プリオシン海岸  SF映画選 プリオシン通信

アバター3D・2D

友愛の花咲く森


『アバター』
『アバター』


今回は「プリオシン通信」の色調で、内容的には「SF映画選」というアバターっぽい編集でいきます。なぜこうなったかと言いますと、『アバター』がSF映画選で取り上げて何か云々するような作品ではない一方で、いろいろとよしなしごとを考えるネタを提供してくれている素材でもあるからです。

まあ、いつものごとく、傑作ではないのにSF映画選に取り上げる言いわけであり、プリオシン通信で映画話題を目いっぱいに展開する言いわけであります.......(^^ゞ 「プリオシン通信」から入られて、モニターが小さくて画像が表示できない方はこちらで表示してください。左のフレームがなくなります。

12月の「通信」で『アバター3D』を見に行くと書いた通り、先月映画館に行きました。『アバター2D』なんて誰が見る?なんて隣のシアターを横目にして3Dのシアターに入りましたが、なんとこれが自分が見ることになるのでした。そんな2Dの話は後で。

さて、3Dの推奨座席どおりにド真ん中に陣取りました。さすがにみなさんわかっていらっしゃる。座席の真ん中だけはギューギュー詰めでした。

指定座席に向かって過疎な座席にある通路を歩きながら、中央だけはおしあいへしあいの座席を見上げると、ちょっと奇妙な景色......(^_^)

そんな奇妙な景色をなす一員となって座席に着くと眼前にはこんな風景が広がりました。

『アバター』サムネイル

2009年・米 上映時間 161分  監督・脚本:ジェームズ・キャメロン
製作:ジェームズ・キャメロン ジョン・ランドー ジョシュ・マクラグレン
音楽:ジェームズ・ホーナー 撮影:マウロ・フィオレ  主題歌:レオナ・ルイス「I See You」
出演:ゾーイ・サルダナ シガニー・ウィーバー サム・ワーシントン スティーヴン・ラング
    ミシェル・ロドリゲス ジョヴァンニ・リビシ

地球から遥か彼方の衛星パンドラでは先住民ナヴィが自然と調和して生活していた。彼らから「空の民」と呼ばれる地球人は、このパンドラの希少鉱物に目をつけ、元海兵隊員のジェイク・サリー Jake Sullyをスカウトして彼のアバターをパンドラに送り込み、ナヴィを懐柔することで採掘事業を始めようと計画する。しかし、彼らと交流するうちにジェイクはナヴィ族のネイティリ Neytiriとパンドラを愛するようになり、「空の民」との闘いを勝利へと導いていく。

年末から上映が始まりましたが、大ヒットでまだ上映中の映画館もあることなので、あらすじはかなりはしょりました。これから見に行く人はここから先は読まない方がいいと思います。

アバターをドライブするもの

僕らおじさん世代にとっては、まず「アバター」って何?から始まりますよね。IT用語辞典によると、「チャットなどのコミュニケーションツールで、自分の分身として画面上に登場するキャラクター」なんだそうです。ネットに疎い人にはやはり何のことかわからないと思いますが......(^_^)

この映画では衛星パンドラが人には有害な環境なので、パンドラ人と地球人との遺伝子から合成された肉体がパンドラ人で、意識はジェイクのままというアバターです。催眠状態になってアバターに意識をリンクさせ、アバターを操縦するらしいですね。

『サロゲート』 どこかで話したことがあるような設定です。実は昨年プリオシン通信12月に触れた『サロゲート』(2009年アメリカ)がそうです。ほとんど同じようなアバターの設定です。時期を同じくして日本では公開されることになりました。米国では『サロゲート』が先でしたが、日本では『アバター』が先行しました。人気もね。

お話は古くさいです。SF的な話題があまりないです。基本は恋と戦争ですから。だからこそ面白くできないわけがないとも言えます。いつも戦争で盛り上がる困った人類です。だから人間が人類を批判するという映画が成立するわけでもあります。

一言で言ってしまえば、デジャヴュ(既視感)の映画です。ネイティブアメリカンと白人の、あるいはスペイン人の中南米侵略と同じようなシチュエーションの映画でした。基本はなんと言っても「エル・ドラド El Dorado」ですね。

この黄金郷伝説が契機となってスペインなどのヨーロッパが南アメリカを探検し、征服していくことになるわけですから、そっくりそのままでしょ?

