プリオシン海岸  プリオシン通信

魂の行方

受け継がれるもの


ヒヨドリの雛
ウッドデッキに落ちたヒヨドリの雛


先月、庭の柘植の木にヒヨドリが巣をかけ、今月に入ってから雛が飛び立ちましたが、まだ飛べずにウッドデッキに2羽墜落。近所にカラスが多いので、いろんな鳥が人間のそばへ避難してきます。

蜂もたびたび玄関に巣をかけようとします。まさか蜂までカラスを恐れているわけではないでしょうに。蜂はあぶないので、結局人間に駆除されてしまいます。まあ、人間というのは僕なんですけどね。もう少し離れていてください。お願いします。

8月は日本が敗戦した月です。広島の平和祈念式には初めてアメリカ大使や英仏代表が出席ということで話題になっていました。これで核保有の米英仏ロ中という五大国が平和祈念式に参加したことになります。

広島市長は日本は核の傘から出るべきだと主張していました。これは日米同盟からの離脱を意味するわけですから、すぐさま管首相は反論していました。

空が晴れるまでは傘を閉じられない。「春雨じゃ、濡れてまいろう」などと風流なことなど言っていられない。残念ながら、これも日本の現状ではないかと思います。

しかし管さん。何でも管でも反応しなくていいです。首相はもっと鷹揚に構えてほしいもの。何か気になると反論しなくては気が済まない性格は自分を見ているようでイヤです.......(^^ゞ

「人のふり見て我がふり直せ」と言いますが、そうやって絶えず反省するけど、なかなか修正が利かないのが性格です。こら、あきらめるな.....m<_ _>m

広島原爆資料館 昔、大学受験で広島へ行った時に広島原爆資料館へ、三十代のキリシタン跡地巡りの時には長崎平和公園等にも寄ってきましたが、十代の時も三十代の時も、これは過去ではなくて、未来なのかもしれないと背筋が寒くなりました。

しかし、その時に真摯に受け止めても、時間を経れば広島・長崎がやはり遠くなっている自分がいます。

原爆が落とされてから65年。生き残った人ばかりではなく、その遺族や市民は逃げることもなく連綿と闘い続けてきました。

その一方で広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイ機長(故人)の息子は米大使の参列を「暗黙の謝罪だ」と批判しました。「我々は日本人を虐殺したのではなく、戦争を止めたのだ」とも言いました。

これは彼だけの意見ではなく、アメリカ国民を代表するものでもあるし、おそらく世界一般の理解でもあるようです。

日本はすでに戦争を継続するだけの余力はなく、早晩ポツダム宣言を受け入れざるを得なかったと思います。でも、負け方にこだわって広島に原爆を落とされ、いやもうひとつ戦果を上げてからとなおも執着しました。

長崎平和公園 その結果、長崎にも落とされてようやく敗戦を受け入れたという事実は、残念ながら「原爆で戦争が止まった」という不愉快な歴史観をせせら笑えない何かがあります。

しかし、日本人から見れば、原爆が「日本人を虐殺した」のは事実です。日本があぶないからと言って、毒針を持たない市民まで駆除されていいはずがありません。

残念ながら日本も早くから重慶爆撃などで中国市民を虐殺していたわけですが、だからといって文句を言う資格がないとは思いません。ただ怯える雛を叩き殺すかのような行為はどちらも許されないことです。

A級戦犯として処刑された東條首相の遺族もやはり東條首相の遺志を継いで、靖国神社への合祀はもちろん、大東亜戦争の正しさを疑っていないようです。

でも、これも僕から見れば、もし東條の戦争が正しかったのならば、エノラ・ゲイの戦争も正しかったのだと認めるほかないです。そして、エノラ・ゲイの戦争が正しかったのなら、東條の戦争も正しかったのです。だからこそ、どちらの戦争も受け入れることはできません。

原爆を否定する遺志も、原爆を肯定する遺志も、客観性を問うことの難しさ故に、どのような遺志も受け継がれます。その一方で受け継がれないものもあります。

「負け方にこだわって広島に原爆を落とされ、いやもうひとつ戦果を上げてからとなおも執着しました」と先ほど記しましたが、主語抜きの文になっています。戦争責任の曖昧さ故に、いまだにきちんと歴史を記すことができない。

