プリオシン海岸  プリオシン通信

最小不幸人生

メランコリーと生きる


妻飾りの鶴
真宗高田派本山専修寺如来堂妻飾りの鶴(西側)


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夏の川辺に 二人は今日別れる
ぼくは黙って 草笛吹いた
ウフフフ〜 ウフフフ〜

君は花がらのワンピースおいて
静かに涙色のまぶしい水の中
ウフフフ〜 ウフフフ〜

雨に君の泳ぐクロールとってもきれいネ
----------- 森田童子「雨のクロール」より

夏です。葡萄のハウスには陽が高いうちはとても入れません。春は雑草ではない葉っぱが地面から生えてきていたので、何だろうと思ったら葡萄の芽でした。去年、病害でかなりやられ、半分近くの房を埋めました。これが芽吹いたのでした。

ちなみに、葡萄は種からではなく、すべて挿し木か接ぎ木から増やします。

今また別のものが芽吹いています。それは菅直人の内閣です。鳩山さんが金と権力の病にかかった自分と小沢さんを埋めたあと、芽吹いてきたものです。

昨年9月の「ことばと踊る」で菅直人に触れたので、それを読んだ方はさぞや僕が喜んでいるだろうと思った方もいることでしょう。

しかし、今年2月の「アバター3D・2D」で予告したとおり民主党とは訣別したこともあり、胸中複雑です。鳩山内閣時の彼の沈黙は小鳩の泥沼に足を取られないように、鳴りを潜めて次を伺っているように見えました。

権力を勝ち取る厳しさを思えば、そういう狡(ずる)さを批判する気になりはしませんが、挿し木でも接ぎ木でもない種から民主党の理想は育つのでしょうか。

菅直人が総理大臣に選出 でも、やはり彼が看板に掲げている「最小不幸社会」へ少しでも前進できる取り組みを期待したいものです。

このネガティブな理想を批判する人は以前からいましたし、さっそく批判している人もいます。批判は当たり前でしょう。

池田勇人首相が掲げた「所得倍増計画」のような快活さはありませんから。しかし、池田首相は「貧乏人は麦を食え」と言い放てる人だからこそポジティブな理想を掲げることができたのかもしれません。

菅さんは市民運動出身で、市川房枝の参謀でもありました。社会の底辺も見てきた人の目線は、当然下からのものです。そういう人間にとっては、より人々を豊かにする政策よりも、不幸の連鎖に苦しむ人々をどう救うかが課題になって当然です。

自民党は「最大不幸社会を招く」と揶揄しています。たぶんこれから「最小不幸社会」というフレーズはことあるごとにからかいの対象とされることでしょう。しかし、それぐらい「最小不幸社会」というのは理想の高い挑戦であることは間違いないと思います。

はっきり言えばできるわけがない......(^_^) だからこそ期待する.......(^^ゞ 権力のトップについた者が底辺からの目線を持ち続けた例は稀ですからね。

「レモンちゃん」と呼ばれていた頃の落合恵子 落合恵子さんもさっそく「最小不幸社会」に反応してこんなことを書いていました。(画像はあえて若き日の「レモンちゃん」と呼ばれていた頃の彼女のレコード・ジャケットから抽出。現在六十代半ばです)

道沿いのフェンスから純白の花をつけた枝が飛び出していて、前を歩いていた同世代の男性がその花を手にして香りを嗅いでいる風景に落合さんは出くわします。

----------『積極的その日暮らし』より抜粋
大仰(おおぎょう)なファンファーレと共に訪れる大きな幸福とやらには慣れていないし、少々臆してしまう。
むしろ、誰かの仕草が引き出してくれる「生きてるって捨てたもんじゃないな」という、淡い充足感。それでいい。それがいい。
(中略)
「最小不幸社会」の中の、ささやかだけれど、至福の時、である。
----------ふりがなは電信技師による

