プリオシン海岸  プリオシン通信

ことばと踊る

捕まらないことば


無花果にしがみつく蝉の殻
無花果にしがみつく蝉の殻


真夏の草原を馬で旅するのにヤギ肉を腐らせずに運ぶにはどうすればいいでしょう。

作家の村上由佳さんがそんなクイズを書いていました。

クイズの答えを書いたあと、村上さんはこのクイズの感想を述べています。

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いのちへの<感謝>などという言葉では生やさしすぎる。それはむしろ、<哀しみ>に近い。食べるとは、生きるとは、あらかじめ哀しいことなのだ。だからこそ、いつかは失われるいのちが愛しい。
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この感想がヒントになるでしょうか。今の日本人のほとんどにはヒントにはならないかもしれないですね。答えは「生きたヤギを連れて行く」でした。

日本人にはもうない発想です。

生きるために他者のいのちを犠牲にすることについては、いつも「感謝」ということばで免罪符が与えられるような物言いばかり。「他者のいのちが自分の中でまた生きていくのだ」というのも、確かにその命は人間の腑に入るが、そのものいいはやはり腑に落ちるものではないです。

「それはむしろ、<哀しみ>に近い」という村上さんに僕は共感しますが、実は「近い」のではなくて、それはどうもがいてみても「哀しみ」そのものだと思えます。これしか腑に落ちない。それがどんなに哀しくたって、腑に落とすしかしかたがない。

『とりぱん1』 共感することが多いマンガ『とりぱん』。ここの第20話にこんなコマがあります。

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近頃怖い話と言えばこういうの(技師註:最近のホラー映画のこと)ばっかりで、悪いことすると山から××が下りてきてとって食われるぞ〜というのは聞かなくなったと思う。「とって食う」ことばかり考えて「とって食われる」ことを考えなくなったモノはいつか誰かに退治されてしまう気がするー。
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これにも共感しますなあ。

ちなみにドクター中松は42歳から35年間全ての食事を記録して体調との関係を調べていたそうです。この研究によると、食べたものの影響は3日後に出るそうです。腐ったものなら1時間経たないうちにでると思いますけど。僕は鶏肉やホルモンを食べたら0.1秒後に影響が出ます.......(^^ゞ

ことばは腑に落ちないと居心地が悪い。今回の衆議院選挙戦を眺めていても、それははっきりしていましたね。

岡田代表民主党ポスター 2005年の総選挙で民主党岡田さんは「日本をあきらめない」をスローガンに闘って惨敗したけど、このスローガンが腑に落ちるはずがない。そんなこと言われた国民はどう反応すればいいのか。だれがあきらめさせているんだという怒りしかないよね。負けはこのスローガンを掲げた時に決まっていました。

そして今回の自民党麻生さん。ここまで見事に腑に落ちないスローガンはなかろうというぐらいの「責任力」。だれしも、アンタに言われたくない、自民党に語ってもらいたくない、ついでに言えばそんな変な造語するな、ということばでした。

麻生総裁自民党ポスター 政権交代の実現のためにずっと民主党に投票してきましたが、今回は大丈夫と思って比例は民主党に投票しませんでした。

そもそも僕は政権交代うんぬんの前に、結党当時、管直人を首相にしたくて応援していました。彼が掲げる政治信条「最小不幸社会」に共感していたからです。

安倍総裁自民党ポスター なんと後ろ向きな言葉か!という向きもあるでしょうが、安倍さんみたいに自分好みの趣味を求めるのが政治ではなく、政治がやるべきことはセーフティネットで、それさえも出来ていないのが現状なんですから。安倍趣味に合わない国民は息苦しくなるだけ。ホンマにいらんことせんと、いることをしてくれですワ。

このポスターで安倍さんは参院選で惨敗。むべなるかな。

自民党はまったく時代錯誤していたけど、民主党も同じ片鱗が見えます。「国家戦略室(局)」っていう、バカバカしい命名はなんだろう?なんでわざわざ「国家」なのか、どうして戦略なのかちーともわからない。

