プリオシン海岸  プリオシン通信

極楽浄土と時間

自転車でいこう


畑でひと休みのトンボ
畑でひと休みのトンボ


年を取ると時間の経つのが早い。たぶん大人には共通の感覚ではないでしょうか。そうは思わないというおとなの人はまだ子どもです。

先日のテレビ番組『所さんの目がテン!』がこれをテーマにしていました。

2つの実験がありました。まず、耳栓をして5分を勘で計測するというもの。年代でこんな差が出ていました。(下左図参照:画像は番組から)

二つめは10分間ジョギングをした後で1つ目と同じ実験を行うもの。この結果は時間が縮まるというものでした。導き出された仮説は心拍数が高いと時間を短く感じ、低いと長く感じるというものでした。(下右図参照)


年代別の時間感覚運動後の時間感覚
年代別の時間感覚運動後の時間感覚


ここできっと頭のこんがらがった人がいますね。時間を短く感じるというのは時間の経つのが遅く感じるということです。

例えば、時計で10分間経ったのに5分しか経っていないというふうに感じるとしたら、現実の10分を主観の20分にできるということです。これが子どもです。もし、大人のあなたがそんな感覚をまだ持っていたら、あなたの精神年齢は......(^_^) ではなくて、肉体年齢は子ども並みと言えます。ちょっとうれしいですね。

50代を超えると、主観の10分はどんどん短くなっていくのです。

年齢と反比例して心理的な時間は短くなるという感覚はジャネの法則としても知られているところです。フランスの哲学者ポール・ジャネ(1823-1899)にちなみますが、10歳の子どもの1年は生涯の1/10で、100歳の老人の1年は生涯の1/100というように、分母に生涯時間を据えて考えるとわかりやすいわけです。

『ゾウの時間 ネズミの時間』カバー 昔、『ゾウの時間 ネズミの時間』(本川達雄著・中公新書) という本に電信局で触れたことがありますが、関連してくる話です。

体のサイズを基本に据えて、代謝や速度、寿命などに規則性が見られることを指摘した本です。偏見と誤解を恐れずに言えば、体が小さいほどそそくさと生きていて早死にするし、体が大きくなればのんびり生きていて長生きするみたいな......(^_^) 

  このどこが偏見かと言えば、どちらの生き物も時間の密度から言えば同じ長さの生涯を送っていると考えられるからです。

体内時計と言えばすぐに腹時計を連想してしまう食いしん坊の方もいるでしょうが、脈拍とか呼吸とかの代謝は脳が時間をカウントする時の重要な要素のひとつになっていることは間違いなさそうです。

楽しいことをしている時は時間が早く過ぎ、嫌なことをしているときは時間を遅く感じるというのもあります。これを延長すると、人生を楽しく過ごした人は人生は短いと感じ、辛い人生を送った人は人生は長いと感じるという仮説も成り立ちそうです。

ここで先月の台風18号の話をするとずいぶん古い話題だと思われるかもしれませんが、昨今のニュースラッシュのためにかなり日が経ったように思うだけで、ほんとうはほんのちょっと前の話のはずです。

一定の期間にどれだけの情報が詰め込まれているかという情報密度によっても時間は変化します。これも時間マジックのひとつですよね。

台風18号進路 伊勢湾台風の再来かと思われましたが、少し太平洋側にずれてくれたお陰で、最悪の事態は避けられました。

それでも今までに経験したことがないような暴風で、夜はその音と揺れでどこのお家でも眠れなかったようです。雨量は大したことなかったのに、多くの家で雨漏りがありました。

軒下から吹き上げられる風で雨が吹き込んだようです。親戚では屋内の土壁が崩れてしまったそうで、全部修繕すると2百万円かかると歎いていました。

暴風の夜、うちの葡萄のビニールハウスも一巻の終わりだなあと諦めていましたが、幸いにも持ちこたえてビニールの破損だけで済みました。いや、正確には骨組みが少し傾いてしましたが。

