プリオシン海岸  銀河鉄道の夜ガイド

『銀河鉄道の夜』はいつか

第4版

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 1.ここはどこか  2.時計屋は何時か  3.ウラシマはいるか
 4.夏休みはあるか  5.星祭とはなにか  6.星は流れるか
 7.苹果は穫れるか  8.ここはいつか 「ガイド」へ戻る


2007年にこのページをアップして、2011年には「『銀河鉄道の夜』はどこか」のアップと連動して第2版となりました。この時の改版は物語舞台の植生について加筆しましたが、日付はもちろん、時刻についてもほぼ修正はありませんでした。第3版では2012年の天文薄明時の夏空を観察して時刻をわずかに修正しました。天文薄明とは日没後でまだ星空が浮かんでこない時間帯です。

そして、今回の第4版では2012年にアップした「ジョバンニの苹果」を契機にして植物視点での考察を行い、第7章の「苹果は穫れるか」を加えることにしました。結論に変化はなく、論の補強になりました。このページは完成ではなく、更新されるのが当たり前になってきましたので、また「いつか」改版があると思います。

このままじゃ永久の未完成ではないのかというご批判もあることでしょう。しかし、結論に至るまでの道筋、あるいは道草こそがほんとうの収穫であって、峠の上りも下りもみんな「ほんたう」の日時に近づく一あしづつですから。



1.ここはどこか

『銀河鉄道の夜』はいつかなんて、わかりっこない。しかし、星空を描くためには決めないといけない。そんなわけで始まった探索なのですが、時を検討する前に『銀河鉄道の夜』の地上がどこにあったのかを確定しておきます。なぜなら、これも星空を描くために必要であり、暦や時計を持たずに時を知るには目に映る風景から推し量るしかないからです。それは自然であったり、星の位置であったり、人々の行事であったりします。


南欧 
←北緯40度線→
(ミラー図法)
北日本


賢治は友人であった菊池武雄氏に南欧が舞台であると語りました。これを踏まえてか、アニメーション『銀河鉄道の夜』は南欧が舞台に設定されています。しかし、物語の風景を見る限りにおいては『銀河鉄道の夜』が南欧でなければならない理由は見あたりません。星空も南欧が岩手県とほぼ等しい緯度であるため役に立ちません。では、自然はどうでしょうか。地形は検討しても無意味ですが、植生は南欧と岩手では異なるはずです。原文に出てくる植物を一覧にして調べてみます。

なお、物語で登場する植物すべてについての詳細は「銀河鉄道の夜の植物案内」にて画像つきで紹介しています。


『銀河鉄道の夜』の地上に登場する植物一覧と分布地
植物名
分布地
北半球の温帯に広範に分布。
烏瓜 中国南部、台湾、インドシナ半島、シベリア東北部、朝鮮に分布。日本では本州、四国、九州、琉球列島。
いちい 北海道から九州にかけて山地に自生し、特に東北地方から北海道までの寒冷地帯に群生する。
ひのき・檜 日本と台湾にのみ分布するが、ゴッホの絵で知られる西洋檜と呼ばれる糸杉はホソイトスギ(イタリアイトスギ) が地中海沿岸からイランにかけて分布。ちなみに『春と修羅』では「ZYPRESSEN」とドイツ語で記されている。
ケール 地中海沿岸が原産で温暖な気候であれば一年中栽培可能。物語では葉牡丹と思われる。
アスパラガス 原産は地中海東部。江戸時代にオランダからもたらされたが、食用として導入されたのは明治時代。物語では観賞用と思われる。
トマト 南アメリカのアンデス山脈原産。植物ではなく、食べ物として登場。
ひば 北海道南部から本州、四国、九州。アスナロは本州、四国、九州に、ヒノキアスナロは関東地方北部、佐渡島から北海道南西部(渡島半島以南)にかけて分布。
もみ
北端は秋田県、南端は屋久島に達する。ヨーロッパモミはヨーロッパ中部から南部に分布。
ナラ。北海道以南・本州・四国・九州に分布。主な生産地は北海道。海外では樺太・朝鮮半島でも自生。ヨーロッパナラはヨーロッパから小アジア、カフカース、北アフリカの一部に原生する。
プラタヌス プラタナスのこと。原産地はヨーロッパ南東部〜アジア西部で、日本への導入は明治時代とされる 。
ポプラ アメリカ・ヨーロッパ・アジアにかけての北回帰線以北の北半球に広く分布する。 日本へは明治初年に導入される。
北半球を中心に広い範囲に分布。
苹果 西洋リンゴのこと。世界の亜寒帯から温帯地域に生育し、少なくとも2ヶ月間は平均気温が氷点付近となる地域によく適応する。ヨーロッパからアメリカへ伝わり、日本へは江戸末期から明治初期にかけてにアメリカから導入される。植物ではなく、食べ物として登場。
つりがねさう 北半球の温帯から冷帯の広い範囲に分布。様々な種類がある。
野ぎく 野生の植物で菊に見えるものの総称なので、分布を限定することは困難。


岩手県地図 こうしてみると、南欧が意識されている植物もあるものの岩手県の植生であって、どうも南欧では見られないものまで登場しています。たとえば、物語で重要な烏瓜は調べた限りでは南欧には自生していないようです。パン食や人の名前で偽装しても、賢治の物語イメージは岩手から離れていません。4次稿では「キス」という言葉も削除されました。それにしても、賢治が植物の分布について知らないはずはありません。

宗教的観点から言っても南欧を舞台に設定するとキリスト教から逃れなくなるわけで、雰囲気だけは南欧風でやはり無国籍ということでしょうか。賢治はイーハトヴから離れたくなかったのだと思います。賢治の作品には他にも無国籍風の作品がありますが、その根幹には岩手の風土が反映しており、この作品も同様であると考えるのが妥当なところでしょう。

時間と同様、場所もここだと確定することは今はまだ困難ですが、賢治のどんな体験から生まれてきたものなのか探ることは可能です。その体験の場所とは花巻であることは自明のことなので、花巻と仮定することで探索を始めます。つまり、街並みや丘陵などの風景を南欧に設定して舞台を南ヨーロッパに引っ張っていっても、賢治は地元に立っていたということです。

舞台が花巻であることの検証は「『銀河鉄道の夜』はどこか」のページで詳説しましたので、関心のある方はそちらを参照してください。また、時期の考察に関して参考になる植物については第7章で再度取り上げて詳細に検討します。

2.時計屋は何時か

日付ではなく、時刻の検討から始めます。日付の検討をするためには星の位置がひとつの重要な要因になるので、時刻を確定することよってその足場を作る必要があるからです。なお、初期形と最終形では時刻に大きな違いがあり、ここで検討するのは最終形(第4次稿)です。初期形での時刻の進み具合は現実にそぐわないため、賢治は最終形では修正したと思われるからです。詳細は後で述べます。

