プリオシン海岸  プリオシン通信

ねじれたカンジ

教養のねじれた国


麻生さん。まだ首相になって数ヶ月にしかならないのに、叱られてばかりだ。マンガしか読まないから漢字が読めないとマスコミに笑われているいるけど、マンガ好きはあんまり愉快じゃないだろうな。

マンガはルビが振ってあるのもたくさんあるから漢字が読めるようになるはずなんだけどね。しかし、「未曾有」と「煩雑」なんて語彙は確かにマンガには馴染まない。そもそもマンガは基本は物語で、文は脚本に似ているから、レポートや論説などの語彙とは相性が良くない。

いつの間にか首相とは国民の欲求不満のはけ口として嘲笑される対象になってしまった感じで、だれにとっても不幸なことです。

誰でも覚え間違いはある....はずだ.......(^^ゞ 最近、僕もまたふたつ間違いに気づいた。一つ目は「さんすい」(散水と撒水)。散水は撒水の略というか代用なんだろう?とずっと思っていながら調べたことがなかった。今回調べたら確かにその通り。でも、撒水に「さっすい」と書いてあるではないか。

え?!「さんすい」じゃないの!読み進むと「さんすい」は慣用読みと説明書き。そうか。今では間違いとまでは言わないけど、これは間違いから生じたというか、代用書きの「散水」から出てきた間違い読みだったんだろうな。

二つめは夕陽妄語。先日加藤周一さんが89歳で亡くなりました。新聞連載の「夕陽妄語」を僕はまだ若い頃から「ゆうひもうご」として読んできました。そんな昔でも彼はすでの老人の入り口。

1979年に「山中人間話」を始めて1984年から「夕陽妄語」と改題して連載していました。間違いはこの「夕陽」で、死去に関する記事にルビが振ってあって、「せきよう」とある。ありゃ?!辞書を引くと、「ゆうひ」は夕方の太陽、「せきよう」は「ゆうひ」の意味もあるけど、「夕方」を意味する。

「陽」だけ訓読みしていたのでずっと違和感があったんですけど、声に出して読むわけじゃないから誰からも間違いを指摘されないし、結局20年以上も間違ったまま。こうしていろんな読み間違いが温存、蓄積されていく。

「夕陽妄語」はこんな簡単な間違いになぜ気づかないと笑うようなことなんだけどねえ。僕のATOK辞書では「せきよう」も「もうご」も変換できません。僕の無学にふさわしい辞書に育っています.......(^^ゞ

『夕陽妄語』 加藤さんは人生の暮れに世迷い言を語るつもりだったのだろうから、「せきよう」と読むしかないわけだよね。ちなみに妄語とは仏教用語で嘘をつくことです。僕はまだ人生の暮れほどでもないと思っているので、「日中妄語」を書いているわけですな。さて、「ひなか」か「にっちゅう」か?......(^_^)

なぜか幾度覚えても忘れてしまう漢字もある。僕にとってそれは「宍道湖(しんじこ)」。地名ではあるけれど、たまにお目にかかるとなんだっけ? シジミを食べてもなんだっけ? アサリを食べても関係ないのになんだっけ? 思い出すのに一苦労。どんな過去のエピソードが障がいになっているんだろうとその度に考えるけど、いまだにわからない。そういうことだけはアッサリ忘れられないのだ。

麻生首相が間違っていたのは、踏襲、詳細、詰める、措置、頻繁、怪我、未曾有など。実業家や政治家をやっていたら前半の語は始終使う言葉。

麻生首相の読み間違いの多さや語意の取り違えまで考えると、マンガ云々ではなくて学校で勉強しなかったんじゃないかと思う。おまけに坊ちゃんだから誰からも間違いを指摘してもらえなかったんだろうな。ついでに言えば大人になってからも勉強しなかったから、間違いを自分で訂正する機会がなかったのに違いない。小泉さんも趣味以外は勉強していなさそうだったけど、これではどんな政策も打ち出せない。

まあ、麻生さんは英語が話せるから漢字が読めないぐらいのことは許せよ......(^_^) 坊ちゃんに育ったのは彼の責任ではないから、これも許せよ。首相が国語に弱いのは確かに問題だけど、この国のリーダーレベルがその程度なのだから仕方ない。演説できなくても法案を書かなくても首相になれる国だもの。

読みが間違っていたら、ワープロでは漢字に変換できない。今の時代、実業家や政治家が手書きとは思えないので、総理は自分で文章を書かないことが露見している。口述筆記もあるんだろうけど、他人が書いたものを読むだけだから基本的な読みまで身に付かないし、それで政治家が通用してしまう国だということも露見している。

スポーツ紙が漢字の特集をしていました。誰でも間違いはある、という感じで首相を笑うのではなく、自分の知識を確認しようということで好感が持てる記事。スポーツ紙にしては珍しい。

中日スポーツから定番ベスト20を引用すると.....

