プリオシン海岸  プリオシン通信

宙返り

あるいはコペルニクス的転回


鈴鹿山脈に沈む夕日
鈴鹿山脈に沈む夕日


キャンディーズのファンだったわけではないけれど、田中好子さんが亡くなって妙に寂しい気持ちになりました。回顧番組を見て、グループ初期はスーさん(田中好子)がメインボーカルであったことも初めて知りました。

キャンディーズとの出逢いはヒット後のイメージとは少し違う感じでした。どちらかと言えば、コーラス・グループ。アイドルが歌うような曲でもない。これは僕が十代の頃の話で、つまりはなんでも印象に残る時代です。

出会った曲は『迷える羊』。何十年経ったのにまだタイトルを覚えていることでその愛着度がわかります。4枚目シングル『なみだの季節』(1974年)のB面だったようです。笑えるほど僕はいつもB面だな.......(^^ゞ 

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わたしは愛の迷える羊
あーあなたの涙だけが救い
ひとりぼっち

わたしは愛の迷える羊
疑うのは悲しいことだけど
怯えているの
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歌詞はつまらないですが、ラジオから録音して繰り返し聞いていた記憶があります。今回調べたら、確かにこの時のメインボーカルはスーになっていました。きれいなコーラスを響かせています。そして、これがメインボーカルを務めた最後の曲になるそうです。

コーラス・グループのままだったらアイドルになることもなかっただろうし、早くに解散することもなかったんでしょうね。違和感を抱えたまま染まっていくのを避けた賢い人たちでした。ビジネスよりも3人の関係を壊さないことを優先した「普通の女の子」だったようにも思えます。

『なみだの季節』

僕がちゃんと聞いたのは『迷える羊』だけです。だから、田中好子さんは僕にとっては女優です。代表作は言うまでもなく、今村昌平の『黒い雨』(1989年)。井伏鱒二の原作『黒い雨』は十代に読んだはずですが、まだ時代が新しい映画の方が記憶に残っていますね。

今村昌平監督『黒い雨』

以前、やはり十代で広島平和記念資料館を訪ねたことを書きましたが、ここの原爆死没者慰霊碑にはご存じのように「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。それから60年経って、東日本大震災が起きました。

この碑文の誓いを僕たちが破っていたことを知ったのが、その3月11日となりました。やはり、田中好子さんも3月29日に録音したメッセージに原発災害のきっかけとなった大震災に触れていました。

「過ちは繰返しませぬから」 同じ言葉で誓ってほしいと願い続けてきた相手、アメリカ。先月末に「スーパーマン」を取り上げたら、今月初めに「スーパーマンが米国籍を捨てた」というニュースが飛び込んできました。アクション・コミックス誌900号に掲載されたらしい。困るんだよね。

アクション・コミックス誌900号 時速800万kmものスピードで飛べるのに世界へと手を伸ばさず、国内のご近所の人々に尽くしているところが「雨ニモマケズ」的でいいと思っていたのに。

そもそもはアメリカ人が「ワールド(世界)」という時は、たいていアメリカとイコールだということになっているので、それが本当の理由なんだろうけれど。

しかし、まだコミックスでも引退していなかったとは知りませんでした。映画のように時々現れているのでしょうか?「空を見ろ!鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだ!」と今でもやっているのかな。

現代はスーパーマンでも生き方に悩む時代であるらしい。

先々月の通信で「人生に意味はない」と書きました。しかし、姜尚中(カンサンジュン)がこんなことを言っているのを知りました。

「病にも悩むことにも意味があるのだと説くフランクルに触れて、目からウロコが落ちた。人は誰しも不条理を抱えて生きる。意味を見つけ出してそれを受け入れられたとき、自分と和解できる」(朝日新聞ニッポン人脈記から引用)

彼の著書『悩む力』 (集英社新書)はこれを踏まえて書かれたのでしょうか。人生の不条理をどう受け止めるか、僕とはまるで反対のやりかたです。僕もかつては人生の意味を見つけ出したら自分の人生と和解できると考えていましたけどね。

十代末までは虚無の住人でした。人生には意味も価値もない。哲学的に言えば受動的ニヒリズム。しかし、十代末でこれが反転。意味も価値もあるはずだというのが生きる前提となりました。

『生きることの意味』(高史明著・筑摩書房) それからはそのものズバリ『生きることの意味』(高史明著・筑摩書房)なんて本も読みましたね。この著者も姜尚中と同じく在日コリアン。ただの日本人よりも自分のアイデンティティに悩む力が作用するからでしょうか。

何が書いてあったか今では記憶がありません。でも、書名は覚えているのできちんと読んだことは間違いない。今は文庫本になっているようです。

意味を見つけ出すためにそんな本を雑多に読みながらも、いつしか目からウロコが落ちて、「人生に意味はない」と自分が宙返りしてしまっただけです。ただし、かつての虚無とは違う。

ビクトール・フランクル著『それでも人生にイエスと言う』 姜さんがフランクルと言っているのはピーター・フランクルではなく、ナチスの強制収容所から生き延びた精神科医ビクトール・フランクル(Viktor Emil Frankl、1905〜97年)のことです。そして、たぶん目からウロコが落ちた本とは『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)らしい。先月の日曜日の新聞広告にも、姜尚中と香山リカが「いま、この時に私たちは本書を推薦します」と出ていました。

「ニッポン人脈記」からまた引用すれば、フランクルはこう書いています。

人間はあらゆることにもかかわらず――困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても ―― 人生にイエスと言うことができるのです。

