プリオシン海岸  銀河鉄道の夜ガイド

比べっこ『銀河鉄道の夜』

『銀河鉄道の夜』の変容

凡例 ∇テキストは新校本全集が底本です。正確さよりも見やすさを重視し、改行やスペースを適宜挿入して対照箇所を揃えています。稿の比較ではなく、ただ原作を読みたい方は草稿 『銀河鉄道の夜』をご利用ください。
∇意味を把握しやすくするため変更の指摘箇所は文字単位ではなく、単語や文節単位までの拡張を基本とします。後の改稿で変更が生じる部分は下線、削除される部分は破線を、前の原稿から変更、あるいは挿入された部分はバラ色になっています。色の違いがわからない方は下線や三角記号を目安にしてください。
三角記号の  は後の改稿で語句が挿入される箇所で、 は前の原稿から削除があった箇所です。原文の明らかな脱字や誤字については補足説明なしで修正しています。
∇このページはすべてのブラウザに対応するため画像を使用しています。そのため検索できません。検索は草稿 『銀河鉄道の夜』をご利用ください。

現在は比べっこです  ►  草稿版


(第1・2次稿の原稿は九章中途まで失われているので、第3・4次稿のみの比較です)
1稿 2稿 第3次稿 第4次稿

第3次稿 第4次稿

第3次稿 第4次稿


七章の変更は2ヶ所のみで、読点の有無が1ヶ所、段落冒頭の字下げの有無が1ヶ所だけです。しかも、直筆ではその違いも認められないので、第4次稿のみ記します。ただし、本文中の2ヶ所の変更箇所において第3次稿を表示します。
第4次稿

稿


稿



稿




〔七、〕北十字とプリオシン海岸

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだらうか。」
 いきなり、カムパネルラが、思ひ切ったといふやうに、少しどもりながら、急きこんで云ひました。
 ジョバンニは、
(あゝ、さうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考へてゐるんだった。)と思ひながら、ぼんやりしてだまってゐました。
「ぼくはおっかさんが、ほんたうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだらう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえてゐるやうでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないぢゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫びました。
「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思ふ。」カムパネルラは、なにかほんたうに決心してゐるやうに見えました。
 俄かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな、きらびやかな銀河の河床の上を
水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるやうな、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいゝか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立ってゐるのでした。
「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかへって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の珠数をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈ってゐるのでした。思はず二人もまっすぐに立ちあがりました。 カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。
 そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
 向ふ岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがへるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたやうに見え、また、たくさんのりんだうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のやうに思はれました。
 それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさへぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、ぢきもうずうっと遠く小さく(3次稿は読点がないが、直筆には読点がある)絵のやうになってしまひ、またすゝきがざわざわ鳴って、たうたうすっかり見えなくなってしまひました。ジョバンニのうしろには、いつから乗ってゐたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼さんが、まん円な緑の瞳を、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっちから伝はって来るのを、虔んで聞いてゐるといふやうに見えました。旅人たちはしづかに席に戻り、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語で、そっと談し合ったのです。
「もうぢき白鳥の停車場だねえ。」
「あゝ、十一時かっきりには着くんだよ。」
 早くも、シグナルの緑の燈と、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄のほのほのやうなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらはれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。
 さわやかな秋の時計の盤面には、青く灼かれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまひました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。
「ぼくたちも降りて見やうか。」ジョバンニが云ひました。
「降りやう。」二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫がかった電燈が、一つ点いてゐるばかり、誰も居ませんでした。そこら中を見ても、駅長や赤帽らしい人の、影もなかったのです。
 二人は、停車場の前の、水晶細工のやうに見える銀杏の木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅の広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通ってゐました。
 さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。二人がその白い道を、肩をならべて行きますと、二人の影は、ちゃうど四方に窓のある室の中の、二本の柱の影のやうに、また二つの車輪の輻のやうに幾本も幾本も四方へ出るのでした。そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原に来ました。
 カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌にひろげ、指できしきしさせながら、夢のやうに云ってゐるのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えてゐる。」
「さうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったらうと思ひながら、ジョバンニもぼんやり答へてゐました。
 河原の礫は、みんなすきとほって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲をあらはしたのや、また稜から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとほってゐたのです。それでもたしかに流れてゐたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えたのでもわかりました。
 川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えてゐる崖の下に、白い岩が、まるで運動場のやうに平らに川に沿って出てゐるのでした。そこに小さな五六人の人かげが、何か堀り出すか埋めるかしてゐるらしく、立ったり屈んだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。
「行ってみやう。」二人は、まるで一度に叫んで、そっちの方へ走りました。その白い岩になった処の入口に、
〔プリオシン海岸〕といふ、瀬戸物のつるつるした標札が立って、向ふの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干も植えられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。
「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議さうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきの尖ったくるみの実のやうなものをひろひました。
「くるみの実だよ。そら、沢山ある。流れて来たんぢゃない。岩の中に入ってるんだ。」
「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない。」
「早くあすこへ行って見やう。きっと何か堀ってるから。」
 二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚には、波がやさしい稲妻のやうに燃えて寄せ、右手の崖には、いちめん銀や貝殻でこさえたやうなすすきの穂がゆれたのです。
 だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴をはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしさうに書きつけながら、鶴嘴をふりあげたり、スコープをつかったりしてゐる、三人の助手らしい人たちに夢中でいろいろ指図をしてゐました。
「そこのその突起を壊さないやうに。スコープを使いたまへ、スコープを。おっと、も少し遠くから堀って。いけない、いけない。なぜそんな乱暴をするんだ。」
 見ると、その白い柔らかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣の骨が、横に倒れて潰れたといふ風になって、半分以上堀り出されてゐました。そして気をつけて見ると、そこらには、蹄の二つある足跡のついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてありました。
「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡をきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。「くるみが沢山あったらう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れてゐるとこに、そっくり塩水が寄せたり引ゐたりもしてゐたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまへ。ていねいに鑿でやってくれたまへ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔はたくさん居たさ。」
「標本にするんですか。」
「いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたといふ証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるひは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。わかったかい。けれども、おいおい。そこもスコープではいけない。そのすぐ下に肋骨が埋もれてる筈ぢゃないか。」大学士はあはてゝ走って行きました。
「もう時間だよ。行かう。」カムパネルラが地図と腕時計とをくらべながら云ひました。
「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします。」ジョバンニは、ていねいに大学士におぢぎしました。
「さうですか。いや、さよなら。」大学士は、また忙がしさうに、あちこち歩きまはって監督をはじめました。
二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないやうに走りました。そしてほんたうに、風のやうに走れたのです。息も切れず膝もあつくなりませんでした。(3次稿はこの段落冒頭に字下げあるが、直筆では字下げはない)
 こんなにしてかけるなら、もう世界中だってかけれると、ジョバンニは思ひました。
 そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈がだんだん大きくなって、間もなく二人は、もとの車室の席に座って、いま行って来た方を、窓から見てゐました。