こういう感慨は年をとらなければわからないでしょうね。若いときは夢や野望にメラメラしていますから。人によってはチョロチョロでしょうか。若くして落合さんに共感してしまう人の末は哲学者か宗教者か、あるいは「貧乏暇あり」の僕のともだちになります。なりたかねぇか......(^_^)

近頃の若い人たちは成り上がるとか、海外へ飛び出すとかに関心がないとか言われますから、幾分ちがってきているのでしょうけれど。

人は生きていく上で、ほとんどの人ができるだけ「不幸」を避けて人生を過ごしていきたいと願っていると思います。普段の生活の中で「しあわせ」なんて言葉はまず口にしませんが、なぜか結婚する時にはご本人たちもまわりの人々も「しあわせ」を口にします。

あれはなぜなんでしょうか。

『アンナ・カレーニナ』でしたか、トルストイの言葉に「幸福な家庭の顔は一様に似ているが、不幸な家庭の顔はどれもみな違っている」とかいうようなものがありました。たしかに幸せというものは漠然としています。

僕はもし自分の結婚式を開いたら、「お幸せに」と祝福してくれる人に「僕にとっての幸せとは何ですかと」と問い詰めたいですね.......(^^ゞ 答えられる人は皆無のはず......(^_^)

そういう僕も結婚する人がいると、「どうぞお幸せに」なんて言っています.......(^^ゞ
あっ、問い詰めないでね。

先月、新聞の土曜版に森田童子の『僕たちの失敗』が取り上げられていました。若い人は知らないかもしれませんね。この人のプロフィールはずっと表に出てきませんでしたから、僕もほとんど知らないのですが。

僕はふだん音楽を聴きません。そんな僕がアルバムが出る度に買い求めた唯一の歌手です。彼女は、いやお姉さんは歌手と言われることに違和感を感じているにちがいないのですが。

「good-bye グッドバイ」 出会ったのは高校生の時。若者だったのでそれなりに音楽を聴いていた時代です。お姉さんはとにかくマイナーな扱いだったので、記事によると最初のアルバム『good-bye グッドバイ』は2千枚しかプレスされなかったそうです。僕のレコードはその1枚になるのかもしれない。

レコードにA面とB面があったように世界にも両面があるとしたら、お姉さんの歌は全てがB面世界の歌でした。そして、歌が奏でる心象風景はまさに僕のこころの風景でした。

京都会館 後にそこでアルバイトをすることになった京都会館であったコンサートにも出掛けました。

舞台に立っていたというか、座っていたお姉さんは歌の世界そのまま......(^_^) お姉さんはギターを抱えて座って歌います。曲間にはやはり歌の世界と同じような話をボソボソと語っていました。

舞台というまさに表舞台にいながら、世間から隠れて歌っているかのような、本意ではないのに歌手になってしまったという含羞のような、なんともいえない雰囲気が無表情のいでたちを包んでいるみたいでした。

ここまで書いて童子のアルバムを書棚で探していたら、えらいモノを見つけてしまいました。これは夢か幻か?! 実は『大宮京子&オレンジ』のただのアルバムです。

大宮京子&オレンジ

でも、長年探し求めていたアルバムなのです。テープにコピーしたものは持っていたのですが、それは今ではもう懐かしいレンタル・レコード(CDではありません)店で見つけてコピーしたものとばかり思い込んでいました。

歳月が経過して出力の小さくなったテープでは聴くに堪えず、レコードもCDも廃盤の中、中古で探し続けていたのです。それが買っていたとは......(・.・;)  でもうちにはレコード・プレイヤーはない......(ToT)

本来なら自分の記憶の悪さを呪うべきところですが、神様がそっと書棚に差し込んでくれたんじゃないかと思うくらいうれしいのはなぜ?バカだから?