戦後65年も経つというのに、後世の判断に任せるなんて言う政治家がたくさん存在するのはどういうわけでしょうか。いったい後世の人とは誰ですか?あなたはいつの時代を生きているのですかと聞いてみたくなります。

2003年に始まったイラク戦争。自衛隊の派遣が決まった日、とうとう僕たちも戦争に参加することになるのかと暗澹(あんたん)たる気持ちになったことを思い出します。そしてこの戦争を支援したことについても僕たちは何も総括することが出来ないでいます。

2007年、照屋寛徳議員からの質問書で政府は自衛隊員が在職中に死亡している事実を答弁していました。マスコミは自衛隊員は一人も死ななかったと報道していますが、その答弁書にはこう書かれていたのでした。

「平成十九年十月末現在で、テロ対策特措法又はイラク特措法に基づき派遣された隊員のうち在職中に死亡した隊員は、陸上自衛隊が十四人、海上自衛隊が二十人、航空自衛隊が一人であり、そのうち、死因が自殺の者は陸上自衛隊が七人、海上自衛隊が八人、航空自衛隊が一人、病死の者は陸上自衛隊が一人、海上自衛隊が六人、航空自衛隊が零人、死因が事故又は不明の者は陸上自衛隊が六人、海上自衛隊が六人、航空自衛隊が零人である。また、防衛省として、お尋ねの「退職した後に、精神疾患になった者や、自殺した隊員の数」については、把握していない。」

『写真集・イラク戦争下の子供たち』 豊田直巳著 彼らの死は自衛隊の日常業務の中での死なのでしょうか。その答えはきっと「把握していない」のでしょう。日本人の死さえ把握できないのだから、イラク人の死は言わずもがな、です。結局イラクでは広島原爆での死者数を上回る被害になっています。

しかも原爆症で死んでいる人々がたくさんいました。原子力施設の破壊や劣化ウラン弾による被害だと推測されています。

日本はイラク戦争を支持するという方針を打ち出したのは時の政府だとばかり思っていました。たぶんみんなそうだと思います。しかし、内閣では何も相談されず、小泉首相が一人で決断して発表したという事実が最近明らかになりました。

民主主義とは手続きである、とよく言われるところですが、かつて民主党のトロイカと言われた3○○トリオの今回の闘争を見ていても、小泉さんと同じ危なさを感じます。特に小沢さんの周りで「先生、先生」とおもねっている議員たちは危なすぎる。

新聞のTV番組欄に「前世記憶」の言葉が出ていたので「奇跡体験 ! アンビリバボー」という番組を見ました。年を取ってくるとオカルトな話題には関心がなくなってくるとよく聞きますが、僕もその例に漏れず。しかし、今回はなぜか録画しておこうと思いました。直感というヤツですね。

1週間後に見ましたが、面白かったです。前世という問題は別にして、昔の記憶は受け継がれるのかという点において。

退行催眠 退行催眠治療の中で前世記憶がよみがえったという例はたくさんあります。無意識が創作している例もたくさんありそうですが、番組で登場した日本人の主婦の場合は創作では捉えきれないものがありました。以前にも番組で取り上げられていて、その時にはこんな話だったようです。

脊椎の持病の痛みを軽減するため、催眠療法士・稲垣勝己氏の治療を受けている中で、突然別の人格が現れます。それは江戸時代の天明3年、浅間山の噴火による土石流を鎮めるために人柱になり、吾妻川で命を絶った渋川村のタエという少女でした。

番組では主婦の言葉を検証し、渋川村上郷や吾妻川が実在していて、さらに浅間山が噴火した際には土石流で吾妻川が氾濫していたことを突き止めます。そしてその年代は天明3年だったというものでした。

稲垣勝己氏の顔を見て思い出すものがありました。昔、講演を聞いたことがあったのです。この時はカウンセリングの話で、前世記憶の話はちょっと触れただけ。なんでも忘れる僕が思い出せたのは、その場で質問していたからです。

ほんとうは前世記憶の質問をしたかったのですが、場違いになるのでぐっと我慢して....(^^ゞ テーマに沿った質問をしました。でも、やはり質問したかったな......(^_^)