では、本文テキストから時刻の関連する言葉を拾い出してみます。


時刻に関係する語句
 六時がうってしばらくたったころ 二、活版所
 おもてへ飛びだしました.......パン屋へ寄って.......一目散に走りだしました。  二、活版所
 ジョバンニが勢よく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。 三、家
 「あゝぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ。」 三、家
 「では一時間半で帰ってくるよ。」 三、家
 電燈の方へ下りて行きますと.......うしろへ引いてゐたジョバンニの影ばうし 四、ケンタウル祭の夜
 時計屋の店には明るくネオン燈がついて.......星座の図に見入りました 四、ケンタウル祭の夜
 沢山の豆電燈がついて 四、ケンタウル祭の夜
 町はづれの........高く星ぞらに........牛乳屋の黒い門を入り 四、ケンタウル祭の夜
 天の川がしらしらと南から北へ亘ってゐる 五、天気輪の柱
 眼をそらに挙げました。 あの青い琴の星さえ.......瞬いたのでした。 五、天気輪の柱


ここからは「『銀河鉄道の夜』はどこか」のページで作成した地図を参考にして考察していきます。町の大きさは1km四方を少し超えると想定しています。時刻のスタートは6時15分。活版所を飛び出し、パン屋に寄って、家まで走り続けます。子どもが走り続けていることから、この間はせいぜい25分。買い物の時間も含みます。活版所もパン屋も町の中にあるはずですし、パン屋へ行くまでは口笛を吹く余裕があるぐらいなので、それほど遠い距離ではないことが推察できます。しかし、ちょっと焦りを感じてパン屋からは一目散に駆け出しました。家は裏町になるので、少し時間がかかることになります。帰宅は6時40分になりました。

ジョバンニの町の地図


家でお母さんと話して、夕食を摂ります。30分です。ジョバンニが走って帰ってきたのは、星祭に行くためです。家でもそそくさと食事を済ませたはずです。7時10分になりました。お母さんとの話から、川へ行って帰って来るだけなら1時間かからないことがわかります。つまり、「烏瓜ながし」は30分以内、遅くとも7時40分に始まることになります。カムパネルラと遊ぶことができても1時間半で帰って来れそうなのです。

7時15分、町の坂を下りてジョバンニは電燈で影法師ができるのを見ます。初夏の7時すぎであれば薄い影でしょうが、晩夏であれば影ができることでしょう。しかし、時期によってはまだ一番星か、それに続く星が見え始める時刻でもあります。

下図は月明かりのない8月20日で描いた花巻の全天図です。星は目で見える限度と言われる6等級までの星に設定してあります。

花巻の8月下旬の星空(全天図:上=北、右=西)
午後6時55分午後7時30分午後8時10分
午後6時55分午後7時30分午後8時10分


この後、やはり星祭にどういう形で参加するか気持ちが曖昧なままに、時計屋で星座早見を夢見るように眺めます。7時25分になって、十字路から町はずれの牛乳屋へと向かいます。地図を見ればわかるとおりあまり距離はありません。牛乳屋の到着は7時35分です。そしてこの場面で時刻の修正ができる描写が出てきます。

ジョバンニは、いつか町はづれのポプラの木が幾本も幾本も、高く星ぞらに浮んでゐるところに来てゐました。その牛乳屋の黒い門を入り、

すでに空には星があることがわかります。ほぼ星空が見え始める時刻になっていますが、後で月日が確定できたら時刻に少々修正を加えることができる記述です。そしてまた町の十字になった角へと戻ってきて、ザネリたちに出会うのです。7時45分になりました。ジョバンニが家を出る時に予告した烏瓜ながしの時刻は遅くとも7時40分でした。すでに烏瓜ながしは始まっています。

星座早見の解説へ

ジョバンニはザネリから投げられた心ない言葉に逃げるようにして町はずれの丘へと取って返します。丘への道は4になります。はやり町はずれになる天気輪の丘は牛乳屋よりも遠くになるはずですが、子どもたちの歓声がかすかに聞こえてくる距離でもあります。この間は走ったり、急いだりしていますからせいぜい10分です。これで7時55分になりました。8月であれば天の川が南から北へとわたる時刻です。左の星座早見はビクセン製でこの条件に合わせたものです。下が南、上が北です。今の時代なら天の川がくっきりと見える時刻としては早い気もしますが、当時の夜は漆黒ですから、電飾があったとしても問題はなさそうです。

いや、賢治は書いていないところでもっとジョバンニに時間つぶしをさせているという考えもあるでしょう。しかし、実際は母の世話ために帰宅をずっと急いでるわけで、まるで銀河鉄道に乗るのに遅れまいとするかのようにずっと急かされて移動していますから、それは考えにくいことです。

ジョバンニは丘で野原を見渡し、汽車の音を聞き、星空を見上げます。8時5分には銀河鉄道の乗客になります。誤差としては最大プラスマイナス10分を考慮する必要があるかと思いますが、ほぼ8時前の時刻であると推定できます。ちょうどその時刻にカムパネルラは川へ落ち、その45分後にカムパネルラの父は息子を諦めることになります。ここまでの時間の流れを一覧表にまとめます。なお、岩手県はその経緯度から日本の中では日の入りが早い地域です。日本南部にお住まいの方はその点を考慮してください。


ジョバンニの時刻表 (備考:誤差は積算した数値)
時刻誤差ジョバンニの行動その他
6:15± 5 活版所を飛び出す 
6:20 口笛を吹いてパン屋へ寄る 
6:40 裏町の家に帰宅する 
7:10±5 食事して家を出る 烏瓜ながしは30分以内に始まる
 牛乳屋に寄っても川まで30分かからない
7:15 坂の下で影法師を見る 
7:20 時計屋で星座早見に見入る 
7:25 町はずれの牛乳屋へ向かう 
7:35±10 牛乳屋に着く 
7:45 ザネリたちに出会い、丘へ逃げ去る 
7:55±10 天気輪の丘にからだを投げる 天の川が南から北へとわたる
 子どもたちの歓声が聞こえてくる
8:10 眠りに落ちて銀河鉄道の乗客になる 琴座が天頂付近にある
 カムパネルラが川に落ちる
8:40±10 目覚めて天気輪の丘へ帰還する 星の位置はそんなに変わっていない
8:45 一散に走って牛乳屋で牛乳をもらい、
 十字の角へ向かう
 
8:55 カムパネルラの父と話す カムパネルラの父、息子を諦める


このような時間設定で大きな間違いはないことでしょう。これなら朝が早い牛乳屋さんにもそれほど迷惑がかかりません。「まだ夕ごはんをたべないで待ってゐるお母さん」との約束もあります。最大10分の誤差が生じても仕方がないのですが、誤差は増減をそれぞれに吸収しあってほぼこの時間で決着できると思います。なぜならお母さんとの約束は1時間半だからです。家を出たのは7時10分です。だから、ジョバンニは走らなくてはならなかったのです。逆に言えば、帰宅が10時とか11時になるようなことになってはいけないのです。

