河鉄道の夜』 をご利用ください。

2.苹果の明滅


東京よ
これは九月の青りんご
かなしと見つゝ                   (大正五年七月)
汽車にのぼれり。

賢治を読めばリンゴに当たる、と言えるぐらい賢治作品には登場する果物です。『銀河鉄道の夜』の最終形(第4次稿)でその言葉は15回登場します。それほど大きな存在であるだけになんとかその味わいを説明したいところですが、宮澤賢治にとってリンゴとは何かという問いに答えるのはなかなか難しいです。

しかしながら、電信技師の立場から言わせてもらえば......(^_^)......農業技師であった賢治は和リンゴから西洋リンゴへの移り変わりの中で、西洋リンゴを農業技術の「果実」として見ていたように思えます。鉱物の魅力に取り憑かれていた石ッコ賢さんが長じて人造宝石を夢見たように。


この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいゝものができるやうな約束になって居ります。農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子さへ播けばひとりでにどんどんできます。米だってパシフヰック辺のやうに殻もないし十倍も大きくて匂もいゝのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわづかのいいかほりになって毛あなからちらけてしまふのです。
                             『銀河鉄道の夜』


現在の読者が違和感を感じる「苹果」という言葉は西洋リンゴのことです。音読みは「ヘイカ、ヒョウカ」です。まずはリンゴの呼称と表記について説明をします。

林檎(lin qin リンチン)も苹果(ping guo ピングオ)もどちらも漢語です。苹果はもともと中国では別の果物だったようです。リンゴとしては小さいのが林檎で、大きいのが柰(nai ナイ)という小・大の区別がありました。

『ロスト・イン・北京』(2007年) 現在リンゴは日本では「林檎」となり、中国では「苹果」という表記になっています。左の映画ポスターは『ロスト・イン・北京』(2007年)のものです。もっとも繁体字の「蘋果」という表記も見られます。その簡体字が「苹果」です。

日本への流入は奈良時代らしく、『倭名類聚鈔』という漢和辞典に「利宇古宇(りうこう、りうごう)」が出ています。この林檎は5cm未満の小振りなりんごでした。

『本草綱目(ほんぞうこうもく)』 中国の本草学書『本草綱目(ほんぞうこうもく)』(1578年)には、林檎は実が甘いから林に鳥(禽)が集まってくる、別名で「来禽(らいきん)」と解説されています。この書はまもなく日本へ輸入されています。

江戸時代まで栽培されていたリンゴは和リンゴの1種だけでした。しかし、幕末から明治時代にかけてアメリカから西洋リンゴが導入されたことから、林檎の甘さは甘いとは言えなくなりました。西洋リンゴの糖度はずっと高かったからです。しかも、ひとまわりも大きい。そのため、従来のリンゴは和リンゴと呼ばれ駆逐されていくことになります。

りんごの比較 この時代に西洋リンゴは従来のリンゴとは区別され、「苹果」という表記と「オオリンゴ」という当て読みが用いられることになりました。しかし、この当て読みは広がりませんでした。

時代から言えば、賢治が「苹果」を「オオリンゴ」と読んでも不思議ではないわけですが、「りんご」とルビを振ったり、「りんご」という平仮名を併用しているところからやはり「リンゴ」と読んだ方がいいようです。

その後、和リンゴは姿を消し、わざわざ区別する必要もなくなったことから大正から昭和初めにかけて林檎という慣れ親しんだ語に統一されていったと考えられます。賢治が「苹果」を使用していた時期とちょうど重なるわけですが、賢治は農業技術者でもあったのですから、「苹果」に固執したのは自然なことです。

同様に西洋リンゴが流入した中国では「苹果」という語が当てはめられて、それで統一されていったようです。

林檎は漢音ではリンチンですが、呉音ではリンゴンなので「りんご」になったという由来説がありますが、先述した「利宇古宇(りうごう)」からとか、山で採れる果物の総称である「林果lin guo」から来ているとの説もあります。

3.りんごと苹果の頒布

晩年に近い時期の作品である『銀河鉄道の夜』の苹果は後回しにして他の作品で苹果がどう実っているのかまず眺めていきます。作品名を記した後で数行の部分引用をします。〔 〕はタイトルがない作品の仮題です。

平仮名の「りんご」から十個ばかり摘み取ります。

「ひかりの素足」
楢夫の顔はりんごのように赤く口をすこしあいてまだすやすや睡って居ました。

「双子の星」
今は、空は、りんごのいい匂で一杯です。西の空に消え残った銀色のお月様が吐いたのです。

「風野又三郎」
すると風の又三郎はよろこんだの何のって、顔をまるでりんごのやうにかゞやくばかり赤くしながら、いきなり立ってきりきりきりっと二三べんかゝとで廻りました。

「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
「さうだね。一寸こゝまでおいで。」その黄色な幽霊は、ネネムの四角な袖のはじをつまんで、一本のばけものりんごの木の下まで連れて行って、自分の片足をりんごの木の根にそろへて置いて云ひました。