台風が上陸した知多半島ではビニールハウスがうねるように倒壊していましたが、もうすこし進路が北だったら、うちのハウスもビリビリのクネクネの蛇の抜け殻でした。

数年前の台風でも倒壊して、こりゃダメだと一旦は諦めてたのですが、気を持ち直して一人でコツコツと建て直し、補強を施したのが今回の幸いにつながりました。

今回もコツコツとビニールを張り替えて、半月がかりで修繕しました。数年に一度は大がかりな補修に迫られていますが、貧乏人の趣味としては金がかかりすぎます......(^_^)

その大きな原因はろくなビニールがないことです。耐久性がないために年中補修です。これは企業の研究努力不足か、何度でも取り替えてもらおうという経営努力の一方策なのか、どちらかかどちらもか、破れを見つける度に考えてしまいます...(^^ゞ

政治の世界も台風一過というぐらいの変わりぶりです。だれもが政権交代という暴風が吹いたんだとなあと思ったに違いありません。

政権交代後の民主党、なかなか頑張っているなと思っていましたが、まあ今でもそう思いますが、相当な混迷ぶりでもあります。

前々回話題にした「国家戦略室」。だから言わんこっちゃない、という感じでしょうか。予想を超えて影も形もない存在感のなさ。かつてイラ管と言われ、今はダマ管と揶揄されている管直人は、たしかに寡黙ならぬ管黙です。

一郎殿は一国一城の主となって民主城に籠もり、かつて自民城から放逐された亀は「してやったり!」と小泉川の流れに逆らって郵郵と泳いでます。

鳩山さんは選挙前にしっかりしてきたとのマスコミ評だったけど、やはり凧が風に吹かれて右に流れたり左に流れたりしているみたいに頼りがいのない人です。宇宙人の正体は実はハリボテの鳩凧でした。地球の外へは出ていません......(^_^)

しかし、この人のキャラは得です。同じ事を麻生さんが言ったりやったりしたら、ボコボコにされていただろうと思えるようなことでもほとんど批判されない。ハトだから大目に見て貰えるんでしょう。

首相専用機の窓 首相専用機の窓に映った二つの手が指相撲をしている様子をTVが伝えていました。微笑ましい首相夫婦です。この人が語る友愛に嘘はないことはわかるけれど、世界は YOU&I だけではない難しさがあることをまだこの人は知らないような気もします。

やはり前々回の話題で「こころに響くことば」を期待していましたが、すでに消えてしまいました。その象徴が官房機密費でしょうか。

事業仕分けで筆頭に上がるような税の無駄遣いという甘っちょろいものではなくて、手が後ろに回らないのが不思議なぐらいのあからさまな横領。野党時代に公開しろと批判していたはずなのに、蓋を少しずらしてそこから覗いてね、と言っている。

鳩山首相「国民にすべてをオープンにすべき筋合いのものとは必ずしも思っていない」

なんでしょう?このまわりくどいゴマカシ表現は。豆鉄砲でも食らいましたか?

事業仕分け現場 批判ばかりですが、政権交代は百%正解だったと思っています。

例えば「事業仕分け」で子ども未来財団がやり玉に上がっていましたが、子どもの未来を食い物にしている財団だとバレてしまった。鳩山首相の献金問題はなかなか明らかになりませんが、核密約問題は明らかにされそうです。

事業仕分けで一番驚いたのは、仕分け人の質問や問い詰めにろくに説明や反論ができない役人たち。これが長らく優秀だと言われていた人たちでした。日本がダメになった理由がわかった気がしました。

当初、期待を持たせた鳩山さんの良き言葉は最初だけで、後が続きませんでした。政治はことばから死んでいきます。鳩山政権は長くない。

鳩山さんの施政方針演説を内田樹(神戸女学院大学教授)さんは評価していましたが、その演説のひとつの特徴として、「時候の挨拶」的なところから話し始めたのが共感を呼んだのではないかと解説していました。