烏瓜ながしは灯籠流しと同じものと考えられます。これは夜というよりは夕方に行われるものです。文末に記した参考文献のひとつである『「銀河鉄道の夜」と花巻の習俗・信仰』というインタビュー記事で、花巻の松庵寺住職(昭和62年当時)の小川金英氏も灯籠流しは「夕方」と話しています。昔も今もカレンダーは変わっても時刻は変わらないでしょう。

そもそも当時は夜も朝も早い生活です。テレビがないのは言うまでもなく、ラジオ放送が始まったのも大正14年です。ちょうど3次稿が書かれていた頃ですね。ラジオどころか、まだ電灯が普及していく過程にある時代で、原作に電気会社や電飾の美しさが描かれるのはそれが反映しているからです。

活版所には電燈がありましたが、カムパネルラの家の汽車はアルコールランプで動きました。そんな時代なのです。ですから、夜の10時、11時は深夜と言っていいでしょう。

8時に乗客になって、最初の停車場である白鳥停車場が「十一時」というのはずいぶんと時間差があるなあと思う人もいるかもしれません。これは賢治の考える時空間のゆがみによるわけですが、乗客になったばかりでまだ地上の意識を引きずっているカムパネルラが「銀河ステーションの時計はよほど進んでゐるねえ」と言うことから、逆に11時よりもずっと早く乗客になったと考えた方が自然です。

ここで少々話が逸れるのですが、「四十五分」問題に触れておきます。

俄かにカムパネルラのお父さんがきっぱり云ひました。
「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」

ほとんどの人が戸惑いを覚えます。これが生死を分ける科学的な時間でないことは自明です。しかも、親としての情からみても納得のいかない言葉です。命をあきらめたにしても、遺体を見つけたいというのは日本人の強い感情です。病床で疲れていて適当に書いたんだろうと読み飛ばしてもいいところなのですが、45分という厳密な時間を賢治が捻り出してきた以上は深い意味があります。

カムパネルラの父は3次稿で陰の主役であったブルカニロ博士の役割を背負っています(「カムパネルラの行方」を参照)。4次稿では地上と銀河をつなぐ唯一の人物です。この人が四十五分と宣言することで、地上と銀河鉄道は断ち切られることになりました。つまり、時間の調整役を担っているのです(「カムパネルラはだれか」参照)。銀河の時間と地上の時間は異なっています。この四十五分という時間で調整することで、ジョバンニは母の元へ帰ることができたのです。しかも、この四十五分は時間のテーブルを作ってみると絶妙な塩梅になっています。

1時間半という制限時間の中で、ジョバンニが天気輪の丘へ向かうことになる場面とカムパネルラの行方不明を知る場面を埋め込み、「そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないやう」な時間。それが破綻しないぎりぎりの時間が四十五分です。

さて、この表で確認したかったことは、出発時刻よりもむしろ銀河旅行の時間です。この地上と銀河の時間のずれが季節のずれを生むことになっているからです。それは3以降で述べます。

実はこの銀河旅行の時刻は星座早見で予告されていました。時計屋の星座早見です。

そらがそのまゝ楕円形のなかにめぐってあらはれるやうになって居りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったやうな帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげてゐるやうに見えるのでした。

蒸気のように煙った帯として描かれた天の川。この描写はまさに星座早見。そして、この星座早見の空の位置がまさにその時間だったのです。


3.ウラシマはいるか

次に日付の検討に入ります。本文中には「あゝりんだうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ」というカムパネルラの台詞があり、「さわやかな秋の時計の盤面.....」(七、北十字とプリオシン海岸)という説明も出てきますし、「いま秋だから野茨の花の匂のする筈はない」(九、ジョバンニの切符)というジョバンニの思いからも秋であることは明白なのですが、これは銀河軌道上のことゆえ条件付き賛成というところ。「三、家」では窓の日覆いが下りたままで、お母さんが「今日は涼しくてね。わたしはずうっと工合がいゝよ」と話していることから、まだ暑い時期であることが推定されます。

街では「ケンタウルス、露をふらせ。」と叫ぶ子どもがいるように、ジョバンニが丘へ向かう途中で露が降り始めています。つまい、夜露が降りる季節です。また天気輪の丘で草原にからだを投げて見た星は琴座のベガ。空高くにベガが輝いているということは、まだ夏であることを示しています。ベガを一角とする「夏の大三角」が南の空高くにあるのですから。地上では晩夏であり、銀河上では一足先に秋がやってきていたという風に読めます。 りんどうの花

銀河鉄道は超高速で走っているようには見えませんが、北十字から南十字まで3時間40分で突っ走るわけですから、それはもう速いです。地上との関係で言えば、ウラシマ効果が生じるところですが、実際はその反対。地上では銀河軌道上ほどの時間は経っていません。ジョバンニが目を覚ました時、第三次稿では「琴の星がずうっと西の方へ移って」はいますが、カムパネルラの父の「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」という言葉から、実は30分ぐらいしか経過していないことがわかります。

8時すぎにジョバンニが乗客になり、(さうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とジョバンニが思う直前にカムパネルラは川に落ちていたのです。カムパネルラの誘惑だったのかもしれません。そして、丘で目を覚まし、牛乳屋に寄ってから大騒ぎになっている川でカムパネルラの父と話します。ここまでが45分というわけです。ジョバンニが目を覚ましてからのことは全て第四次稿で追加された部分です。賢治は時間の矛盾に気がついて、「琴の星がずうっと西の方へ移って」の部分は削除されることになり、天の川や蠍座がやはり南の地平線上にあることが描写され、「そらぜんたいの位置はそんなに変ってもゐないやうでした」と、第三次稿まで記されていた時間の経過を否定する文が追加されることになったのでしょう。ジョバンニの時刻表からはジョバンニが乗客であった時間は地上では30分程度でしかなかったことを示しているのですから。

この考えは、3次稿の「六、銀河ステーション」でカムパネルラが乗車して言う最初のセリフ「ザネリはね、ずゐぶん走ったけれども 乗り遅れたよ。 銀河ステーションの時計はよほど進んでゐるねえ」という部分から「銀河ステーションの時計はよほど進んでゐるねえ」が4次稿では削除されていることからも補強できます。

上記のように矛盾が修正された部分もあるのですが、未修正の箇所もあります。銀河ステーションに入ったのは8時です。白鳥の停車場には11時着となっています。この間は3時間。一方、北十字から南十字までは3時間40分でした。銀河ステーションを白鳥座デネブ付近と想定すると、いえ、大雑把に白鳥座の北付近と想定しても、「白鳥の停車場」までその距離を考えると時間がかかりすぎています。これはテキストが第三次稿のままで第四次稿にまだ修正が加えられていないからです。

 たぶん2時間は時間が早められることになったと思われます。第2次稿まで存在していた部分で、青年との会話の途中、ジョバンニは「もう帰りたくなったって。そんなにせかなくてもいゝ。まだ二分もたってゐない」というセロのような声を聞きます。また、第三次稿まで「おっかさん。すぐ乳をもって行きますよ」と書かれているので、当初から反ウラシマ効果は想定されていたはずですが、なぜか時間は一致していました。帰還が深夜になってはさすがに牛乳屋に寄れないはずなのに、銀河の時間に合わせて第三次稿までは「琴の星がずうっと西の方へ移って」いたのです。しかし、南十字の3時になると、ベガは西の地平線にかなり近づくことになり、記述がずれてしまいます。「ずうっと西」どころか、「西の地平線上」にまで移ってしまうわけです。これを修正して1時と修正すると、ベガはほぼ記述に合うことになります。賢治が生きた時間はその修正を待つことができませんでした。