話を戻します.......(^^ゞ 今度は童子のアルバム・ジャケット画像を探していましたら、童子について詳しく書いているサイトを発見しました。

しっぽのさんぽ
http://www.geocities.jp/papillon4006/

しかも、この京都会館でのコンサートで語られた話が記録されていてびっくり。なんか今日は発見続きだなあ。発見の日にしよう。さて、引用させてもらいます。

----------------------(1978年12月7日)
上野駅から山形へコンサートに行った時の事です。途中、米沢あたりから、雪が降りだして、赤湯あたりでは吹雪に変わっていました。この日、山形は初雪だったそうです。
私は八年前、高校生だった頃に、やはり東京に何年かぶりに大雪が降って、街が一面、雪におおわれた日のことを思い出していました。その雪の朝、学園紛争の中で逃亡していた秋田明大が雪に魅せられて、外へ出て雪掻をしていたところを、逮捕されたのです。
私は、あの八年前の雪の日の朝の驚きを、今も鮮明に覚えています。美しい雪の朝は、時には人と時代をも変幻させてしまうものなのかもしれません。
----------------------(段落は電信技師による)

三十年も昔の話でコンサートがいつの季節だったかも記憶にありませんでしたが、こうして読むとまるで昨日のことのようです。「しっぽのさんぽ」によると、5年後の1983年を最後に活動をやめています。

ドラマ『高校教師』最終シーン 時が過ぎ童子の歌を聴くこともなくなり、仕事に追われていた1993年、『僕たちの失敗』がTVドラマ『高校教師』の主題歌となり、リバイバル・ヒット。リバイバルというよりは再発見されたという感じでしょうか。95万枚CDが売れたそうです。

『僕たちの失敗』は2枚目のアルバム『Mother Sky マザー・スカイ』収録曲なのですが、これは自分に投資されたお金をレコード会社に還元できなかったお姉さんの遅れた恩返しだったのかもしれません。お姉さんはヒットしていてもやはり隠れたままでした。

当時僕はドラマは見ていません。なにか流行歌みたいになっていたので、不愉快に思っていたことだけは覚えていますね.......(^^ゞ

今回この新聞記事を読んでドラマを見てみました。独りよがりのイヤな脚本(野島伸司)でした。「僕たちの失敗」じゃなくて、「野島さんの失敗」です。そして、ドラマと童子の歌はやはり勘違いに等しい組み合わせです。もちろん勘違いしてもいいわけですけど。

『僕たちの失敗』よりも好きな曲はいくらでもあります。でも、このタイトルのフレーズはずっと心に残り、三十代のある日、僕はふと自分は人生に失敗してしまったと思ったのでした。でも、その時なにか挫折するような事件が起こったわけではありません。

いつもと変わらない日常のなかで、まるで気ままな風にささやかれたかのように気づいたのです。そして、そのずっと後になって、ほんとうはこのフレーズに感応した十代の時にすでに失敗に気づいていたのだと思うようになりました。

僕は失敗した人生を過ごしています.......(^^ゞ それはやはり悲しいことです。でも、後悔することでも否定することでもなく、むしろまるごと肯定できるような感慨です。

人は生まれながらの気質や生育環境によって「生きていく気分」とでも言うのでしょうか、そんなものがそれぞれありますね。

通信でいくどか登場した車屋長吉さんは仏教というか哲学で生き延びているように思えますが、その気分は臆病なので自死できない、でも「一日も早く死にたい」というものなんだろうと思います。彼は鼻で息が出来ないという先天性蓄膿症なので、これも気分に影響をしているのでしょう。

このサイトのテーマである宮澤賢治も蓄膿症で手術しています。多感な18歳の時です。賢治も仏教やキリスト教などの哲学(あるいは信仰)で自分を支えましたが、その気分はどんなものだったでしょうか。

宮沢賢治 こころの軌跡 Pathography 福島章著 賢治の精神的な分析で有名な福島章は「メランコリーとマニー」が繰り返す気分変動を指摘していました。メランコリーを翻訳するのは難しいですが、彼の文脈では「鬱と躁」という単純な意味で問題なさそうです。それはともかく、彼の生来の気分はメランコリーだと僕は思っています。

