プリオシン海岸  プリオシン通信

カムパネルラはだれか

しあわせの在りか


レールが二本並んで走るように



章 →カムパネルラの悲しみ
カムパネルラとジョバンニの家族カムパネルラの母の死
自己犠牲の波紋鳥捕りはだれか
ジョバンニはだれか妹トシのいるとこ


年の瀬を迎えました。と書き出そうと思っていたらもう今日は大晦日になりました。3月に東日本大震災を経験したことで多くの方にとっても忘れることのできない年になったのではないでしょうか。我が三重県では9月に南部で台風12号の災害もありました。まるで津波かと見紛うほどの水害でした。

月刊雑誌「大法輪」も10月号 大震災ではTVのCMで金子みすゞが取り上げられたことで、まだまだ詩人としてマイナーだった金子みすゞが国民的な詩人になったような気がします。月刊雑誌「大法輪」も10月号で「金子みすゞと仏教」を特集していました。

この特集の中に「金子みすゞと宮澤賢治」という、やっぱりなタイトルもあります。この二人の詩人を知っている人にはどちらにも共通の感性があることはすぐに気付くことですね。

じっさい、海外の教会での追悼礼拝で「雨ニモマケズ」が朗読されたことに始まり、宮澤賢治の作品がいろいろ取り上げられた年にもなりました。NHKのEテレでは年末に合わせて「100分de名著」の番組で、「悲しみを、乗り越えよ」というサブタイトルをつけて『銀河鉄道の夜』を取り上げました。

100分de名著 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 僕も先月の通信で『銀河鉄道の夜』を読み、その余韻がおさまらずに「『銀河鉄道の夜』はどこか」のページを書き上げたところです。しかし、僕の場合はNHKのように、生きる励ましになるような高邁な想いとはほど遠く、個人的な事情に過ぎません。

文学はなんの腹の足しにもなりませんが、人を殺すこともあれば、人生の慰めになることもあります。賢治も建前としては童話などの散文群を書くことで法華経の教えを広めたいと考えていたようですが、『銀河鉄道の夜』などは個人的な事情で書いていたと思わずにはいられません。だからこそ、除夜の鐘のごとく、いろんな人の煩悩につながって響くのではないでしょうか。

この作品の難解さは未完成ということで賢治自身の思いが固まっていないところにも大きな原因はありますが、それゆえに読者にもいろんな読み方を提供することになり、ますます難解になってしまっている嫌いがあります。

先月にずいぶん以前から賢治本を読まなくなったと書きましたが、結局書かれていることは評者が自分の土俵で書いているに過ぎないからです。まあ、これは当たり前のことです。しかし、賢治作品についてはこれが顕著で、何でもありでキリがありません。科学理論なら証拠を求められるのですが、文学は言いたい放題ですから。それなのになんでまた通信で書こうとしているか問われれば、まあ愚かだからですね.......(^^ゞ

ますますややこしくなるからおまえが書くな、という内なる声もありますが、「『銀河鉄道の夜』はどこか」は原作の舞台を探るページなので、そこでは書けなかったことを今年の最後に書こうかと思います。そもそもは「『銀河鉄道の夜』はどこか」ページを書くのに調べている中で、カムパネルラとジョバンニが親友とされていたり、カムパネルラはトシがモデルであるというようなことが散見されたので、なんかちょっと違うなという思いがしたからです。

『銀河鉄道の夜』の権威と言ってもいい天沢退二郎氏も、何度も原作を英訳している「100分de名著」の講師ロジャー・パルバース氏も、カムパネルラとジョバンニの関係を「親友」としています。それに疑問を呈するのはとっても分が悪い......(^_^)

日本語の「親友」も意味が広いから、どのレベルなんだろうという疑問もあります。目に涙を浮かべただけでも「号泣」と書くのがマスコミです。大勢の人が「親友」と説明しているのはマスコミレベルの「親友」という意味なのでしょうか。これから『銀河鉄道の夜』に触れる子どもたちに誤解を与えるような言葉遣いは楽しくない。

「カムパネルラはだれか」というタイトルを付けましたが、まずは「親友伝説」を探っていきます。カムパネルラのモデルに賢治の親友や妹トシを当てるのも、やはりジョバンニと親友だというのがもとになっているのでしょうから。

ただし、モデル探しをする気は毛頭ありません。歴史小説や実録物ならモデルはだれそれと言えますが、空想の物語にモデルは誰だと言い切るのは余興の域を越えません。だれかのこういう面が投影されているというレベルの問題でしかありません。

登場人物に作者の知り合った人たちが投影されるのは当たり前のことで、空想にも体験の礎(いしずえ)が必要です。カムパネルラのモデルとしていろんな人が取り上げられるのもそのためです。しかし、だれかひとりがモデルになっているわけではありません。

物語に登場する人物はみんな作者の分身です。その中で特に思い入れができる人物が一般的には主人公となり、読者はその主人公に同化したり、その傍らに控えたりして物語を味わうことになります。

このページでは賢治の分身とされるジョバンニ以外にも重要な分身が存在していることと、妹トシがどこに投影されているのかを見ていきたいと思っています。

また、この作品の登場人物たちは一人で何役も兼ねるような働きをしています。これは何度も推敲を重ねる中で、物語が幾層にも重なっていったことと、物語の構造が複雑に入り組んでいることに関係していると思います。ですから、考察はカムパネルラ以外の人物も巻き込むことになります。

普通ならひとつの章で1ページは使ってしまうぐらいのテーマなんですが、面倒なので一気に書きます。年末の忙しい時に何やってんだか。今回は超長文です。正月の暇つぶしにでも読んでください。


カムパネルラの悲しみ


「親友」の定義
新明解国語辞典小さい時は常に行動を共にし、長じては何事をも打ち明けることの出来る友人。
大辞林互いに信頼し合っている友達。きわめて仲のよい友達。
広辞苑親しい友。仲の良い友人
大辞泉互いに心を許し合っている友。特に親しい友。

古くさいアプローチですが、まずは辞書で確認します。新明解は例のごとく具体的です。広辞苑はかなり素っ気ない。こういうのも編者の人生観が反映するんでしょう。しかし、僕の感覚では明快に新明解の語義ですね。