20時の星空 夏の星座 (1931/8/20 花巻)
夏の星座


3時 秋の星座 (1931/8/21 花巻)
秋の星座 


話がそれたので戻します。なぜ地上では晩夏であり、銀河上では一足先に秋がやってきていたのかというわけは次のとおりです。南十字の到着時には「第三時」。星座盤は地上より早く回り、盤に開けられた窓にはどんどん秋の星座が現れて、第三時の頃には東の地平線上に冬のオリオンが見えるほどにすっかり秋の星空です。つまり、時間を進めると星座早見に秋の星座たちが登場してくるからです。こうゆうカラクリがあるのではないかと思います。

鳥捕りも「こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道」と証言していますし、車掌もジョバンニに対して「これは三次空間の方からお持ちになったのですか」と尋ねます。軌道上と地上とでは時空間が異なっているのです。『銀河鉄道の夜』は不完全な時空の時ではなく地上の時間として描くべきなので、「秋」ではなく、夏の終わりと考えた方が賢明でしょう。ちなみに特殊相対性理論が発表されたのは1905年です。

「一、午后の授業」で先生が「真空といふ光をある速さで伝えるもの」と説明する場面が出てきますが、加倉井厚夫氏も指摘しているように、まさにこれが特殊相対性理論のひとつの礎になっている光速度不変の原理「真空での光の速度はどのような慣性系でも一定である」に基づくものです。1922年(大正11)11月、日本へ向かう船の中でノーベル物理学賞が決まったアインシュタインは17日(12月29日まで滞在)に来日しました。日本では新聞で理論が紹介されるほどアインシュタイン・ブームになっていました。ちょうどその頃、賢治の妹トシは長らく病床にあり、奇しくも亡くなったのは同月の27日。つまり、アインシュタイン来日中のことでした。

寮美千子氏によると、アインシュタインの仙台講演はトシ逝去後の6日目でした。言うまでもなく、賢治は出掛けていません。この二つの出来事がひとつの契機になって物語が書き起こされたのかもしれません。物語が人の目に触れた最初の年はほぼ2年後の1924年12月、『銀河鉄道の夜』の原型とも言える詩「薤露青(かいろせい)」(『春と修羅第二集』)が書かれたのは同年7月でした。

   ……みをつくしの影はうつくしく水にうつり
     プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
     ときどきかすかな燐光をなげる……         (「薤露青」より抜粋)

銀河軌道上での時間についてもう少し補足しておきます。反ウラシマ効果などといいかげんなことを書きましたが、賢治は相対性理論を援用しながらも、それに従ってはいません。銀河軌道上での時間は一定して流れている時間ではありません。突然苹果(りんご)が現れたり、鳥捕りがテレポテーションしたり、第三次稿まで登場していたブルカニロ博士も、「私の考を人に伝へる実験」というテレパシー実験を行ったりしています。現代科学で未だその現象を証明されていないテレパシーは光速を超える速度と考えられており、アインシュタインの理論に反しています。

(2011年11月追記:ニュートリノが超光速であるという実験結果が9月と11月に出ました。2012年5月追記:残念ながら再実験で誤りだったとのことです。しかしながら、いつの日にかアインシュタインの理論が書き換えられる日は来ます。アインシュタインはテレパシーの存在を否定していますが、彼がすべて正しかったら量子力学の発展はありませんでしたから。) 

また、賢治は相対性理論だけでなく、種々の物理法則を超える世界を描いています。しかし、どこかで聞いたことがある世界。いえ、よく耳にする世界です。それは霊界という別次元の世界であって、銀河軌道上での存在は「『春と修羅』序」に記された「幽霊の複合体」としての、ある一体の姿です。『農民芸術概論綱要』の序の4行目以降をまるごと引用してみます。

 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい
 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
 この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
 われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

これは物語のモチーフそのものです。「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい」というように、宗教と科学の統合を目論んだ賢治の実験がこの物語では行われているのです。したがって、ブルカニロ博士が登場していた第三次稿までと比べるとその趣が薄まりましたが、意識が実体化する他界の中では、実体化に時間がかからないと推定されます。つまり、切符が必要だと思えば、上着のポケットに切符が入っており、あそこへ行きたいと思えば、すでに着いているのです。カムパネルラがこう呟く場面もありました。「何だか苹果の匂がする。僕いま苹果のこと考へたためだらうか。」


4.夏休みはあるか

夏休みがない学校なんてつまらないです。真夏でも冷房を効かせて子どもたちに勉強をさせようなんて不純な考えはやめてもらいたいものです。今までのところ学校では夏休みという休暇が必ずあります。実はこの先入観が邪魔をして、1990年当時は時の確定が困難になっていました。当時花巻の学校の夏休みは8月1日〜8月31日で、この期間を避けることにすると7月にずれ込みます。これでは夏の終わりとは言えない。

休業中の登校日になっていたという可能性が残りますが、登校日の規定というものはなく、実際あったのかどうかも確認できていません。ただし、大正時代の天長節(天皇誕生日)が8月31日だったので、この日は登校した可能性が高いようです。しかし、休業中の天長節は1912年〜13年の2年間だけで終わりました。まだ暑いので行事がやりにくいということらしく、1914年以降は別に祝日を設けて10月31日になりました。この移動はなにやら大正天皇への冷遇ぶりもうかがえそうです。

天長節には全教職員・生徒が集合し,御真影遥拝、君が代斉唱などを行ないます。では、登校日以外の他に何か行事があったかといいますと、現代とは異なって、賢治在学中にはそういうものはなかったようです。本文テキストでも授業風景は半ドンでもなく、ごく普通の日のようですし、カムパネルラのお父さんが「あした放課后みなさんとうちへ遊びにきてくださいね」と言っていることからも、休業日中ではありえません。


南欧 
←北緯40度線→
(ミラー図法)
北日本


花巻の緯度は39度23分でスペイン、イタリア南部、ギリシャ辺りに相当します。花巻は季節感からすれば南欧とあまり変わりがないところです。これは書く側からすれば都合がいい。星座の並びも同じになりますからね。また、本文テキストには夏の暑さを感じさせる記述がほとんどありません。そんな涼しい気候なので、夏休みを設定する必要もないというところもあるのでしょうか。とにかく、この物語では学校には夏休みというものがないという可能性が大きいようです。この問題については一番最後の章で別の視点を加えることで決着させます。