それで今回の番組はその後日談となります。つまり、また別の人格が現れたというものです。今度はネパール人。

稲垣氏がタエという少女の次に生まれ変わった人格を呼び出すと、主婦は突然外国語を話し始め、意味不明なので翻訳をしてくださいと言うと「私はナル村に住むラタラジューという村長です」と話し始めました。これが発端です。

ネパール語であることが判明してからは、ネパール語での問答ができることが分かったり、その言葉の内容を検証する展開になっていました。

ネパール語での会話成立率 言語学者の検証に耐えられる事実や、現地の人々がこの地方の発音だと認めたり、言葉の内容の合致など、いわゆる前世記憶の例の中でもかなり情報の精度が高いものでした。

詳細はフジTVのこのページへ。
http://wwwz.fujitv.co.jp/unb/contents/485/p485_1.html
いつまで掲載されているかしりませんけれど。

しかし、この番組で一番面白かったのが、ラタラジューという人物が見つからなかったこと。元兵士・ラナバハトゥルという人が一番近いことまでは判明したのですが、ずいぶん名前の発音に差がある。しかも、1970年代に死亡したということから、生まれ変わりはありえない。

なんでこれが面白いかって?それは誰か知らない人の記憶だけが伝わっている可能性があるからです。

霊媒と呼ばれる人たちはその部類に入るのかもしれないけれど、現地語で話すような人はまずいません。霊媒の言語にみんな翻訳されています。つまり、適当にしゃべっている可能性が否定しきれない。

有名な音楽の霊媒にローズマリー・ブラウン(Rosemary Brown、1916-2001)という貧民街出身のイギリス人がいました。最初にフランツ・リストが下りてきて、その後も有名なクラシック作曲家たちが続々と下りてきて新曲を披露することになったのですが、音楽は世界共通語ですから普通の霊媒と同様に信憑性が低い。

昔、ドレミ楽譜出版社から楽譜集が出ていました。さすがに怪しすぎるということで絶版になったのでしょうか。

タマン族の発音でネパール語を話している しかしこの主婦の場合のように、ネパール語をタマン族の発音でしゃべるという芸当は、例えば大槻義彦教授がそれはウソつきかインチキかプラズマ効果だと批判してもまるで甲斐がないくらい、意図的にできることではありません。

主婦が語るラタラジューの父の名前はタマリ。そして、妻・ラメリとの間に息子・クジャウスと娘・アディスがいる。タマン族の出身で、若い頃は兵士として出兵、ゴルカ地方のナル村の村長だったといいます。

この人物の記憶が闖入(ちんにゅう)したというのが一番単純な解釈になります。あるいはタマン族のだれかの記憶。

近年ではもうひとつ面白かった例があります。イギリスはロンドン生まれのオンム・セティ Omm Sety(1904〜81)です。やはりイギリスなのは霊媒の王国みたいなところですからね。実はエジプト人と言った方が正確かも知れないけれど。

オンム・セティとはエジプト名で「セティの母」という通称です。息子をセティと名付けたからです。本名はドロシー・イーディー。3歳か4歳の時に階段から転げ落ち、医師から死亡を宣告されたにもかかわらず息を吹き返すことになったのですが、これ以降同じ夢を繰り返し見るようになります。

列柱のある大きな建物に花の咲き乱れる庭。幼女にはそれがなんの建物なのかわかるはずもありません。

セティ1世葬祭殿(アビドス) そして7歳の時、父が見ていた雑誌の中に夢で見る風景の写真をとうとう見つけます。それがセティ1世葬祭殿(アビドス)でした。そしてセティ1世のミイラの写真も見覚えのある顔だったのでした。

セティ1世は有名なラメセス2世の父です。この王のミイラは保存状態がよくて、ちゃんと容貌がわかる顔をしています。

こうしたことが発端となり、大英博物館のエジプト室通いという少女時代が始まり、エジプト学の世界へ足を踏み入れていきます。そして、いろんな不思議なことがあって自分がかつてエジプト人であったことを自覚するようになります。

結婚してエジプトに移って2年後、夜になると彼女の前にホルラーという書記官が現れて、彼女の前世の物語を語っては記録させるという出来事が起こりました。いわゆる幻視というものでしょうか。

