プリオシン海岸  プリオシン通信

日本のスーパーマン

アメリカの「雨ニモマケズ」


祇園会館
祇園会館


2009年末に京都の名画座について触れましたが、そのひとつが祇園にある祇園会館です。桜が終わりそうな頃、所用で京都に行きました。時間に余裕があったので円山公園駐車場に車を入れて、公園と近くの八坂神社、知恩院を散策しました。

この時に久しぶりに通り過ぎたのがここ。もっとも余りにも懐かしかったので、後でまた映画がかかっているのか確認にいきました。

学生時代のままの佇(たたず)まいで、映画館としてまだ上映していたのでびっくり。当時は3本立てで800円。今は2本立てで1600円。まだ安いと言えばその通りですが、あまりお得感はしないなあ。

検索したらちゃんとホームページもありました。WEB特別鑑賞券を印刷して持っていけば、千円。これはやはり安い。

近頃は映画1本の上映時間が延びているので、3本も見るのは無理ですよね。5月末から上映される『バーレスク』と『ロビン・フッド』は合計4時間20分。休憩を入れると4時間半を超えることになります。ここはシネマ・コンプレックスのような小さいスクリーンではないのでお勧めです。

円山公園ではまだお花見の人でいっぱいでした。祇園四条周辺も歩きましたが、大震災の影響で外国人は本当に消えてしまいました。

知恩院 久しぶりの知恩院の参道はすっかり変わっていました。今年は法然上人800年大遠忌法要があるそうで、山門の雰囲気も少し違いました。歩き疲れたこともあって、御影堂の薄暗い中でしばし座って休憩。

お堂の中で座るのなら夏が好きです。風が通ってなんとも言えずいい気分になれます。本当は大の字になって転びたいところですが、たくさんの参拝者ゆえ、あぐら座で我慢。「たくさんの参拝者ゆえ」という理由は間違っていますかね。場所柄控えるべきでしょうか.......(^^ゞ

山門前の募金活動 東日本大震災では仏教教団の活躍がほとんど報じられていません。いつものことですが、やはり動きが鈍いのでしょう。知恩院は浄土宗の本山ですが、山門の前で僧侶と事務員らしき女性のお二人が募金活動をしていました。上の写真を拡大すると見えてきます。

また、御影堂の中にも募金箱は置かれていました。しかし、大教団にしては慎ましい振る舞いだと感じます。

僕が知らないだけなのかと、HPも見てみました。「総本山知恩院に災害対策本部を設置し、被災されました皆さまに支援を行うとともに、一日も早い復旧を祈念いたします」とありました。しかし、「支援」とは何なのか、それについての記述を見つけることはできませんでした。

4月12日に、すこし「あっ」と思うニュースがワシントンから送られてきました。世界の主要宗教の代表者が集まった「日本のための祈り」が11日夜、ワシントン大聖堂であったというものです。そこで読み上げられたのが『雨ニモマケズ』。

日本のための祈り TBSニュースによると、

ワシントンのナショナル大聖堂で行われた礼拝には、国務省のキャンベル次官補らアメリカ政府の代表や藤崎駐米大使など600人あまりが参列しました。礼拝では、キリスト教、イスラム教、仏教や神道などの代表者によって祈りが捧げられたほか、被災地・岩手出身の作家・宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の英訳や童謡「さくらさくら」が披露されました。

朗読されたのは全文ではなく、どこか一部省略されたそうです。また、どういう文脈で朗読されたのかも報道がありませんでした。調べたみたもののわかりませんでした。

僕が報道で知る限りにおいては、東日本大震災があってから、震災とは直接関係なく金子みすゞの詩が取り上げられることはあっても、『雨ニモマケズ』を口にした人はいなかったように思います。僕もまったくリンクしませんでした。

この作品は日本人にはたぶんアレルギーがあります。かつて国に利用された苦い歴史や、説教臭の中で朗読されることがよくあり得るからです。だから、被災地である東北の詩人であるにもかかわらず、日本人はリンクすることがなかったのかもしれません。