カムパネルラとジョバンニの関係が見えるところを、3・4次稿の原文テキストから見ます。緑色部分は4次稿で削除されたものです。

場面様子
学校・いつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ
・美しい写真を二人でいつまでも見た
・カムパネルラともあんまり物を云はないやうになった
・カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかった
・同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして
・けれどもジョバンニは手を大きく振ってどしどし学校の門を出て来ました
・カムパネルラなんか決して云はない。カムパネルラはみんながそんなことを云ふときは気の毒さうにしてゐるよ
・「ちゃうどおまへたちのやうに小さいときからのお友達だったさうだよ。」
・ぼくは学校から帰る途中たびたびカムパネルラのうちに寄った
・「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんと一諸なら心配はないから。」
通り・ぼくはどうして、カムパネルラのやうに生まれなかったらう。
・ほんたうにカムパネルラはえらい
十字・カムパネルラは気の毒さうに、だまって少しわらって、怒らないだらうかといふやうにジョバンニの方を見てゐました
・カムパネルラもまた、高く口笛を吹いて 向うにぼんやり橋の方へ歩いて 行ってしまったのでした
・もしカムパネルラが、ぼくといっしょに来てくれたら、そして二人で、野原やさまざまの家をスケッチしながら、どこまでもどこまでも行くのなら、どんなにいいだらう
・カムパネルラが、ほんたうにぼくの友だちになって、決してうそをつかないなら、ぼくは命でもやってもいい
・いまはぼくはそれを、カムパネルラに云へなくなってしまった
汽車それは級長のカムパネルラだったのです

この辺にしておきます。この後を追っていっても親友関係が窺えるようなところは出てきません。最後に引用した部分に注目すると、3次稿では明らかに親友ではありません。親友なら「級長のカムパネルラ」とは言いませんから。物語はジョバンニの視点から書かれているので、これはジョバンニの言葉です。

カムパネルラはジョバンニが自分を理解してくれる友だとは思っていなかったから、本心は話せなかったのです。だから、ジョバンニは「カムパネルラが、ほんたうにぼくの友だちになって、決してうそをつかないなら、ぼくは命でもやってもいい」と思ったのです。 しかし、4次稿では少し修正されます。賢治はもう少し親近感を出そうとして、「級長の」という修飾を外し、丘の上のジョバンニの言葉も削除しました。これはたぶん汽車内の二人の関係とバランスを取るためだと思います。

2次稿までさかのぼってみると、カムパネルラがジョバンニと距離を取っていることがはっきりします。青い部分が3次稿で削除された部分です。

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一諸に進んで行かう。」「あゝきっと行くよ。 」カムパネルラはさうは云ってゐましたけれどもジョバンニはどうしてもそれがほんたうに強い気持から出てゐないやうな気がして何とも云へずさびしいのでした。

このように賢治は少しずつ軌道修正をしてきています。しかし、削除された部分を補わなくても、僕たちはいつもカムパネルラがジョバンニに本心を見せないでいることに気付いています。それは自分の死(中有)を隠すためではなく、自分の心を隠すためです。ジョバンニを傷つけないために。

※「中有(ちゅうう)」とは死んでから次の行き先が決まるまでの期間の仏教語。

カムパネルラは精神的に大人に近いです。級長としてみんなに目配りをする配慮がうかがえます。教室でのジョバンニへの気遣いと同様に、ジョバンニをからかうザネリに注意しないのは彼なりの配慮があるのだと思われます。一方、「走るときはまるで鼠のやうなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云ふのはザネリがばかなからだ。」 と言うように、ジョバンニはまだ子どもそのものです。

ジョバンニは自分の孤独を嘆きますが、カムパネルラの孤独を知りませんでした。カムパネルラはジョバンニを気の毒に思うことはあっても、親友になれるほどの対等性を感じてはいませんでした。それが次のジョバンニの心ない言葉に表れています。

「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないぢゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫びました。

なぜこの台詞が心ない言葉なのかは徐々に明らかにしていきます。ジョバンニはカムパネルラを表面的にしか見ることができない子どもでした。心象スケッチ「春と修羅」の「ほんたうにおれが見えるのか」という1行を想起させます。カムパネルラの悲しみはジョバンニよりも深いのです。


カムパネルラの家族 と ジョバンニの家族


カムパネルラにはいろんなモデルが指摘されています。いろんな人物が複合的に取り込まれているのでしょうが、それはほんのわずかだと思います。一方、ジョバンニが賢治の分身であることはほぼだれも異論のないところです。

しかし、花巻の素封家の子息であり、その言動が新聞にも掲載されるような賢治の立ち位置がカムパネルラと無縁ではありえません。賢治以外から見れば、賢治はこんな人だったことでしょう。

ぼくはどうして、賢治のやうに生まれなかったらう。賢治なら、ステッドラーの色鉛筆でも何でも買へる。それにほんたうに賢治はえらい。せいだって高いし、いつでもわらってゐる。一年生のころは、あんまりできなかったけれども、いまはもう一番で級長で、誰だって追ひ付きやしない。算術だって、むづかしい歩合算でも、ちょっと頭を曲げればすぐできる。絵なんかあんなにうまい。水車を写生したのなどは、をとなだってあれくらいにできやしない。

先月、『カムパネルラの行方』を読んだ方なら、なんだ、4次稿で削除された部分ではないかと気付かれたことでしょう。そうです。カムパネルラと賢治を入れ替えました。賢治の背が高いとは言えませんが、他はほぼ同じことが言えるでしょう。

姪フジ子像 宮澤賢治画 1933年
姪フジ子像 宮澤賢治画 1933年

賢治の盛岡高等農林学校3年時の写真がありますが、「M」という襟章を着けています。これは級長の徽章(きしょう)でした。賢治は入学時から卒業時までずっと級長を務め、特待生でもありました。

 
左から「旗手」、「級長」、「特待生」の書状

賢治の家が富裕であったことはだれでも知っていることですが、母の実家も「宮澤マキ」なので宮澤商店という富商です。当時自動車を持っていたのですから、たいしたものです。他の家が車を持っていたとしてもリヤカーですからね。しかもリヤカーでさえ貴重品だったのですから。ここまでなら賢治だけでなくトシにも当てはまることなので、まだトシがカムパネルラのモデルとも言えます。

全集の編集に携わった天沢退二郎氏が『新編 銀河鉄道の夜』巻末の注解に「草稿を見ると賢治は何度か『カムパネルラ』と『ジョバンニ』を混同ないし混同しかけている」と指摘しています。これこそカムパネルラが賢治の分身であるひとつの証拠だと思います。これは意識下における働きなので非常に重要なことです。

実は僕も賢治は混同していると思うところが1ヶ所あります。それはジョバンニの母が話すセリフです。

「お父さんはこの次はおまへにラッコの上着をもってくるといったねえ。」
「みんながぼくにあふとそれを云ふよ。ひやかすやうに云ふんだ。」
「おまへに悪口を云ふの。」
「うん、けれどもカムパネルラなんか決して云はない。カムパネルラはみんながそんなことを云ふときは気の毒さうにしてゐるよ。」
あの人はうちのお父さんとはちゃうどおまへたちのやうに小さいときからのお友達だったさうだよ。」