ここでいうメランコリーは精神的な意味というよりは哲学的な意味になるでしょうか。アルブレヒト・デューラーの『メランコリア I 』や僕が好きなジョルジュ・デ・キリコの『街の神秘と憂鬱』のような景色は、僕にとっては人生の原風景とも言えます。

アルブレヒト・デューラー『メランコリア I 』ジョルジュ・デ・キリコ『街の神秘と憂鬱』
メランコリア I街の神秘と憂鬱

賢治は皿の上にのった一尾の魚の視線に囚われ、涙目でその魚の親きょうだいについて思案するような人間です。賢治も『街の神秘と憂鬱』の中を歩いていたと思うのです。

僕が学生時代につよく惹かれた春日井健の一首もメランコリーそのもの。

夜の天にくらく沈める致死量の雪塊があり雪降りしきる

落合恵子さんの近くに住んでいるかのような、そんな気分の人間にとっては跳ねるような幸せなんていらないんです。不幸が少なければそれだけでいいんです。それがいいんです。

『Mother Sky』 森田童子
Mother Sky
朝日の記者は今回の記事のために人を介してインタビューを申し込んだそうですが、その人からは、親しかった人との唐突な死別と自分の病で手紙すら書けないほど憔悴しているという返事だったそうです。

その一文を読んで絶句してしまいました。お姉さんはいまもそこで哀しんでいたの。


♪ -------------
もしも君が 疲れてしまったのなら
ぼくと観光バスに 乗ってみませんか
色あざやかな 新しいシャツを着て
季節はずれの ぼくの街は なんにもないけれど
君に話ぐらいはしてあげられる
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日野原重明『生き方哲学』  98歳の日野原重明さんは「宇宙の中に今、生きていることこそが、そのまま私たちの生きがいに通じるのです」といいます。

そんな年まで生きたらそういう思いになるだろうと、うがつ人もいるかもしれませんが、やはり僕は日野原さんが長生きして到達した哲学だと思うし、大先輩に対して僭越(せんえつ)ですが、僕も共感するのです。

だから気分にも不幸にも負けないで、ではなくて、ときどき挫けながら生き続けていくのです。

お姉さんの気分が一瞬でも晴れますように。

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またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
----------シンボルスカ「眺めとの別れ」から抜粋

1年たったら春がまたやってきて、お姉さんの好きな菜の花畑が広がります。



【今月のドラマ】

『Mother』 『Mother』
2010.4〜6 演出:水田伸生・長沼誠  脚本:坂元裕二

もう終了しました。全11回で、10回で終わってもいいような感じだったのですが、もう1回ありました。やはり最終の未来シーン1分はない方が良かったですね。

逃亡ものは好きなので見始めたドラマです。NHKで同時期に放映された『八日目の蝉』は脚本(浅野妙子)が練られていないので、失格。角田光代の原作は読んでいません。

なぜこんなに逃亡ドラマが好きなんだろうと逃亡ものを見る度に思うのですが、そんな犯罪の心当たりがありません。きっと前世での鬼ごっこのやり過ぎかなと思うばかりです。でも、やっぱりなんかやっちゃったのかな.....n<_ _>n

『Mother』は主役とその実母役の演出には不満が残り、子役の過剰な演技もイマイチ。5歳が7歳の役をやっていることを考慮すれば上出来なのですが、この演技自体が児童虐待だなと思わせられる役でした。

逃亡ものは採点が甘くなる僕ですが、脚本がよく出来ていました。「すべての女性に捧げる」というようなキャッチコピーでしたが、母性は女性だけのものではありません。書いている坂元さんも男でしょ?男女ともにオススメです。


【今月の映画】
『ザ・ウォーカー』
『ザ・ウォーカー THE BOOK OF ELI』
2010年 118分 アメリカ アレン・ヒューズ監督

配給元は超大作と宣伝していますが、B級作品です。宣伝だけは超大作並みデス。こんなウソを言うのはウリがないからに違いありません。水のように無味無臭な邦題からして、配給元が評価していない証拠......(^_^)  『ザ・ウォーター』でどうだい?