「青森挽歌」
きしやは銀河系の玲瓏レンズ
巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる

〔つめたい風はそらで吹き〕
しづかな月夜のかれくさは
みなニッケルのあまるがむで
あちこち風致よくならぶものは
ごくうつくしいりんごの木だ

「稲作挿話」
……せわしくうなづき汗拭くその子
   冬講習に来たときは
   一年はたらいたあとゝは云へ
   まだかゞやかなりんごのわらひを持ってゐた
   今日はもう日と汗に焼け
   幾夜の不眠にやつれてゐる……

「会見」
じつにわれわれは
遠征につかれ切った二人の兵士のやうに
だまって雲とりんごの花をながめるのだ

〔ひわいろの笹で埋めた嶺線に〕
下の温泉宿の看板娘は嫁に行き
おとなもこどももあかんぼも
みんないっぱい灼いたりんごを食ったのである

〔あしたはどうなるかわからないなんて〕
そのうちどうでも喧嘩しなければいけなかったら
りんごも食ってやればいゝ

リンゴの花
キリがありませんが、散文作品の中では「りんご」は少な目です。使い方も様々です。では、次に漢字の「苹果」の収穫です。
(左図はリンゴの花)


「水仙月の四日」
雪狼のうしろから白熊の毛皮の三角帽子をあみだにかぶり、顔を苹果のやうにかがやかしながら、雪童子がゆつくり歩いて来ました。

「十力の金剛石」
それから木や草のからだの中で月光いろにふるい、青白いかすかな脉をうちます。それから人の子供の苹果の頬をかがやかします。

〔手紙 四〕
チユンセはポーセをたづねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも、また、はたけではたらいていゐるひとでも、汽車の中で苹果をたべてゐるひとでも、また歌ふ鳥や歌はない鳥、青や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがひのきやうだいなのだから。

「まなづるとダアリヤ」
太陽は一日かがやきましたので、丘の苹果の半分はつやつや赤くなりました。

「フランドン農学校の豚」
気分がいいと云ったって、結局豚の気分だから、苹果のようにさくさくし、青ぞらのように光るわけではもちろんない。

「種山ヶ原」
「おいでなさい。いいものをあげましょう。そら。干した苹果ですよ。」

「無声慟哭」
髪だっていっさうくろいし
まるでこどもの苹果の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ

「青森挽歌」
巻積雲のはらわたまで
月のあかりはしみわたり
それはあやしい螢光板になって
いよいよあやしい苹果の匂を發散し
なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる

「青森挽歌 三」
仮睡硅酸の溶け残ったもやの中に
つめたい窓の硝子から
あけがた近くの苹果の匂が
透明な紐になって流れて来る。

「鎔岩流」
とにかくわたくしは荷物をおろし
灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い苹果をたべる

「真空溶媒」
東のそらが苹果林のあしなみに
いつぱい琥珀をはつてゐる

「津軽海峡」
いままではおまへたち尖ったパナマ帽や
硬い麦稈のぞろぞろデックを歩く仲間と
苹果を食ったり遺伝のはなしをしたりしたが
いつまでもそんなお付き合ひはしてゐられない。

「盛岡停車場」
窓のガラスに額を寄せ
お前さんはあんまり大きな赤い苹果
皮ごとバクッと喰ひつきます。

苹果は食べ物ですから、やはりよく食べられています。一般的にりんごが使われる比喩としては筆頭であろう頬の表現にも使われています。

以上の引用は赤苹果、あるいは種類を問わない苹果でしたので、青苹果も紹介しましょう。

「紫紺染について」
そこでみんなは青いりんごの皮をむきはじめました。山男もむいてたべました。

「烏の北斗七星」
もうマヂエル様と呼ぶ烏の北斗七星が、大きく近くなって、その一つの星のなかに生えている青じろい苹果の木さえ、ありありと見えるころ、どうしたわけか二人とも、急にはねが石のようにこわばって、まっさかさまに落ちかかりました。

〔祭の晩〕
亮二も急いでそこをはなれました。その辺一ぱいにならんだ屋台の青い苹果や葡萄が、アセチレンのあかりできらきら光ってゐました。

〔せなうち痛み息熱く〕
はた軍服に剣欠きて
みふゆはややにうら寒き
黄なるりんごの一籠と
布のかばんをたづさへし
この人なにの司ぞや

「歌稿B209」
りんご
すこしならべてつゝましく
まなこをつむる露店のわかもの。

青リンゴ 「黄なるりんご」も青リンゴだと思います。このように賢治は赤リンゴだけでなく、青リンゴも愛用しています。この青リンゴは主に色として使われていて、それが「苹果青りんごせい」です。apple green の翻訳のようです。中国語でもこの表記は使われます。ただし、「苹果緑」とも書くそうです。