ここで「あの人」とはカムパネルラの父を指していることは自明というべきですが、これ以前の話題にカムパネルラの父は登場していないので、まるでカムパネルラを指しているかのような文脈になっています。この部分は4次稿で追加されたところなので、原稿が削除されたわけでもありません。ただし、この箇所の直前に数文字分の空白が確認されています。しかし、そんな狭い空白にカムパネルラの父の話題が収まるはずもありません。

この間違いは病床にあって推敲の気力と時間がなかったために残されてしまったと思えます。そしてこの混同からも見えてくるものがあるのです。つまりそれは、賢治はうっかり「カムパネルラとジョバンニの父は友達だ」と漏らしているということです。そして、実はジョバンニとカムパネルラの2軸は、軸を少しずつずらしながらその家族にまで及んでいるのです。

カムパネルラ家カムパネルラ父(博士)
ジョバンニ家ジョバンニ
状況行方不明(中有)この世と中有中有と病い

※「中有」とは死んでから次の行き先が決まるまでの期間の仏教語ですが、ここでは空間も含めての時空間と考えてください。

つまり、賢治が書き間違えたように、カムパネルラとジョバンニの父は(行方不明)仲間です。博士であるカムパネルラの父とジョバンニは(この世と中有)仲間です。カムパネルラの母とジョバンニの母は(中有と病い)仲間です。男たちはその世代をクロスしながらも、このふたつの家族はオーバーラップするのです。そして最後には、カムパネルラが消えるとともにジョバンニの父の帰宅が予告されます。

カムパネルラとジョバンニの関係は親友というよりも家族との関係の中に置かれるべきものと言っていいでしょう。カムパネルラとの疎遠はジョバンニのアルバイトのせいばかりではなく、ジョバンニの父がカムパネルラの家を訪問できない状況になっているからです。

この家族は互いに援助し合うほどの親密さはないようですが、ジョバンニのお母さんは暗にカムパネルラの母を心配し(後で触れます)、カムパネルラの父はジョバンニの父を気にかけているのです。ジョバンニの事情をよく知っているカムパネルラがジョバンニに「気の毒さうに」しているのもそのためです。

ジョバンニもかつてカムパネルラに対する羨望と嫉妬と同じように、ザネリたちからジョバンニの父を羨望され、それが後に嫉妬となりました。その象徴が「らっこの上着」ですが、父は行方不明になって帰らず、らっこの上着の約束は果たされなかったために「からかい」の原因となっています。

(3次稿)
去年の夏、帰って来たときだって、ちょっと見たときはびっくりしたけれども、ほんたうはにこにこわらって、それにあの荷物を解ゐたときならどうだ、鮭の皮でこさえた大きな靴だの、となかひの角だの、どんなにぼくは、よろこんではねあがって 叫んだかしれない。ぼくは学校へ持って行ってみんなに見せた。先生までめづらしいといって見たんだ。いまだってちゃんと標本室にある。
(4次稿)
この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈した巨きな蟹の甲らだのとなかひの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかはるがはる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で(以下数文字分空白)

4次稿ではジョバンニが得意になって自慢する様子が削除されました。ただし、「一昨年修学旅行で」の後にそれと同様の意味が書かれようとしたのかもしれません。

嫉妬をめぐって、ジョバンニは父という媒介を経てカムパネルラと同じ立場にあったと言えます。だから、カムパネルラの悲しみを理解しようとしないジョバンニには「らっこの上着」は届けられないのです。


カムパネルラの母の死


カムパネルラの父がなぜ中有と関わりがあるかということについては「カムパネルラの行方」や「『銀河鉄道の夜』はいつか」、「『銀河鉄道の夜』はどこか」のページを参照してください。結論を言えば、この人物は3次稿まで登場していたブルカニロ博士の別の正体だからです。博士と呼ばれていること、家庭の様子から科学者らしきこと、「四十五分」と宣言して銀河鉄道を閉じたこと等からそう判断できます。

しかし、カムパネルラの母が病気とか死んだとかどこにも書いてないじゃないか、と言われそうですね。確かに書かれていません。カムパネルラの母の不在はふたつの説に分かれているようです。ひとつは生存説。ここに基づくようです。

「ぼくはおっかさんが、ほんたうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだらう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえてゐるやうでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないぢゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫びました。

もうひとつは死亡説。ここらしいです。

「あゝきっと行くよ。 ああ、あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集ってるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにゐるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。

ここで出てくる「お母さん」を聖母のように解釈して、実母ではないとする人もいるようですが、かなり苦しい解釈だと思えます。「ぼくの」とまで限定しているぐらいなのですから、これはやはり実母で死亡説を裏付ける箇所でしょう。

生存説を裏付ける箇所はお母さんが健康でピンピンしていることを示しているのではなく、逆にお母さんが病気でかなり悪いらしいことを暗示していると言えます。「おっかさんが、ほんたうに幸になるなら」ということは、今は「幸」ではないということですから。別の箇所でジョバンニの言葉に注目しましょう。

「いまも毎朝新聞をまはしに行くよ。けれどもいつでも家中まだしぃんとしてゐるからな。」
「早いからねえ。」

ジョバンニのこの唐突な一文「けれどもいつでも家中まだしぃんとしてゐるからな。」は明らかに賢治が何かを暗示しようとしている部分です。当時は朝は早いです。今の若い人には想像できないことですが、主婦は家族の中で一番遅く寝て一番早く起きて家事をする役割を担っていました。

ジョバンニが「けれどもいつでも家中まだしぃんとしてゐるからな。」とわざわざ付け加えるのは、よその家はそうではないという言外の意味を伴っています。そのため、ジョバンニのお母さんが新聞配達の時間は「早いからねえ。」というのはカムパネルラのお母さんをいたわって弁護しているのか、母親の事情を知っていてもジョバンニに知らせたくないための言い訳か、そのどちらかです。カムパネルラ家には何かが起こっています。

汽車の中で家庭教師の青年が連れていた子どもたちのお母さんもすでに死んでいました。登場する子どもたちのお母さんたちは一様に儚(はかな)い傾向が見られます。

生存説か死亡説か。明らかに賢治は両方を書いています。このふたつの説を両立させることはできます。それはこういう設定です。カムパネルラのお母さんは以前から入院していましたが、この日には危篤状態に陥り、カムパネルラが川に落ちる前に旅立ったのです。

これはまたずいぶんと強引な設定だなあと思う方もあるでしょう。しかし、この未完の荒っぽい物語はこういうことが起こりうるのです。これが推測の域を出ないことは認めるにしても、この推測を成立させる元になった二つの事実、「生きている」ことと「死んでいる」ことだけは確かです。

