プリオシン海岸  プリオシン通信

鯨はほえーる

卑怯者の流儀


隣の鳩夫婦
隣の鳩夫婦


立場が変われば、言うことも変わる。それでこそ世の中をやり過ごしていける。僕らは子どもの時から何度も何度も繰り返しその実例を見て、大人のそういう行動規範を学んできました。

民主党の小沢幹事長の政治資金疑惑できっとだれもがうんざりしていると思います。国会が開かれる度に政治家の不正疑惑追及のためそれなりの時間が割かれるのですから。それもみんな税金で運営されるのは言うまでもありません。

もっとうんざりするのは、与党はかつての与党であった自民党や公明党と同じような態度で言い逃れ、野党もまたかつての野党であった民主党や社民党と同じ姿勢で批判しているのを見せられることです。もう僕らは十分に学びましたので、復習は結構です。

恥を知らない人々である、とマスコミも批判するけれど、やはり誰もが「同じ穴の狢(むじな)」であることを自覚している人は少ないようです。特にマスメディアはね。

もうひとつうんざりしているは捕鯨論争。毎年繰り返されながら、なんの解決策も生まれずに日本のイメージだけ海深く沈んでいくだけの現状は悲しいかぎり。まさに日本沈没です。

朝日新聞の論説委員がコラムで科学社説を書く難しさについて触れ、明確な主張を打ち出しにくいから悩むといい、その例として捕鯨問題を挙げていました。情報を伝えてくれるはずのマスメディアでもこんな体たらく。

たしかに捕鯨問題に科学的な正解なんてないでしょう。でも正解がないからこそ、これは政治問題のはず。

『ザ・コーブ THE COVE』 海外では『ザ・コーブ THE COVE(入り江)』(2009年アメリカ)という映画が昨夏からいくつか映画賞を取って評判になり、和歌山県太地町のイルカの追い込み漁がクローズアップされています。今月南極海で日本の捕鯨船と衝突した米国の反捕鯨団体シー・シェパードとともに世界的な話題になっているようです。

ちなみに俳優、太地喜和子さんはここ出身です。関係ないですな.......(^^ゞ

この話題は国内ではほぼ愛国的な主張に蹴散らされてしまうので何を言っても議論が噛み合わず、無駄みたいなところがあります。ほとんどの人が映画を見ないままに激昂しているようなので、この映画を見たうえで、鯨好きな僕にも一言いわせろということで参戦します......(^_^) でも、戦争はハンターイ!

どうせオマエは反捕鯨に与(くみ)するのだろ!と思われたあなた。ところがどっこい、「反」ではありません。「仲」なんです。そして、僕の意見は決して少数意見とも思えないのです。

ちなみに鯨とイルカの違いはそのサイズだけのことですので、これから記す「鯨」はイルカも含んでいます。

調査船と衝突したシー・シェパードのボート 反捕鯨を非難する人たちの主張にはなぜか鯨肉が食いたいからやめてたまるか!......(^_^) みたいな話があまり出てこないですね。実際のところ鯨肉なんて日本のごく一部の人しか食べてないのに、そんなに声高に言う理由は何でしょうか?

伝統だの、家畜を殺すのはどうなんだとか、知能の高さで線引きするな!だの、やはり言い訳っぽい。要するに鯨肉が食べたいからではなくて、日本にケチをつけるなというのが本音なんでしょう。どこの国の人も残虐な国民だと言われて平静でいられないのは当たり前ですから。そんな愛国者の気持ちはわかります。正確には民族というべきでしょうか。

太地の網船 日本人は鯨漁をしていた一部の地域を除いて、戦後の一時期に食べただけであって、伝統食でも何でもありません。しかし、現状にしがみつきたいばかりに十年でも続けたら伝統だ!と騒ぎ立てる人々がたくさんいる国なので、伝統ではないと言うつもりはありません。だって、伝統なんて主観でしかないのです。それが千年続いていたとしても。

しかも、伝統というのは時代に合わなくなってくると因習へと転落してしまうものです。特にいのちと人権にかかわるものは。人食い民族に、「まあ伝統だから仕方がない。年に25人までなら許可する」という国際合意が成立する、なんてありえないでしょ......(^_^)

警備の仕事中の貴乃花 今、相撲協会の理事選挙で貴乃花親方が立候補するかどうかでもめていますね。一門で調整して無投票にするのを伝統と考えるのか、それとも自由に立候補もさせてもらえない因習ととらえるのか、好例になりますね。

