プリオシン海岸  プリオシン通信

時間泥棒

駄作という名の犯罪


雀って可愛いな。見るたびに思う。育児に失敗して死なせてしまった子雀のことも思い出すから、切ない気持ちがいつもくっついてもくる。子どもの時、夏休みに田んぼの真ん中で雀追いをしたこともある害鳥でもあるけど。

『舌切り雀』には人間と雀の愛憎がうまく表現されていると思う。人間側からだけでなく、雀側からの愛憎も。貴重な米を食べる憎い鳥でもやっぱりあの仕草は可愛い。

雀は人間のそばで生きる。2000年、噴火で人々が島外へ避難した三宅島では雀が消えたそうだ。そして、人々が帰還するとまた雀も戻ってきた。10月に鳥の話を書いたけど、雀もやはり人間をちゃんと観察している。鳥たちもそろそろ今の不景気を感じ取っているだろうか。

ホンダが大看板だったF1からなぜ唐突に撤退するなんて言い出したのかと不思議に思っていたら、期間従業員を切るための布石でした。これほどまでに困窮しているのだからやむを得ないでしょ?ということらしい。トヨタは従業員をガソリンタンクに詰め込んででもF1を走らせる。トヨタほどにはあからさまな切り捨てができない企業精神がまだ残っていたわけか。褒めるべきか、悲しむべきか。

坂を転げ落ちるという比喩がはまりすぎる。求人も半減。ひどい世の中になったもんだ。なぜこんなことになったのかはよくわかる。愚者がのさばり、賢者は虐げられるのが世の常だから。宗教団体の多くによれば、神さま仏さまはこうして人間を修行させているらしいけど、ほんとうはその逆の方が人間の魂は良くなっていくと僕は思う。

親の愛情をたっぷり受けた子どもと、そうでない子どもを比べてみればわかる。前者は素直に生きていけるけど、後者は素直では生きていけないのだ。だからこそ人は平和で生きやすい社会を作る努力をする意味がある。

昔、職場に二十代半ばのとてもいい青年がいた。朗らかで大らかで、みんなから好かれていた。二世代同居の彼の家族はどんなに遅くなっても彼が帰宅するまでは夕食を食べないと言う。玄関に着くと家族みんなで出迎える。彼の家族の様子を聞いていると、彼が素直な善人に育ったのが当たり前と思えた。

僕の若い頃と言えば、職場近くで夕食を食べてからまた仕事に戻る日がほとんどだったこともあって、僕の茶碗は戸棚の中にしまい込まれていた。まあ、これが普通の対応ですな......(^_^)

そんなせいでもないけれど、素直に育たなかった僕の今年最後のイチャモンは映画です。文句が言えるのも生きているうちですから.......(^^ゞ 映画が好きな割にはここであまり話題にしていません。少し前に『シッコ』は取り上げましたけどね。

今年もとりわけ心に残る映画もなく暮れていこうとしています。CMで「金はない。時間はある」というのがありましたが、それを地でいく生活をしているので、映画はよく見ています。ただし、金はない生活なので映画館では全く見ません。ハズレの確率が圧倒的に高いことがわかってるし。

ボーナスなんて関係ない身なので、「時代はブルーレイ」と言われても月夜の青白い光線しか知りません。でも、これはこれで幸せです。

近頃の映画はそこそこではあっても、数ヶ月も経てば忘れてしまうようなものが半分。そして、どうしてこんなダメな企画が通ってしまったんだろうと思うような駄作が半分。結局、面白いのが見たいという欲求不満が高まって、昔の作品ばかり見るはめになる。

『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』 楽しみにしていたインディ・ジョーンズ4。シリーズ最高傑作という触れ込みだったけど、最低作。アイデアはつまらないし、アクションは見慣れたものばかり。手練れが作った暇つぶし作です。クリスタル・スカルは空っぽ頭〜。か〜ぜがなくてもカラン、カラン。

近頃、邦画が人気らしい。確かに駄作は邦画、アジア映画よりアメリカ映画に多い。これはハリウッド作が圧倒的に多いためでもある。でも、映画の評論記事で誰だったか日本映画は「箱庭的」と書いていて、思わずうまいこと言うなあと感心してしまうように、映画の醍醐味を感じさせるものがない。

『七人の侍』 掌小説を読んでいるような味わいでしょうか。単発のTVドラマと変わらない。「主人公とそのまわりの人々」という世界に収まっている。身辺小話。この事情は昔も同じで、黒澤は「日本映画はお茶漬けさらさら」だから観客にご馳走を出したいと『七人の侍』を作った。でも、昨今の活劇的な映画はリアリティのない荒唐無稽なものばかり。

もちろん期待なんかするはずもない黒澤映画2本のリメイク。こちらもチェックは入れました。

まずは森田芳光の『椿三十郎』。脚本はそのまま、演出もそのままとか聞いていたけど、俳優も監督も別人なのに、演出がそのままなんてあるはずもないよね。実は脚本もすこしセリフが追加されていた感じだ。蛇足のセリフが増えていた。

『椿三十郎』 端役はそれなりなんだけど、主立った役者さんたちはみんな力量不足。脚本に負けているから演じられない。今はあの脚本を演じられる俳優はもういない。オリジナルでは椿三十郎は三船敏郎ではなく椿三十郎だし、奥方は入江たか子ではなくやはり奥方なのだ。それを監督も演出できない。