本心を言えば、「生きている」と「死んでいる」が両立していてもいいと思っています。シュレジンガーの猫のパラドックスのようで、それも面白い。これはトシと深いかかわりのある問題だと僕は思っているので、賢治はまだどう書いたものか考えあぐねていたのだと思います。ただ、時間軸で並べれば、「死んでいたけど生きている」はありえないわけで、「生きていたけど死んだ」より他ありません。生きる時間がもっとあれば賢治はもう少し言葉を紡いでいたことでしょう。

こう理解することによって、カムパネルラの言動や彼の周辺の物語が自然と流れ出します。ですから、息子の行方不明の現場にもカムパネルラの母は姿を現すことはありませんでした。

一方、カムパネルラはお母さんが旅立ったことを知りませんでした。「いつでもわらってゐる」はずのカムパネルラは汽車の中で不機嫌を見せます。それは他人への八つ当たりとして表現され、その原因は母の病気への心配でしょう。

赤ひげの人が、少しおづおづしながら、二人に訊きました。
「あなた方は、どちらへ入らっしゃるんですか。」
「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり悪さうに答へました。
「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。」
「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラが、いきなり、喧嘩のやうにたづねましたので、ジョバンニは、思はずわらひました。

「まあ、あの烏。」カムパネルラのとなりのかほると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱るやうに叫びましたので、ジョバンニはまた思はず笑い、女の子はきまり悪さうにしました。

ジョバンニは相変わらず無邪気です。賢治がカムパネルラの不機嫌とジョバンニの無邪気な反応の場面を繰り返して描いたのは、ジョバンニがカムパネルラの悲しみを理解していないことを知らせたいためです。

そして、カムパネルラは友達のザネリを助けることができても、母を助けられない自分に対する苛立ちを時々抑えられないでいたのです。ジョバンニの疎外感ばかりが取り上げられますが、カムパネルラの苛立ちも自分の気持ちを理解してくれる人がいないという疎外感です。この二人がともに疎外感を抱えているということは、たいへん重要なポイントです。ずっと後で触れますので覚えておいてください。

先に触れた「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないぢゃないの。」をジョバンニの心ない言葉と書いたのはそれが理由です。自分の不幸ばかりに気が向いていて、親友になりたい相手の境遇を思いやることができない少年だったのです。それは同時に次の心象スケッチへ繋がる賢治の修羅性でもあります。

けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか

『春と修羅』から引用

いい境遇にいるお坊ちゃんに見えるんだろうが、おれはそれが苦しんだ。だれにでも優しい人に見えるんだろうが、おれの心は修羅にあるんだ。おれはおれで苦しんでいるんだ、こんなおれの心を知っているのかという苛立ち。こんなカムパネルラに賢治の親友や妹トシの投影を見ることは難しいです。

もし妹トシの投影を見ようとするなら、カムパネルラの母に見るべきです。


自己犠牲の波紋


『銀河鉄道の夜』は賢治作品の総集編みたいなところがありますから、過去のいろんな作品が取り込まれています。その中でも自己犠牲というテーマに基づいた取り込みが目立ちます。ただの善意に基づいた自己犠牲もあれば、贖罪の色合いが濃い自己犠牲もあります。彼の生い立ちを考えれば、こんなに自己犠牲にこだわるのは贖罪の気持ちが強かったのだろうと推測できます。

『よだかの星』、『なめとこ山の熊』、『グスコーブドリの伝記』などの自己犠牲が扱われているものや、他にも『双子の星』や『ひかりに素足』などの命がけで他者を助ける物語もあります。『銀河鉄道の夜』ではカムパネルラ、家庭教師の青年、蠍の話が出てきます。カムパネルラはジョバンニから嫉妬されているように、その恵まれた生まれによる贖罪のにおいが濃厚です。蠍もたくさんの命を取った贖罪です。しかし、青年は信仰心にもとづく自己犠牲でした。

賢治の場合は贖罪と信仰による両方からの誘惑があったと思われるので、この2つが書かれたのは納得のいくところです。蠍の場合は『よだかの星』と同じく星となって燃え、いわばだれも傷つけないで済む鉱物のような存在になります。一方、人の場合、なにやらすっきりしないものが残ります。青年も、自己犠牲の道連れにした子どもたちもどこか悲しげなままです。

「なにがしあわせかわからないです。ほんたうにどんなつらいことでもそれがたゞしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。」
 燈台守がなぐさめてゐました。
「あゝさうです。ただいちばんのさいわひに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
 青年が祈るやにさう答へました。

賢治もその悲しみを認めるかのように書いていますし、ジョバンニはなにかしらこの青年を快く思っていないニュアンスを漂わせています。では、カムパネルラの場合はどうでしょうか。

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだらうか。」
 いきなり、カムパネルラが、思ひ切ったといふやうに、少しどもりながら、急きこんで云ひました。
(中略)
「ぼくはおっかさんが、ほんたうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだらう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえてゐるやうでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないぢゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫びました。
「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思ふ。」カムパネルラは、なにかほんたうに決心してゐるやうに見えました。

すでに何度も引用している部分です。汽車に乗ってまもなくカムパネルラは自分の行為を悔いるように話します。そして、無理をして自分に言い聞かせようとしているかのようです。ザネリを助けても、家族を不幸にすることにカムパネルラは罪を感じているのです。

それは青年が連れの子どもたちを死なせてしまった罪と同じく、自己犠牲が自分の犠牲だけでは済まないという現実を映しています。水に身を投げ出す行為は波を立て、波紋を広げざるをえないのです。

同人誌「アザリア」の仲間 カムパネルラの水死のヒントになったかもしれないと言われている事件があります。しかし、賢治の死の二ヶ月前ですからこれはないと思います。賢治の高農時代の同級生、河本義行(緑石)氏が鳥取で、溺れている同僚を救助に向かって自分が溺れてしまったというものです。高農時代の同人誌「アザリア」の仲間です。(河本氏は前列右)

最初に出た因伯時報の記事の見出しは「配属将校を助けんとして農学校教諭溺死」(昭和8年7月19日)でした。しかし、事実は別にあったようで、溺れそうになっている青年がいるのに気付いた将校が手を振って合図したのを河本氏が勘違いして救助に向かって心臓麻痺を起こしてしまったということのようです。

この将校は記事が出た翌日に鳥取新報にこう話しています。「真相を間違って報導(ママ)されて非常に迷惑しました。(中略)私は決して河本氏に救助されたのではありません」
(参考文献:校本宮澤賢治全集第14巻月報)

河本氏は命を投げ出しても報われず、まったくやるせないことです。しかし、この将校が冷然と反論した気持ちもわかります。自己犠牲とは必ずしも美しいものではありません。『銀河鉄道の夜」に見られる人の自己犠牲の暗さは、自己犠牲に憧れながらも、自己犠牲の暗部についても賢治なりに自覚していたことを示しているのではないかと思えます。