上げ馬神事 ここ三重県では上げ馬神事で有名な多度大社と猪名部神社があります。土壁を馬で駆け上がり、農作物の豊凶を占う例祭で、三重県の無形文化財です。しかし、あんな危険なことをしたがるのは人間ぐらいのもので、動物はそんなバカなことはしたがりません。

それで薬物を使ったり、竹で叩いたり、急所を蹴り上げるなどいろんなことをして追い立てることになります。そのうえ土壁に上がれなかった馬をむりやり吊り上げるなど、馬にとっては拷問を受けているようなものなので問題になっています。(※追記 今年の猪名部神社の神事では馬が一頭死に、多度大社では一頭安楽死させられました。5/16)

家畜は殺してもよくて、可愛い鯨は殺しちゃダメというのはどういう了見だという主張も気持ちはわかります。でも、可愛いペットの犬や猫を日本人一般が食べないのはなぜかと言えば、やはりそういう了見なわけです。そして、知能で線引きするなと言うなら、人の肉だって食べていいはずです。しかし、食べない。食べた人はある程度いますけれど、過酷な環境下でのことでしょう。

ちなみに、動物愛護管理法(動物の愛護及び管理に関する法律)で言う「愛護動物」とは、
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一 牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの
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こうして日本でも法律的に言っても区別されています。上げ馬神事も伝統であっても法律違反です。

どこの民族でも生活環境から生じる文化でどこかで線引きをしているわけです。人肉を除外しない民族もかつていたほどにまさに様々です。だから、反捕鯨運動を非難する人が文化の違いで反論するのは正しいことだと思えます。

ある奥地へ行って、幻の人食い民族に出会った時に「どうぞ食べてもらって結構です」と達観できる覚悟と、「日本人は日本列島から一歩たりとも出さない」という決意があるのならば。

そしてやっかいなことに、反捕鯨を唱える人々が家畜と鯨を分けるのも文化です。鯨を食べるのは日本の文化だから尊重しろと言うのであれば、彼らの文化も尊重されなくてはならないのです。文化と文化の闘いは不毛で、何も実を結びません。

新美南吉『おぢいさんのランプ』 日本の沿岸で捕鯨しているだけならまだしも世界の海へ出て行って捕鯨しているわけですから、日本文化の境界線はどこまでだ?と揶揄されかねません。世界に依存して生きている現代において、日本の勝手でしょ!が通じるはずがないというのをそろそろ理解してもいいのではないでしょうか。ランプで暮らす時代はとうに終わったのです。

あれは1933年です。国際連盟を日本が脱退した時。外国から非難を受けた時の反応を百年経っても変えないおつもりでしょうか。

韓国でオリンピックがあった時、犬肉の料理屋は制限を受けました。なぜなら韓国人だけではオリンピックができないからです......(^_^) 正確には中国やベトナムでも犬は広く食べられているようです。

可愛がっている猫を撫でながら隣家のバーベキューをのぞいたら、猫をむしって食べている。家風が違うだけのことと受け流して、気持ちよくお付き合いできますか。

あなたの町で猫を食べているおうちがあるとしたら、そこの家への人の出入りはまずないでしょう。そこの家人から食事の招待を受けたら、まずは丁寧にお断りするでしょう。中にはヒステリックに反応してしまう人もいそうです。

太地からイルカが世界に供給される図 捕鯨問題は村八分と似ています。どちらが正しいかという問題ではありません。実際、太地は世界中の水族館や、イルカと泳ぐドルフィン・プログラムへの世界最大の供給地だと映画は指摘していました。これ以下3枚の画像は映画からです。

僕から見れば、野生のイルカを狭い水槽に閉じこめて調教するのだから、捕鯨に賛成するも反対するも同じ穴の狢なのです。

殺されるよりは生きている方がいいだろうと人は思うのでしょう。だからこそ人身売買や奴隷制度が成り立ちます。檻の中のイルカは食事が支給されるだけで、一生ただ働き。残酷という点では生死を問わず変わりない風景に見えます。

ショー用イルカの選別 実際、イルカ漁は追い込み漁で、網の中から調教用のイルカを選び、残りを食用として屠殺しているのです。ショー用のイルカは15万ドルらしい。食用イルカはたった600ドル。買い手がそんな実態は知らないと言い逃れるのは難しそうです。