しかし、賢治が挫折という病床で記した、個人的な小さな願いは、現在の日本人の中にも生きていることを多くの人が感じたのではないでしょうか。

この一月半の間に流した20年分ぐらいの涙は、単に悲惨さ故だけではなく、賢治が願ったような個人的な行動を取った人が多くいたからでもあります。

それは誰かを助けるためなら自分の命を犠牲にしていいという行動でした。あるいはまた、一緒に逃げられないなら、そばにいて死に寄り添ってあげようという諦観でした。

アメリカ人なら、きっと「ヒーロー」として取り上げたであろう人々です。しかし、日本人は英雄とは呼びません。その人格の高さに涙し頭を垂れるのみです。

『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワー著 第二次世界大戦で敗北した日本が戦禍から立ち上がる過程を見つめた『敗北を抱きしめて』のジョン・ダワーも朝日新聞のインタビューで『雨ニモマケズ』に触れていました。

私が注目しているのは、日本のいたるところで、助け合いやコミュニティーの感覚が生まれていることです。困っている人をなんとか助けたいと若者たちが考え、被災地でボランティアをしている。そこにあるのは、宮沢賢治が残した詩『雨ニモマケズ』にあるような質実で献身的な精神です。自分のことだけでなく、コミュニティーのことを、責任を持って考えています。

これは共感できる部分と、すこし違和感を覚える部分の両方がありますね。こういう精神は日本だけに限られたことではないので、今までの日本では見られなかった状況が出現していると言いたかったのでしょうか。ボランティアという観点だけから言えば、アメリカ社会は日本よりはるかに優等生ですから。

阪神・淡路大震災の後も日本では同じように好ましい状況が生まれていたと記憶します。

「『雨ニモマケズ』で賢治が描くスーパーマンみたいなデクノボー」

昨年12月の通信で賢治が名付ける「デクノボー」についてすこし嫌みっぽく触れました。多くの人が短い時間の中では『雨ニモマケズ」的な行動が取れると僕は思っています。しかし、それをずっと継続することは甚だ難しい。

逆に言えば、家庭では善人であった人が戦争という限られた時間の中では鬼になるのと、鏡像のように照らし合わせることもできます。この場合もやはりずっと鬼のままでいることは難しい。

それゆえにスーパーマンなのです。

『スーパーマン(Superman)』 1938年、アメリカのコミックに登場した、原作ジェリー・シーゲルの『スーパーマン』の主人公は、普段の生活では風采の上がらない新聞記者です。クリプトン星の生き残りでもあるクラーク・ケントは素性を隠しながら利他業(他を利する業)を行っている宇宙人(カル・エル)です。

まさに賢治の願いを「ホメラレモセズ クニモサレズ」に実践している人です。

ウルトラマン1966(ジェネオン エンタテインメント) 日本のスーパーヒーローである『ウルトラマン』は1966年に登場したM78星雲光の国からやってきた宇宙人です。スーパーマンと同じく宇宙人という点は共通していますが、救う対象が人類規模で、ハヤタ隊員はエリートとして描かれていました。

『雨ニモマケズ』の精神と共通するところがほとんどありません。ジョン・ダワーが言う「質実」なのは、ハヤタ隊員よりもむしろクラーク・ケントです。日本の戦後は『雨ニモマケズ』を遠ざけてきたのかもしれません。

スーパーマンは映像で何度も蘇っています。それほどまでにアメリカ人に受け入れられている精神だと言えます。そして、その初登場の古さに驚いた方がいるかもしれません。

『雨ニモマケズ』が世間に現れたのは賢治が亡くなった翌1934年です。書いていたのは1931年11月3日と推定されています。

要するに『スーパーマン』も『雨ニモマケズ」も1930年代ものということです。

「日本のための祈り」で『雨ニモマケズ』の採用を提案したのが誰なのか、どのような文脈の中で朗読されたのかわかりませんが、この精神が世界広く共有されるものであることを教えてくれています。

いつかアメリカが困難に遭った時には、僕は『スーパーマン』シリーズを観て、短評して、アメリカにお返ししたいです。そんなことは応援にならない? しかも、☆3つ以下にしてしまったら、恩返しどころか、「仇で返す」みたいな.......(^^ゞ



このページのトップへ


プリオシン海岸トップへ