5.星祭とはなにか

ごちゃごちゃ考えなくても、星祭の日がわかれば一番手っ取り早い。日本の星祭と言えば七夕。七夕と言えば7月7日。前項の考察から言えば、そんな早い時期はありえないです。しかし、七夕は旧暦の7月7日であって、新暦であれば8月に相当します。新暦への切り替えは1872年(明治5)で、賢治存命の時はすでに切り替わった後の時代です。季節の行事にどう対応したかは日本各地で異なります。新暦へ素直に切り替える、旧暦を機械的に一月遅らせる、旧暦のままにするという3つの対応に分かれましたが、地方では旧暦のまま行われるのが一般的でした。実際、花巻でも同様だったのです。

旧暦とは天保暦を模した太陰太陽暦のことですが、月の満ち欠けを基準として作られているので、新暦とのズレとその調整が年毎に変化します。銀河鉄道ツアーを1931年(昭和6年)に設定したのは、賢治が第四次稿を書いていた時と推定されるからに過ぎませんが、便宜的に賢治の生年から没年までの旧暦七夕の日を新暦に相当する日で書き出してみました。世の中には生まれた年のことや、胎内にいた時のことまで覚えていると主張する人がいますからね。上段が8月の日付【31日は該当する年がないので省略】、下段が該当する西暦年【1896年(明治29年)〜1933年(昭和8年)】の下二桁です。


8月12345 6789101112131415161718192021222324252627282930
西

0019082797
16
 05
24
13
32
 02
21
10
29
991815
26
07 04
15
231201
20
31
28099817250614
33
 03
22
11
30


上表からわかるように、旧暦七夕はすべて新暦8月に収まっていることがわかります。

大正時代以降、花巻では「土沢七夕まつり」という行事が新暦の8月6〜8日行われてきました。これは旧暦に近いところで設定されているように思われます。つまり、旧暦の月遅れです。現在花巻では土沢七夕まつりは別として、全国一般と同じく、新暦7月7日を七夕として考えています。

当時花巻では旧暦の7月1日に竿を立て、7日目(七日日なぬかび)の暁の明星が出る頃に笹竹の竿だけを残して、灯りをつけて北上川に流す風習があり、またお盆にはカボチャやナス、キュウリ、キンカウリに穴を開けて蝋燭を立て、川に流しました。だんだん見えてきましたね。どうも七夕と盆の風習が合体したところで、星祭のイメージが作られているようなのです。

では、お盆の日程はどうだったか。ここでやはり問題になるのは、旧暦か、あるいは旧暦の月遅れのどちらであったかということです。現在、花巻では8月11日にお盆入り、16日の送り盆で終了しますが、法会(ホケ)と称する親戚が集合して先祖の霊を拝む行事は8月12日から15日までだそうです。これは旧暦から便宜的に一月ずらしたお盆です。 しかし、yu が調べた限りでは当時はお盆も旧暦で行われていたようです。花巻の人でももう確信が持てないほど昔のことになってしまっているのですが、花巻の松庵寺にお尋ねしたところ、過去帳では旧暦になっているとのことです。それでもまだ確信が持てないので、花巻の方でご記憶のある人がおられましたら、情報をお寄せください。

先述した『「銀河鉄道の夜」と花巻の習俗・信仰』というインタビュー記事が一番詳しいのですが、はなし言葉ゆえか記述が不正確で、的確に読み解くことができませんでした。話者の小川金英氏もすでに銀河鉄道の乗客になられております。

お盆は旧暦7月13日夕方が迎え火で、送り火は16日夕方になります。キンカウリ等に蝋燭を立てて北上川へ流すのは15日早朝。16日には燈籠流しとなります。小川金英氏の言葉によれば「遠い遠い空へお送りする」のだそうです。このようにお盆も七夕と同様、旧暦で行われていたということになれば、七夕の星祭が行われた後にお盆で死者を送るという順になります。死が近いことを自覚していた賢治にとっては一層身近な行事であったことでしょう。また偶然にも、1931年の8月20日は、賢治の生涯では一番多い七夕日でした。 琴座とベガ

なぜ盆が関係するかと言えば、ケンタウル祭とはケンタウル村と関連しているからです。その関連について書かれるべき原稿が存在していないのではっきりとは言えませんが、この村は天上へと向かう場所でした。ジョバンニにとっても、賢治にとっても「ほんたうの天上」ではないですけど。

「天気輪の柱」で注目されるのは琴座のベガです。夏の天では天頂付近で一番明るく輝く星なので目立つのは当然ですが、これが信号となってジョバンニは銀河鉄道の乗客になり、第四次稿ではカットされましたが、第三次稿までは丘へ帰還した時にもベガを見るのです。 わし座のアルタイル

それは「琴の星がずっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました」という箇所ですが、先述したように、これはジョバンニが眠っていた時間が短いことに賢治が気づいたためだと思います。たった30分のことですから。ベガは言うまでもなく、織女星のことです。

鷲の停車場では「三つならんだ小さな青じろい三角標」という表現があり、真ん中の三角標がアルタイル(彦星)を示しているようです。またその後に「かささぎ」も登場しており、七夕伝説をなぞっています。賢治の念頭に七夕があったことをうかがうことができます。


6.星は流れるか

天文ファンにとって8月の星祭とは何かと問えば、百人が百人ともペルセウス座γ(ガンマ)流星群と答えることでしょう。この群が極大になる日が12日〜13日。つまりお盆の始まりだと思ってもらったらいいです。七夕を別にすれば、ケンタウル祭と結びつけたくなる気持ちは否定できません。

サイエンス・ライター竹内薫氏は、北十字は8月12日23時に北天の星座早見盤で南中し、南十字はその4時間後に南天の星座早見盤で南中すると指摘しています。指摘された時刻は確かにテキストに合致しています。白鳥の停車場(北十字)は「十一時かっきり」着で、「南十字(サウザンクロス)へ着きますのは、次の第三時ころ」なのです。ただし、これは鉄道が12時間制であるという前提がつきます。

賢治は星座早見盤を見て構想を練りましたが、南天の星座早見盤の所有については確認されていません。当時日本で発売されていたものは北天の早見盤が1種類だけで、直径31センチの厚紙でできた日本天文学会編・三省堂発行のものでした。現在もこのコンビで両天用のものが発売されています。(『なにわの科学史のページ』で後の版の早見盤が見られます) また、どちらの十字も天体ではなく、星座なので、南中する時刻や日付の範囲はかなり広いと言えます。例えば8月20日でも大した差異ではありません。南天の星座早見がなくても南中時刻はわかるので、これはこれで面白い話ではありますが、そこまで考えていたとは思えません。

本文テキストには流れ星についての描写はもちろん、「先生」を始めとして流れ星には全く触れていません。むしろ、先生は「今日はその銀河のお祭なのです」と言っているように、流星が主役ではありません。流星を重視すれば太陽系を周回するスイフト・タットル彗星のお祭りに傾きかねません。流星の母天体がこの彗星です。

