プリオシン海岸  プリオシン通信

わたしの時代

おげんきで


TV番組で鈴鹿が取り上げられて、型紙と鈴鹿墨が紹介されていたそうです。

昔、親戚が墨を作っていました。真っ黒になった職人さんが褌(ふんどし)一丁で墨を作っているのを見ていた子ども時代の記憶があります。別の親戚は墨に絵付けをしていました。滅びゆく産業の一つですが、親戚ではすでに滅んでいます。

伊勢型紙は同級生のお父さんが人間国宝になっていました。今はどうなったか知りませんが。三重県ではこの型紙が額に納められて絵のように家庭に飾られているのをよく見かけます。 鈴鹿近辺の子どもならたぶん型紙細工の経験はみんなあるのではないかと思います。

伝統産業の街としても、HONDAの街としてもあまり元気のない鈴鹿ですが、またF1が鈴鹿で復活ということで、サーキットが大改修するようです。

鈴鹿はずいぶん長い間お世話になっている場所ですが、わたし的には「済んでいる」場所です。そして、脱出しそこねた技師です.......(^^ゞ

そんな鈴鹿の警察署から、なくした運転免許証が再発行されて改めて見ると、免許の種類が「中型車」になっている。えっ?こんなんだったけ?調べてみると。去年の6月に法改正されて、その時点で普通免許取得者の免許が8トン未満限定中型免許に変更になっていた。8トンと言われてもトンとわかりません......(^_^)

それで検索。

http://www.asahi-net.or.jp/~rf7k-inue/izen/no-2/isuzu/i-8t.html
昔のトラックはかっこいい。

http://www.isuzu.co.jp/product/forward/f_cargo/wing_02.html
思ったよりでかい。

実は今までも普通免許で8トンまで運転できたので、これからは8トン車を運転するためには中型免許が必要になったというだけのことです。

知らないうちにいろんなものが変わっていく。ハイカがなくなったのも、図書券がなくなったのも知ったのは廃止になってずっと後のこと。実は図書券はつい最近知った。図書カードをもらって初めて気がつきました。図書券は数万円分貯まったまま。まだ使えるけど、カードとの交換はできないそうで。

先日数千円分を使いましたが、数え間違えたようで、お釣りをくれました。お釣りなんてもらえたんだっけ?

去年の10月、改正雇用対策法が施行されて、やむを得ない場合を除き、年齢制限が禁止されました。例のごとく「やむを得ない場合」などいくらでも理由を作れるという抜け穴と、罰則のない、努力を求めるだけのの法律です。去年、就職関係のサイトを見ていて、そこの書き込みには、まったく無駄とか、裏に隠れるだけだから却って就職活動の無駄が増えるという批判ばかり。

施行されたばかりの去年は求人広告から年齢制限がほとんど消えていましたが、今はもう年齢制限が書かれた広告が増えてきました。履歴書を送っても、面接までもいかずに返送されてくる、あるいは返送もされてこない自分の状況からも、なるほど書き込み氏が指摘したことは的を射ていたと感心。感心している場合じゃないけど.......(^^ゞ

パソコンを買い換えました。不便だけど、何年も先まで使うことを考えると、やはりVistaということで。クラシック表示にしているので、Vistaの雰囲気がありませんが、使いにくさはやはりVista。セキュリティもいろいろ外さないと、今までのアプリも使えないです。各駅停車で行きたいのに、特急しか走っていない線路が引かれているような。

時代はどんどん変わっていき、季節もすっかり暖かくなりましたね。日差しがすっかり変わりました。古い家は平屋だったので、鳥は見上げて見るものでしたが、今は屋根や電線に留まる鳥が目線に近い高さになりました。それで気づいたことは、電線に留まる鳥たちのカップル率の高さ。

鳥は数ある動物の中で相当情緒的な生活をしているとは思っていましたが、それを実感する景色です。もちろん、鳥もそれぞれですけど。鳥たちの求愛行動のバリエーションとその美しさを思うと、プロポーズ行動やその後の夫婦生活?のコミュニケーションが言語へと発展していく日が近いのではないかと......(^_^)

今日の夕刊に里みちこさんの詩が紹介されていました。よく知らないけど、ことば遊びをしている詩人らしい。

「わたし舟」 ---------

岸のほとりで 佇むひとが
対岸(むこう)いくのに 橋がない
わたしでよければ わたし舟
ちょいと送って いきましょか
岸についたら 名も告げず
ただのひとこと 「おげんきで」
-------------------

わたし的には「わたし」は「わたしひとり」を主張する言葉のニュアンスが強かったけど、この詩を読んだら、印象がすっかり変わってしまった。人と人との間を「わたす」のは、やはり「わたし」であるに違いなく、「私」には「渡し」が隠れていたのだなあ。

世の中がどこへ向かっているのか知らないけれど、鳥のさえずりが進化するように、僕のことばもまだまだ進化の途上にある。そんな時代でしょ。

2008-03-17

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