プリオシン海岸  プリオシン通信

瓶詰め

従順と悪人


今日は役所が来て、新築の税金調査のためのメッセージを置いていきました。相談したいから勤務時間中に電話をしてきてくれだの、家の外はもちろん、中も全部調べるから、図面も準備せよとのこと。

税金を取られる側からわざわざ電話連絡なんかしません。図面は役所にすでに提出済みです。そちらで準備してください。持ち前の「いけず」が頭をもたげる.......(^^ゞ

『道ありき 青春編』 夏に三浦綾子の自伝を読んでいると書きましたが、1部と2部を読んだ後で、ようやくキリスト教でいうところの従順の意味がわかった気がしました。

『尼僧物語』 うちのサイトで「オードリー・ヘプバーン」のページを書いたときに『尼僧物語』に触れました。でも、従順についてはわかっていませんでした。キリスト信仰になぜ従順がそれほどに大切なものなのか、ずっと昔から理解できないでいました。

僕は若い頃から宗教に関心があり、それなりの信仰心も持ち合わせていますが、特定の宗教を信仰することができない。その理由がどこにあるのか。答えは簡単で、全部を信ずることができないからだ.....と信じていたけど、実はそうではないことがわかったのです。

つまりは「従順」でないからです。全部を信じることなんて重要なことではなく、従順であるかどうかが大事なこと。納得いかないことは受け入れられない人間には信者になることなど夢のまた夢。

『雨ニモマケズ手帳』 もちろん、これを一般化するつもりはありません。僕の場合です。賢治はご存じの通り、熱烈な法華信者。しかし、彼も従順な人ではありませんでしたからね。
(画像:俗に言う『雨ニモマケズ手帳』から。文字がはっきりするようにかなり補正しています)

今夏も知人の誘いである宗教団体をのぞきに行きましたが、あういうところに行くと必ず思うことは、自分はなんという悪人であろうかということ。周りの人たちの善人ぶりにひどく孤独を感じます。

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや....と言った人がいますが、確かに悪人は日々自分に対して往生しています.......(^^ゞ いろんな悪を瓶詰めにすると、なにかいいものに変わってくれるなら助かるんだけど、自分自身が木箱詰めになる方が早いだろうな。

2007-12-07


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