これに『ダンス・ウイズ・ウルブズ』や『エメラルド・フォレスト』、「ポカホンタス」や「ドラゴン」の伝承、『エイリアン2』、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』等をトッピングして料理をしたと言えます。オリジナルな部分がほとんどないのです。まあ、普段から言っているように全ての物語は焼き直しですけどね。こういういろんな作品が『アバター』をドライブしています。

『エメラルド・フォレスト』 『ダンス・ウイズ・ウルブズ』(1990年アメリカ)はよく知られていますが、『エメラルド・フォレスト』(85年アメリカ)を知らない人はたくさんいることでしょう。この映画はやはりアマゾンのジャングルが舞台です。

面白い映画は何度も見ることができます。しかも、若い人にはデジャヴュもないでしょう。太鼓判の面白さを取り入れて3Dで武装すれば、そりゃ大ヒット間違いなしです。ジェームズ・キャメロンは作家という前に商売上手です。

ウイルスの感染から生命のリンクへ

腕が2本多いだけで猿そのもの 冒頭に変わった動植物を見せて地球とは違う点を強調しますが、その後は地球の風景と変わりないです。アマゾンあたりの森かなと思われるような感じですが、中国では湖南省張家界の山がそっくりだと話題になっているそうです。確かにそっくりだ。

アバターの風俗も基本はナティーボ(インディオ)やネイティブ・アメリカンのものですね。パンドラの動物は動物と昆虫を掛け合わせたかのような感じで、脚も6本です。アリクイ馬?に追加された2本脚を見ていると、かなり無理っぽいです。というか、「蛇足」とはこういうことですね......(^_^)

『インデペンデンス・デイ Independence Day』 『インデペンデンス・デイ Independence Day』(1996年アメリカ)について、昨年11月のプリオシン通信「極楽浄土と時間」で「惑星を渡り歩いて資源を食い散らかしているエイリアンは未来の地球からやってきたヤツラだ」みたいなことを書きましたが、自分らがやっていることをエイリアンに押しつけてやっつける脳天気さを反省し、今回は立場を逆転させて正直にその正体を描きました、というところでしょうか。

『インデペンデンス・デイ』でエイリアンを撃退するために地球人が放ったのはコンピュータ・ウイルスです。彼らの宇宙船はウイルスに次々と感染して墜落していくことになりました。

『アバター』では生命力ともいうべきものでリンクし合って調和して生きるパンドラの生き物たちが描かれ、その協調によって地球人を撃退するという主題も、『インデペンデンス・デイ』と対比すると象徴的な鏡面性です。

ここまでにアメリカは13年かかったわけです。この間に二つの戦争が起こり、百年に一度の金融危機が広がり、これらアメリカ発のどれもがいまだ決着がつかないままです。

「アメリカの勝手でしょ!」を象徴する「独立記念日(インデペンデンス・デイ)」から「協調(リンク)」しなければ動かせない「アバター」。政治の「チェンジ」がSF映画の世界へも及んできたことを知らせたという意味で、やはり映画史に残る作品となることでしょう。

Zoe Saldana 褒めたいのは、ポカホンタスではなくて、ネイティリ役のゾーイ・サルダナ Zoe Saldana。いい演技していました。CGじゃないかって?ユニタードを着て「パフォーマンス・キャプチャー」で撮影したものが元になるので、彼女の演技です。

  身体にマーカーを付けて撮影するのがモーション・キャプチャーですが、同じように顔にマーカーを付けて表情を撮影するエモーション・キャプチャーが付加されているものらしいです。(画像は「Avatar Exclusive -Behind The Scenes (The Art of Performance Capture)」より)

ピューマ顔のパンドラ女が、見終わることにはとても魅力的な女性になっています。こんな恋人なら鼻息が荒くても愛せると思いましたもん......(^_^)

スクリーンの行方

『キャプテンEO』 でも、今回の関心はやはり3D。3D映画は東京ディズニーランドで見たマイケル・ジャクソンの3D映画アトラクション『キャプテンEO』以来。たぶん80年代末だと思います。映像方式も偏光グラスをかける点で同じなんでしょう。

あれから20年以上経った割には進歩が見えないです。 当時の記憶は曖昧ですが、いろんな物がスクリーンから飛び出してくるのはやはり驚異でした。

今回はかなり自然な3Dだという批評を聞いていたのでその進化ぶりを確認する目的が主で出掛けましたが、残念ながら進化ぶりはわからずじまい。確かに、びっくり箱みたいに飛び出すシーンは少なくなっていましたが、それは単にそういうシーンを少なくしているだけのこと。

