プリオシン海岸  プリオシン通信

I know

思い込みにひらめく


小雨に濡れるツバメの子たち
小雨に濡れるツバメの子たち


ツバメが飛ぶ季節になったなあと空を見上げ、はやくも31度を超える日にストーブの底に残った灯油を恨めしげにのぞき込み、ふとまた雨空を見上げると、ツバメの子たちが並んでいました。気がつけば五月も終わりです。

ツバメの子たち6羽が並んでいました。5羽にしか見えないって?手前から3・4羽目がぴったりくっついているんです。ツバメがぺたりと寄り添う姿を見るのは初めて。雨に濡れて寒かったのでしょうか。他に何かわけがあるのでしょうか。

前回に奈良の話をしましたが、新聞に校倉造りの隙間説は誤りというコラム記事が出ていました。

小学校の修学旅行で初めて見た正倉院。湿度によって木が収縮して、すき間を開けたり、閉じたりすることで湿度を低く保つという、誰でも知っている説明をきっとその時も聞いたはず。これが間違いだったという記事です。 校倉

実際に宮内庁正倉院事務所が10年がかりで調べたら、木の隙間が開閉するなんてことはなかったそうです。きちんと調べもせずに「隙間説」は流布されていたわけです。

学問のなかには、こういういいかげんな「思い込み」が一定量含まれていることを改めて想起させられるトピックでした。

では真説はなにかと言えば、建物と唐櫃(からびつ)という二重の材木自体が湿気を吸収したり排出したりすることで急激な湿度変化を抑えてきた、ということらしい。外気で50%近くの湿度変化があっても、唐櫃の中では1%ほどの変化なんだそう。

校倉造りは地震に強いということは、ログハウスが地震に強いので間違いなさそうです。これもだれか実際に実験やってるでしょうか?

宇宙のビッグバン説は「何事にも始めがあって終わりがある」という思い込みではないかと、この説を知った時からずっと思っているけれど、状況証拠が増えるばかりで、図太くいまだ優勢な学説です。

有名な学説にはだいたいエピソードがあって、日常の些末的なことからひらめいて作り上げられていくというようなイメージがありますよね。だからこそ、ニュートンの林檎の作り話が生まれたりするわけです。それでも、ニュートンの庭にあった林檎の木は接ぎ木で世界中の科学機関に分けられているそうです。

このエピソードはうまく出来ているところとそうでないところがありますが、うまくできているところは林檎が熟せば枝から落ちるという当たり前のこと(思い込み)から解放されて、ひらめきを得たという理屈が表現されているところかな。

去年のノーベル物理学賞は小林・益川理論でした。益川敏英さんは入浴中にクオークの4元モデルを考えていて、立ち上がったときにこのモデルを諦めて、6元モデルにすればいいと思いついた、と話していました。

「心が開放され、新たに6元モデルにすればいい」

きっとバスタブからから立ち上がって、水の圧力から解放されたとき、重苦しい旧モデルからも解放されたのではないかと思います......(^_^)

評価されれば「ひらめき」、そうでなければ「思い込み」。そして、思い込み学説にはみんなが迷惑するわけですが、これも階段を登る一歩ずつだから仕方ないですね。

いつか6元モデルも思い込みでしかなかったという日が来る可能性はかなり高い。

日常生活ではきっと数え切れないほどの思い込みがありますよね。

夜食を食べていた頃、カップ焼きそばのソース袋の切り口はギザギザの辺とばかりに思いこんで、いつも「なぜこんなに千切りにくい製品に世間の人は文句を言わないか!?」.....(^^ゞ、と何年も愚痴っていましたが、ある日ふとギザギザのない辺に小さな切り込みがあるのを発見。

目がテンになるというのはこういう時だろうね......(^_^) しかし、凡人ゆえ何かひらめきを得たわけでもなく、今はただカップ麺とは無縁の生活をしているだけです。 映画『テラビシアにかける橋』ポスター

気のせいかもしれないけれど、近年児童文学が映画化されることが多いような。小学生時代に本をさっぱり読まなかったので、二十前後に遅れを取り戻すかのように児童文学を読みました。そして、また児童文学を読まなくなったので、最近映画化される児童文学は読んでいないことが多い。古典的な作品はあらかた映画化されてしまったので、近年の著作に移ってきているのでしょう。 『テラビシアにかける橋』カバー

キャサリン・パターソン Katherine Paterson の『テラビシアにかける橋 Bridge to Terabithia』もそんな読んでいない作品のひとつ。というよりも、その存在すら知りませんでした。映画(同タイトル、2007年米)で見て、どこか腑に落ちない。でも原作はなにか傑作の予感がする。それで久しぶりに物語を読んでみました。僕は基本的に小説を読まない人ですから。偕成社文庫700円なり。貧乏でもなんとか買える値段だったし......(^_^)