内田さんは時候の挨拶をこう定義していました。

「私たちの会話が時候の挨拶から始まるのは、気温や気象は個人の生身の実感であると同時に多くの人と無条件に共有しうる客観的事実でもある例外的なトピックだからである」

時候の挨拶ならだれでも相づちを打つというわけです。

なるほどね。でもこれなら YOU&I の世界には通じるけれど、she も he もおおthey(勢)いる世界ではね。総論ではなく、具体論になった途端に鳩凧は迷走するわけです。

難しい世相です。おそらくだれも処方箋を持っていない。今の混迷は民主党に責任はなく、ただ民主党も処方箋を持っていなかったというだけのことです。

前回の記事で寺院批判をしましたが、先日またある投書が新聞に出ていました。戒名料金50万円を断ったら、菩提寺から出て行くように言われ、墓から先祖の骨を拾って引っ越しして、墓石に俗名を刻んだといいます。

僧侶には、菩提寺で戒名をもらわなかったら浄土へ渡れない、と言われたそうな。

心底おそろしい。地獄も恐れない所業というべきか。まあ、地獄も極楽浄土も信じていないのでしょうな。それとも悪人正機を悪用するつもりか......(^_^)

僕はあの世に浄土はないと思う。もし浄土を願うならば、この世を浄土にするしかないと思う。だから政治にどんなに嫌気がさしてもあきらめたくはない。

あきらめなければいつか希望は叶う。言うまでもなく、あきらめたら希望が叶うはずはないです。あきらめない限りは「いつか」希望が叶うのです。「今」からみれば「いつか」は永遠に未来ですから。

冗談を言っているわけではないです。実現しなくても、希望があれば人は生きていけるからです。

『モモ』カバー でも、政治だけで浄土が実現できるかと言えば、それはない。ミヒャエル・エンデ Michael Ende が『モモ Momo』で描いたような時間泥棒がいるからです......(^_^) 半分マジメです。

たまたま今週の『爆笑学問』(NHK)に、先に記した本の本川達雄教授が登場していました。ナマコが専門だそうで、ナマコは海底でじっとして砂を食べていれば天国、とかしゃべっていました。

天国かどうかしらないけれど、たぶん不満もなければ満足もないでしょう。そもそも脳がないのでそんな概念はないはず。

近頃、自分の世代よりも上の世代の人たちとは話ができるけれど、同世代以下の人たちとは会話が成立しづらくなってきています。それはオマエがジジイになってきているからだろう?というあなたのツッコミは否定しませんが、ほんとうは携帯電話が会話を寸断するからです。こっちがホントですよ。

携帯に慣れた人々にはなんでもないことでも、まだ慣らされていない人々にとっては不愉快このうえない。二人以上で話している時は人数に比例して聞きたくもない着メロが積み重なっていくのです。

だれかと話しているところに、何度も赤の他人がメロディを掻き鳴らして割り込んできて平気で会話を続けられますか?あなたは笑っているけれど、そういうことなんです。

この割り込みを許している理由は、それが人ではなく機械がしていることだからです。本当は人が割り込んできているのだけど、機械のすることだから仕方がないというあきらめ。こうして機械は気づかれないようにどんどん人の領域に侵入していくのです。

熊が人を襲えば、人間が森を奪ったからだといくら主張しても射殺されます。しかし、機械が人を殺しても理由を問わずお咎めなし。携帯電話でも多くの人が死んでいますが、それは携帯を悪用する人間が悪いと免罪されます。

これは絶対に間違っている。機械も罪に問われなければなりません。そうでなければ戦争もなくならない。

そして、人をコントロールすることに今最も成功している機械である携帯はどんどん時間を加速させ、いますぐでないと承知してくれない傲慢さで脅かしてくる。

Yoko Ono著『Grapefruit: A Book of Instructions and Drawings』 オノ・ヨーコが「『間』の文化」というタイトルで書いていました。(画像の本とは関係ありません)