実は3Dの方式は4種類あるそうで、XpanD、RealD、Dolby3D、IMAX3Dのうち、僕が見たのはRealD。これが一番簡易な方法で、田舎で唯一見られるのはこれです......(ToT) 映画自体は最新のIMAX3D方式を前提にしているらしいので、その進化は田舎ではわからないことになります。田舎者はこれだから嫌だよ。でも、住むなら田舎だよ〜

RealDは一番簡易な方式だから、メガネ自体は一番楽ちん。しかし、チラツキやブレが目立ちます。ピントも合わせにくい。どの方式もそれぞれに一長一短があるようですが、ネットで3Dのいろんな解説を見ていても、3Dの一番大きな違和感について書いているところはないみたいです。ということは方式にかかわらずこの問題が起こるということになりそうです。

それは何かと言えば、スクリーンの切り替わりです。場面によってスクリーンが入れ替わってしまうのですから、この違和感は大きいです。

3Dが強く出ている場面は、対象となる物が近くに来る時です。これは理に叶っていますね。現実世界でも遠くなればなるほど平面になります。太陽や月が立体に見える人はいないはずですから。

人の目と目の間は容貌にもよりますが、約6cmです。この間隔から導かれる立体視の限界は5mぐらいだと言われています。それ以上遠いものは立体視できないことになります。

惑星パンドラ船内
風景シーンは2Dと同じ手前に対象が来て奥行きが表現される

『アバター』では風景の場面ではほとんど2Dと変わりありません。しかし、近くに対象物が来ると、3Dになり、奥行きが出ます。同時に不思議なことを起こります。

スクリーンがすっかり切り替わってしまうのです。奥行きが出ると、息苦しさを感じます。この息苦しさは何だろうとずっと考えていたのですが、映画半ばで見えてきたものがあります。

スクリーンは数十メートル先にありますが、奥行きが出れば出るほどスクリーンが近づいてきて、数メートルの空中に浮かぶことになるのです。

2Dと同じ大きさのスクリーン宙に浮くスクリーンは小さくなる
2Dと同じ大きさのスクリーン宙に浮くスクリーンは小さくなる

風景のシーンは映画館の大スクリーンだけど、登場人物の大写しは自宅大画面TVに切り替わるのです。これはなぜか?

3Dの「奥行き」と書いていますが、これは間違い。本当は出っ張りです。3D映像の一番奥がスクリーンの位置で、そこから映像が出っ張ってくるために、数メートル先のスクリーンを見ている錯覚に陥ってしまうらしいのです。

『キャプテンEO』はスクリーンから飛び出すのを売りにしていたのですが、『アバター』は奥行きを表現しようとするためにスクリーンの枠が飛び出してきていると言えます。

僕たちは今までの経験則からスクリーンからは何も飛び出していないことを知っているので、立体に見える時は遠近法によって奥行きを感じていると判断しています。そのために3Dでは一番出っ張っている像がスクリーンの位置だと誤って判断してしまうのでしょう。

これが原因でスクリーンの位置はその時の3Dの強度によって遠くなったり近くなったりします。このため遠近がはっきり切り替わるシーンではスクリーンまでの距離が一瞬に変化してしまうためにピントを合わせるのに脳が苦労しているのを感じます。

映画館の大スクリーンを見ているはずなのに、TVを見ている感覚。これはいかんです。映画館に出向く意味がない。

これは5mの限界を超えて立体感を付けているために、遠くの大きな物体が5mの範囲内に収まる位置にあるという錯覚を生むことから起こっているのかもしれません。つまり、遠くの巨大な月も5mの範囲内に置いたらサッカーボールになってしまうということです。

これからTVでも3Dを見るようになると、映画館で3Dを見に行くありがたみなんてなくなるのではないかと危惧します。

そんなわけで、今度は2Dで見ました。どの場面も劇場の大スクリーンです。3Dでは理屈に関心が向いてしまったためとはいえ.......(^^ゞ やはり2Dの方が入り込めます。しかも、CGの描き方にもかなり立体感を持たせる工夫がしてあるらしく、普通の映画よりも立体感がありました。

3D効果の際だつシーン 左の3Dが際だつシーンは2Dでも十分立体的に見えました。ただし、これは後で述べる脳の問題と深く関わっている面があるため、3Dを見た後の残像として脳が立体化した可能性があります。つまり、2Dで最初に見たら立体的には見えなかったかもしれないということです。

とにかく、アトラクションなら3D、映画として見るなら2Dでキマリ!