村八分でいいのなら勝手にやるべし。そして、WWF(世界自然保護基金)等の国際組織やワシントン条約も無視することになるので、かわいいパンダをとっ捕まえて飼い猫にし、ハンコのためにゾウも狩り放題、今年は寅年だから虎皮パンツのために虎も狩りまくりましょう。

その逆に、外国人がトキやヤンバルクイナを焼き鳥にし、奈良公園で鹿肉パーティーを開いても文句は言えません。田舎の小川で絶滅危惧種になったメダカの躍り食いを目撃しても目をそらさなくてはなりません。そんな外国人はいません.......(^^ゞ

やはり日本人の圧倒的多数は仲良くしたいのです。これが冒頭に僕の立場は「反」ではなくて「仲」だと記した理由です。それでもどうしても食べたい人は自分で漁をすればよいのです。

僕の経験から言えば、何事にも感情的に反応する人々は立場が変わればそっくり意見が入れ替わります。シー・シェパードのボードに乗っている人たちも日本に生まれれば、きっとシー・シェパードに目クジラを立てることでしょう。シー・シェパードなんかさっさと沈没させてしまえ」と言う日本人もアメリカに生まれていたらきっとシー・シェパードに乗り込んでいたことでしょう。

それは偏見だと批判されれば、その通りではありますが.......(^^ゞ はい。改めます。「きっと」ではありません.....m<_ _>m

しかし、家畜と鯨を線引きするのはおかしいと主張する人でも、その捕鯨を支持する根拠を推測してみればその最大の理由は愛国心からです。同じ人間なのに国境で線引きするのはおかしくありませんか。理性的に言っているつもりなんでしょうけれど、要するに自分の縄張りに入ってくるなということでしかありません。シッ、シッです。

世界は日本の赤く染まる小さな入り江にも関心を持つけれど、ハイチという小さな国の大地震にも関心を持ちます。日本人の大半はそのことにすでに気づいていると思います。しかし、先日は残念ながら日本はハイチへの支援額が少ないと国連に叱られていました。この姿勢は捕鯨問題と表裏一体に見えてしまいます。

昨年3月の「リトマス試験紙」の映画『ミルク』で触れたショーン・ペンは過激なシー・シェパードの顧問である一方、ハイチへもすぐに駆けつけています。

阪神大震災で世界中から援助してもらったことをもう忘れたのでしょうか?都会で大地震が起こったら、世界中の援助が必要になることも想定できないのでしょうか?民主党議員が一人たった1万円の寄付をしたというニュースを聞いて、そんな感想を持ちました。

鯨を捕獲している人たちは経済的な理由が主でしょう。そして、日本全体のことを言えばたぶん利権もからんでいることでしょう。

映画では、漁師は「金の問題じゃない、駆除(pest control)なんだ」と言ったと語られていますが、それが事実であったとしてもやはり経済問題にかわりありません。

しかし、カメラを恐れる理由はこんなことをしたくないからです。「捕鯨」ということば自体にも、「鯨漁」と言いたくない気持ちが表れています。IWC(国際捕鯨委員会)の手前、その上にまだ帽子を被せて「調査捕鯨船」です。こんなことをしなくても済む環境づくりを始めてはどうでしょうか。

太地のイルカ漁 映画では日本人の専門家が、太地では今では捕殺方法も進化していて脊椎を特殊なナイフで刺して一瞬のうちに殺していると語った後、銛(モリ)で何度も突き刺されて、イルカたちがのたうち回っている現場映像を見せられて、明らかに動揺している姿が映し出されていました。そして、「いつ、どこで撮ったものか」と不機嫌に問い返していました。

専門家でさえ現実を知らないのです。彼が正直であるならば。そして同じ事をIWCでも日本代表が述べていました。動き回る鯨の脊椎を一撃で狙い打ちするなんて芸当ができるわけがない。

※【(追記2010/07) この通信記事は1月に書いたものですが、2月に入ってから Wikipedia に『ザ・コーブ』の項目が立てられたことに7月に気づきました。ここでは銛での漁法は過去のもので現在は違うと指摘されています。つまり、漁協側に沿った解説になっています。しかし、現在の漁法について正確な情報が出てこないので未だ真偽は不明と言わざるを得ません。また、上で触れた血に染まる海の映像については10年以上前に撮影されたものという疑惑も出ています。】