『栗鼠と色鉛筆』では「苹果緑アツプルグリン」と記されてもいます。英語ではやはりグリーンの一種です。ついでに「苹果青」という色彩表現も付け足しておきます。

「オホーツク挽歌」
爽やかな苹果青〔りんごせい〕の草地と
黒緑とどまつの列

「青森挽歌 三」
いまごろまっ赤な苹果はありません。
爽やかな苹果青のその苹果なら
それはもうきっとできてるでせう。

〔九月なかばとなりて〕
九月なかばとなりて
やうやくに苹果青のいろなせる稲の間を

〔黄に熟れ〕
黄に熟れ
或はなかば熟れ
苹果青なる色なせる
稲のポットの前にして

「浮世繪展覧会印象」
そこには苹果青のゆたかな草地や
曇りのうすいそらをうつしてたゝえる水や

〔船首マストの上に来て〕
空もすっかり爽かな苹果青になり
旧教主の月はしらじらかゝる

〔苹果青に熟し〕
苹果青に熟し
またはなほに青い
試験の稲の十のポットや

〔西も東も〕
やっぱり冬にはいらうとして
緑や苹果青あをや紅、紫、
あらゆる色彩を仕度する

「苹果青」は散文では使われず、韻文での使用です。ここから感じられる「苹果青」の印象は「爽やか」と稲が熟す直前の色合いでしょうか。「爽やか」感は一般的ですが、稲の実りと結びついているところが賢治らしいところです。

「青森挽歌 三」の表現は『銀河鉄道の夜』の初期形に記された「ああ、ぼくはどんなにお金がほしいだらう。青い苹果だってもうできてゐるんだ。カムパネルラなんか、ほんたうにいいなあ」というジョバンニの嘆きにも活かされています。

このような使われ方から見れば、賢治はリンゴを「苹果」として主張していたことは明らかですね。「林檎」が使われた例はありますが例外と言っていいようです。次は1925(大正14)年の作品です。

〔はつれて軋る手袋と〕
(雑誌発表時には「移化する雲」という題)
……霰か氷雨を含むらしい
   黒く珂質の雲の下
   三郎沼の岸からかけて
   夜なかの巨きな林檎の樹に
   しきりに鳴きかふ磁製の鳥だ……

部分引用していますが、果実ではなく「樹」としての使用です。いいかげんな推測ですが、たぶん西洋リンゴではなく実際に和リンゴの樹だったのではないでしょうか。

『風の又三郎』の冒頭に記された印象的なフレーズは一度聞いたら忘れられない傑作です。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

このフレーズは推敲の後に書かれたものです。構想中の一案には「青いりんごも吹きおとせ まっ赤いりんごも吹きおとせ」というのがありました。青リンゴにも赤リンゴにも夢中になっている賢治がいました。

大正5年高等農林学校の植物園にて
大正5年 農林学校植物園の賢治(後列中央)

(1915年・大正4年4月)
りんごの樹ボルドウ液の霧ふりてちいさき虹のひらめけるかな

この歌は寄宿舎生活を送っていた盛岡高等農林学校時代のものです。賢治はすでに学生時代にリンゴ栽培の経験をしていたようです。

賢治作品にはこんなにも登場しているアイテムであるにもかかわらず、リンゴがタイトルに含まれている作品はありません。

黒井健絵『水仙月の四日』 童話で植物名がタイトルに含まれているものはいろいろあります。「いてふの実」、「おきなぐさ」、「さるのこしかけ」、「水仙月の四日」、「鳥をとるやなぎ」、「どんぐりと山猫」、「ひのきとひなげし」、「ガドルフの百合」、「黄いろのトマト」、「黒ぶだう」、「チュリップの幻術」、「マグノリアの木」、「まなづるとダアリヤ」、「めくらぶだうと虹」、「やまなし」、「四又の百合」.... 苹果の「り」も出てきません。

心象スケッチでは「おきなぐさ」というような植物名がタイトルになったものがやはりあるのですが、リンゴは見つけられませんでした。〔りんごのみきのはひのひかり〕というようなのは編集者が付けた仮題です。

リンゴはとにかく賢治の常用語なので、タイトル作品になって何か色がついてしまうようなことにはならなかったと思えます。あるいは他の訳があるのかも......それは後ほど。

4.リンゴの効能書き

たくさん例を引いたのでかえって「リンゴ」の正体を見えにくくしてしまったかもしれません。ここでいったんリンゴの使い方を整理してみます。

まずはリンゴの存在そのものがあります。ひとつはリンゴの実、もうひとつはリンゴの樹です。これをグループ1として数えます。該当する作品は先ほどから引用してきた作品からのもので賢治の全作品ではありませんが、多くの作品を取り上げましたからそれなりの傾向は見えるだろうと思います。

グループ1:リンゴ(果実と樹)
「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」、〔つめたい風はそらで吹き〕、「会見」、「まなづるとダアリヤ」、「真空溶媒」、「烏の北斗七星」、〔祭の晩〕、〔せなうち痛み息熱く〕、「歌稿B209」

次は比喩として使われているものです。リンゴの匂いも含めます。それはリンゴという実体が描かれずに匂うからです。リンゴから匂っているわけではないという判断です。

グループ2:比喩
「ひかりの素足」、「双子の星」、「風野又三郎」、「青森挽歌」、「稲作挿話」、「水仙月の四日」、「十力の金剛石」、「フランドン農学校の豚」、「無声慟哭」、「青森挽歌」、「青森挽歌 三」
[苹果青が使われている作品群]

最後に残った使い方は「食べる」という行為です。

グループ3:食べる
〔ひわいろの笹で埋めた嶺線に〕、〔あしたはどうなるかわからないなんて〕、〔手紙 四〕、「種山ヶ原」、「鎔岩流」、「津軽海峡」、「盛岡停車場」、「紫紺染について」