著名人たちが褒めちぎっているのはダメ作品というのが通例ですが、素直な僕はすぐに信用してしまうのでアメリカでの不評を耳に栓してつい見てしまいました.......(^^ゞ やはり金がからまない素人の評価が一番信頼できますね。

世界崩壊後のアメリカを世界に一冊だけとなったある本をとある場所へ届けるために主人公イーライが旅をするという近未来ものですが、この本がどんな本なのかは原題にすでに示されています。

「イーライの本」ではありません。もうひとつの意味です。どんな本かすぐに見当がつく話だし、最後のオチもすぐにわかるような、よくある話です。

終末世界ものは西部劇のフォーマットで作られているものが多数ありますが、これもその一本。素浪人がタウンにやってきて、やくざのボスと闘いを繰り広げる。そこに囚われの女、あるいは狙われている女がからむ。定番ですな。クリント・イーストウッドの『ペイル・ライダー』をちょっと連想するところもあります。

デンゼル・ワシントンに殺陣をやらせて、それをカッコよく撮ってみました。でも、それだけではあんまりなので、アメリカでもっとも価値のある本を絡ませてみました......という案配です。でも、その本のスピリットはまったく絡んでこない駄作です。

『カーゴ』
『カーゴ CARGO』
2009年 107分 スイス イヴァン・エングラー、ラルフ・エッター監督

日本では未公開ですが、レンタルできるようになりました。スイスのSFということで、どれどれ見てみるかと。

山場が連続するアメリカ映画に慣れてしまった頭には少々退屈ではあるけれど、いい線いってます。貨物船ということで『エイリアン』系かと予想するところですが、そうでなくてほっとしました。食傷気味ですもんね。

この映画は人類の移民計画がモチーフになっています。宇宙船がずっと噴射したままなど、科学的にはちょっとお粗末な部分もありますが、映像もそれなりに努力がうかがえます。

タルコフスキーの『ソラリス』は地上部分のリリシズムが効果的に使われていました。この映画でも船内がほとんど暗いので地上部分の映像が引き立っています。しかし、足りないものがある。

サスペンス部分は大したことないので、その部分を簡略化して地上の映像をもう少しふくらませてリリカルに描いていたら、きっと心に残る作品になった気がします。惜しい。

『グリーン・ゾーン』(2010年アメリカ)も見ました。映像の臨場感はなかなかのものですが、政治的な映画としても、アクション映画としても中途半端です。アメリカで評判が良くないのも、単に「アメリカ批判」のせいだけではないでしょう。

日本では「日本批判」と思われている『ザ・コーブ』が保守系団体の反対に上映自粛する映画館と、ひるまずに上映する映画館に分かれている現状ですね。ネットではゲリラ的な限定無料公開もありました。

日本の映画人はいつも沈黙したまま。マスコミも状況を報道するだけで、沈黙よりはましというレベル。ふだん「表現の自由」と言いながら、他人のことは構ってくれない。こうしてメランコリーは深まるのです.......(^^ゞ

※【(追記2010/7/3】 この通信記事は6月末に書いたものですが、2日に日本映画監督協会が上映阻止運動に抗議声明を出しました。4月にすでに上映阻止運動は始まっていましたから、遅すぎる感は否めません。Wikipedia によると、NHKBSでは米アカデミー賞授賞式の放映でドキュメンタリー部門の授賞式の部分のみカットされたそうです。その一方で、Googleは「主権回復を目指す会がユーチューブに配信していた動画約800件全て(上映の中止を要求していた動画も含む)を削除するとともにアカウントを停止」する措置を取ったそうです。利害がからむと、誰もが簡単に過ちを犯してしまう「表現の自由」です。



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