「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎ひにきたんだ。」(カムパネルラの台詞)

「(前略)ザネリはうちへ連れられてった。」(マルソの台詞)

助けられたザネリの場合は家族で家に引き籠もるしかありませんでした。

カムパネルラを親友の保坂や最愛のトシをモデルにして描いていたとしたら、こんな悲しい役割をカムパネルラに背負わせるでしょうか。


鳥捕りはだれか


『異人たちとの夏』(山田太一原作、大林宣彦監督、1988年) 『異人たちとの夏』(山田太一原作、大林宣彦監督、1988年)という好きな映画があります。この異人たちも中有にいるような人でしたが、『銀河鉄道の夜』はさしずめ『異人たちとの秋』と言えるでしょうか。その中でも風変わりな異人がいます。それはまるで銀河で暮らしているのではないかと思える鳥捕りです。

すでに指摘されているように鳥捕りはザネリと照応する人物のようです。物語の構造から見た場合、この二人は道化師としての役割を果たしていると言えます。狂言回しですね。

地上でザネリはジョバンニとカムパネルラの立場を引き立たせ、二人が銀河鉄道に乗る手助けをしているように見えます。ジョバンニが天気輪の丘に向かったのはザネリのお陰ですし、変な言い方ですがカムパネルラが溺れたのもザネリのお陰です。

一方、銀河の鳥捕りは古参の幽霊が新米の幽霊に作法を教えるかのように、不完全な幻想第四次システムの片鱗を教えるのです。

がさがさした、けれども親切さうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。 それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い巾でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯のせなかのかがんだ人でした。

昔、こういう人はよく見かけました。無学でいろんな苦労をしながらも、カムパネルラにけんか腰に言われても怒らないことからわかるように、その根は善人です。しかし、世俗のことには長けていますが、物事の本質はなにもわかっていない人です。仏教で言えば「無明」を象徴している人物と見ていいと思います。

無明から抜け出そうとしている賢治にとって、世俗的なことばかり言うような人は嫌なんです......(^_^) 実際、花巻の生活の中で浮いていた農民賢治はそういう人たちから批判を受けていたことでしょう。だから、ジョバンニもカムパネルラもはじめは邪魔者扱いしてしまったのです。

しかし、ジョバンニもカムパネルラも相手をするのが面倒な鳥捕りが実は善人であり、愛すべき人柄であることがわかってくるにつれて、この哀れな人を救ってあげたいと思うようになります。上から目線ですけどね......(^_^)

鳥捕りは中有の世界で迷子になり、自分がどこから来てどこへ行こうとしていたのかさえわからなくなって、ここに居着いてしまった存在のようです。

鳥捕りは二十疋ばかり、袋に入れてしまふと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾にあたって、死ぬときのやうな形をしました。

鳥捕りは死のポーズ(形態)を取ることで、あちこちへ移動しているようです。そして、幻想第四次の世界から脱落することなく、鳥捕りを生業(なりわい)にして生活しているのです。実にこの人は賢治が救い出さなければならない一等の人物と言っていい人です。

ここで『星の王子さま』ファンの人はある情景を思い出していることでしょう。王子さまが蛇に自分を噛ませたシーンの後のことです。

王子さまは、ぼくの手をとりましたが、また、心配でたまらなそうにいいました。
「こないほうがよかったのに、それじゃつらい思いをするよ。ぼく、もう死んだようになるんだけどね、それ、ほんとじゃないんだ......」
ぼくは、だまっていました。
「ね、遠すぎるんだよ。ぼく、とてもこのからだ、持ってけないの。重すぎるんだもの」
ぼくはだまっていました。
でも、それ、そこらにほうりだされた古いぬけがらとおんなじなんだ。かなしかないよ、古いぬけがらなんて......」

『星の王子さま』から、王子さまがしずかに倒れる挿絵 1942年、サン=テグジュペリは亡命先のアメリカでこの物語を書いていました。長い距離と十何年の歳月を隔てて、二人の作家は同じようなイメージを思い描いていたようです。賢治は『星の王子さま』を知ることなく死んでいきましたし、サン=テグジュペリは賢治という作家の存在すら知らなかったことでしょう。あの世で出会ったら、二人は意気投合するところがありそうです。

話を戻します。星の王子さまがそうであるように、鳥捕りが一筋縄でいかないのは、時々本質を突く台詞を言うことです。そこが道化師たる所以(ゆえん)です。同時に一人で二役をやっているとも言えます。

「あなた方は、どちらへ入らっしゃるんですか。」

「ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。」

鳥捕りは行き先と来し方を時間をおいて尋ねてきます。そんなことを忘れてしまっている二人に、なぜここにいるのか思い出しなさいと言わんばかりに。自分のようになってはいけませんよという警告かもしれません。

ここで思い出すのが第4次稿で登場した「午后の授業」の先生です。先生はやはりジョバンニとカムパネルラに問いをかけ、二人は立ったまま答えることができませんでした。幻想世界のガイダンスをした鳥捕りは「午后の授業」では先生となって銀河の説明をしているわけです。つまり、鳥捕りは地上では学校の先生へと投影されることになり、まさに変幻自在の道化師と言えるでしょう。

実は他にも働いている人が二人います。車掌と燈台守(燈台看守)です。車掌は銀河鉄道の運行者の一人なので、また立場を異にしますが、燈台守も幻想世界に通じている人物です。

「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいゝものができるやうな約束になって居ります。農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子さへ播けばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のやうに殻もないし十倍も大きくて匂もいゝのです。
けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわづかのいいかほりになって毛あなからちらけてしまふのです。」

奇妙な符合ですが、みんなに食べ物を配ったのは鳥捕りと燈台守だけです。鳥捕りはお菓子を、燈台守は苹果をみんなに配りました。2次稿までは苹果を持ち出すのは青年一行の長女でしたが、配るのは身内どまりでした。しかし、3次稿では燈台守が苹果を配ることに変更されました。そしてやはり、燈台守は鳥捕りと同じ台詞を言います。

「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」

明らかに鳥捕りと燈台守は秘密を共有しています。

「こいつは鳥ぢゃない。ただのお菓子でせう。」やっぱりおなじことを考へてゐたとみえて、カムパネルラが、思い切ったといふやうに、尋ねました。鳥捕りは、何か大へんあわてた風で、 「さうさう、ここで降りなけぁ。」と云ひながら、立って荷物をとったと思ふと、もう見えなくなってゐました。
(中略)
「どこへ行ったんだらう。」二人は顔を見合せましたら、燈台守は、にやにや笑って、少し伸びあがるやうにしながら、二人の横の窓の外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかはらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見てゐたのです。