グループ1ではその美しさをはじめとして、風景の一部であったり、アイテムのひとつとしてその存在を主張しています。しかし、この使用例は他の物体であっても普通に使われる例です。リンゴとしての特徴を発揮しているのはグループ2です。色、輝き、匂い、食感、形態など、リンゴに付随する要素が総動員される豊かさです。

グループ3については食べ物なので食べる場面が出てくるのは自然です。それにしても賢治作品においては他の食べ物と比較してかなり多いと言えます。リンゴを食べるということが賢治にとって格別な行為であったことがうかがえます。

ポール・セザンヌ「卓上の果物と水差し」
ポール・セザンヌ
「卓上の果物と水差し」
賢治がリンゴを美しいものとして見ていたことは先述しましたが、新品種として登場してきた「苹果」が農業という視点からも意義のあるものであったことがリンゴをいっそう輝かせたのではないでしょうか。

古の時代から人類はリンゴに魅力を感じてきました。エデンの園でエバが食べた木の実はリンゴに違いないと勘違いするぐらいです。そして、画家が絵筆で好んでリンゴを描いたように、賢治はインクや鉛筆でリンゴを描いたわけです。リンゴの存在は賢治によって愛でられています。

次章はグループ2の比喩としてのリンゴについて考察します。

5.オノマトペの苹果

吉本隆明著『宮沢賢治』 今夏、1時間車検に出かけるときに吉本隆明の『宮沢賢治』(1989年・筑摩書房)を持っていきました。若い頃に買ったまま、たぶん読んでないなあと。

この中に擬音論・造語論という章を見つけ、オノマトペと造語が一覧表になっているのに気がつきました。2011年1月の通信「うるうる」でオノマトペについて書きました。その時にはオノマトペをこう説明しました。

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「オノマトペ」とは日本語の「擬音語と擬態語の総称」ということになるのでしょうが、これに相当する言葉がないので、フランス語 (onomatopee) を借用しています。
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吉本さんはこの書で「音喩」という語を使っています。ウィキペディアでは「夏目房之介による造語」と説明されています。漫画評論で使うために必要だったんでしょう。擬音語と擬態語の総称として擬声語を使う場合もあるようですが、僕は擬声語は擬音語の一部だろうと考えてしまうので今までどおりオノマトペでいきます。

この本では擬態語は含まれず、対象が擬音語に絞られています。ところが、僕には擬態語にしか思えないものも入り込んでいます。この擬音表には二百近い語が並べられています。

「『雪渡り・十力の金剛石』 ますむら・ひろし」から引用 『双子の星』では「カツカツカツ」、「ギーギー」、「ギイギイギイフウ」の3種が取り出されています。『双子の星』を読めばもっとたくさんあることがわかります。つまり、辞書にも載っているような普通に使われる擬音語は取り上げていないのです。賢治が作った擬音なのです。

そんな創作擬音が『十力の金剛石』ではなんと19種も掲載されています。
(右図は「『雪渡り・十力の金剛石』 ますむら・ひろし」から引用)

「うるうる」のページで賢治は「オノマトペの達人」と記しましたが、尋常ではない音へのこだわりです。そして、『銀河鉄道の夜』はひとつもないのではないかと推定してページを繰りました。なぜなら、童話ではなく少年小説のジャンルに近いと思ったからです。

あにはからんや。1語掲載されていました。それは「にかにか」。え?そんな言葉があったっけ。笑いではなく「光の明滅するさま」と説明されています。

うちの草稿『銀河鉄道の夜』で検索してもヒットせず。森羅情報サービスの「銀河鉄道の夜・原稿の変遷」でも見当たらず。青空文庫に収録されている岩波文庫版、新潮文庫版、角川文庫版も然り。原稿の谷間に記されて消えていった言葉なのでしょうか。

とにかく、『銀河鉄道の夜』はやはり推測通りで、創作オノマトペだけでなく、たぶんオノマトペ自体がかなり少ないと思います。その一方で心象スケッチにも豊富に現れるリンゴは『銀河鉄道の夜』でも心置きなく使われることになります。

手垢のついたオノマトペでは表現できなかったこの人は、リンゴでしか表現できない何かを抱いていたということでしょうか。自分の心に響く言葉を探し求めた人は、リンゴの色、輝き、匂い、食感、形態など「かす」が少しも残らないほど使いこなそうとしたように感じられます。

通信の「うるうる」ページで挙げた「うるうる」の使用例をここでまた載せてみます。

まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって                      『どんぐりと山猫』

……うるうる木の生えたなまこ山……    『早池峰山巓』

眼もうるうるしてふるえながら          『早池峰山巓』

百の碍子にあつまる雀
掠奪のために田にはいり
うるうるうるうると飛び              『グランド電柱』

うるうるひろがるち萱の芽だ           『水汲み』

穎果の尖が赤褐色で/うるうるとして水にぬれ  『塩水撰・浸種』

青ぞらばかりうるうるで         〔今日もまたしやうがないな〕

うるうるしながら赤い苹果に噛みつけば   『鎔岩流』

水はうるうるとはんぶんそらに溶けて見え  『休息』

青野うるうる川湧けば             『岩手山巓』

うるうるとした草山と              『三原三部手帳より 』

どれもこれも賢治が「うるうる」というオノマトペでしか表現できなかったものです。「うるうる」がいろんな表現力を持ったように、リンゴもいろんな比喩表現へと拡散しています。その意味でまるでリンゴはオノマトペの方向へと溶け出しているかのようです。