先進国で鯨漁のことを一番知らされていない国はたぶん日本です。この映画が全部正しいなんて全然思っていません。実際、事実と異なると漁協は訴えています。そんな判断がまるでできないほどに僕らはまるで知らないのです。

特に水銀汚染については映画で一般的な資料をいくら提出されても判断のしようもありません。そう思っていたところ、今月の21日にニュースが出ました。太地住民から高濃度の水銀検出というものです。

北海道医療大と第一薬科大などのグループが調べたところ、月に鯨肉を一回以上食べる人で日本人平均の10倍以上、中には神経障害が発症しかねない50ppmを超える人もいたという報道です。これには驚きましたが、もっと驚いたのは太地の健康調査を実施している環境省国立水俣病総合研究センター所長のコメント。

要約すれば、「データが少ないからまだ禁止する必要はない。水俣病よりもかなり低濃度だからもっと調査してから」というもの。水俣病と比較するとは! 注意を喚起するぐらいのことはあっていいのでは?

鯨肉を扱うショップがネット上にもあるのを知りました。マスコミにとても受けの良い店のようで、こんなにたくさんTVや雑誌で紹介されているのかと驚きました。食べ道楽の有名人には格好の話の種になるのでしょう。我が町は太地から2百キロぐらいしか離れていないのですが、鯨肉なんて口どころか耳にしたこともないですけどね。

それで、ここのネットショップでこんな記事を見ました。コメント全文です。

2009年9月2日【店長のぶつぶつ・・・】
まいど、みなさま〜おな〜じみの↓(広沢虎造ではないのですが)
またもや動物愛護団体が太地を急襲しております。毎年数十万匹〜数百万頭のカンガルーや牛、馬、羊、豚、兎、鳥、は自分のお国が召上がっているので可愛そうではないのだそうですが、クジラ、イルカは賢いので可愛そう♪だから殺さないで!だそうです。めっちゃ奇想天外な話です。ちなみに強行な反捕鯨国のオーストラリアはカンガルーを毎年数十万匹〜百万匹を食べています。イルカも捕獲して食べています。それはそれでオージの食文化で良いと思います。どうぞ、自分の国の食文化を守って下さい。他国への内政干渉はやめてほしいですね。噂の水銀検査に対しても太地町民はすべてクリアーでした。町の指導で数十人が水俣に行き当地で水銀値を検査してもらいました。結果、なんぼでもクジラを食べて下さいと診察が下されました。クジラで育った太地町民は全国有数のは長寿村ですよ。以前は水銀で金目鯛がターゲットになりました。はてさて次のターゲッはマグロでしょうか?心配です。

感情的に反応する典型例のような店長ですが、店の経営がかかっているのでそう冷静でいられないのは仕方ないですかね。さて、このお店の店長は今回の報道にどんな反応をするのでしょうか?

この記事をアップするのを控えて様子を見ていたんですが、1週間経ってもコメントは出ませんでした。

大人の行動規範その2。立場上不都合が生じた時の沈黙は金なり。これが適用されたようです。マスコミの対応は「きじも鳴かずば撃たれまい」が適応されています。

店長のコメントを待っている間に水銀検査の経緯について調べてみました。映画が契機ではないと太地町は否定していますが、昨年の6月から希望者に対して毛髪検査を始めたそうです。三軒一高町長は「来春(2010年春)結果が出るので疑いは晴れるはず」と発言しています。

国立水俣病総合研究センター 今までの話を総合すると、太地町は水俣にある国立水俣病総合研究センターに調査を依頼し、その結果はまだ出ていない。今春に結果が出る。こういう推定が成り立ちます。北海道医療大と第一薬科大などのグループは太地町とは関係なく調べたということでしょうか?