脆弱、相殺、言質、遵守、凡例、奇しくも、他人事、初産、一矢、婉曲、忖度、進捗、生蕎麦、強面、上梓、吹聴、希有、礼賛、所望、凋落

僕は言質(げんち)を間違っていました。「げんしつ」はまたしても慣用読み。新聞では「誤り」とされていた。1年経つとまたきっと忘れている.......(^^ゞ 記憶力が悪い僕にはその言質を取られかねない話題だ。

この5月、戦後の国語改革でのローマ字論争についてここで触れましたが、GHQは日本国民に漢字を捨てさせて、ローマ字を推進することに当初は決めていたようです。なぜなら漢字のために読み書きが困難で、そのため民主化が遅れているという偏見を持っていたから。6日朝日夕刊に載っていました。

1948年、GHQのジョン・ペルゼルが東大助手の柴田武をスタッフにして漢字調査が行われ、15歳〜64歳の約1万7千人がテストを受け、読み書きできないとされた人はたった2%。仮説が覆ってしまったわけです。識字率の高さは日本が誇れるものの一つだったんだからね。ペルゼルはこんな結果は困ると柴田に言ったそうですが、無理強いはされなかったようで、漢字は生き残ったんだとか。

文字がローマ字だけになったら、まず速読はほとんど困難になるでしょうね。使う文字の分量が何倍にも増えるし、ローマ字はスペースも必要になるから、紙も数倍必要になることは必至。新聞のページ数は増えるし、本も分厚くなる。エコとは逆。洋書を文庫本にできない理由もそんなところにあるんじゃないかな。

おまけに日本語はダジャレがたくさん作れるように同音異義語がいっぱいあるから、何言ってんだかわからんという事態もしばしば生じる。これは漢字を使っていたからこんなに同音異義語が増えてしまったとも言えるけど。GHQの論理でいけば、かえって民主化が遅れることになったと思えるよなあ。しかし、この言語学者である柴田さんはなんとローマ字論者だった。

ローマ字論者はいてもひらがな論者はあまり聞かない。ひらがなはローマ字よりはまし、と思えるけど、アルファベット国のGHQ相手では所詮受け入れられないということだったんでしょうか。

戦後ではなくて戦前にはふりがな廃止論というのがあったそうです。言い出しっぺは山本有三。1938年、『戦争と二人の婦人』で「むづかしい漢字をやたら使ったために、そこからわき出た ボーフラ」だと記している。さすが作家らしく比喩がうまい。たしかにボーフラのように目障りに思うこともあるが、そんな極論が言えるのは作家だからこそ。当用漢字表の制定もこの影響を受けていたと思われる。

亡父が祖父さんは新聞を声に出して読んでいたと話していたことを思い出す。昔の新聞は全部ルビが振ってあったから読み間違いは生じない。比喩でなく文字通り無学だったお祖父さんにとっては大事な勉強だったんだろうと思う。だから無学ではない麻生首相は新聞を読まないそうだ。

小作百姓の無学なお祖父さんは漢字が読めて、由緒ある家柄の学のある麻生首相は漢字が読めない。この教養のねじれはこの国の来し方にもねじれがあったのではないかと思わせる。そして、麻生首相は国会のねじれに手の施しようもない。

なぜなら、本当は衆議院と参議院のねじれではなくて、明治時代、つまりは国会が始まって以来少しずつ縒られてきた国民と行政・立法・司法府のねじれだと気がつかないから。

僕は新聞の4コマまんがのオチが時々わからない。それが悩みの種になる.......(^^ゞ 世間知らずなのか、頭が悪いのか、老眼のせいか....これはないな。そういう時には誰かに教えてもらいたくなる。

麻生さんもわからなかったら、そばにいつもいる国民にきいてみよう。解散してきいてみよう。

2008-12-09 Tue

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