賢治のリンゴはオノマトペの匂いを発散させ、その融通無碍(ゆうずうむげ)なかたちは作品のタイトルにはなりえなかった理由を明かしているように思われます。

6.銀河鉄道の夜の苹果

グループ3の「食べる」リンゴについては、『銀河鉄道の夜』を考察する中でその意味を探ります。

初期形では17箇所にリンゴが置かれました。最終形ではジョバンニが自分の境遇を嘆く場面と「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」の場面が削除されて、15箇所になりました。その表記は「苹果」と「りんご」です。

もっとも「青い森の中の三角標」の場面で「熟してまっ赤に光る円い実」が登場しており、これは苹果と考えられます。しかし、「リンゴ」という直接的な表記ではないので除外します。

「りんご」表記は3箇所で使用され、男の子の台詞に2箇所、もう1箇所は「二人はりんごを大切にポケットにしまひました。」という文です。二人とはジョバンニとカムパネルラのことのようです。初期形である第3次稿と最終形である第4次稿とも同じです。残る12箇所は「苹果」表記になっています。

「宮沢賢治 銀河鉄道の夜 -プラネタリウム版- DVD」 「りんご」が使われたのは、小さな男の子の台詞なのでそれに「苹果」はふさわしくないということと、その男の子の台詞のすぐ後なので、ジョバンニとカムパネルラの分も「りんご」になったようです。しかし、第2次稿では男の子も「苹果お呉れ、ねえさん。」と言っています。つまり、『銀河鉄道の夜』では「苹果」という表記が基本になっていると言えます。

さて、その使われ方ですが、賢治作品の総集編としての意味を持つだけあって、『銀河鉄道の夜』ではグループ1から3まで全部の効能が使われています。しかも、「黄金と紅」と記されたように青リンゴも赤リンゴも出てきます。

グループ2の比喩として使われているのが3箇所。初期形でも最終形でも同じです。他はすべてグループ1の存在としての「苹果」そのものを指すとともに、グループ3の食べることとも密接に絡んでいます。まず比喩から見ましょう。

(1) カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。

(2) 二番目の女の子はまるで絹で包んだ苹果のやうな顔いろをしてジョバンニの見る方を見てゐるのでした。

(3) そしてだんだん十字架は窓の正面になりあの苹果の肉のやうな青じろい環の雲もゆるやかにゆるやかに繞ってゐるのが見えました。

赤リンゴ 1と2の苹果は「あか」を比喩したものですが、そのままでは用いずに繊細な色彩表現になっています。汽車に乗ったばかりの時は「少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいといふふう」だったカムパネルラですが、1の引用文からは様子が一変しているのがよくわかります。2の引用文は少女らしい瑞々しさが感じられる表現になっています。

3の引用文では果肉まで比喩に使われ、青系の色として用いられています。このあたりは「水素のりんご」との繋がりが感じられます。「水素のりんご」とは銀河を構成する原子の多くが水素原子であることからの喩えなのでしょう。

今日、銀貨が一枚さへあったら、どこからでもコンデンスミルクを買って帰るんだけれど。ああ、ぼくはどんなにお金がほしいだらう。青い苹果だってもうできてゐるんだ。(第3次稿・ケンタウル祭の夜)

その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果を剥いたり、わらったり、いろいろな風にしてゐると考へますと、ジョバンニは、もう何とも云へずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。 (天気輪の柱)

「いかがですか。かういふ苹果はおはじめてでせう。」向ふの席の燈台看守がいつか黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないやうに両手で膝の上にかゝえてゐました。(ジョバンニの切符)

これが心に思い描いたり、手に取られたりした苹果です。地上部分では実物の苹果は登場していません。ここに挙げたグループ3とグループ1の文はどちらも幸福感が漂うようなリンゴです。汽車に乗って旅をするという大きな楽しみの中で食べられるリンゴ。非日常のしあわせです。

他の作品で登場したリンゴを食べる場面を思い出してください。

〔ひわいろの笹で埋めた嶺線に〕
下の温泉宿の看板娘は嫁に行き
おとなもこどももあかんぼも
みんないっぱい灼いたりんごを食ったのである

〔あしたはどうなるかわからないなんて〕
そのうちどうでも喧嘩しなければいけなかったら
りんごも食ってやればいゝ

〔手紙 四〕
チユンセはポーセをたづねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも、また、はたけではたらいていゐるひとでも、汽車の中で苹果をたべてゐるひとでも、また歌ふ鳥や歌はない鳥、青や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがひのきやうだいなのだから。

「種山ヶ原」
「おいでなさい。いいものをあげましょう。そら。干した苹果ですよ。」

「鎔岩流」
とにかくわたくしは荷物をおろし
灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い苹果をたべる

「津軽海峡」
いままではおまへたち尖ったパナマ帽や
硬い麦稈のぞろぞろデックを歩く仲間と
苹果を食ったり遺伝のはなしをしたりしたが
いつまでもそんなお付き合ひはしてゐられない。