店長の「なんぼでもクジラを食べて下さいと診察が下されました」というのは私見ということになるのか、所長の暢気なコメントから察するに水俣病総合研究センターが実際そう言っていたのかのどちらかです。どちらにせよ、公式な安全宣言ではないことは明らかですね。

厚生労働省はすでに2003年6月から妊婦や妊娠の可能性がある人は大量の摂取を控えるように指導しているようです。

映画は太地の上映中止を求める声にもかかわらず東京国際映画祭で上映されたようですが、今のところ英語版DVDでしか見られないようです。。アメリカから輸入するとリージョン1なので、ご自宅のプレイヤーが対応しているかどうかご確認を。日本はリージョン2になりますので、「2」専用だと再生できないと思います。

最後に鯨の立場から言わせてもらえれば、反捕鯨が正しいです。当たり前ですな.......(^^ゞ 今や牛や豚だってもっと苦痛が少ない殺し方をしています。(「日食と肉食」参照)

鯨が歌をうたうことは鳥が歌をうたうこととおなじぐらいによく知られていますが、鯨の歌には流行があるらしく、繁殖期ごとに9割のオス鯨が同じ歌をうたうそうです。鯨の歌は水中を数百キロ伝わるので、太平洋の歌、大西洋の歌という大きな分類になるようです。

鳥の歌が音楽的要素をもっているように、鯨の歌も同様です。おっと、人間の歌も音楽的要素をもっていますね。

昨年11月に「極楽浄土と時間」で生き物のサイズと時間の話をしましたが、鳥と人と鯨の歌には同じことが適応できます。

『もの思う鳥たち』 僕たちは鯨の歌を聴くとスローな歌だなあと思います。鯨の歌を速く再生すると鳥の歌と区別できなくなり、中程度の速度で再生すると、今度は人が作曲したものと聞き間違えるようになるらしい。(参考:『もの思う鳥たち』) つまり、この三者は基本的に同じ旋律の音楽を楽しんでいるらしいのです。

地球上の生き物は人間の持ち物じゃない。うまいから食ってなにが悪い、なんて言わないで。少しは遠慮しましょうよ。旨いものが食いたいなら、旨いものを食っている人間が一番美味いらしいから、試してみますか?実際、人肉を食べた人たちの話ではかなり旨いらしい。

西江雅之の本 文化人類学者かつ語学の天才である西江雅之さんは子どもの時に犬や猫を捕まえて食っていたと語っていますが、この人ならちっとも驚かないわ、というような特殊な性癖を持った人ならではの話で、西江さんはきっと人間も食っているに違いないと僕はにらんでいます。

ちなみに、犬や猫を食ったのは愛情の裏返しとの弁。(左の単行本が改題して右の文庫本になったようです)

僕たちは身近である生き物のいのちは愛おしいのです。以前に書きましたが、自分が殺せない生き物を食べるのは卑怯です。僕たちはみんな卑怯者です。だから肉を食べる時は遠ざけておいた動物を見えないように殺してもらうのです。

人間はまるで人間以外の生き物を自分たちの財産のように思っていますが、人間が他の生き物とは違うというなら、捕食せずに生きていけるぐらいの知恵は持っているはずです。そんな知恵がないなら、人間もやはり同じ生き物です。

親鸞は「まづ有縁を度(ど)すべきなり」(まず縁のある人からたすけなさい)と言いましたが、逆に言えば凡俗の愛は身近な人までしか届かないような代物です。だから、せめて身近に感じる生き物を大事にしたいのです。それが卑怯者の流儀です。そして、クジラは欧米人にとって身近な動物なのです。

うちの隣に棲んでいる鳩夫婦はただの鳩です。でも時々うちの庭にやってきて遊んでいく鳩です。たまに目が合うと互いのテリトリーを犯さないようにお互い知らんぷりをするたったそれだけのかかわりですが、ほかのどこかの鳩とはちがう鳩です。(星の王子さまのパクリ.......(^^ゞ

どこか遠くのまるで知らない人が死んでも僕は悲しくありませんが、この鳩たちが死んだら僕は悲しいのです。

(2014年5月追記) オーストラリアが国際司法裁判所(ICJ)に訴えていた日本の南極海調査捕鯨が2014年3月31日に「科学目的のためとは言えない」とされ、中止を命じられました。日本政府は予想外の判決だったそうで、それぐらい世界オンチだったわけです。「クジラを殺す以外の調査の可能性を探っていない」とか、「捕獲枠は多すぎる」とか常識的な内容です。この一月の間、マスメディアの報道ぶりを見ていますとクジラを食べられなくなるかどうかという話題ばかりです。つまりは調査なんておためごかしでやはり商業捕鯨以外のなにものでもありません。日本人はクジラの調査なんて関心ありません。関心があるのは外国から野蛮人と言われることです。みんなやめてしまえばカッカせずにすみます。



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