七章と同じく第3次稿との違いはありませんので、八章でも4次稿のみを記します。ただし、章末にある「頬」のみ問題が残ります。3次稿では「顔」ですが、校本全集では「顔」、新校本全集では「頬」、直筆では「顔」になっています。
第4次稿

稿


稿



稿




〔八、〕鳥を捕る人

「ここへかけてもようございますか。」
 がさがさした、けれども親切さうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。
 それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い巾でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯のせなかのかがんだ人でした。
「えゝ、いゝんです。」ジョバンニは、少し肩をすぼめて挨拶しました。その人は、ひげの中でかすかに微笑ひながら、荷物をゆっくり網棚にのせました。ジョバンニは、なにか大へんさびしいやうなかなしいやうな気がして、だまって正面の時計を見てゐましたら、ずうっと前の方で、硝子の笛のやうなものが鳴りました。汽車はもう、しづかにうごいてゐたのです。カムパネルラは、車室の天井を、あちこち見てゐました。その一つのあかりに黒い甲虫がとまってその影が大きく天井にうつってゐたのです。赤ひげの人は、なにかなつかしさうにわらひながら、ジョバンニやカムパネルラのやうすを見てゐました。汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かはるがはる窓の外から光りました。
 赤ひげの人が、少しおづおづしながら、二人に訊きました。
「あなた方は、どちらへ入らっしゃるんですか。」
「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり悪さうに答へました。
「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。」
「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラが、いきなり、喧嘩のやうにたづねましたので、ジョバンニは、思はずわらひました。すると、向ふの席に居た、尖った帽子をかぶり、大きな鍵を腰に下げた人も、ちらっとこっちを見てわらひましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くして笑ひだしてしまひました。ところがその人は別に怒ったでもなく、頬をぴくぴくしながら返事しました。
「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつかまへる商売でね。」
「何鳥ですか。」
「鶴や雁です。さぎも白鳥もです。」
「鶴はたくさんゐますか。」
「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。」
「いゝえ。」
「いまでも聞えるぢゃありませんか。そら、耳をすまして聴いてごらんなさい。」
 二人は眼を挙げ、耳をすましました。ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧くやうな音が聞えて来るのでした。
「鶴、どうしてとるんですか。」
「鶴ですか、それとも鷺ですか。」
「鷺です。」ジョバンニは、どっちでもいいと思ひながら答へました。
「そいつはな、雑作ない。さぎといふものは、みんな天の川の砂が凝って、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、川原で待ってゐて、鷺がみんな、脚をかういふ風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押へちまふんです。するともう鷺は、かたまって安心して死んぢまひます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」
「標本ぢゃありません。みんなたべるぢゃありませんか。」
「おかしいねえ。」カムパネルラが首をかしげました。
「おかしいも不審もありませんや。そら。」その男は立って、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解きました。「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」
「ほんたうに鷺だねえ。」二人は思はず叫びました。まっ白な、あのさっきの北の十字架のやうに光る鷺のからだが、十ばかり、少しひらべったくなって、黒い脚をちぢめて、浮彫のやうにならんでゐたのです。
「眼をつぶってるね。」カムパネルラは、指でそっと、鷺の三日月がたの白い瞑った眼にさわりました。頭の上の槍のやうな白い毛もちゃんとついてゐました。
「ね、さうでせう。」鳥捕りは風呂敷を重ねて、またくるくると包んで紐でくくりました。誰がいったいここらで鷺なんぞ喰べるだらうとジョバンニは思ひながら訊きました。
「鷺はおいしいんですか。」
「えゝ、毎日注文があります。しかし雁の方が、もっと売れます。雁の方がずっと柄がいいし、第一手数がありませんからな。そら。」鳥捕りは、また別の方の包みを解きました。すると黄と青じろとまだらになって、なにかのあかりのやうにひかる雁が、ちゃうどさっきの鷺のやうに、くちばしを揃へて、少し扁べったくなって、ならんでゐました。
「こっちはすぐ喰べられます。どうです、少しおあがりなさい。」鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできてゐるやうに、すっときれいにはなれました 。