この謎を解くためには「鳥」が何を意味するかを解かなければなりません。鳥は空へ舞い上がることから世界的に死者の魂の象徴とされます。ここには妹トシがかかわっているような気がしてしかたないのですが、まだわかりません。銀河の世界では舞い上がるのではなく、逆に地(砂地)に吸い込まれていくところが面白いですね。魂の着地点なんでしょうか。

鳥捕りは魂の抜け殻をお菓子にしているのかもしれません。

ザネリと鳥捕りは、単に地上と銀河で対応するたけでなく、ジョバンニにとって邪魔者であったはずの二人ですが、鳥捕りの幸せのためなら何でもするという変化をもたらします。ザネリから鳥捕りへと継続する一連の人物への心境の変化と読むこともできます。つまり、地上に戻ったとき、ジョバンニはザネリとの付き合い方を考え直すことが示唆されます。

そして、地上にもひとり風変わりな人がいます。

けれども俄かにカムパネルラのお父さんがきっぱり云ひました。
「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」
(中略)
「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日大へん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課后みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」

日本中探してもこんな親はいないと言えるほどです。博士は「堅く時計を握ったまゝ」ではありますが、すでに死を超越している人物です。喪に服するどころか、子どもたちと遊びに来いという呆れた人です。妻の死に対しても動揺することがないことも頷けます。

しかし、息子の死に悲嘆せず、ジョバンニにみんなと遊びにおいでという呆れた博士こそ、第3次稿で「そしてみんながカムパネルラだ」と諭した「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」にもつながります。この大人はブルカニロ博士のシャドウのように思えます。ジョバンニや他の子どもたちも博士(カムパネルラの父)のカムパネルラになり得るのです。

「『銀河鉄道の夜』はいつか」でも指摘したように、この人物は4次稿で消えたブルカニロ博士の役割を担うことになり、「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」と銀河鉄道を閉じる役割を果たしてもいます。これは銀河鉄道の軌道が地上へ伸びてから四十五分経ったから、これ以上放置すると時間の調整ができなくなるということです。だからジョバンニの帰還を確認して慌てて閉じることになりました。

カムパネルラの父の容貌はなぜか具体的に描写されています。「青じろい尖ったあごをしたカムパネルラのお父さん」です。当時、夏に日焼けをしていない人は珍しく、たぶん学者らしさを表現するためのものなのでしょう。黒い帽子をかぶった大人もカムパネルラの父も青白く痩せ体形であることが察せられます。

初期形のブルカニロ博士は第3次稿で登場する「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」を通じて、第4次稿では「青じろい尖ったあご」をして「黒い服」を着たカムパネルラの父へとスライドしてきたことがうかがえます。たぶん、アルコールランプの汽車はカムパネルラの玩具ではなく、博士の汽車です。いろんな天文学の本も読んでいるらしい人物です。

鉄道のレールが二本並んで走るように、この物語は「白」と「黒」から始まり、さまざまなものがふたつで構成されています。それはすでに今までにも触れてきていますが、やはりこの二人にもそれが当てはまります。先ほどはザネリと鳥捕りの重なりの話でしたが、今度は鳥捕りと博士の重なりということです。ややこしいことです。

鳥捕りは死のポーズ(形態)を取ることで、幻想第四次の世界から脱落することなく滞在している存在だと書きましたが、言い換えれば、鳥捕りは博士(カムパネルラの父)と同じく「死」を超越している存在です。

彼は幻想第四次の住人で、地上に還ることも、天上に昇ることもない存在と考えられます。3次稿まではブルカニロ博士の助手的な存在かとも思えますが、4次稿でカムパネルラの父が博士として登場してきたことで、鳥捕りの立ち位置もはっきりしました。

物語の登場人物たちは一人で二役をやってみたり、一役を二人でやってみたり、挙げ句は役を交代してみたり、実に目まぐるしい。

ちいさな劇団の演劇を見に行ったら、思いのほか役者が多い。しかし、時々話に穴があくので舞台裏を覗いてみたら、賢治がいっしょうけんめいたくさんの仮面を作っていた。そんな感じです。

この鳥捕りと博士(カムパネルラの父)の場合はそれぞれ肩書き通りの役割を果たしながらも、二人でブルカニロ博士の役も引き受けています。顔の後ろに賢治が作ったブルカニロ博士の仮面が張り付いているのです。

片方は哲学的なアプローチであり、もう片方は世俗的なアプローチです。しあわせの在りかまで見通そうとするカムパネルラの父はジョバンニを理智へ導く役割を果たし、鳥捕りはみんなのしあわせを求める心をジョバンニの中に導こうとしています。


ジョバンニはだれか


さて、ようやく最後の二人について話す準備が整いました。ジョバンニとカムパネルラです。すでにお気づきのように僕はこの二人が賢治の二役だと思っています。舞台裏で賢治が二人の仮面を持っていましたもの......(^_^)

さうだ僕は知ってゐたのだ、勿論カムパネルラも知ってゐる

そりゃ二人とも知っているはずです。二人とも賢治なんですから......(^_^) 河合隼雄氏は「普通に仲がいいというような状態をはるかに超えた、共生感」と説明しています。容易に「親友」と片付けないところがえらいです。

ジョバンニの疎外感ばかり注目せずにカムパネルラの疎外感にも注意を払ってほしいと前述しましたが、この二人の疎外感はやはり賢治の心の投影です。まさに二人で一組の分身なのです。二人の鳥捕りに対する気持ちの変化が同一であることも指摘できるでしょう。

カムパネルラには賢治の現実がたくさん重なっています。生まれの境遇。それゆえの悩み。自己犠牲への憧憬。肉親の病気と死(母あるいは妹)。母へのすまない気持ち。

母へのすまない気持ちを補足すれば、賢治は自分を罰するかのように自分の身体をないがしろにし、母を心配させた挙げ句、肉を隠すように混ぜた料理も突き返すありさまでした。

そして、「さいわひ」についての思い。

「誰だって、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。」
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「けれどもほんたうのさいわひは一体何だらう。」ジョバンニが云ひました。
「僕わからない。」カムパネルラ がぼんやり云ひました。

2箇所からのこの引用は賢治の現実だったと思います。カムパネルラの不幸は賢治と深い関係にあることがわかります。では、みんなが賢治の分身だと思っているジョバンニはどういう存在なんでしょうか。

まず簡単に言えることは、カムパネルラが賢治の現実であるように、ジョバンニの境遇は賢治の憧憬であったということです。「父の不在」がよく指摘されるところですが、いつも頭を押さえつけてくる父、政次郎さんが家庭からいなくなることを賢治は子どもの時から時々夢想していたことでしょう。父のいる生家から離れて下根子桜へ移って独居生活をしたことも羅須地人協会という夢だけではなかったと思います。