星空を見上げるジョバンニの視界にも流れ星はありません。もちろん、この時期に必ず流れるものではないのですが、賢治の念頭にあれば流れ星がどこかで触れられたはずです。むしろ、流星群にかかわる日ではない証拠だと考えた方が自然です。流星群の描写はきっと物語のイメージを変える可能性があるぐらいファンタジックです。星祭にふさわしいでしょう。しかし、賢治はそれを描かなかったのです。この物語の地上は流星が飛ばない暗いトーンとして書かれています。

悲しいジョバンニは星空を見上げますが、祭りを楽しむ地上の人々は星空よりも川の流れに関心が向いています。これは星祭というよりも、むしろ川が密接にかかわる七夕やお盆の習俗に比重が掛かっていることを示しています。ジョバンニを送り出した「お母さん」の言葉も「川へははいらないでね」でした。

 「プリオシンのなぎさ」ページにも書きましたが、最後に賢治理解のひとつのキーワードになる「修羅の渚」にも触れなければなりません。

プリオシン海岸とイギリス海岸の相関図

賢治はプリオシン海岸とイギリス海岸を相似形として楽しみました。斎藤文一氏によると、8月中旬のある夜、北上川河畔から南の空を見ると、天の川と北上川が地平線上で合体し、プリオシン海岸はちょうどイギリス海岸の、これも賢治が名付けた「修羅の渚」と位置関係が合うということです。(※ 『SKY WATCHER '91-9』)

この話題も日付や時刻の点においてはかなり大雑把なものです。川の水平と立ちのぼる銀河の地平が一致する地点を探し出すことから始めなければならないので、現地に行かなければ日と時刻の確認ができません。正確に言えば真南ではなく、南西になりますね。花巻びとの調査を待ちます。しかし、言えることはあります。場所と日と時刻の組み合わせで、ある程度の幅のある日数が合致するということです。つまり、「修羅の渚」という視点から見ても、8月中旬が妥当だということです。川面から天の川が立ち上る風景はさぞや美しいことでしょう。下のようなイメージですね。これは1931年8月20日23時の場合です。

北上川から立ちのぼる銀河


7.苹果は穫れるか

『銀河鉄道の夜』はいつかを考察する時にはつい天文現象に目が行きがちです。yu の場合も星空を天文ソフトで描くための考察だったため、植物に目を向けるのを怠りました。しかし、「ジョバンニの苹果」を書き進める中で、『青森挽歌 三』の次の箇所が気になって調べることになりました。

いまごろまっ赤な苹果はありません。
爽やかな苹果青のその苹果なら
それはもうきっとできてるでせう。

これは天気輪の丘の場面で第3次稿にあった「青い苹果だってもうできてゐるんだ。」と対応している部分です。第4次稿ではジョバンニの嘆きとともに削除されますが、物語の時期を示す手がかりになる記述です。しかも、この心象スケッチには8月の日付が入っています。他にも時期のヒントになるものとして、同じく丘の場面での「つりがねさう」があり、そしてカムパネルラたちが採りに行った「烏瓜」も参考になりそうです。

他にも季節感のある植物としてジョバンニの家の「ケール」や「アスパラガス」があります。しかし、ヨーロッパ原産のこれら2品種は名称が登場するのみでどんな様子か描写されていないし、どちらも多年草なので参考になりそうもありません。ケールとアスパラガスについての考察は、プリオシン通信の「銀河鉄道の夜の植物案内」のページに譲り、ここでは、物語での登場順に、「烏瓜」、「つりがねさう」、「苹果」の時期を調べていきます。

烏瓜

カラスウリは春に発芽し、夏には花を咲かせ、秋には実を付けます。日本らしい季節感を表現している植物です。すでにお気づきのように、夏に「烏瓜を取りに行く」ことは不可能で、実が熟すのは十月以降です。物語と事実には時期のズレがあります。秋の季節行事ならば、収穫祭になってくることにもなります。花巻の季節行事で使われることもなく、季節もずれてしまうカラスウリをあえて持ち出したのには何か別のわけがありそうです。

一般的に赤い実が思い浮かぶと思いますが、賢治が作品に記している植物を調べるのに大変お世話になったブログ「イーハトーブ・ガーデン」では、「賢治はカラスウリと書いているが、花巻周辺にはキカラスウリが多く、赤い実は見かけないと、土地の人から聞いたことがある」と記載されています。キカラスウリは日本特産で、名の通りに熟すと黄色の実になります。

カラスウリ カラスウリは別名で「きつねのまくら」とも呼ばれます。花が開くのは夜なので、別名の由来とかかわりがあるのかもしれません。日没後から花弁を広げ始めるので、『銀河鉄道の夜』では「実」ではなく、むしろ白い「花」が描かれてもいいわけです。

カラスウリの実は長さで6センチ前後しかありませんから、花巻の盆行事のように実をくり抜いて蝋燭(ろうそく)を立てるのは困難です。

しかし、賢治にとっては抽象的なものではなく、具体的なものであったことも確かそうです。賢治にとって烏瓜と「あかり」は親和性が高いようで、『風野又三郎』でも「烏瓜の燈籠」として登場しています。

「(略)そして今朝少し明るくなるとその崖がまるで火が燃えているようにまっ赤なんだろう。そうそう、まだ明るくならないうちにね、谷の上の方をまっ赤な火がちらちらちらちら通って行くんだ。楢の木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜の燈籠のように見えたぜ。」
「そうだ。おら去年烏瓜の燈火拵えた。そして縁側へ吊して置いたら風吹いて落ちた。」と耕一が言いました。
 すると又三郎は噴き出してしまいました。
「僕お前の烏瓜の燈籠を見たよ。あいつは奇麗だったねい、だから僕がいきなり衝き当って落してやったんだ。」

また、心象スケッチ『滝沢野』では「烏瓜ランタン」です。

光波測定の誤差から
から松のしんは徒長し
柏の木の烏瓜ランタン

この作品では赤い烏瓜をランタンに見立てる表現のようです。烏瓜と「あかり」の連想経路がうかがえます。しかし、『銀河鉄道の夜』に書かれたのは蝋燭や灯油の火のような温かい色ではなく、「青いあかり」でした。『春と修羅』序を読んだことがある人ならきっと思い出す連があります。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

オレンジの色の送り火ではなく、この「青いあかり」とは「葬送のあかり」のように感じられます。昔、祭の夜店ではアセチレンランプが使われていたそうですが、これはカーバイト鉱石に滴を垂らしてアセチレンガスを発生させて燃やすランプです。物語の終わりにはカムパネルラ捜索のために登場してきます。賢治は烏瓜をどういう仕組みに組み込んだのかわかりませんが、何かしらの化学反応で「青いあかり」を生み出したのでしょう。

ただし、「青いあかり」が本当に青かったかどうかはわかりません。賢治は『祭の晩』で「アセチレンの火は青くて」と記し、『黄いろのトマト』でも「青いアセチレン」と書いています。しかし、アセチレンランプのあかりはオレンジ色に近いです。この例から賢治にとってはそんな色でも「青」になった可能性が残るからです。