「どうです。すこしたべてごらんなさい。」鳥捕りは、それを二つにちぎってわたしました。ジョバンニは、ちょっと喰べてみて、(なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでゐるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋だ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべてゐるのは、大へん気の毒だ。)とおもひながら、やっぱりぽくぽくそれをたべてゐました。
「も少しおあがりなさい。」鳥捕りがまた包みを出しました。ジョバンニは、もっとたべたかったのですけれども、
「えゝ、ありがたう。」と云って遠慮しましたら、鳥捕りは、こんどは向ふの席の、鍵をもった人に出しました。
「いや、商売ものを貰っちゃすみませんな。」その人は、帽子をとりました。
「いゝえ、どういたしまして。どうです、今年の渡り鳥の景気は。」
「いや、すてきなもんですよ。一昨日の第二限ころなんか、なぜ燈台の灯を、規則以外に間〔一字分空白〕させるかって、あっちからもこっちからも、電話で故障が来ましたが、なあに、こっちがやるんぢゃなくて、渡り鳥どもが、まっ黒にかたまって、あかしの前を通るのですから仕方ありませんや。わたしぁ、べらぼうめ、そんな苦情は、おれのとこへ持って来たって仕方がねえや、ばさばさのマントを着て脚と口との途方もなく細い大将へやれって、斯う云ってやりましたがね、はっは。」
 すすきがなくなったために、向ふの野原から、ぱっとあかりが射して来ました。
「鷺の方はなぜ手数なんですか。」カムパネルラは、さっきから、訊かうと思ってゐたのです。
「それはね、鷺を喰べるには、」鳥捕りは、こっちに向き直りました。「天の川の水あかりに、十日もつるして置くかね、さうでなけぁ、砂に三四日うづめなけぁいけないんだ。さうすると、水銀がみんな蒸発して、喰べられるやうになるよ。」
「こいつは鳥ぢゃない。ただのお菓子でせう。」やっぱりおなじことを考へてゐたとみえて、カムパネルラが、思ひ切ったといふやうに、尋ねました。鳥捕りは、何か大へんあわてた風で、
「さうさう、ここで降りなけぁ。」と云ひながら、立って荷物をとったと思ふと、もう見えなくなってゐました。
「どこへ行ったんだらう。」二人は顔を見合せましたら、燈台守は、にやにや笑って、少し伸びあがるやうにしながら、二人の横の窓の外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかはらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見てゐたのです。
「あすこへ行ってる。ずゐぶん奇体だねえ。きっとまた鳥をつかまへるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといゝな。」と云った途端、がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たやうな鷺が、まるで雪の降るやうに、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞ひおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだといふやうにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っ端から押へて、布の袋の中に入れるのでした。すると鷺は、蛍のやうに、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしてゐましたが、おしまひたうたう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのでした。ところが、つかまへられる鳥よりは、つかまへられないで無事に天の川の砂の上に降りるものの方が多かったのです。それは見てゐると、足が砂へつくや否や、まるで雪の融けるやうに、縮まって扁べったくなって、間もなく熔鉱炉から出た銅の汁のやうに、砂や砂利の上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についてゐるのでしたが、それも二三度明るくなったり暗くなったりしてゐるうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまふのでした。
 鳥捕りは二十疋ばかり、袋に入れてしまふと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾にあたって、死ぬときのやうな形をしました。と思ったら、もうそこに鳥捕りの形はなくなって、却って、
「あゝせいせいした。どうもからだに恰度合うほど稼いでゐるくらゐ、いゝことはありませんな。」といふききおぼえのある声が、ジョバンニの隣りにしました。見ると鳥捕りは、もうそこでとって来た鷺を、きちんとそろへて、一つづつ重ね直してゐるのでした。
「どうしてあすこから、いっぺんにこゝへ来たんですか。」ジョバンニが、なんだかあたりまへのやうな、あたりまへでないやうな、おかしな気がして問ひました。
「どうしてって、来やうとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。」
 ジョバンニは、すぐ返事しやうと思ひましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考へつきませんでした。カムパネルラも、頬 (直筆は[顔]。3次稿も[顔])をまっ赤にして何か思ひ出さうとしてゐるのでした。
「あゝ、遠くからですね。」鳥捕りは、わかったといふやうに雑作なくうなづきました。

 前頁目次次章 

プリオシン海岸トップへ