「盛岡停車場」
窓のガラスに額を寄せ
お前さんはあんまり大きな赤い苹果
皮ごとバクッと喰ひつきます。

なぜここでリンゴが出てくるのかという唐突感ゆえの戸惑いやナンセンスの面白さを感じる一方で、ここにはリンゴを食べることで現実から解き放たれる刹那が描かれているように思えます。

汽車の車中を思い出せばリンゴを食べることが引き出されてくるように、リンゴを食べるということはひとつのエピソードとなり、記憶されるべき思い出となるトピックなのです。

リンゴとはそういうトピックの果実でもあるわけですが、『銀河鉄道の夜』に「あっちにもこっちにも子供が瓜に飛びついたときのやうなよろこびの声」とあるような瓜とは異なって、もう少し落ち着いた静かなエピソードだと言えそうです。

グループ3の食べ物としてのリンゴは、いっときの憩いを与えてくれるのに最適の果物だと賢治は考えていたように思われます。

7.オリザと苹果

『ブスコーブドリの伝記』 稲は『ブスコーブドリの伝記』では「オリザ」とも記され、賢治にとっては生涯いどみ続けた作物です。オリザとはラテン語 oryza で、稲の学名は Oryza sativa です。賢治作品で稲や米が登場する率はリンゴの比ではありません。そして、この二つの作物には決定的な違いがあります。

米は生存に不可欠な食べ物であり、リンゴは生存とは無関係な食べ物です。米を食べるところに喜びはなく、リンゴを食べるところには喜びがありました。実際、賢治は羅須地人協会での一人暮らしでは米は三日分まとめて炊いて、梅干しをのせて井戸に吊していました。夏でも冬でもです。訪問客にもそんなご飯を食べさせています。冬の冷や飯はさぞや硬かったことでしょう。味覚については言及する気にもなれません......(^_^)

僕の薄っぺらな記憶をたどってみても賢治の散文作品で米をおいしそうに食べている場面を思い出すことができません。そもそも米を食べていることが少ない。『貝の火』と『雪渡り』では米であってもお餅です。原料はうるち米ではなく、もち米です。

『ブスコーブドリの伝記』では「みんなでふだんたべるいちばん大切なオリザという穀物」と記されていますが、「おじさんと一緒に町へ行こう。毎日パンを食べさしてやるよ」という甘言でネリは掠われます。オリザではないのです。あとはオリザが実らないためにブドリは蒸しパンを食べたり、蕎麦を食べたりしています。

オリザが豊作の年でもオリザを食べるシーンは出てきません。米を食べる場面は賢治にとって絵にならないようです。

「2.苹果の明滅」の章で引用したように、『銀河鉄道の夜」でも米について言及している場面があります。燈台守が天上の農業を説明するところです。「米だってパシフヰック辺のやうに殻もないし十倍も大きくて匂もいゝのです。」と燈台守は語ります。地上の米はそれほどいい匂いではないという風にも聞こえます。

その一方でリンゴも羅須地人協会の集まりで時に振る舞われました。それ以前の農学校教諭時代には照井春蔵氏から相談を受け、賢治はリンゴ栽培を勧めてもいます。

金銭ではなく物々交換が信条の賢治に倣ったのか、後に照井さんはリンゴで交換売買する夜店を始め、それは青果市場へと発展しました。上で引用した歌稿Bの「青りんご すこしならべてつゝましく まなこをつむる露店のわかもの。」そのままですね。この歌は大正3年4月のものなので、照井さんとは関係ないようです。

リンゴは産地であった東北では案外手に入れやすい果物だったのかもしれません。しかし、〔雨ニモマケズ〕では苹果が登場するような精神的な余地はなく、「玄米四合」と記されます。米とは、2011年7月の通信「有機交流電燈」で引用した木内昇の言葉「生きるために食えっ!」な食べ物なのです。

『春と修羅』第三集には「一九二七、八、二〇」と日付が刻印された心象スケッチが4編掲載されています。その中から2編を取り上げて部分引用します。

一〇二一  『和風は河谷いっぱいに吹く』
たうとう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きてゐる

一〇八八  〔もうはたらくな〕
おれが肥料を設計し
責任のあるみんなの稲が
次から次と倒れたのだ

一喜一憂している賢治がいます。まさに賢治にとって稲は責任を負っている作物です。そこに夢や希望もあったでしょうが、なによりもまずは現実がありました。次の心象スケッチは部分ではなく、全文です。

七〇九 「春」
陽が照って鳥が啼き
あちこちの楢の林も、
けむるとき
ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を、
おれはこれからもつことになる

「一九二六、五、二、」という日付がある作品です。大正14年、下根子桜で独居生活を始めたばかりの頃です。初めて読んだときに違和感がありました。そういう人が多いのではないでしょうか。並々ならぬ決意というよりは、「ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を」というあたりに悲愴なものを感じます。

実際、推敲の跡をたどるとそれが間違いではないことがうかがえます。「下書稿(二)」ではこうなっていました。

陽が照って鳥が啼き
あちこちの楢の林もけむるとき
おれは
ひらかうとすると壊れた玩具の弾条(ぜんまい)のやうに
ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を
これから一生もつことになるのか