逆に出来の良い脚本のために、監督は馬脚を現してしまった。本当は脚本をいじるべきだったんだけど、さすがはベテラン監督、それは不可能だとわかっていた分、この映画はまだ救われたところがある。

救いようがなくなったのは脚本もいじってしまった樋口真嗣の『隠し砦の三悪人THE LAST PRINCESS』。タイトルからすでに軽薄さが漂っていたので身構えて見ました......(^_^) 実際、面白かったシーンや名シーンがばっさり切られてしまい、見るも無惨。

こちらは脚本ではなく、脚本どおり演出することが不可能とわかってしまったために、そこを省略、改変してしまったのだと思う。そのために映画の背骨までポキンと折れてしまい、換骨奪胎の最悪見本となりました。

この傑作を原作にする必要など全くないほどの変貌ぶり。「三悪人」も消されてしまった。戦国時代の後には民主主義の時代でもやってくるのかというぐらい話がバカくさい。

登場人物は薄っぺら。映像もビデオゲームの雰囲気。メイクも衣装も手抜きが甚だしいし、これでは開けない引き出しの中身にまでこだわった黒澤が草葉の陰で泣いている。僕も泣いているよ。ほんとに文句が言えるのは生きているうちです。

黒澤はこの作品でも金が仕込まれた流木の数と長さを、それを背負う人数に見合うようきちんと計算して決めていた。実際背負っていた流木も一本いっぽん縦に割ってから貼り合わせて作られたもの。美術さんも大変です。

『隠し砦の三悪人』 『隠し砦の三悪人』はもしかすると僕が黒澤映画で一番好きな作品。才能も意欲もない人は玩具にしないでもらいたい。傑作には敬意を払った方がいい。まして映画人であるのなら。

そもそも三悪人は三船敏郎、千秋実、藤原釜足の三俳優がいなければ作れなかったもの。このリメイクでオリジナルを見るのをやめる若い人がいたら、それは万死に値する罪です。

オリジナルは差別という観点から微妙な部分がある。聾唖に対する偏見だ。リメイクはこれを乗り越えることを避けて、早々に聾唖のふりを捨てる。この映画の重要な要素のひとつなのに、いかにも問題回避の姿勢がありあり。

芸術に進歩はない。あるのはバリエーションだけ。そういうことを思い出させてはくれました。黒澤映画の凄さも再確認です。

『マルサの女』 伊丹十三が『タンポポ』や『マルサの女』を引っ提げて登場してきた頃、日本映画でようやくエンターテインメントを楽しめるようになるかと期待したが、その夢はあっけなく彼の自死とともに消えてしまった。

最後は今年、いやこの十年、ひょっとすると人生で見た最悪の作品。語るも悲しい映画です。タイトルは『銀河鉄道の夜』。秋原正俊監督、おもちゃにしないで!と言ってるのに......(ToT)

たまたまDVDで出ているのを見つけたのがいけなかった。しかも、嫌いじゃない谷村美月の主演。こんなのがあったと全く知らなかったということは、手に触れるべきではないのではないか。悩みに悩んだ挙げ句...(^^ゞ..人生は清水の舞台から飛び降りた方が面白い、とばかりに借りました。

『銀河鉄道の夜』 清水の舞台から飛び降りてみたら、骨折では済まず死んでしまいましたとさ......(ToT) 救いは即死したことです......(^_^) これは論じる価値もない。世間では論外と言っているやつです。アニメの『銀河鉄道の夜』でも、賢治の弟、清六さんは製作に難色を示していたぐらいなのに。生涯で見た最低作品が『銀河鉄道の夜』では悲しすぎる。

いったいだれがこんな犯罪を企てたんだと調べたら、カエルカフェという小さな会社が秋原正俊監督にデジタルで撮らせて、劇場に機材を持ち込んでデジタル上映しているらしい。『銀河鉄道の夜』は新感覚ブンガク映画シリーズの第5弾と説明されていたので、被害を受けた作品が他にもあるわけだな。

この映画は第16回@ffあおもり映画祭メロンアワードを受賞している。これは青森の恥でしょ。@ffあおもり映画祭公式blogでは「美しくも哀しいファンタジー映画の傑作」と記している。いくら津軽で撮影したからって、あまりにも空々しい美辞麗句。いくら立場があるからって、これでは映画祭をやる資格はないです。いくらしがない人生だからって、もう少し正直に生きましょう。

みんなが名作のネームバリューで金儲けを企んでいるとは思いません。ほぼ企画・製作の罪です。黒澤映画を配給していた東宝が駄作を送り出した罪は特に大きい。名作を演出したり、演じたりする楽しみはよくわかります。しかし、それは自分たちの楽しみです。世の中に発表するのなら、自分たちの楽しみだけでは済まないのです。

当初乗り気でなかった三十郎役の織田裕二や、馬鹿げたダースベイダー?役を大根演技で通した椎名桔平、名作だけに深く考えて演じてしまった鳥捕り役の斎藤洋介には同情します。彼らも犠牲者です。他人を巻き込んじゃいけない。

駄作を作るのは自由です。しかし、お願いですから仕事にしないでください。お金を取られたり、不愉快にされたりすることを割り引いても、その罪は時間泥棒と呼ばれます。 西洋のことわざにも「悪書にまさる泥棒なし」と言います。

自分のためにやる仕事はつまらない。そこから生まれたものもつまらない。


2008-12-23 Tue

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