(追記:この記事を書いてから2ヶ月後、検証のためにまた2Dで見てみました。上の宇宙船内の映像が最初に2Dで見た時よりも奥行きが強くなっていて、ほとんど3Dです。しかも、画面は大画面のまま。明らかに脳に変化が起こっています。ちょっと怖くなりました)

重力から放たれる

片眼を失明すると距離感がわからなくなると言いますが、あれは嘘ですよね。もちろん両眼と同じとは言えませんが、経験則に基づいて脳は片眼でもそこそこの距離感を生み出してくれています。

これは映画にも当てはまり、2Dは平面と思わされていますがそんなことはありません。僕たちは映画館のスクリーンには不思議と奥行きを感じるものです。劇場は大画面だからいいとよく言いますが、それゆえの立体感を得られるところも大きな利点です。

テレビでは奥行きを感じないけれど、大きなスクリーンだと奥行きを感じるのはなぜでしょう?たぶん大きな画面では現実に近い大きさで投影されるために、脳が疑似現実として奥行きを生み出してくれているのではないでしょうか。また、撮影方法にもそれなりの工夫もあるのでしょう。

先日のTV番組「和風総本家」でちょうどその工夫がわかりやすい映像があったのでご紹介しましょう。

「和風総本家」から杉山八郎画

右は杉山八郎という方のスケッチ画です。すばらしい。そして、立体感が見事です。写真と比べると微妙に描かれているものが異なるのですが、そんなことよりも人間の手が加わったものはこんなにも立体感を出せるという見本となります。

たぶん、この違いのいちばん大きな要素は光の当て方だろうと思います。映画でも照明の当て方によって大きく変わりますよね。これにCGも加われば、疑似3Dなんてそんな難しいことではないと思えます。

こう考えてみると、網膜にばかり頼らないで脳の経験則に頼れるような映像の仕組みを見つけることで、グラスがいらない、もっと言えば片眼でも立体感を感じる映像を作ることができるのではないでしょうか。

錯視のいろんな例の中に、有名なクレーター錯視というのがあります。月の画像を逆さにして見るとクレーターが出っ張って見えるというものです。

正しい上下で見る月             逆さにして見る月

これはクレーターばかりでなく、地図に描かれた山や谷でも同じ現象が起こります。しかし、慣れて脳が理解してくると出っ張って見えなくなります。あるいは、逆転して正立画像のクレーターが出っ張ってくるようにもなります。僕は今ではもう月のクレーターについてはかなり強い陰が出ていないと逆さにしても変化は起こらなくなりました。

この錯視の理由ですが、上下が判断しにくいものについては光は上から射すものという常識が働くために、ハイライトは上、陰は下と判断しているからだと推定できます。

実は天体観測をしている人にとって、月はいつも逆さまです。望遠鏡が映す像が逆さまになるためです。僕もかつて天体観測をしていましたが、クレーターが出っ張って見えたことは一度もありません。ここでは写真のようなことは起こりません。

立体で見る[星の本]
立体で見る[星の本]
杉浦 康平・北村 正利著
福音館書店
裸眼で見るステレオ写真は意図的に処理する方法を切り替えることで立体感を生み出していますが、これはどんなに練習してもできない人もいますね。

赤と青のメガネで立体視する古典的なアナグリフはだれでも立体視できますが、これもはじめは脳が調整をしているのを感じます。

このように脳はとても複雑な分析をしてイメージを人を渡しています。そして、網膜にばかり頼らないで脳の経験則に頼れるような映像の仕組みを見つけることで、グラスがいらない、もっと言えば片眼でも立体感を感じる映像を作ることができるのではないかと思います。

70億の、あるいは無数の他世界

いつものことながら、何か書いているとそれに関する話題が近寄ってきますが、これも脳の力なんでしょうか。先週TV番組「世界一受けたい授業」で錯視を扱っていました。この中で初めて知った錯視を紹介します。これは錯視とは呼ばないのかもしれません。

下の画像の文を速読するというものです。なんということはないのですが・・・・・

読む速度の違いで見えてくるもの ちゃんと読めたぞと喜びながら、ゆっくり読み返してみると・・・・・

脳がいい加減なわけでなく、脳の優秀さを示す例ですね。コンピュータが未だに鉄腕アトムを作り出せない理由です。2003年生まれのアトムはもう6歳、まもなく7歳になっているはずでした。

情報処理心理学入門1 感覚と知覚 右の本、『情報処理心理学入門1 感覚と知覚』(サイエンス社 P.H.リンゼイ・D.A.ノーマン著) は20年以上も昔に読んだ本ですが、今でも昔のままの装丁で売られています。83年の発売ですね。研究が進んでいないことの証でしょうか。