これではまるで「あきらめたやうな悲痛なわらひ」さえ聞こえてきそうではありませんか。

この一月前の森佐一氏宛ての書簡には「もう厭でもなんでも村で働かなければならなくなりました。東京へその前ちょつと出たいのですが、どうなりますか。」と記しています。

羅須地人協会時代より後に発表された『グスコーブドリの伝記』(1932年)では主人公ブドリは赤ひげの沼ばたけを手伝います。オリザの栽培に1年だけは成功しますが、結局は失敗続きでブドリは百姓になることはありませんでした。ブドリの夢は火山技師として結実しました。

百姓に夢はなかったのかもしれません。羅須地人協会の失敗の一因がそこにもあったのではないでしょうか。協会時代の自分をいじめ抜くような生活のありようは、自ら挫折を招き寄せようとしているかのように見えます。

ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出てもたれも相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ。

『なめとこ山の熊』は羅須地人協会時代に書かれたと思われる作品です。その中で小十郎がこう嘆いたのと同じく、賢治は教師として生徒に百姓になれと鼓舞した因果で百姓になったわけです。この次は賢治になんぞ生まれなよ。

やぶ屋 賢治は教員時代によく通って「ブッシュ」と呼んだ「やぶ屋」で、天ぷらそばとサイダーに舌鼓を打ちましたが、それは生存のためではなく、芸術の楽しみと同じような感覚の楽しみでした。それはリンゴの立ち位置と同じです。

「全くさびしくてたまらず、美しいものがほしくてたまらず」と記したように、オリザだけでは寂しくてたまらず、田園に美しいものとして「チュウリップ」や「苹果」を求めたのでしょう。オリザは生活の糧であって、リンゴのように夢見ることはできなかったのです。

8.ジョバンニの苹果

『銀河鉄道の夜』で登場するリンゴは憩いのリンゴです。天気輪の丘で想像した汽車の中の苹果もそうですし、「一番大きな姉」(第2次稿)や燈台守(第3・4次稿)が配ってくれた苹果も憩いのリンゴです。ただし、その苹果は天上のリンゴに近い果物です。

剥いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのやうな形になって床へ落ちるまでの間にはすうっと灰いろに光って蒸発してしまふのでした。

透明感と気体の気配にあふれています。見た目はこういうリンゴですが、その味わいは最初から天上のようではなく、改稿によってリンゴは磨かれていくことになります。

『銀河鉄道の夜』の種子となった作品はいろいろあります。その代表的な一篇『青森挽歌』に「きしやは銀河系の玲瓏レンズ 巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる」というフレーズがあることは先に引用したとおりです。この風景は『銀河鉄道の夜』では逆転して汽車の中でリンゴが食べられる風景になりました。

もっとも、そもそも逆転しているのは『青森挽歌』のフレーズの方です。汽車の中にリンゴがあるのが本来の形です。『銀河鉄道の夜』と関係が深いと言われている『氷と後光』から引用します。

若いお母さんはまだこどもを見てゐました。こどもの頬は苹果りんごのやうにかがやき、苹果のにほひは室いっぱいでした。その匂は、けれども、あちこちの網棚の上のほんたうの苹果から出てゐたのです。實に苹果の蒸氣が室いっぱいでした。

1924(大正13)年に清書されたらしい作品です。『銀河鉄道の夜』の初稿が書かれていた頃です。この作品には「岩手」や「盛岡」という地名も登場しており、写実性の高い感じを受けます。「歌稿A」からも2首引用してみます。

424 流れ入る雪の明りに溶くるなり夜汽車をこめし苹果の蒸気
425 つゝましき白めりやすの手袋と夜汽車をこむる苹果の蒸気と

短歌なので散文よりも写生の側面が高まります。これは1916(大正5)年の作品です。当時はリンゴが車中のおやつであったばかりではなく、季節の土産として旅人たちの手荷物となっていたりもしたのではないでしょうか。苹果の皮が蒸発してしまうのがわかる表現ですね。同時にそれは匂いとなって現れます。

タイタニック号の乗客であった青年一行の一番大きな姉が持つリンゴのためでしょうか、第2次稿では一行出現の先触れとしてカムパネルラとジョバンニが「苹果の匂」を嗅ぎ取ります。しかし、そのリンゴが配られたのは大きな姉の身内に限られました。

第3次稿ではリンゴの持ち主が燈台守へと移され、この一行の悲しみを癒やす食べ物として与えられます。一行出現の先触れであった「苹果の匂」は持ち主の交代にもかかわらず削除されることなくそのまま残り、「苹果の匂」は焦点を失ったことによって前稿よりも広がりをみせることになりました。

「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。こゝらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんたうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかゝへられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめてゐました。
「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました
「さあ、向ふの坊ちゃんがた。いかゞですか。おとり下さい。」ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまってゐましたがカムパネルラは「ありがたう、」と云ひました。すると青年は自分でとって一つづつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがたうと云ひました。

燈台守は青年が送る視線の先に気づいて、カムパネルラとジョバンニにもリンゴを配りました。しかし、二人は苹果を食べることはありませんでした。

二人はりんごを大切にポケットにしまひました。

ここで汽車内のリンゴをめぐる動きを表にしてみます。

リンゴをめぐる動き
移行対象第2次稿第3・4次稿
リンゴを取り出した人一番大きい姉燈台守
きょうだいの構成一番大きい姉
カムパネルラのとなりの女の子
いちばんちいさな女の子
男の子

