プリオシン海岸  プリオシン通信

あやかしの丘

玉手箱に収められたもの


天の香具山
甘樫の丘から天の香具山を望む


今年の桜は奈良の飛鳥で楽しんできました。ずいぶん前から自転車で飛鳥を走りたかったのですが、それを実行してきました。

前回飛鳥を訪ねたのはたぶん約15年前。たまたま飛鳥のサイトを見ていたら、レンタサイクル(レンタル・サイクル)がずいぶん整備されていることを知り、これはいいかも!とショップに電話。一日レンタルで千円。しかも車の駐車料金はタダ。タダし、タダになるショップは限られているようです。

甘樫の丘地区は公園も自転車道もずいぶん整備されて、昔とは一変。と言っても鄙びた感じは昔のままなので、自転車で走るにはもってこいです。

マイ自転車で走れればもっといいんですけど、レンタルはママチャリです。

15年前に来た時は自動車で巡りましたが、近距離なのに狭い道を自動車で巡り、駐車場を探し、その度に駐車料金を払うことになり、全く不便でした。

甘樫の丘

帰途、たまたま甘樫(あまかし)の丘を見つけ、そこから見た風景が素晴らしかったので、いつかまた桜の季節に来ようと思っていました。

広い盆地に川が流れ、田園に桜の木が点在する風景。あの美しい景色がパノラマで脳裏に焼き付いていました。しかし、あれ?桜が見えない。川がない。盆地が狭い。方角が違う。むむむ。

当時の甘樫の丘の展望台は木が伐採されて、造成されたばかりの感じで、四方が広く見渡せたと記憶していましたが、今は桜の大木が茂り、眺望は悪くなっていました。

記憶の玉手箱を開けたら、煙とともに慣れ親しんだ風景が消えてしまったかのような気分。

脳は美しい記憶をより美化させる働きがあるようです。

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今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった
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こうして春が巡ってくるたびに、記憶の女は美しくなっていくのであった。再会しちゃダメ......(^_^)

前回来た時には余裕がなくて見られなかった酒船石も見ることができました。ここは酒船石遺跡と呼ばれているのですが、2000年にここから亀形石造物が出土してからはこっちが主役になったようです。

竹林の中の酒船石 パンフレットにも酒船石の写真はなく、亀さんばかり。案内図にも酒船石はなし。現地には解説員もいて、亀さんに付きっきりでした。酒船石を「よしよし」と撫でて慰めたくなるような寂しい扱いです。

一説には薬の調合に用いられたのではないかと言われますが、まるでハズレと思います。手塚マンガ『三つ目がとおる』にも取り上げられていて、やはり薬の調合説を受け入れています。 『3つ目がとおる』

一種の祈祷のための呪術装置というのが一番まっとうではないのでしょうか。亀がノソノソ出てきたことで信憑性ものそのそ出てきた感じがします。ちなみに、酒船石は丘の上、亀形石は丘の下という配置です。ここが『日本書紀』に記された丘だとすると、斉明天皇が造らせたものということになります。

飛鳥は自転車で巡ることができるほどの地域です。でも、一日で全部を見てまわるのは無理。やはり一泊しないと。今回は2/3程度見てきた感じです。 

岡寺山門 予想外だったのは岡寺。見栄えのしない小さな寺だろうと思っていた。確かに大きくはない。急坂で、しかも工事中の悪い路面を登っていった後に開けた岡寺は別世界の美しさ。桜ばかりではなくて、庭や建物の配置の美しさなど、これは拾いものでした。

飛鳥大仏 飛鳥寺など霞んでしまいました。もちろん飛鳥寺も素朴で、庭の木も趣があるんですよ。この寺は日本最古の「飛鳥大仏」で知られるわけだし、それでいいのだ......(^_^) 7世紀はじめの鞍作鳥の作とされていますが、災害にあってほとんどの部分が当時のものではないそうです。そのためか、あるいは珍しくというか、写真は撮り放題です。

経済学者、宇沢弘文氏は「狭い日本の国土を広く使うには、すべての電車の速度を半分に落とせばいい」という。速度を半分にすれば、距離は2倍に延び、面積は二乗して4倍になるという理屈。

しかし、これは理屈ではない。こちらはあやかしでもない。車で走れば、美しい景色に出会っても道の途中で停車もできず、通り過ぎるだけ。自転車で走れば、止まれる。しかし、道ばたの花は見逃すかもしれな。徒歩なら、もっと道草の間(ま)が増えることになる。

『ひとりぼっちの動物園』カバー 灰谷健次郎の作品に『だれもしらない』という短編があります。もともと『ひとりぼっちの動物園』(あかね書房)に収録されていた作品でしたが、今は長谷川修平が絵を描いて絵本になって出ています。『ひとりぼっちの動物園』は絶版のようです。

200mを40分かけて歩く、というよりは、そういう歩きしかできない「まりこ」という子の話です。僕は絵本はまだ読んでいません。

『だれもしらない』カバー こんな間(ま)だらけの生活をしているまりこのそばに落ちてくる言葉は「あんな子、なにがたのしみで生きているのやろ」。灰谷さんはその楽しみを描写しています。

地域振興のために新幹線を引っ張ってきて駅を造ったら、みんな通り過ぎていくだけになってしまったという話があったけど、速度は線分を縮めて限りなく点に近づけようとする。間は消えていくのだ。

理屈では4倍になるのかもしれないが、気持ちとしては無限である。速度は間という玉手箱の蓋の上を走る。

ちなみに、宇沢氏はジョギングで通勤したり、東大教授だった時には講義に遅れるのがザラだったそうです。教室に行く速度を半分に落としても講義時間は延びないと思います。経済効果は出ていないはず......(^_^)



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