岩手県では「さだかでない光や色の形容に使うことがあるそう」と板谷栄城氏が指摘しています。

カラスウリの花 賢治がキカラスウリではなく、カラスウリを採用したのはたぶん語感が冗長になるのを避けたためと、黄色よりも赤色を選んだからでしょう。そして、何よりもキカラスウリは儚(はかな)さに欠けます。なぜなら、キカラスウリは夜が明けてもすぐには花が萎まずにいますし、烏瓜よりも一回りも二回りも大きな実になるからです。

それにしても季節外れである烏瓜を持ち出したのはなぜでしょうか。すでに銀河の世界では秋風が吹いているわけですが、葬送のあかりを灯す実として秋に実る烏瓜こそが銀河軌道へと繋がるシンボルとしてふさわしいと考えられたからではないでしょうか。そして、「青いあかり」は丘の上の「青い琴の星」の瞬きへとつながっていきます。

つりがねさう

物語では「つりがねさう」という言葉が出ていますが、「野菊」も併記されていて、丘の上に何が咲いていたのか断定はされていません。「断定されていない」ことも表現のひとつです。

つりがねさうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたといふやうに咲き、

ツリガネニンジン ツリガネソウにはいろんな種類があります。ブログ「イーハトーブ・ガーデン」では、『銀河鉄道の夜」ではホタルブクロが似合うとされています。ホタルブクロの花期は6〜7月です。右画像のツリガネニンジンであれば花期は8月から10月頃まであり、物語とも合致する季節です。茎から枝が輪状に出て花を付けます。賢治作品では心象スケッチ「早池峰山嶺」に「釣鐘人参(ブリユーベル)」と出ており、日付は「一九二四、八、一七」となっています。このスケッチの下書稿では「blue-bell」と英語表記がなされており、ツリガネソウの総称となっています。

しかし、烏瓜との関連を考えると、ホタルブクロ(火垂る袋)の方が名称も形もふさわしいと思えます。この青い提灯ははまさに烏瓜の青いあかりと照応するものです。その証拠に青びかりを出す虫も登場させて、烏瓜のあかりに導いています。なお、ホタルブクロには「蛍袋」由来説もあります。

草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もゐて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのやうだとも思ひました。

ホタルブクロ ホタルブクロの花期は物語の時期と合致しませんが、ヤマホタルブクロという高山性の植物の場合なら9月頃まで咲いてはいます。賢治が断定せずにぼかしているのは花期に気を遣ったせいかもしれません。その一方で「青いあかり」であるツリガネソウだけでなく、仏花の代表である菊も印象に残るように併記する巧妙な描き方であるとも言えます。

ここでツリガネソウを持ち出したもうひとつの理由はカムパネルラのせいです。ホタルブクロ属はラテン語でカンパニュラ(Campanula)と呼ばれ、やはり釣り鐘の意です。

初期形では銀河鉄道にジョバンニを誘ったのはブルカニロ博士でしたが、最終形ではこの人物は消えてしまいました。そして冒頭にカムパネルラの人となりが描かれ、末尾には初期形では触れられていなかった彼の死が具体的に記されるようになりました。このような推移はブルカニロ博士がお膳立てしたものの、実はジョバンニを誘ったのはカムパネルラであったことを浮かび上がらせているように思えます。

最終形において、カムパネルラは当時の社会情勢であれば当然期待される父親的なリーダーシップがとれる級長ではなく、むしろ黙って温かく見守る母親的な人物像だったことが明らかになりました。ジョバンニの境遇を思い遣って黙って一緒に起立することを選んだり、ジョバンニへ心ない言葉を投げつけるザネリに直接注意をしなかったりする姿勢にそれが表れています。ジョバンニといっしょに立ちすくむことを親友だからと受け取る方もいるようですが、この二つのエピソードは表裏一体であって誰に対しても思いやりの心を持つカムパネルラが表現されているのだと思います。

つまり、最終形ではジョバンニを銀河鉄道に誘ったのはカムパネルラのやさしさだと考えられます。それは父親が行方不明で、母が病床にある孤独な少年への心遣いです。そのためには季節は少々ずれても青いひかりのカンパニュラであってほしかったのでしょう。そして、このキキョウ科の花の色は銀河鉄道では秋の「りんだうの花」へとつながり、「桔梗いろの空」へと広がっていくのです。

リンドウも仏花としてよく用いられる花です。桔梗色はカムパネルラを弔う色であり、死者の鉄道の背景を彩っています。

そんなわけで、烏瓜の季節がずれていたように、「つりがねさう」の時期もせいぜい盛夏までと言えそうです。


苹果

今日、銀貨が一枚さへあったら、どこからでもコンデンスミルクを買って帰るんだけれど。ああ、ぼくはどんなにお金がほしいだらう。青い苹果だってもうできてゐるんだ。

上記の引用は第3次稿からです。第4次稿では消えましたが、時期を考察するヒントとしてはまだ有効なはずです。青リンゴは未熟な状態で収穫するもので、熟せば赤リンゴになります。つまり、赤リンゴはまだ手に入らないけれど、青リンゴなら手に入る時期だというわけです。

『青森挽歌 三』の日付は8月1日です。宮澤賢治が扱うリンゴには「苹果」と「林檎」があることは「ジョバンニの苹果」で説明しました。苹果とは西洋リンゴであり、林檎とは和リンゴのことです。平仮名の「りんご」は和洋どちらにも使われています。

西洋リンゴでも和リンゴでも日本で収穫できるのは8月以降になります。青リンゴでも7月に収穫できるものはありません。つまり、『銀河鉄道の夜』の7月説は排除できそうです。

農研機構果樹研究所によれば、明治後期〜昭和初期にかけて広く栽培されていた品種として、「国光」、「紅玉」、「柳玉」、「倭錦」、「紅魁」、「紅絞」、「祝」などがあるそうです。 『國文學・解釈と教材と研究』(1986年第31巻6号)で原子朗氏が賢治のリンゴについて記すところでは、野生の「和りんご」、「祝」、「国光」、「紅玉」、「黄金種」があります。「黄金種」とは柳玉(りゅうぎょく)を指すのでしょうか。

ともあれ、当時広く栽培されていた品種は10月収穫の紅玉と11月収穫の国光です。青森のリンゴを収穫期別に一覧にしたサイトに「青い森の片隅から」があります。品種の詳しい説明と画像もあります。岩手と青森の収穫時期に差はありません。主にこのサイトを参考にして他の品種も調べてみました。収穫時期には揺れがあるので、大まかに月単位でまとめました。

苹果の収穫時期  (栽培率は1911(明治44)年の青森県統計)
収穫時期品種名読み栽培率(%)
8月いわい青・赤5.9
8月紅魁べにさきがけ1.5
9月ワリンゴわりんご 
10月紅玉こうぎょく30.3
10月紅絞べにしぼり 
10月柳玉りゅうぎょく7.7
11月倭錦やまとにしき3.6
11月国光こっこう47.6

注目すべきは8月のリンゴということですね。紅魁は8月中旬に収穫される赤リンゴです。しかし、1911(明治44)年において青森県の栽培品種ではたった1.5%を占めるだけの少品種です。やはり赤リンゴは秋に食べるものなのです。銀河鉄道の汽車で食べられた苹果は先述したようにその時空間が秋になっていたからこそです。