かほると呼ばれた女の子

男の子
リンゴが配られた人青年一行


青年一行
カムパネルラ
ジョバンニ

第2次稿で一番大きな姉がどこからか取り出したリンゴは「えゝ、さっきから持ってゐたわ。みんなで五つあるのよ。」という台詞から全部で5個です。では、第3次稿では何個のリンゴが配られたのでしょうか。面白いことにやはり5個なのです。賢治はリンゴの数を増やさずに対象を広げています。うまいなあ。

それは長姉と三女のリンゴがカムパネルラとジョバンニに移ったわけで、汽車の中のリンゴに変化は起こりませんでした。しかし、変わったこともあります。第2次稿ではリンゴはすべて食べられたのに、第3次稿以降は食べられずに残ったリンゴが二人の少年のポケットへと隠されたのです。

賢治は当初から二人にリンゴを食べさせる気はなかったようです。推敲によって余ってしまったリンゴの行き先としてちょうど良かっただけかもしれませんが、賢治の筆はもう少し丁寧です。このリンゴは燈台守によって最初から配られたわけではなく、青年と燈台守ふたりの心くばりからまわってきたリンゴとして描かれています。

青年の気遣いに気づいた燈台守の心遣いという、心くばりのリレーによってまわってきたリンゴでした。その想いは二人の少年にも伝わったはずです。それが「大切にポケットにしまひました」という表現に示されています。しかし、二人の少年にはここでムシャムシャとリンゴをかじることができない事情がありました。

ジョバンニはもちろんカムパネルラにもまだ憩いの時は訪れていませんでした。鳥捕りから「あなた方は、どちらへ入らっしゃるんですか」とか、「ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか」と尋ねられても答えられなかった二人です。

ジョバンニはなぜ汽車に乗っているのかもわからず、カムパネルラは自分の死を自覚しながらも、その死の意味を理解することができず、目的地もわかりませんでした。そんなふうに二人だけは特異な場所に立っていました。それはちょうどこんな場面で象徴できます。

先生がまた云ひました。
「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何でせう。」
 やっぱり星だとジョバンニは思ひましたがこんどもすぐに答えへることができませんでした。
先生はしばらく困ったやうすでしたが、眼をカムパネルラの方へ向けて、「ではカムパネルラさん。」と名指しました。するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上ったまゝやはり答へができませんでした。

「午后の授業」のシーンです。ここでは先生が鳥捕りと重なることになるでしょう。教室での場面を再現するかのような汽車の中の二人。こんな二人にはまだリンゴを食べる時機が訪れていないのでした。

この場面の後、ジョバンニのリンゴは皮だけでなくまるごと蒸発してしまったかのように登場してきません。第3次稿で、帰途に着いたジョバンニのポケットには明らかにリンゴはなく、代わりに金貨が入っていることが判明します。それはブルカニロ博士からの贈り物でした。催眠実験(夢)であって、銀河旅行は事実ではないという考えがあったためにリンゴはそもそも存在していなかったと考えることもできます。

第4次稿では銀河旅行から帰ってきた後に牛乳屋や河原の場面が入り込んできたためにまた事情が異なります。賢治は「たったいま夢であるいた天の川」と記しますが、その一方でジョバンニは夢とは思っていないことが示唆されます。

ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはづれにしかゐないといふやうな気がしてしかたなかったのです。
(中略)
ジョバンニは思はずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知ってゐますぼくはカムパネルラといっしょに歩いてゐたのですと云はうとしましたがもうのどがつまって何とも云へませんでした。

それにもかかわらずジョバンニのポケットにリンゴがはいっていた気配はありませんでした。すでに二人がポケットにリンゴをしまった時点で、賢治の頭からはリンゴは蒸発してしまったという気がします。もうその時点ではリンゴの役目は終わったのでしょう。逆に言えば、燈台守とリンゴの場面にこそリンゴの役割があったということになります。

第2次稿ではジョバンニがカムパネルラへの嫉妬とともに青リンゴに憧れたり、汽車の中で青年一行が憩いのリンゴを食べたりしました。リンゴの役割は他の作品に現れたリンゴと同様にあまり広がりはありませんでした。しかし第3次稿になると、他者に与える癒やしのリンゴとなって現れます。リンゴをめぐって汽車の中で心が通い合う場面が生まれました。

『銀河鉄道の夜』という作品が何度も推敲される中で、ジョバンニやカムパネルラがそれぞれに精神的な深まりをみせていったように、リンゴも磨かれて輝きを増していったと言っていいようです。

リンゴの花蓮の華

晩年まで手入れした『銀河鉄道の夜』において、賢治はそれまでは美しいけれどただのリンゴであった物体を他者のこころが慰められるような蓮華の慈悲として昇華させたように思います。リンゴのきれいな皮が昇華してしまうという表現はそれをなぞっているかのようです。

剥いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのやうな形になって床へ落ちるまでの間にはすうっと灰いろに光って蒸発してしまふのでした。

銀河の旅の終わりで、カムパネルラの眼に浮かんだ「きれいな涙」もきっとそんなふうに消えていったのです。

2012/11

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