ずいぶん評価の高い作品なのですが、僕にはやはりヒットせずでした。パターソンの執筆動機は、次男の親友だった少女が雷に打たれて死んだという事件の悲しみを乗り越えるためにありました。そして、映画の脚本はこの次男が書いています。訳者あとがきにそうありました。 英語版 Bridge to Terabithia カバー

本を読んでも何が腑に落ちないのかわからずじまい。でも、たぶんこの作品のモチーフが事実に基づいていることに関連しているのかもしれないと思います。この世で起こることは腑に落ちないもの。この腑に落ちない気持ちを解放するために書かれた。この作品はそんなところに価値があるのかもしれない。

英語版のカバー、いい雰囲気出ています。4ドル足らずで、日本より安価です。 映画『西の魔女が死んだ』ポスター

最近見たもうひとつの児童文学作品の映画は長崎俊一監督『西の魔女が死んだ』(2008年)です。原作は同タイトルの梨木香歩さんの作品です。こちらもまったく知らなかった作品で、原作も読むつもりはありません。なにせ腑に落ちていますから......(^_^)

よくあるお話とまでは言わないけれど、それほどオリジナリティーのあるストーリーでもない。印象に残ったのは英国出身のおばあちゃんが、姪の「おばあちゃん、大好き」という言葉に、「「I Know」(「わかってるよ」技師訳)と安心感を与える言葉で応えるところ。

思い込みの I know もあれば、こういう I know もあるんだよね。この二つの作品はどちらもファンタジーなのかなという先入観を持たせるけれどそうではないことと、「死」が扱われていることで似ているところがある。たぶん僕も十代で読んでいたら、心に残る作品になった気がする。

そう。十代は何でも心にヒットする。何でもは言い過ぎだけれど、この年になって賢治を読んでいたら、「プリオシン海岸」サイトなんか作っていたはずがない。「東北の詩人が死んだ」、そして傑作を残した、ぐらいで片付けていただろう。 『デート・ウィズ・ドリュー MY DATE WITH DREW』ポスター

TVで最近見た映画は『デート・ウィズ・ドリュー MY DATE WITH DREW』(2004年米)。趣味の映画ではないけれど、評判を聞いていて見た作品。ブライアン青年がクイズ番組で得た賞金1100ドルという予算で、6歳から憧れているドリュー・バリモア Drew Barrymore とのデートを誓い、一ヶ月と期限を決めて突進する過程を映したドキュメンタリーです。この1行、自分で書いていて笑える。

実際彼のまわりの反応は、そんなことがお前の夢かと笑ったり、呆れたり。お馬鹿なプロジェクトというのもあるけど、大スターとデートなんかできるはずがないという思い込みもある。

I know....

ここで出てくるのがやはり 「I know」。出足は好調で5日目で4段(degree)。つまり、僕はBを知っている。BはCを知っている。Cはドリューを知っているという感じです。しかし、その後は順調とは言えず、段が増えたり減ったり絶望したりと展開するわけです。そして、最後は右下画像の通り。 I know Drew.

I KNOW DREW

KNOW なんて単語は数十年まえに KNOW した言葉ですけれど、KNOW がこんなに素敵なことばであったことに心打たれました。

ブライアンの賞金1100ドルはこの映画の成功で何倍になったのかな.......(^^ゞ クイズ番組に賞金とくれば、『スラムドッグ$ミリオネア Slumdog Millionaire』(2008年英米)ですよね。これも見たばかり。お勧めです。  『スラムドッグ$ミリオネア Slumdog Millionaire』ポスター

教養のかけらもないはずのお茶くみ青年が、僕は知っている!とばかりにクイズ番組で正解を重ねていく。番組前半後、知っているはずがないと警察で拷問を受ける主人公ジャマールですが、その知識は苛酷な路上生活の中でたまたま知ったことばかりだったというところから展開していく映画です。

知的な好奇心から生まれるはずのクイズ番組なのに、ジャマールの知識はそんなこととはまるで無関係。知的なことよりも大金への好奇心をくすぐるクイズ番組が受ける現代の世相を裏返して見せているようです。

そして、世間も自分自身も知っているはずがないという思い込み。

すくなくとも自分はこんなものと思い込むのはやめておいた方がいいな。そこからは何のひらめきも生まれないから。

『ルネサンス 料理の饗宴 ダ・ヴィンチの厨房から』カバー

2008年10月の通信「最後の晩餐」で、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』メニューについて触れました。あの雑誌「Gastronomica」では、ダ・ヴィンチの書斎に収められていた史上最初のレシピ本についても証拠のひとつに挙げられていました。そんなルネサンス時代のレシピについて、『ルネサンス 料理の饗宴 ダ・ヴィンチの厨房から』(原書房、2520円)という本が出ました。でも、今の僕には高価すぎる。

海のそばに住みたかったけど、図書館の近くに住むのもいいなあと思うようになってきたこのごろ。


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