プリオシン海岸  プリオシン通信

三歩あるくと忘れる

鳥の言い分を聞く日


すっかり季節が変わりました。海の色も、風の匂いも、猫の動きもみんな違います。畑で無花果の実をかじりながら、眩しくない空をたのしめます。

季節ばかりではなく、経済も政治も節目のような感じです。

ほんの少し前のパラリンピックがもうずいぶん昔のように思えてしまいますが、人間の方は季節のようにかわるもんじゃない。もうちょっと変わろうよ、と思うことがいろいろあります。

オリンピックの大騒ぎ報道と違って、パラリンピックは報道ぶりがちょうど良かった。でも、これは変わったんじゃなくてあまりニュースの価値がないというだけのことですね。マスコミの基準が信頼できないから、ニュースの価値が低いというのは、それはそれでいいことだと僕は思っているけど。

前の政権時に、今度の政権でも厚生労働大臣やっている桝添さんが、障がい者の頑張りから勇気をもらえると常套句でコメントしていましたが、やっぱり彼でもそういうこと言うか〜、と思いました。変わらんなあ。要するに、障がい者でもあんなに頑張っているのに健常者ならもっと頑張れるということでしょ。イヤだな。こういうの。

オリンピックと同じように、メダル期待というものはないのか。健常者があんなに頑張っているのに障害書ならもっと頑張れる、なんてセリフが成立しないのはなぜだ?

障がいのあるなしで、その頑張り度を測るというか、障がい者はみんな頑張っているみたいな見方はいいかげん終わりにしてほしいな。頑張るか、頑張らないかは、ただ一途に個人の問題にすぎない。健常者が頑張ろうが、障がい者ががんばろうが、わたしゃ適当にしか頑張らん。

NHKではオリンピックは総合chで、パラリンピックは教育chでの放送。やはり障がい者は学習教材扱いなのかな。

健常者というものは事あるごとに障がい者に勇気づけてもらわなければならないほど、いつも意気消沈しているらしい。健常者たちよ。元気出せ......(^_^)

いま政権交替が云々されていますが、正直なところ、もう政策なんてどうでもいいや。とにかくいっぺん政権交替してもらいたいですね。「前例がない」を常套句とする日本人の変化嫌いにも困ります。「前例がない」なんて、ただの思考停止、あるいは判断能力なしの証明、それとも怠け者の言い訳でしかない。

遠い昔、革命を信じてキャンパスや街で暴れまくった若者たちこそがいまこの国を動かしている世代なのに。

自分たちが棲む環境を変えることができる生物は人間だけとは言わないが、「人間」を作り出してきた最大要因はそこにある。人間であるために、僕が子ども時代からちっとも変わらない政治を、そろそろ変える時だ。もの思う秋です。しっかり考えたい。

今、『もの思う鳥たち』という本を読んでいます。鳥たちの思考能力や情緒の豊かさを示唆する事例をまとめた本です。過去に何度かここでヨウムのアレックスについて書いたことがあるので、昔からの人はご存じでしょうが、鳥のコミュニケーション能力にはずっと関心があります。もともとは言語とは何かという問題から派生した関心ですけどね。

『もの思う鳥たち―鳥類の知られざる人間性』 アレックスの出現に驚いたのは、人と音声で会話できるだけでなく、その情緒の様態でした。人間と変わらない感情の動きでしたから。言語の起源は鳥のさえずりにあるという論文も読みましたが、さえずりは何か生活のためという範疇を超えて、『もの思う鳥たち』では単に音楽を楽しむという側面も指摘されています。

ネット上でも音楽のリズムに合わせてダンスするインコ等、遊びや会話を楽しむ鳥たちが登場してきていますね。 研究者に指摘してもらわなくてもこれらのムービー・クリップで一目瞭然です。

『ソロモンの指輪』 振り返れば、数十年前に読んだローレンツの『ソロモンの指輪』に情緒の豊かさの片鱗は見えていました。僕の子ども時代に、村の人がペットとして放し飼いしていたカラスと時々遊んだこともあって、子どもの時は本を読まなくても『ソロモンの指輪』程度ならわかっていたのです。でも、いつの間にか鳥はバカみたいな偏見に晒されてしまったわけです。

「SF映画選」で鯨とのコミュニケーションを研究したジョン・C・リリーについても書いたことがありますが、僕が鯨好きなこともあってこの研究に彼がまだ生存中は注目していたけど、最近になってこの研究の失敗がその無謀さではなく、鯨を選んでしまったことにあることが僕の中でははっきりしてきた感じです。