「今は東洋も西洋もなく、世界全体がスピードの社会だ。そのスピードはスポーツカーのスピードであって、人間の鼓動には全然合っていない。道理で心臓病が世界中に増えるわけだ」

僕も長らくスピード狂でした。スピードの快感はドキドキする脈拍の速さでもありますが、今は自転車をとばすことでもその快感が得られるようになりました。

生活をスローダウンさせたお陰だなあと思っていましたが、ある日気がついたことがあります。必死にペダルをこいで心拍数を上げていることに......(^_^) まあ、精神と肉体の相乗効果でしょうね。

実は、本川さんは生物のサイズと代謝機能の関係だけでなく、消費エネルギーの側面からも検討を加えています。下の画像は『爆笑学問』からです。

サイズと心拍数サイズとエネルギー消費
サイズと心拍周期サイズとエネルギー消費量

記事の冒頭で紹介したのが左の図ですね。サイズ(体重)が小さいと心拍周期が短くなる、つまり心拍数が上がるわけです。そしてエネルギーの消費量は活動の速度が速いので上がることになります。のんびり象さんはゆったりしていて、エネルギーをあまり使いません。

さて人はどうかと言えば、やはりグラフの線上に位置しています。しかし、人のエネルギー消費は体の維持だけに使われているわけではなく、むしろ生命活動以外のところで大量消費しています。本川さんは食事のエネルギーの40倍と見積もっていました。こうなるとグラフの線上どころか、グラフのどこにも位置することができません。

これはどういう計算なのか根拠がわかりませんが、40倍とは桁違いに少ないと思えてしまうほど、僕らは日々浪費しています。この文もパソコンで書いているわけで、鉛筆のわずかなエネルギー消費量とは比べものになりません。しかも浪費の話をしているのに、いつもより長文を書いてエネルギーを無駄にしています.......(^^ゞ

子ども時代に夢見た「明るい未来」はやはり大量のエネルギー消費社会でした。夢の乗り物も超高速でした。今もし江戸時代と言わず、数十年ぐらい前のエネルギー消費にすれば、エネルギー問題は一挙に解決します。

昔は人生50年とか言いましたが、現代の80年よりも長い人生だったことは疑いありません。現代人はなかなか成熟しないとも言いますが、当然の帰結です。

エントロピーでもないですけど、もう僕らはそこへ帰ることもできません。

人類は道具を使い始めた時からモノなしには生きられなくなってしまいました。モノが増殖する速度も止められない。それが止まるのは地球上で奪い合うパイがなくなった時。

ようやく時間の加速が止まる時でもあるでしょう。そういう意味では物質的に豊かな未来など望まない方がいい。

1689年に描かれた蝗害 そうでなければ、バッタの集団発生によって植物が食い尽くされる蝗害(こうがい)そのものになってしまいます。そして最後には共食いが待つ。

『インディペンデンス・デイ』 アメリカ映画『インデペンデンス・デイ』(1996年)に登場する宇宙人は惑星を渡り歩いて資源を食い散らかしているヤツラですが、これはたぶん未来からやってきた地球人のことです......(^_^)

月や火星に水があるかどうかという科学的探求の動機も、結局地球人がそこの資源を利用できるかどうかということに集約されてしまいますから。

ナマコはまるで時間が止まったかのように海砂の上でじっとして生きています。何も考えない。それはまさに悟りを開いて極楽浄土に生きているかのようでもあります。

ゾウの時間だのネズミの時間だの、時間の長短を究めるよりも、本当はゴクラクの時間か、クガイ(苦界)の時間なのかを知るべきであることは言うまでもありません。しかし、現代のスポーツカーでは時間が飛び去って、いっこうにヒトの風景が見えてこないのです。

ちょっと速度を落として、風景を眺めたい。これこそ僕がスポーツカーから自転車に乗り換えた理由です。

ウソだろう?ですって。まあ、7%ぐらいはホントです.......(^^ゞ



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