「奴隷」が存在できるのは死ぬよりましという思いがあるからこそ、とどこかでそんな意味のことを書いた気がしますが、奴隷制を維持する側はそれを逆手に取っているわけですね。

確かに奴隷が存在できるほどに、人は人生にイエスと言ってきました。しかし、その一方で No と言って自死する人が後を絶たないのも事実です。フランクルの言う「実存的空虚感」ゆえでしょうか。

ビクトール・フランクル著『夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録』 僕は人生に意味を求めて苦しんだので、逆転の発想をしたわけではないですが、客観的に見れば、人生から意味を排除することで楽になろうとしたようにも思えます。

ビクトール・フランクルの著作でもっと有名なのは『夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)ですよね。彼はこの著作の中で、やはり逆転の発想をしています。長文で引用しましょう。

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あらゆる励ましの言葉に反対し、あらゆる慰めを拒絶する彼等の典型的な口のきき方は、普通次のようであった。「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」 

これに対して人は如何に答えるべきであろうか。ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。

哲学的に誇張して言えは、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。

人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果すこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。この日々の要求と存在の意味とは人毎に変るし、また瞬間毎に変化するのである。従って人生の生活の意味は決して一般的に述べられないし、この意味についての問いは一般的には答えられないのである。
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彼はロゴセラピーの創始者でもありますが、彼が言う、人間は生きる意味を強く求めているという「意味への意思」はその通りだと思います。「人生の意味」の存在についてはもはや同意しませんが、共感できる部分があります。それはまさに彼が言う「観点変更」です。

「人生が何をわれわれから期待しているか」という逆転した観点には共感を覚えるのです。なぜかと問われれば、「一般的には答えられないのである」.......(^^ゞ 敢えて答えれば、人生の期待に応えるために生きているというような気分があるからです。

では、その期待とは何か? それはただ一点、生きることです。

ビクトール・フランクル 人生から問われているということは、言い換えれば神から問われているようにも見えます。彼はやはりユダヤ人、つまりは一神教という背景があるのでしょう。しかし、信仰を持たない僕にも共感できる何かがあります。

この本の中には次のような記述もあります。

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アウシュヴィッツからバイエルンの支所に鉄道輸送をされる時、囚人運搬車の鉄格子ののぞき窓から、丁度頂きが夕焼けに輝いているザルツブルグの山々を仰いでいるわれわれのうっとりと輝いている顔を誰かが見たとしたら、その人はそれが、いわばすでにその生涯を片づけられてしまっている人間の顔とは、決して信じ得なかったであろう。

(中略)

あるいは一度などは、(中略)西方の暗く燃え上る雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から深紅の色までのこの世ならぬ色彩とを持った様々な変化をする雲を見た。そしてその下にそれと対照的に収容所の荒涼とした灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場があり、その水溜りはまだ燃える空が映っていた。感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞こえた。
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2009年10月の「モジ仮説」でも夕焼けの美しさについては少し触れましたが、人は自然の美しさに心を奪われる瞬間があります。人は地面にへばりつき、地平線の先まで人間の中にどっぷり浸かりながら毎日を生きています。しかし、時に人は垂直に降りてくる世界を見ることがあります。

信仰を持った人にはそれが神の恩寵として受け取られるのかもしれませんが、僕には自然の恩寵そのものです。森田童子が「菜の花畑」に安息を見いだすように。

大宇宙の中でぽつんと浮かぶこの惑星が生み出している環境は、時に震えたり、時に熱くなったり冷えたりするけれど、生命を育むことができる自然を与えてくれています。地球上の生き物には今やそんなことは当たり前の自然ですが、時折垣間見せてくれる自然の美しさはその当たり前と同じぐらい何か大事なものを秘めている気がするのです。

僕は30代で人生に失敗したことに気づき少々後悔しましたが、さりとて「人生の成功」に魅力を感じたこともありません。今では人生の失敗とは自分の欲望を実現することができなかっただけのことと思えます。人生を人の間だけで考えていてはいずれ行きづまるように思えるのです

田中好子さんの訃報に接して、早く自分の番がまわってこないかなと思うB面思考の一方で、そのA面では身近でない人の死でさえ寂しく感じることがあるのだから、できるだけ多くの人を見送ってあげて、自分を知る人が誰もいなくなるぐらい長生きするのも人のため、と思うこともあります。そんなことは自然的にも無理だけど。

「世界不思議発見」よりアッシジの菜の花畑 もうすっかり見なくなったTV番組「世界不思議発見」がイタリアのパワースポットを特集するというので、これはアッシジが出てくるなと思い録画しておきました。結果は的中。そして、「あっ」と思ったのが画像の風景。

こんなところに菜の花畑があったのか。背後の丘には聖フランチェスコ大聖堂がそびえます。この近辺からフランチェスコ大聖堂の写真を撮ったことがあるのですが、僕が行ったのは夏。春行けば、僕が世界で一等住んでみたいアッシジに菜の花畑が広がっていたんだなあ。

森田童子アルバム『ラスト・ワルツ』(1980年) ♪--------『たとえばぼくが死んだら』
たとえば ぼくが死んだら
そっと忘れてほしい
淋しい時は ぼくの好きな
菜の花畑で泣いてくれ
----------『ラスト・ワルツ』(1980年)所収


全ての曲がB面の森田童子はそう歌ったけれど、たまには宙返りしてA面でいこう。泣いてくれなんて言わない。迷える羊(ホモ・パシエンス)は菜の花畑でみんなを見送ってやろう。

童子姉さん、元気でいますか?



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