話が逸れますが、面白い話を思い出しました。つねづね鳥は賢いと言っている僕ですが、鳩はモネの絵とピカソの絵を判別することができます。そして、十分これらの絵に慣らしたあとで絵を逆さにすると、モネの絵の逆さは判別できても、ピカソの絵は判別できません。

「不思議なリボンをまいた立体」エッシャー画
「不思議なリボンを
まいた立体」

エッシャー画
ピカソに限らず抽象度の高い絵になると、やはり鳩は上下がわからなくなりますが、これは人間も同じです......(^_^)

ピカソの立ち位置が微妙なところにあることを鳩が教えてくれています。これはたぶん人の赤ちゃんで実験しても同じじゃないかな。

脳はいろんな錯覚を僕らに与えて不自由なく生活できるようにしてくれています。3D映像も見慣れてくると、また違うスクリーンが見えてくるのかも知れません。

20年以上も前に『キャプテンEO』を見た時には驚きだけで違和感のようなものはありませんでした。僕の脳はあの時のたった一回きりの体験をきちんと記憶していて、今回は驚きもせずに『アバター』を冷静に分析して見せてくれました。分析の精度は向上していませんが.......(^^ゞ

そしてまたいつも書いていることながら、3Dは僕の見ているものとあなたが見ているものとは別物であることをあらためて教えてくれました。そう、みんな別々の世界に生きているのです。だからこそ、現実のたったひとつの世界を生かすため、僕たちは自分の世界で閉じるのではなく、互いの世界をリンクしなければならないのでしょう。

『アバター』では触手のようなもので生物同士がリンクしていましたが、地球でも同じく、生物も無生物も物理的にリンクしていることは小学生でも知っています。いや、大人よりも小学生の方がよく知っているのかもしれません。環境問題に限らず、地球上の難題の解決は物理的なリンクだけでなく、物理以上の共感を培うことができるかどうかというところで、SF的な難問なんでしょう。

日本の「アバター」

先月、プリオシン通信で捕鯨問題を取り上げましたが、岡田外務大臣の発言が自公政権の時の政策と全く同じだったので、メールで意見しました。「隣の選挙区の住民」と書いたのが災いしたのか、返事は来ませんでした.......(^^ゞ

今は「高校無償化」を朝鮮学校生徒に適用するかどうかで揉めていますね。中井拉致担当相が川端文部科学相に除外するよう申し入れたそうですが、文部科学相は「外交上の配慮、教育の中身のことが判断の材料になるのではない」と至極妥当な答え。ところが鳩山首相は拉致担当相に同調という構図です。

朝鮮学校の生徒は日本国籍ではないので一緒にはなりませんが、日本が真珠湾を攻撃後、アメリカが日系アメリカ人を収容所へ押し込んだ歴史を思い出しました。八つ当たりです。

戦中に日本が拉致してきた朝鮮人の子孫も含まれる生徒が置かれている現状も理解できずに、拉致問題が解決できるのでしょうか?共感するならともかく、切り捨て御免というやり方はほんとうにごめんしてほしいです。

民主主義がなんでも多数決で済ませてしまう制度なら、とてもおぞましい制度です。民主主義が少数者をも守る制度なら、たぶん多数者を含めてみんなが生きやすい制度として長く続くと思います。なぜなら多数者は度々過ちを犯すからです。 そして、その数に乗じて過ちの被害は取り返しがつかないほどに甚大になるからです。

結党以来民主党を支持してきましたが、もし朝鮮学校生徒を除外することになった時には、民主党とは訣別します。

田中正造 民主主義を知らなかった頃の大塩平八郎(大坂町奉行所与力)の乱。民主主義がなかった頃の田中正造(衆議院議員)の足尾鉱毒事件。二人ともに国側の機関に席を置きながら、民衆とともに国と闘うことを選んだ人です。

衆議院議員は民衆の代表じゃないかという人もいるかもしれませんが、当時の選挙権は男子25歳以上の高額納税者のみで、人口の1%です。誰に投票したか知られないことを保証する秘密投票もない時代でした。

『アバター』の主人公ジェイクのような人は過去の歴史でたくさんいましたし、現在もいます。彼らは日々狼藉をはたらく人類の希望です。田中正造の場合、国会議員でありながら鉱物資源獲得のために渡良瀬川流域住民の命をないがしろにする国と闘ったのですから、まるで『アバター』の構図です。

少数者を大事にしない社会がどういう結末を迎えるのか、歴史を振り返れば容易に答えが見つかります。友愛という「リンク」の大切さを掲げたはずの首相も、『アバター』を鑑賞して自分が「宇宙人」であったことをもういちど思い出してもらいたいものです。



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