言語はそもそも音声から発生しましたが、音声によるコミュニケーションを最初から諦めて、その脳の大きさに魅せられてしまったのがそもそもの間違い。鯨の脳はばかでかいですからね。リリーは鯨の脳には太古からの記憶があると言っていましたが、確かにそれはそうかもしれないけど、取り出せなくては意味がない。

脳科学者であったために、却ってそれが災いしたのかもしれない。脳の能力はその質量に応じているという単純な考えは当時からどうもうさん臭いにおいを放っていたんだけどね。リリーは海をのぞくのではなく、空を見上げるべきでした。

たぶんその脳の小ささから、ニワトリは三歩あるくと忘れる、なんてひどいことを言いますが、それは人間の理解能力の低さを証明しているだけのこと。ニワトリを何年もペットとして飼っていた経験からもそれが間違いであると言えます。ただ、人間に飼い慣らされてバカになったことだけは確かだと思います。 一番大きなことは飛べなくなったことで、一次元落ちた。

家の二階から外を眺めると、すぐに一羽二羽の鳥ぐらいは見つけられる。なぜ鳥はこうも人前に姿を見せていても平気なのか。鳥にとって空とは何か?寡聞にしてそんなことを論じた書物や他のメディアに出会ったことがない。まあ、当たり前.......(^^ゞ

空は鳥の住処ではない。猛禽類を除いて、空に彼らの食料があるわけではないですから。そこでは水さえ手に入れることができないですよね。まあ、雨が降れば別ですが。他の野生動物と異なって、人の周りへ姿を現すことができるのは、空という避難場所を持ったからでしょう。最近、人間は助けになるということで、人の住処近くで巣作りする野鳥の種類が増えているようです。

水棲からから陸棲へ、そして空棲ではないけれど空という避難場所を創り出した鳥族は、その棲息領域の拡大という点において人間より進化している。大げさに言えば、次元が違う。人間だって空を飛ぶようになったら、思考形態さえも次元が違うほどに変わることは間違いないですね。

同時に彼らは空から人間の活動を日々観察している。人間が鳥を観察している以上に人間を観察できる立場にいます。職場の周辺にカラスがたくさんいたのでよく観察していたけど、自分の車に小石を二個ボンネットに乗せられたことがあった。当時は単に悪戯だと思っていたけど、今では何らかのメッセージだと思う。小石は足跡とともにボンネットの真ん中にきちんと二個揃えて並べてあった。車の持ち主が誰のものであるか、彼らはきちんと分かっている。

母は輸入胡麻が嫌いで、自分で胡麻を栽培しています。先月収穫して庭で干していましたが、例の時々出入りしている山鳩にはご馳走のようで、例年この時には庭に降りてきます。鞘から落ちて散った胡麻をせっせと啄みます。しかし、篩(ふるい)に入れられた胡麻は決して啄みません。人の行動を観察して、善し悪しを判断しているからです。

言語能力の高さの特異さや、それとも密接に関係するだろう情緒の豊かさなど、鳥は他の動物とは違う何かを隠しているような気がする。一生のほとんどを夫婦で生きる鳥の種類の多さも他の種とは違う。人のカップルを見ない日はあっても、鳥のカップルを見ない日は一日もない。

人間が短期間に話せるようになるのは、チョムスキーが言うところの生得的な普遍文法が人の脳にプログラムされているからですが、鳥が短期間に人間の言葉を話すようになったということは、鳥にも同じプログラムが生得的にあることを示唆していると思えます。そこから引き出される可能性は、鳥たちはすでに鳥語を話しているということ、その鳥語は人間と共通の文法を持ち合わせているということです。

つまり、人も鳥語を理解できる基盤を持っていることにつながります。夢物語でしょうか......(^_^) まあ、英語の発音もまともにできない僕では鳥語を理解しても発音は無理ですけどね.......(^^ゞ でも、pi-chiku-pa-chiku ぐらいは言えるよ。

アレックス 考えてみれば、彼らは恐竜の子孫です。恐竜が他の動物たちと比べると、かなり特異な存在であったことを考えると、やはり今の鳥たちの特異性に合点がゆくところがあります。同時に、鳥から照らし返すと、現在の恐竜学にはどこかに根本的な間違いがあるとも思う。

人間の言葉で人間と話した最初のアレックスはもう死んでしまいましたが、後に続く鳥たちが現れている。いつの日か鳥は人間のペットではなく、真の友人になる時がくるかもしれない。あるいは、人間を糾弾する最初の動物になるかもしれない。

人間は三歩あるくと忘れる、と言われないために、人はそろそろ歴史を、無理ならせめて前の衆議院選挙からのことを思い出して、変わった方がいい。

2008-10-06 Mon

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