そして、何よりも恵まれた境遇であってはならなかったのです。自分のものを何も投げ出さず、人が羨(うらや)むような幸せな生活をしている人が他人の幸いについてとやかく言う資格はないのです......ということでしょう。聖フランチェスコのように。

わたくしはどこまでも孤独を愛し
熱く湿った感情を嫌ひますので

『春と修羅』第2集序からの引用です。これがほんとうなら、自己反省でしょうか。ついつい熱くなってしまうのが賢治。思わず人に同情して有り金全部をあげて、汽車賃がなくなって歩いて帰るような人です。寂しがり屋で熱しやすいジョバンニの性格に表れています。賢治の性格が一部反映しているとは言えます。

ジョバンニの不幸については、『宮沢賢治』第17号で中地文氏が当時の少年小説と比較して、特別に不幸ではないし、少年小説の主人公の類型に属していると指摘しています。そして、当時の少年雑誌に掲載された『松前追分』(有本芳水著)がジョバンニの家庭に似ていると紹介しています。ラッコやオットセイを捕る船に乗る父が行方不明で、母が病気。息子は父が密漁船の漁師だといじめられるという設定です。

ジョバンニの孤独とか疎外感がたくさん取り上げられるほどには、ジョバンニの設定はそれほどオリジナルなものではないように思えます。恵まれない家庭の子どもがその境遇に挫けることなく努力して報われるというのは、昔の児童物語の世界的な定番ですからね。

小説から離れてみても、当時の子どもたちが働くのは普通のことです。農繁期には学校も休みになっていたぐらいです。漁村でも繁忙期は同じです。

双子の長寿で有名になった「きんさんぎんさん」は1892(明治25)年生まれです。賢治よりちょうど4年早く生まれています。農家だったぎんさんの三女の津田千多代さん(現在93歳)は六つか七つの時から働いたと話しています。ぎんさんの娘だから当然賢治よりもずっと後の生まれです。賢治が生きていれば115歳ですから、22年後ですね。

当時の農家はこれが普通だし、漁村でも同じことです。3次稿にあった母の労働の辛さや立場も、当時の一般家庭であるなら女性はみんな気の毒な状況にあったことでしょう。東北では出稼ぎも多く、ジョバンニの家庭が特別に不幸な境遇にあるとは言えません。母の病気を除いては。

賢治がそういう社会状況をよく知っていたことは言うまでもありません。だからこその『銀河鉄道の夜』なのですから。それを意識したのか、4次稿ではジョバンニの嘆きがほとんど削られました。ジョバンニの不幸とは多くの人々に見られる不幸です。自分ばかり損をしているとか、運が悪いとか言って嘆いている僕たち普通の人の不幸です。そんな不幸にも賢治は寄り添ってあげようとしているのでしょうか。

もちろんそういう意味もあるでしょう。しかし、大事なことはジョバンニが緑色の「ほんたうの天上へさへ行ける切符」で招待されていることです。これはだれもがその切符を持つ資格があることを示しています。だれにでも与えられる可能性がある切符なのです。

しかし、カムパネルラの言葉が「ほんたうに強い気持から出てゐないやう」であるのと同様に、ジョバンニの言葉もあまり信頼できるようなものではありません。嫌いになったり同情したり好きになったり、場面ごとに気持ちがすっかり変わってしまう彼にお調子者の姿を見ないわけにはいきません。

つまり、僕です。つまり、あなたです。失礼.......(^^ゞ

カムパネルラの不幸が賢治と密接であったのとは異なって、ジョバンニが感じている不幸は賢治からは少々遠いものでした。そして、カムパネルラは賢治の現実と記しましたが、ジョバンニは賢治の理想なのでしょうか。とてもそうは思えません。しかし、期待を寄せざるを得ない人物であるということはできるでしょう。僕ら読者が自分を重ね合わせるのはジョバンニです。そのための設定が施されているのでしょう。

先月も取り上げた手紙をもういちど読んでみてください。賢治が教え子の柳原昌悦へ死ぬ十日前に出した手紙です。部分引用します。

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私のかういふやうな惨めな失敗はただもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふうものの一支流に誤って身を加へたことに原因します。
僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが、何か自分のからだについたものででもあるかと思ひ、自分の仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからか自分を所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して、却って完全な生活をば味ふこともせず、幾年かが空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、ただもう人を怒り世間を憤り、従って師友を失ひ憂鬱病を得るといったやうな順序です。
(中略)
風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間も話ができるとか、じぶんの兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の技にも均しいものです。
(中略)
どうか今のご生活を大切にお護りください。うわのそらでなしに、しっかりと落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きていきませう。
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賢治は『農民芸術概論綱要.』の実践に失敗していました。そもそも綱要にあったのは抽象論であり、具体的な方法論はありませんでした。賢治はこうした反省から、足を地べたに着けて歩くことを決めたのです。ジョバンニは特別な子どもではなく、どこにでもいる子どもです。そんな子どもが幸いを求めることに賢治は希望を見いだそうとしているのです。

カムパネルラの苦しみを理解できなかったジョバンニは、青年の「神さま」について答えることもできず、鳥捕りの純朴な心も受け止めることができませんでした。ですから、その緑色の切符でだれも「いっしょ」に連れて行くことができませんでした。異人たちはみんな途中で消えて、ジョバンニはまた地上に帰されることになったのです。

地上に戻ったジョバンニはやがてカムパネルラの悲しみを理解することになるでしょう。その証(あかし)として、醜い「嫉妬」の象徴であったらっこの上着は、父からの美しい愛情として届けられることになります。

らっこの上着は当時はすでに手に入れることが難しい品でしたから、約束は果たされなかったかもしれません......(^_^) しかし、それは成長したジョバンニにとってすでに意味のないものだったことでしょう。

賢治はカムパネルラとジョバンニという二人の自分を表現しながら、最後にはカムパネルラを消して、ジョバンニへと統合させたと言うこともできます。

『銀河鉄道の夜』は特殊な物語ではなく、普通の物語です。賢治が現役の作家であったなら、読者は作家の人生を知りませんから作品から読み取れることだけで終わります。しかし、作者は亡くなっていて、しかも作品は未完で読みづらいものであったため、読者は手がかりを求めて作者の人生へと導かれました。

主人公は共感を得やすい社会的弱者である少年ジョバンニであり、彼に伴走させたのは社会的立場が逆の少年であるカムパネルラです。よくある設定です。ですから、この二人が作者の分身であることはとても自然なことです。しかも、今まで見てきたようにカムパネルラの内面は友人でもなく、妹でもなく、賢治自身のものです。

この物語がまるで絵空事でありながらも多くの人の心を捕らえるのは、親友や最愛の妹との別れという、賢治自身が経験した悲しみが強く投影されているからです。しかし、それはそのままの「人物モデル」として反映しているのではなく、「物語の場面」として反映しているのだと考えます。


