プリオシン海岸  プリオシン通信

リトマス試験紙

赤と青の広い間

川面に姿を映す青鷺


今日は早朝から神社に出掛けました。今年は獅子舞をやるということで、臨時の清掃なのです。生まれた時からこの神社の氏子ですが、出掛けるのは草刈りと清掃の時だけで、未だに氏神を一度も参拝をしたことがない不信心者です。

村落共同体を保護するひとつのボランティア活動だと思って、今も氏子でいるだけです。このボランティア活動はそれなりの出費を求められるのが難点。

草刈りや清掃に出掛けたのは数十回にはなると思いますが、一度も雨が降ったことがありません。老人とそんな話をしていたら、自分も雨に降られた記憶がないとのこと。畏るべし......(^_^)

前回村上さんのエレサレム賞について触れましたが、その時に報道ではアラブ側の反応が伝えられませんでした。しばらくして出た記事を読むと、授賞したことを過ちと捉えたようです。

イスラエルは文学賞を通じて、イスラエルを批判する文学者でも評価するという、きちんと自らを客観視できる国であるというプロパガンダに成功しているわけですから、アラブ側としては当然の判断ですな。スピーチがもっと明確なメッセージであれば、アラブ側の反応もまた違ったものになった可能性もあると思います。

レバノンの作家、アブド・ワジン氏は、なぜアラブ連盟は世界的な文学賞を設けないのかという疑問を述べていましたが、そんなの疑問にもならないぐらい明確ですよね。もともと寛容だったイスラムは、いまもそうあり続けているかと問えば、そうだとは答えられない。世界中で過激なイスラム組織が悶着を起こしているのだから。

しかも、神を侮辱したと判断されたら聖職者が死刑宣告を出すことになるのでは、文学なんて書けない。そんな状況で文学賞なんて不可能ですよ。村上さんのぼんやりしてはいたけれど、イスラエルに批判的なスピーチに拍手してくれるイスラエルとはやはり違う。それがたとえ批判的な者をイスラエル側に取り込む策略であったとしても。

村上さんが「卵側に立つ」とぼかして言わなければならなかった理由のひとつがここにあるように思います。僕なんかは宗教もほどほどにと思ってしまいますね。

同じ宗教であっても、その聖職者によって主張することが異なるぐらいだから、ジョバンニが言うような「ほんたうの神さま」なんて見つかりっこない。

『銀河鉄道の夜』では、ジョバンニの神さまとキリスト教の神さまとでこっちがほんとうだと言い合っている感じでしたが、この様子から見ても宮澤賢治が法華経の熱心な信奉者であったとされているのが僕は信じられない。愛読者であったことは間違いないけれど。

TV番組『オーラの泉』 先日『オーラの泉』というTV番組にはるな愛さんが出演していました。この番組、放送倫理委員会で問題になってからレギュラーの言い方が神懸かり的なものから「ほどほどに」なりましたが、それはともかく、はるな愛さんの話を聞いて今まで「性別」について勘違いしていたかなと思うようになりました。

広く第3の性と言いますけれど、これは生物学的なエラーから生じたものであって、神様も間違うことはあると思っていたわけです。誰しも心身にエラーが少なからず生じているわけですが、これがSEX(性)に発現したものだと理解していました。

しかし、はるなさんは身体は女でも、名前や戸籍は男のままがいいという。今のままがいいんだという。美輪明宏さんはヘルマプロディートスという両性具有のギリシャ神話の神を例に挙げていたけれど、はるなさんの言葉のニュアンスから言えば、アイデンティティは男で、姿は女がいいという感じ。これは男でもなく女でもなく、じゃあ中性なのかといえば、いやどうも違う。

カクレクマノミ 一部の魚、と言っても300種ぐらいいるそうだけれど、例えばカクレクマノミのように集団の性的な環境に応じて性転換する魚がいますよね。両生類も限定付きで転換免許を持っている......(^_^) ニワトリも疑問符付きで成長過程で性転換することがあるらしい。もともとは柔軟に性は決定されていたようです。(画像:Wikipediaより)

人間の場合も実はエラーではなくて、男と女は両極端で、その中間にはいろんな性のかたちがあるのだということを示唆している気がしました。リトマス試験紙は酸性かアルカリ性か、どちらかしか判定できないが、その間にはpH0の塩酸からpH14の水酸化ナトリウムまでいろんな度合いがあるのと同じ。もちろんエラーも起こっているはずですけどね。「性同一性障害」という言葉はあるけど、実はその多くは障がいではないのでは?

実際、人間個体の染色体は、XXとXYだけでなく、XOやXXYや、そして一個体の中にモザイク状に染色体が混在する場合もあるわけで、これは示唆通りとも言えます。

恋愛の対象も実にいろいろ。身体は男で心は女で、好きになるのは女という組み合わせもあります。

映画『ミルク』ポスター 今年のアカデミー主演男優賞は「ミルク」のショーン・ペンでした。この映画はゲイであることを隠さず市会議員に選ばれましたが、1978年に同僚議員に射殺されたカリフォルニア州のハーベイ・ミルク Harvey Bernard Milk を描いたものです。同じ男優賞でトム・ハンクスが授賞した作品は1993年のエイズを扱った『フィラデルフィア』。主人公はやはりゲイでした。

ペンは、同性愛者同士の結婚禁止に賛成票を投じた人は恥ずべきだと非難するスピーチをしていましたが、まあ日本では考えられない風景ですね。日本の俳優がだれかを非難するスピーチをするということだけでもありえない。アメリカは地域により様々で一概には言えませんけれど。

去年だったか、インド南部のタミルナド州政府が「アラバニ」の生活支援を始めたとかニュースがありました。学校に専用トイレがあったりする。

『ヒジュラに会う』文庫本カバー アラバニとかヒジュラとか呼ばれる人々はアウトカーストに属しているので、二重の差別を背負っている。昔に『ヒジュラに会う―知られざるインド・半陰陽の社会 』(ちくま文庫・大谷幸三著)を読みましたが、芸能で身を立てて暮らしているところは日本の被差別部落の歴史と重なるところもあります。

進化の歴史から眺めると、どうも性の始まりが死の始まりであったと思えるので、死がなければ石と同じで、それは生命ではなく存在があったということでしかない。それはそれでたいした意味があるのだけど。

性に悩み、性を楽しむ人間は間違いなく生命あるものであり、それがどんな性の形態であれ、同じ生命どうしで忌み嫌うことなどあっていいはずがない。

こうした差別を助長しているのが宗教であることは世界の通例。馬鹿と鋏は使いよう、という差別的な諺がありますが、宗教も上手に使ってほしいもの。人間を創造したのは神だと言うなら、神が作った人間を、人間が作った単純なリトマス試験紙で測れるはずがない。神を紙におとしめるな.......(^^ゞ

2009-03-29

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