『菅直人 市民運動から政治闘争へ』表紙 官僚と闘う戦時下に入るという気負いなのか何なのか知らないけれど、市民運動出身の管さんには似合わないはず。その戦闘的な弁舌は似合うかもしれないけど......(^_^)

マスコミはなんにも反応しないなあと思っていたら、歌人の道浦母都子さんが新聞投稿していました。やはり時代錯誤と。

道浦母都子歌集『花やすらい』表紙 先日、演出家の竹内敏晴さんが亡くなりました。去年書いた「モジ仮説」のサブタイトル「文字が劈(ひら)くもの」は、彼の著作『ことばが劈(ひら)かれるとき』を踏まえています。彼からは言語や身体について多くを学びました。そして、「ことばが相手にとどく」という、だれもがなんでもないと思っていることが、いかに見当違いで、そこには深いものが横たわっていることに気づかされました。

『ことばが劈かれるとき』表紙 そんなこんなの僕の言語ルールからすれば、こんな「国家戦略局」なんてことばの下で成功するのは困難です。

僕のつたない文章も、いいタイトルがつけられない時はやはりいい話になりません。今回がそのいい例です.......(^^ゞ ことばが届かないわけです。

直近では「後期高齢者」がありましたが、過去の長期政権の間にいろんな嫌なことばが政治家や官僚から出てきていました。そして、それがそのまま社会に蔓延していくのです。それは単なることばではなくて、その言葉が持つイメージが具現化されていくことになるのだと思うのです。

新しい政権はもっと賢い遣い方をしてもらいたいと思います。これからも旧態依然の政治家ことばや官僚ことばを聞かされるのなら、世の中は変わらない。

政策が失敗し続けたとしても、こころに届くことばを発し続けるなら、国民はきっとついていく。少なくとも僕はついていきます......(^_^)

鳩山家の犬アルフィー 鳩山さんは夢が叶い、交代した政権トップにつきました。彼の愛犬アルフィーはそれを見届けた直後に死んだそうです。犬は主人はもう大丈夫だなと見届けてから死ぬみたいなところがあると昔から思っていますが、アルフィーもそんな犬だったのでしょう。政治家の犬として、あの世で「イエス、ワン、キャン!」とスピーチしているかも......(^_^)

『ダンス・ウィズ・ウルブズ』ポスター この連休中に『ダンス・ウィズ・ウルブズ Dances with Wolves』(1990年アメリカ)を見ました。たぶんこれで3回目。このタイトルも実に腑に落ちない。

タイトルというよりは主人公の名前になっているわけですが、狼は「トゥー・ソックス Two Socks」という一頭しか登場しません。これはスー族(原作ではコマンチ族)の勘違いだったのか?単数にすると冠詞の問題がでてくるからか?韻を踏むためか?それとも他に意味があるのか?まあ、どうでもいいことですけど.......(^^ゞ

今回なぜか気になったのが名前のこと。主人公はネイティブ・アメリカンの文化に触れ、「狼と踊る男」という新しい名前を得た時、自分の名前「ジョン・ダンバー John Dunbar」には何の意味もないことに気づき、そして新たな名前とともに自分自身を見いだすのです。

僕は「ジョン・ダンバー」に何の意味もないとは思いません。SF映画選の1ページ『第5惑星』で名前に触れましたけど、姓は先祖から、名は親から与えられたもとして尊重します。

でも、自分の名前が腑に落ちているかと言えば、そうではありません。何十年も書いているにもかかわらず、署名するたびに違和感があります。その証拠に、署名は筆跡鑑定で同一と判定されないぐらい、書く度に筆跡が踊っているのです。いったいどう書けば僕なのだろうと考えあぐねている自分がいるのです。

自分の存在を示すことばが腑に落ちないという事態。振り返れば、昔の偉人はよく改名しています。同じ気分があったのだろうと推察します。

今日はたまたま賢治の命日。彼がペンネームを用いなかったのは照れでしょうか、それとも本名が腑に落ちていたからでしょうか。

「狼と踊る男」に相当する「事件」が起こらない限り、人は本当の名前を得ないままに死んでいくのでしょう。それとも、これは僕の単なることばとの戯れなのでしょうか。

Dances with words.



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