プリオシン海岸  プリオシン通信

閉口

お尻も閉じよ


中国もミャンマーも大変なことになっていますね。 もちろん四川大地震のことです。

朝日新聞の「天声人語」は、むかし入試問題に頻出していたこともあって、よく読んでいたというよりはむしろしっかり読んでいたけど、大学生になってからはあまり感心することがなくなり、馬鹿じゃないの?と思うこともしばしば。

それでも若い頃からの習慣は恐ろしいもので、全く無視できない。数秒眺めるような流し読みでやってきました。だいたい「天声人語」というコラムタイトルが仰々しいというか偉そう。いかにも朝日新聞らしい。

天声人語氏が今回の事態をこう記していた。・・・自然に厚薄(こうはく)なし、と中国で言うそうだ。自然は人を分け隔てしない、と。地震の揺れもしかりだろう。だが、自然は公平でも、人間の側に様々な不公平がある。そのひずみを、天災はあぶり出す・・・

中国もミャンマーについてもその通りだと思う。同時に両国共にかつて日本が侵略したところ。マスコミは両国政府批判と中国での日本の救助隊の活躍を盛んに報道しているけれど、かつて日本人は人災までもたらしていたんだよね。政府には救助隊以上のことを考えてもらいたいし、マスコミも知恵を出してもらいたい。

今年に入ってからだったか、この天声人語氏が交替して時々面白くなった。 昨日は脊椎カリエスに苦しんでいた正岡子規を取り上げて、こう引用していた。

・・・苦痛に耐えてつづった中に、「悟り」をめぐる一節がある。悟りとは、いつでも平気で死ぬことだと思っていたのは誤解だった、と子規は言う。逆に〈如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた〉と境地を述べている・・・

僕から見れば偉大な正岡子規がそんな誤解をしていたとは意外だった。もちろん、僕に悟りなどわかるはずもありませんが、病気という視点から見てみるとちょっと面白い。

母の日の天声人語は『わたしの母さん』の書評のようなもの。そもそも書評だけでコラムを書くのはルール違反、あるいは姑息である。しかし、だから良くなったのかもしれない。

この児童小説に「人間の賢さっていうのは、その人が持っているちからを、どう生かしているかっていうこと」とあるらしい。この言葉に共感する人もしない人もいることでしょう。僕は今のところ人の賢さとは分をわきまえていることだと考える。その意味ではこの小説に登場する知的障がい者の母さんはやはり賢い。

人の賢さをどう考えるかは人それぞれだね。僕も明日にはもう変わっているかも。

ここで最新1週間分はタダで読めます。
http://www.asahi.com/paper/column.html

今日新聞を見ていたら、小さな記事でダビング10実施が延期とか。コピーワンスという馬鹿げた日本だけの規制からようやく少しはまともになると期待していたけど、著作権団体がまた反対し始めている。機器は便利になっても、ソフトは不便を更新し続ける。著作権の期間延長化の問題と同様、文化を守るためと言うけれど....

自分の創作が自分の独創で出来上がっているという勘違いがいけない。創作とは他人の作品の再編集でしかない。有形無形の引用をコラージュするようなもの。多くの先人たちの作品を再編集して作り上げた自分の作品を凍りづけにして、どんな文化を守るんだろう。

文化を守っているのは著作者なのか?それを享受し、評価する大衆こそが文化を守っているのでは?表現者が自ら文化を守ると主張するなんて、なんとおこがましい。独創家ではなくて、独裁者です。分をわきまえてください。

なんてことは承知の上。他に言い訳がないから、そう言っているだけでしょう。

天声人語は実に引用が多いです。だけど、僕はあえて言いたい。それでいいんよう.......(^^ゞ

母の日のコラムが掲載からもう1週間経つので無料では読めません。全文掲載するのは著作権法侵害になることを知っていますが、これは親告罪であることも知っています。

天声人語  2008年05月11日(日曜日)付

 『わたしの母さん』という児童小説がある。小学4年の主人公、高子は算数が得意で、学級委員をしている。気がかりが一つ。明るいけれど、少し変わった母親のことだ▼月初め、母さんは日めくり暦の一枚一枚に封筒をはりつけ、千円札を2枚ずつ入れていく。毎日、その2千円を財布に移して生活に充てるのだ。高子は「ひと月分を同じ袋に入れておけばいいのに」と思うが、母さんは大きな数の計算が嫌いらしい▼さらに、連絡のプリントにはフリガナをつけてと学校に頼んだりもする。あきれる娘はある日、母が生後間もない熱病で知的障害を負ったことを知る。父さんとは養護学校高等部の同級生だった▼作者の菊地澄子さん(73)は養護学校などで教えてきた。この作品も体験が元だ。突然の真実に立ちすくみながらも、母を理解し、優しく伸びてゆく少女。20年前の初版は児童福祉文化賞を受けたが、出版元の廃業で絶版になっていた。06年、東京の出版社、北水(ほくすい)が新装版で復活させた。高子のモデルはすでに母になっているという▼作中に「人間の賢さっていうのは、その人が持っているちからを、どう生かしているかっていうこと」とある。母さんがずっと頼りにしてきた元担任が訪れ、親の「学力」を疑う高子を諭す場だ。母は泣いて告白する▼本の帯には〈お母さん、生んでくれてありがとう!〉。この瞬間にも、色んな人生を背負った母親たちが持てる力を振り絞っているだろう。きょうの母の日、その人が目の前にいてもいなくても、同じことばを贈りたい。

気に入ったら上記アドレスで有料で3ヶ月分読むことができることを宣伝しておきます。

著作者が作品で一回利益を得た後も、同じ作品で何回も利益を得ることは正当な報酬なんだろうか。ブランク・メディアを野鳥の録音に使っても、そのメディアにすでに著作権料が含まれているのは泥棒ではないのか。

そんな細かいことを言い出したらきりがない。違法コピーが蔓延する中、著作権者に同情して金をくれと言い返されたなら、僕は口を閉じるだけ。

鉛筆一本作るのとその鉛筆で文字を書くことに、カメラ一台作ることとそのカメラで撮影することに、そんな大きな差違はあるのだろうか。あれ?おまえ、口を閉じていないじゃないかって?いえいえ、これはオナラです。

2008-05-18

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