祝 さて、残る「祝」はそもそも赤リンゴですが、青リンゴとして収穫されたものです。これは熟す前の8月の上中旬が収穫期となります。お盆に供物として重宝されたもので、かなり酸っぱいものだったようです。果樹研究所によれば、もうひとつのリンゴの産地であった香川・愛媛県なら7月中に出回った可能性があるとのことです。しかし、そこまで考慮する必要はないでしょう。

『青森挽歌 三』に記された日付は「祝」の収穫時期と重なります。心象スケッチという言葉が示すように賢治の韻文は写実的ですからかなり信用が置けます。「それはもうきっとできてるでせう」という推定表現は、まだ時期が少々早いことを伝えてもいるように思えます。まとめれば、当時の一般的な理解としては青リンゴが手に入るのは早くても8月初旬、赤リンゴはもう少し時期が下がると考えて良さそうです。


7.ここはいつか

 ジョバンニが天気輪の丘に登った日はいつなのか。いままで検討してきた中から条件を整理します。

1.まだ暑さが残る時期である。
2.露が降りる季節である。
3.丘で見た星空は夏の星座である。
4.銀河は秋だが地上はそれ以前である。
5.学校に夏休みはない。
6.星祭は七夕と盆が合体した祭りである。
7.七夕は旧暦で行われ、新暦では8月中になる。
8.盆は旧暦で行われ、七夕のほぼ1週間後である。
9.流星群の極大日(8月12〜13日)ではない
10.プリオシン海岸とイギリス海岸が相似形となるのは8月中旬である。
11.「つりがねさう」は初夏から夏の花、「烏瓜」は秋の実である。
12.青リンゴがあって、赤リンゴがない時期は8月である。

このような条件から抽出できる日は8月後半と考えるのが妥当だと思います。カムパネルラの汽車内での「もうすっかり秋だねえ」という台詞は、地上ではまだ秋が来る前であったことをほのめかしています。ですから、この台詞とも合います。ただし、11番目の条件だけは合致しません。これは5番目の条件ともかかわりがある問題でとても不自然です。一旦ここでは除外して最後に触れることにします。

賢治が第四次稿を黒インクで書いていたのは1931年です。その後も手を入れていくことにはなりますが、この31年の七夕は20日でした。偶然にもこの日は賢治の生涯で一番七夕が多かった日になりました。そして26日にお盆を迎えることになりました。この時の風景やら雰囲気やらが賢治の第四次稿に反映しているのではないかと想像します。予想通り、何日という特定の日を決めることは不可能であり、無意味でもありますが、今後銀河鉄道ツアーを更新する時には8月20日の設定でいきたいと考えます。

この時期であれば日が落ちるのも早くなっており、先に検討した時間の設定もクリアすることができます。町の下り坂での電燈の影や、牛乳屋での星空が見えるのです。

なお、1931(昭和6)年という年は、賢治がこの年に4次稿を書いていたという状況を尊重して設定したに過ぎません。1931年という年は明らかに賢治がこの物語に想定した年ではありません。「五、天気輪の柱」に「まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです」とあるからです。1931年8月20日20時の星空画像(上に掲載)に西に沈んでいく月が見えています。「星あかり」を飲み込んでしまう月が空にあったはずはありません。

しかも、3次稿は大正末年には成立していたらしいわけですし、白鳥の停車場の手前でカムパネルラは「さうだ。おや、あの河原は月夜だらうか。」とも話しています。まだ地上の意識を引きずったままであるならば、月夜ではないことを示しています。月夜ではない晩はどれくらいあるものなのか、参考までに月の出没の一覧を載せておきます。1920年代初頭には物語を構想していたことでしょうから、21年から32年までの12年を取り上げてみました。賢治没年の32年は20時過ぎてすぐに月が上ってきます。


8月20日20時点での月の出没一覧
西暦
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
元号
10
11
12
13
14
15
2
3
4
5
6
7
月齢
16
26
7
19
0
11
22
4
15
25
6
18
出没














賢治は8月中旬の、たぶん盆が明けたあたりの日を物語の基底となる時期として想定したのでしょう。しかし、心象スケッチとは異なり、現実の時間を描いたのではありませんでした。「つりがねさう」や「烏瓜」について説明したように、8月ではない別の時間を取り込んでいることは明らかです。それは夏なのに夏休みがないという不自然さと重なり、物語に不思議な時空を生み出しています。逆に言えば夏休みにこだわることなどいらないのです。

一読すれば銀河世界は仮想の時空間であり、地上世界は現実に存在しうるように思えます。「『銀河鉄道の夜』はどこか」では舞台が花巻を再構成した仮想空間であることを説明しました。しかし、それは空間だけでなく、やはり時間も仮想であって、地上世界も仮想の時空間であることがわかります。

冒頭で「いつかなんて、わかりっこない」と記しましたが、そのとおりになりました。季節はほぼ晩夏と考えていいと思いますが、特定の日時は存在しません。なぜなら、ジョバンニはいつの時代にも存在する少年であり、彼の物語は人々が永遠に挑み続けなければならない物語だからです。「永久の未完成これ完成である」と記した賢治ですが、まさに『銀河鉄道の夜』こそが永久の未完成であり、あたかも原稿の欠落をなぞるかのように、「これ完成である」という気持ちが欠落した物語なのです。


 最後に「ツアー概要」ページに記した以外の参考文献もあげておきます。

賢治の小学校時代―資料に基づく校舎・校名の考証=泉沢善雄(宮澤賢治学会・会報第29号)
討議『銀河鉄道の夜』とは何か=入沢康夫・天沢退二郎著(青土社)
「銀河鉄道の夜」を読む=西田良子編著(創元社)
「銀河鉄道の夜」と花巻の習俗・信仰=小川金英(洋々社・「宮澤賢治」第7号)
宮澤賢治・銀河鉄道の夜―そこに何を求めたか=斎藤文一(立風書房・SKY WATCHER 1991年9月号)
「銀河鉄道の夜」の鉄路を辿る=加倉井厚夫(アストロアーツ・月刊星ナビ2001年9月号)
宮沢賢治の宝石箱=板谷栄城著(朝日文庫)
珍説・奇説?賢治の星=竹内薫(東京大学「科哲の会」会誌第4号)
宮澤賢治「四次元幻想」の源泉を探る書誌的考察=寮美千子(和光大学表現学部紀要第5号/2004)
ステラナビゲータver.7公式ガイドブック=アストロアーツ
星図はステラナビゲータで作成

上記の泉沢氏には当時の花巻の学校行事や花巻の習俗についていろいろとご教示いただきました。また、松庵寺(花巻)、イーハトーブ館(宮澤賢治学会事務局)、花巻市企画生活環境部広聴広報課、ブログ「イーハトーブ・ガーデン」、サイト「青い森の片隅から」、農研機構果樹研究所にも大変お世話になりました。ありがとうございました。




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