『転生者オンム・セティと古代エジプトの謎』 彼女の昔の名前はベントレシャイトで、アビドスの神官に預けられ、イシス神に仕える巫女でした。そしてセティ1世に見初められたことから悲劇が始まります。巫女ですから、色恋は御法度。彼女はセティ1世を守るため自害します。

映画『ハムナプトラ』にセティ1世は登場していますが、セティ1世を殺したイムホテップとアナスクナムンみたいに、セティ1世は来世でベントレシャイトに償いをすることを誓うのでした。

そして、とうとう彼女はセティ1世からの使者の訪れを受け、死者の世界でセティ1世との再会を果たします。その後もこの世でセティ1世の訪問を受け、対話を続けていくのです。これを彼女は日記に書き留めました。

52歳でとうとうオンムはアドビスのセティ1世葬祭殿へ帰還します。そこは彼女の研究対象であり、祈りの場であり、生活の場となります。

彼女が得た情報をここではあえて「記憶」と書きますが、この記憶はエジプト学に収穫をもたらしただけでなく、生活の中では魔術の使い手として、巫女の側面も現していました。

先の日本の主婦はそれほど昔ではありませんが、こちらは三千年も昔の話。あきれるほど昔の記憶です。

幸福に生きた人には言い残したいことはあまりないでしょう。しかし、言い残したい人の遺言は、時を越えて伝わっていくのではないかと夢想したくなるような事例がたくさんあります。

実際、前世記憶を持つ人の前世は大変な人生ばかりです。主婦の前世と言われる人柱のタエ、タマン族の元兵士の人生もまだ明らかにされていませんが、きっと大変なものがあったのだろうと推測します。

戦後、日本人が戦争で殺し合ったことがなかったのはあの悲惨な戦争の記憶を忘れないで、生きている人々が努力してきたからです。そして、それだけはないことも夢想します。

戦争で死んだ膨大な数の人々が、生きている人々にその記憶を伝えているからではないかと。僕たちは経験した記憶だけでなく、死者から伝えられた記憶も無意識層に沈潜させて生きているのではないかと。


術新潮8月号『水木しげる その美の特質』     『総員玉砕せよ!』水木しげる著


たまに買う芸術新潮の8月号は水木しげるの特集でした。水木さんも戦争でひどい目に遭わされた方ですが、特集とは関係のないページに目を引く写真が一葉ありました。タイトルは『犬を負う子供たち』。1946年、林忠彦(1918-90)撮影です。

『犬を負う子供たち』 戦争で浮浪児になった少年二人が食べ物に困りながらも、犬とともに食べ物を分け合って生きている姿を写したものです。なぜ犬が歩けなくなったのかはわかりません。

犬さえも食糧になっていた飢餓の時代に、悲惨を感じさせぬ、どこかユーモラスの雰囲気さえ漂わせるこの写真には、人間というものに希望を持っていいんだ、というような思いを抱かせてくれます。

後世の人に受け継がれるものが、この希望であってほしいと願います。




【今月の映画】
瞳の奥の秘密
『瞳の奥の秘密 El secreto de sus ojos』
2009年 129分 スペイン・アルゼンチン
ファン・ホセ・カンパネラ監督

久々にフランス映画を見たような気分です。ハリウッド映画のような派手さもなく、少々長尺でもあるのですが、じっくりと映像を楽しめる映画です。当初は政治的な背景が強く意識されたミステリーなのかと思っていましたが、そうではなくて描かれているのは人間の秘密です。タイトルどおり伏線をたどりながら見ていれば、宣伝されているほど意外な結末とは思えませんが、ぞっとする怖さではあります。愛という執着を狂気とラブストーリーで描いた変奏曲でしょか。


アフター・ライフ
『アフター・ライフ After.Life』
2009年 103分 アメリカ
アニエシュカ・ヴォイトヴィッチ=ヴォスルー監督

タイトル通りであの世ものです。リーアム・ニーソンが出ているので、そこそこを期待して見ました。『シックス・センス』に影響を受けていることは明らかですが、話の組み立てが散漫。クリスティーナ・リッチはいつも裸一貫でがんばっているなあ......(^_^) 『アダムス・ファミリー』の時の印象のままというのはどうなんでしょう。日本未公開なんですが、まあ後悔はあっても公開はなしです。



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