プリオシン海岸  プリオシン通信

すってんころりん

ドラマの始まり


孵化を待つツバメの卵
孵化を待つツバメの卵


2年前に家を解体した時、ツバメが巣をかけられなくなったので倉庫の鉄骨に板を張りました。その後様子は見に来ても巣をかける気にはなれないようでしたが、今年は巣をかけました。蛇やカラスに襲われないように時々見にいっています。

特に蛇とは過去に3回格闘しているので、鳥たちの僕への評価は高いと思います。鳥の巣の家主選挙があったら、たぶん当選するはず......(^_^)

人間の選挙もやっと近づいてきたなあ。何度も政権交代について書いてきましたが、視野に入ってきてからは触れていません。実現するまで触れないでいきます。もし実現したら、今度は民主党批判をやります.......(^^ゞ

世の中が良くないせいか、映画の宣伝がかまびすしい。いつの間に日本映画はこんなに作られていたんだと思うぐらい新聞に広告が並ぶ。うちの夕刊では紹介記事もかなり増えている。文学やアートなどのジャンルを押しのけて、まるで日刊スクリーンみたい。映画好きでもゲップがでそう。

『卒業 The Graduate』(67年米)をレンタルで久しぶりに見ました。初期のDVDなのか画質も音質もDVDとは思えないほどひどい。そんなでも傑作は傑作です。 映画『卒業』のDVDカバー

今ではもう話の筋はつまらない。脚本もきっとつまらないと思う。会話シーンではなくて、たぶんシナリオでは簡単に書かれているはずのト書きの部分の映像化が素晴らしい。これにはサイモン&ガーファンクルの音楽の力もあり。

この映画を思い出すときはきまってそういうシーンが目に浮かぶ。

十代で初めて見た時はキャサリン・ロスと恋に落ちてしまった......(^_^) バスで逃げていくシーンのエレーンを抱きしめてあげたい気持ちに駆られたが、今見るとエレーンだけでなく、ベンも一緒に抱きしめてやりたい。

幸か不幸か、とうとう人生の幕が開けてしまった瞬間。その不安を抱きしめてやりたい。

『卒業』のバスシーン

新聞日曜版に『サザエさんをさがして』という昭和文化を展望する連載があります。先々週だったか「防火用水」がテーマ。若い人が知らないもののひとつですよね。僕もすっかりその存在を忘れていました。こんなのあったよ〜

若い人のために言えば、時代劇に出てくるようなものとは違いますので、誤解なきよう。当時はあちらこちらに防火用水があって子どもが落ちてよく死んだという記事です。時代劇の防火施設では溺れません。

樋から水を流し込む大きな水瓶もよく見ました。で、防火用水や水瓶には金魚が飼われていることが多かった。これはボウフラ対策のため。知らなかった。そんなわけだったのか。

実は防火用水ばかりではなくて、水だめがたくさんあったとも書いてあります。

たしかに池というほどのものではない水だめがそこここにあって、子どもの遊び場にもなっていました。アメンボを見たり、フナを泳がせたり、蛙を釣ったり、玩具の船遊びをしたり、氷の上で滑ったりしたのです。

昔遊んだ水だめは今はひとつも残っていません。すべて埋め立てられました。

これで思い出しました。いろんなことを。導火線がないと記憶の蓋が開かないお年頃です。そして、嫌な記憶まで呼び起こさないようにすぐに火消しがとんでくる.......(^^ゞ

幼稚園でも防火用水がありました。園児には大きく見えてしまったこともあるでしょうが、敷地の隅に小振りのプールみたいなのがあって、でも深くて底は見えなかった。

ある日教室で先生から危ないから近づかないようにとみんなに注意がありましたが、僕はその日のうちにそこで遊んで、バケツで水を掛けたいぐらい烈火のごとく怒った先生から退園を言い渡されました。

親にどう説明したのか思い出せませんが、まあまともに相手にしなかったのでしょう。翌朝小学3年生だった姉がいっしょに謝りに行ってくれて、事なきを得ました。

姉を尊敬する唯一の出来事でした......(^_^) なにしろまだ小学校低学年ですからね。

僕のへそ曲がりの種はすでにその頃芽吹いてしまっていたわけですなあ。

その時に防火用水へ転んでいたら人生は幕を下ろしていたけど、なにか転んでしまうような坂を上りたがる、いや転げ落ちたがる癖なのかどちらかわからない癖が抜けない。

これはまた別の連載。作家、車屋長吉さんの人生相談。人生相談としてはあり得ない回答者です。人生相談とは転ばないようにアドバイスする場のはず。しかし、車屋さんはいつも「転びなさい」の一点張りで相談者を叱るのです......(^m^ )

車屋さんは生まれたことを取り返しのつかない不幸だと考えているようで、生まれてしまった以上、この不幸をどう味わうかが人生の妙味だと思っているフシがある。

僕もよく似た感慨はあります。人生の成功は快楽であって、そんなものに価値はない(とまで言い切るつもりはないです)。堕ちれば堕ちるほど人生というものが見えてくる。

人生の成功に向けて頑張るのは勇気でもなんでもない。それは快楽という祝福がもたらされるのだから。逆に辛いところへ自分を落とし込んでいくのは本当に勇気のいること。

むかし坂口安吾の「堕落論」がありましたが、最後には救いがありました。しかし、こっちには何にもない......(^_^) 堕ちたままです。

SF映画選『ガタカ』で『卒業』に触れました。この時はバスのシーンを青春からの卒業と記しましたが、今回は冒頭で「人生の幕が開けて」と書きました。車屋さんの話を読んでから表現が変わってしまったのです。

じゃあ、僕も人から相談を受けたときに「すってんころりん転びなさい」と言えるかと問われれば、そんなもん言えるわけがない。まるで赤の他人を遠くからみているのであれば言えます。でも、見知っている人に辛い思いをさせたくはありません。

見知っている人のなかには自分もいます。ころべばドラマが始まる。でも、見るドラマとはちがって演じるドラマなので、いたいです。

人生というものが見えてくるからって、それがどうだっていうの? どうもないです.......(^^ゞ ただ、上手に生きることはつまらない。臆病者でもそれなりにころびながら生きる方が、生まれついた不幸を癒せるのです。

ツバメよ。孵ってからも卵が転がるように生きよ。



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