妹トシのいるところ


さて、カムパネルラも賢治の分身だとしたら、トシはどこにいるのか。おまえはトシの死を踏まえて「『銀河鉄道の夜』とは何かと問われれば、それは行方不明者を尋ねる長い手紙だと答えられるのかもしれません」と先月書いていたではないか、と問われそうです。

トシは確かにこの物語のなかにいるのです。しかし、先ほど記したようにトシがモデルになっている人物ではありません。それは場面なのです。

例えば、タイタニック号で遭難した姉弟は第2次稿までは姉妹3人と弟1人でした。当時の家族状況を考えれば普通の子ども数です。しかし、物語としては姉妹の数が多すぎて描ききれません。このため賢治は第3次稿以降は一人の姉に変更しました。妥当な推敲だと思えます。

では、なぜ当初は姉妹が3人も登場したのかを考えれば、やはり思い当たることがあります。

長男であった賢治(96年生)の妹弟はトシ(98年生)、シゲ(01年生)、清六(04年生)、クニ(07年生)と続きます。このきょうだい構成が反映しているのが透けて見えます。

「髪の黒い姉」とか「一番大きな姉」と記され、きょうだいに苹果(りんご)を配った面倒見の良い長女にはトシが映し込まれているのを感じます。また、カムパネルラの隣に座った次女が寂しげに別れを告げる場面にもトシの姿を見ることができるでしょう。しかし、この長女は第3次稿で消され、次女は最終形まで残りました。

そして、このきょうだいたちの家庭教師の青年には妹弟を見守る賢治の影を見ることもできるでしょう。しかし、こうしたことに特別な意図はなく、身近なことが筆に反映することは普通のことだと思います。

第3次稿で一行は3人に減らされますが、代わって挿入されたのが『双子の星』です。賢治が家族に読み聞かせた処女作とも言うべき『双子の星』が、物語に残された姉弟の間で語り出されるのも興味深いところです。

さて、トシとの別れの反映はどこに見られるのでしょうか。サハリンへの旅行途中で書かれた『宗谷挽歌』から一部引用します。(『春と修羅・補遺』所収)

とし子、ほんたうに私の考へてゐる通り
おまへがいま自分のことを苦にしないで行けるやうな
そんなしあはせがなくて
従って私たちの行かうとするみちが
ほんたうのものでないならば
あらんかぎり大きな勇気を出し
私の見えないちがった空間で
おまへを包むさまざまな障害を
衝きやぶって来て私に知らせてくれ。
われわれが信じわれわれの行かうとするみちが
もしまちがひであったなら
究竟の幸福にいたらないなら
いままっすぐにやって来て
私にそれを知らせて呉れ。
みんなのほんたうの幸福を求めてなら
私たちはこのまゝこのまっくらな
海に封ぜられても悔いてはいけない。

「カムパネルラの母の死」の章の最後にぽろっと漏らしましたが、やはり第一にはカムパネルラの母にトシの死が投影されていると思います。『銀河鉄道の夜』を書いている間に一歩離れたところから自分とトシを見ることができるようになったのです。トシは直接登場させずに暗示されています。それこそが愛する人に対する態度です。この物語の母たちがみんな儚(はかな)い存在であると指摘したのも、この影響を受けています。

「ぼくはおっかさんが、ほんたうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだらう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえてゐるやうでした。

カムパネルラのこの思いは賢治のトシへの思いそのものでもあります。なぜなら、賢治は旅立ったトシのことがずっと心配でならないのです。『青森挽歌』から一部引用します。

あいつはこんなさびしい停車場を
たったひとりで通っていったらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たったひとりでさびしくあるいて行ったらうか

うちのサイトのトップページに記した『青森挽歌」にはこんな胸ふさぐような悲しい一節があるのです。次にカムパネルラが汽車から消える直前の場面を思い起こしましょう。

「あゝきっと行くよ。 ああ、あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集ってるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにゐるのぼくのお母さんだよ。 」カムパネルラは 俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。

賢治は最後にカムパネルラに慰めを与えました。まもなく自分も旅立ち、どこか銀河の辺境のきれいな野原でトシに会えるという期待を願いと共に書き込んだのだと思えます。

そして、第二もあります。小劇団ですから、トシにも他の役を担ってもらわなくてはなりません。

実は、トシは登場する異人たちみんなです。固有名詞には置き換わらない存在です。カムパネルラがどこかわからないところで母に促されるように降りたのは、賢治の未来です。なぜなら賢治もカムパネルラと同様にほんとうのさいわいについて「僕わからない。」からです。

賢治は「わからない」から、自分の心の中でさびしく独りでいるトシを救い出すことができないのです。ジョバンニのような緑色の切符は手に入らなかったのです。

そしてまた、トシがだれなのか別の答え方をするならば、3次稿の一文でも答えることができます。

「おまへのともだちがどこかへ行ったのだらう。あのひとはね、ほんたうにこんや遠くへ行ったのだ。おまへはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
「ああ、どうしてさうなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行かうと云ったんです。」
「あゝ、さうだ。みんながさう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。

つまり、みんながトシです。そしてたぶん、ここにもカムパネルラのモデルが賢治の親友だとかトシだとか思い込んでしまう原因があるのでしょう。賢治の親友や妹との別れはやはり人物モデルではなく、別れの「場面」へと投影されています。

これからもだれそれがカンパネルラのモデルだという新説がきっと出てくるでしょう。それは賢治を知る上で貴重なレポートにはなると思いますが、やはりそれはみんながカムパネルラであって、カムパネルラの一部にとどまります。

4次稿では物語の賢治なりの答えとも言うべき部分は隠されました。上の文の後にはこんな文章が続きます。

おまへがあうどんなひとでもみんな何べんもおまへといっしょに苹果をたべたり汽車に乗ったりしたのだ。だからやっぱりおまへはさっき考へたやうにあらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなと一しょに早くそこへ行くがいゝ。そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。

幸福とは何か、何処にあるのかさっぱりわかりませんね......(^_^) しかし、キーワードはわかります。「いっしょ」です。幸福とは何か僕たちにはよくわかりません。しかし、不幸ならわかるのです。特に今年は東日本大震災があって、「いっしょ」にいられないことがどれほどの不幸か身にしみたのです。人の幸福は「いっしょ」という鍵で開けられる木箱の中にありそうです。

こんなわけのわからない物語の一言一句の意味まで読み解こうとする読者をたくさん持てたことは賢治のひとつのさいわいです。僕もこの物語を読むことができてひとつのさいわいです。ただし、こんな文章を書くのはやっぱりひとつの苦しみです。そして、原作よりもわけのわからない通信を読んだあなたもひとつの苦しみだったことでしょう.......(^^ゞ

苦あれば楽あり。良き年となりますように。

2011.12

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